ゆるめるモ!(You'll Melt More!)の徹底解説まとめ

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ゆるめるも!(You'll Melt More!)とは、フリーライターの田家大知がももいろクローバーの「ピンキージョーンズ」に触発されて、「辛い時は逃げてもいいんだよ」をテーマとして自ら街頭でスカウトして集めてきたメンバーで結成された女性アイドル・グループ。名前の由来は「(窮屈な世の中を)ゆるめる」というメッセージと「You'll melt more!(あなたをもっとトロけさせたい)」という2つの意味が込められている。

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――世界一周ですか?

田家:大学4年生になったときに1年間休学して、2、3ヶ月間のアルバイトで40万円貯めて、いきなり世界一周に行ったんです。自分の欠点はすごくわかっていて、身の回りのことは全然できない。ただ、いい意味でアホでなにも考えてないので、恐くないんですよ。物怖じって概念がなくて、やろうと思ったら行っちゃえってなる。でもそのおかげで、強盗に襲われて半殺しの目にあったり、2回入院したりしました。

――入院ですか?!

田家:1回目は食中毒で、2回目は腸チフスっていう伝染病にかかったんです。40度くらいの熱が1ヶ月くらい続いて、生死の境をさまよいました。ドイツのお医者さんから「あなたは死ぬかもしれない」って言われたんですけど、旅を続けたいのでここで治したいですって言ったら、お医者さんが気合い入れて治してくれて。伝染病だったので、個室病棟に隔離されて、ナースの人たちは手袋とかつけていました。

――それはまた過酷な…。

田家:そういった縁もあって、ドイツに長くいることになったんです。僕が人生で好きなバンド・ベスト10に入るスロー・ザット・ビート! っていうアノラック・ギター・ポップ・バンドがいるんですけど、あまりに好きだったから渋谷クアトロに来日公演したときに出待ちして、一緒に渋谷で飲んで、日本の下ネタを教えたりして仲良くなったんです。そのなかのジーナちゃんって子が、アタリ・ティーンエイジ・ライオットのやっていたデジタル・ハードコア・レコーディングスっていうレーベルで、EC8ORっていうバンドをやっていたんですけど、連絡をとって遊ぼうって言ってたら、クラブでアレック・エンパイアを紹介してくれて。亡くなっちゃった初代ヴォーカルのカールとかもいたりして、みんなでわいわいやって。才能ある若者の家に泊まらせてもらったりもして。そこがベルリンのアナーキーなミュージシャンたちの巣窟みたいなところで、でっかい家をシェアしているんですけど、みんなサンプラーで音楽を作っていて。お風呂とかトイレもゴミ箱みたいに汚いんですけど、そのなかで寝起きしている、そんな場所でした。

――かなり衝撃的な場所ですね。

田家:そういうシーンの中でジーナががんばっているのとかを観たり、アレック・エンパイアとかが世界に絶賛される曲をどんどん書いていて、このスケールってすごいなと思っていて。

――そのあとはどういう旅を続けたんですか。

田家:そのあとオランダに行ったんですけど、スロー・ザット・ビート! の連中に紹介されたレーベル・オーナーの家に泊まらせてもらったり。あと、イギリスではクラブに行きまくりましたね。日本人の友だちがいて、その友だちがレズビアンで、ゲイ・カルチャーにはまっている人だったから、毎晩のようにいけているクラブに連れていかれて。

――どれもこれも血肉化するような聴き方ですね(笑)。

田家:その当時はなんとも思ってなかったですけど、いま思うとなかなかできないことですよね。そのあと行ったNYの音楽シーンも強烈で、ニッティング・ファクトリーとかその周辺のライヴハウスにも毎日のように行っていて、こんなかっこいいバンドが毎日、こんな安い料金で観れるんだって、脳のなかがスパークしました。それこそ、bisがNYでツアーをして地元のファンを熱狂させているのを観て、すごいなっていうのも体感して。

――それだけ強烈な体験をして戻ってきたあと、田家さんは日本でどのようなことを始めたんですか。

田家:曲を作ってみようと思ったので、MTRとドラムマシンを買って、ギターでなんとなくららららって歌いながら、1晩か2晩で鼻歌みたいのをバッと作って、バンドをやろうと思ったんです。演劇をやっていた仲間で高校の同級生に楽器もできる人がいたので、バンドをやりはじめました。そのバンドに、ゆるめるモ! の作詞をしてくれている小林愛ちゃんがいたんです。演劇サークルで一緒だったんですけど、感性があうのでヴォーカルやってよって言って入ってもらって。愛ちゃんはそのとき自分で詩を書いていたりしていたから、歌詞も書いてもらうようになっていきました。

――田家さんは仕事はどうしていたんですか。

田家:就職もしないとなと思っていたんですけど、全然うからなくて。最後の最後に就職情報誌でみつけた編集プロダクションにうかって。でもそのときはバンドでやっていきたいと思っていたから、忙しくてバンドをやっている時間がないと思って仕事をやめて、フリーで細々とライターとしていろんなところから仕事をもらっていました。20代のころはバンドに費やしましたね。

――バンドに費やしたけど、なかなか芽が出なかったと。

田家:20代のころは真剣だったけど、いま考えると甘かったなって思うんです。ダラダラやっていたというか。ただ、自主企画とかもいろいろやっていて、ボストン・クルージング・マニアとかサラダバーとかデデ・マウスとかウーネリーズとかに出演してもらったりしていたので、その縁がいまにも繋がっています。

――そうなんですね!! いままでの話を聞いていると、アイドルはまったく別の文化のなかで活動してきたんですね。

田家:まさにそうでした。ゆるめるモ! をはじめる半年前くらいまで、アイドルに関わるなんて思ってもみなかったので、そのころの自分に言ったらめちゃくちゃ驚くと思います。

――アイドルを始めたきっかけとしては、ももクロとの出会いが大きいんですか。

田家:そうですね。もしかしたら、ももクロが僕の人生を変えたのかもしれません。ライターをやっていたときに、芸能の記事とかも書いていたから、アイドルのことも調べないとと思って調べていたら、なんじゃこりゃ!! って、すごくハマっちゃったんです。あとは震災をきっかけに、アジアと日本を繋げたいと思って「アジポタ」というサイトを作ったりもしました。そのころから、自分でなにかしようって思い出したんだと思います。結婚して、バンドも、ライターもそこそこで…。特にライターは才能ないって思っちゃったところがあって、これでやっていくには限界があるって思っていたところがあったんです。で、自分でなにかはじめようってモヤモヤしはじめて、アジポタをはじめて、アイドルをはじめてみようって。

――悶々としていたときに、ももクロに出会ったことが運命だったわけですね。

田家:あと、僕らがバンドでやっていた曲を本当におもしろい曲だと思っていたので、なんで売れないんだと悔しくて。これで売れなかったら、10年以上バンドをやっていた年月が無駄になるなとも密かに思っていて。うちのバンドのギタリストのTamptinがいい曲書くとか、知り合いでいい曲を書く人がいるとかで、彼らにスポットがあたらないのも悔しいと思って。そのときに、素材は揃っているから、あとは女の子さえみつかればアイドルができるんじゃないかと。持ち曲はあって、バンドもいて、人脈もあって、そこはスムーズにマッチングだけさせればできると思っていたんです。現に「ゆるめるモん」とか「なつ おん ぶる ー」とかは、自分たちがバンドでやっていた曲ですからね。

――そこらへんの感覚は、どこかWiennersに近いのかもしれませんね。アイドルと曲がミックスすることでうまい化学反応が起こるみたいな部分があるのかなって。

田家:たぶん、それは僕のなかでも見えていたと思うんです。ももクロの曲を聞いたときに、確かにおもしろいんだけど、僕だったらこういうアプローチをとるなと思って。見渡したときにそういうアイドルいないな、よっしゃと思ったのはあるかもしれないですね。ぼくが思うものを組み合わせたら絶対おもしろいものが生まれるなと思いましたから。

――それで世界一周のときのように、アイドルを集めるためにいきなりスカウトで声かけちゃうってところが田家さんらしいですね(笑)。

田家:そうそう(笑)。普通はネットでサイトを作って、スタッフを集めてブログでもなんでも要項を書いて、って感じなんでしょうけど、面倒くさかったからどんどん声かけちゃえと思って。スカウトってどんなもんだろうって感じでどんどんやってくなかで、こうやったら会話が続くなとかってだんだん学んでいきました。

――スカウトには一回同行させてもらいましたけど、吐きそうになってましたよね。

田家:だから、当時はアイドルが猛烈に作りたかったんでしょうね。世界一周に行ったときと一緒で、作りたいって思っちゃったから後戻りできないし、他に方法はないし、辛いけどやるしかないからやるしかないっしょって。ガンガン行ったんだと思います。

出典: ototoy.jp

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――そうして最初は4人で、ゆるめるモ! がはじまりましたけど、メンバーの脱退など、一時ピンチを迎えましたね。

田家:それは計算外でしたね。あんなに女の子のモチベーションでグループが失速するんだなと思って。僕が相変わらずのスピード感で進めようと思っていても、女の子はついてこれなくなったときに、こういうことがあるんだなと思って。

――そして新メンバーを募集して5人が加入しました。僕も一回オーディションに参加させてもらいましたが、人数が増えることに対して、不安があったんですよ。でもそんな心配をよそに見事にパワーアップしましたね。
田家:このパワーアップ感が見えたときに、いけると思いました。ただ、5人も採用することで、初期メンバーの3人が「なんで私たちより多くの人数とるの」ってところでやる気をなくさなければいいなと思っていて。そこはケアして一緒に盛り上げていこうってやっていました。

――いまのメンバー状態はいかがですか?

田家:全体的には落ち着いていい状態だと思いますね。もちろん、年代も趣味もバラバラなので、相性のいい悪いはあるんでしょうけど、いまにあたってはワンマンがあるので一つになろうって気持ちが強いですね。

――ゆるめるモ! はアイドル調の楽曲、クラウト調の楽曲、ニューウェイブ風の楽曲と、いろいろな面がありますが、最終的にはここから世界に広げたいってところでやっているわけですか。

田家:そうですね。僕はカルト・アイドルになるのが絶対に嫌なんです。メジャー・フィールドの一般的な人たちも聴けるような楽曲がたくさんあるなかに、マニアックな楽曲もあるから意味がある。そうすることで、一般的な人たちの音楽的趣味も広げることができるって思っているんです。マニアックな人たちだけに愛されるっていうのは自分はやりたくないなと思っています。

――そういう意味でもリキッドは重要ですよね。あと、今作は1stアルバムになりますが、アイドルにとってアルバムってあまり重要視されないじゃないですか。

田家:そうなんですよ。でも、僕がロック的な見方で音楽業界を観ているので、こういう形になると思うんです。アルバムを出して、リキッドでやって、コラボもやってみたいな。1曲入りのシングルをジャケット変えて3パターンで出したら? って言われるんですけど、まるでやる気がしないというか。

バンドのヴォーカリストが8人いるって感じでいます
――ゆるめるモ! ってアイドルの一個というよりバンドって感じがしますよね。

田家:ロック・バンド的な感じはありますね。ハシダさんもバンド感覚でやってくれていると思いますし、僕とかギターのTamptinもそうですし、バンドのヴォーカリストが8人いるって感じでいます。

――BiSとでんぱ組.incがロック・イン・ジャパン・フェスとかサマーソニックの壁をやぶりました。ゆるめるモ!、ベルハーがフジロックや海外フェスの壁を破っていくのを期待しています。

田家:これから、もっとバンド感をだしつつ、異ジャンルの人にも届くような曲もどんどんやって、このイメージだったら出していいよってふうにしていきたいです。フジロックとかアイドルを出さないっていってますけど、テクノ系のバンドとかで、曲は作らないけどアイコン的なかわいい女の子のヴォーカリストっているじゃないですか。ああいう存在になればいいなと思っているので、もうちょっと曲とかの存在感がもっと前に出て、誰もが踊れるフェスのアンセムとかが出来れば、呼ばれるんじゃないかなって希望を持っています。

――今回のアルバムには明確なコンセプトはあったんでしょうか。

田家:まとめるときに、壮大な感じを出そうと思って「たびのしたく」の全体的なイメージをハシダさんに伝えました。ハシダさんと僕の共通言語が一緒なので、ツーカーでわかってくれるんですよね。ポップグループとかフォールズみたいな感じで、キレキレでノレるポスト・パンクなリズムのロックから、グチャグチャな展開だけど壮大なメロディになるアニマル・コレクティヴっぽい曲を作ってくださいって言って。そしたら、素晴らしい曲があがってきて。愛ちゃんにも、宇宙っぽい詞を書いてほしいと頼んだら素晴らしい歌詞をつけてくれて。この曲を中心に組んでいけば、初期ベストみたいになりつつ、早い曲もラップも入れてって感じでまとまるなと思ったんです。

――ロックといっても、ブルックリンだったりNYのインディ・ロックのイメージが強いんですね。

田家:他の運営さんでロックが好きな人っていると思うんですけど、そこらへんを出している人っていないじゃないですか。話が合うのはベルハー田中(紘治)さんくらいで。

――そうなんですよ。全然いないですよね。

田家:いないんですよね。それはたぶん多くのアイドル運営の人がはなっから別の方向をみているから、僕らがかっこいいと思って差し出しても目に入ってないんだと思うんです。だからロックですっていってもハードロックとかラウド・ロックとかメタルっぽいアプローチをする人が多くて。でも、これでぼくらが売れるようになって、そのへんの音楽性を取り上げられるようになったらフォロワーが出てくるのかなって思ってがんばっています。

出典: ototoy.jp

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――最後に、今回もジャケがDEVOのオマージュということで、インパクトありますね。

田家:裏ジャケットは自主規制にしてるんです。DEVOのうんこ帽(正式名称:エナジードーム)をかぶったんですけど、あれって登録商標をとられていて、無断で使うと賠償金をとられる可能性が髙いらしいんですよ。DEVOはあの形の帽子をビジネスにしているらしく、バレたらまずいと思って。でも写真とっちゃったから、その状況を自分たちで皮肉って、モザイクをかけて、自主規制って書こうと。そしたら、デザイナーのDieちゃんのアイデアで各国の言葉で入れてくれて、いい具合にニューウェーブっぽくなりましたね(笑)。

出典: ototoy.jp

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2014年8月6日、8人体制初のワンマン・ライヴ「2014:A Space Odyssey On Liquid RooMo! ~リキッドルーモ!号で行く、2014年宇宙の旅~(2014年8月9日開催)」直前に行われた「Real Sound」によるインタビューより。

――最近出た大坪ケムタさんとの共著『ゼロからでも始められるアイドル運営』で、初めて田家さんが今年40歳だと知ったんです。しかも奥さんもお子さんもいる。40歳を前にして、どうしてこんな大変なことを始めたんですか?

田家:狂気ですね、普通じゃありえない(笑)。奥さんは高校の同級生で面白がってくれてます。僕と結婚する時点で狂ってますから。奥さんは今は仕事を辞めて専業主婦で、僕もふだんは業務委託のフリーランスなんです。だから1日の半分以上は仕事にもっていかれてしまう。フルタイムで関われたら、もっともっとスピード感を出せる自信はあるんですけど。

――ゆるめるモ!専業じゃないんですか!? ゆるめるモ!のライヴ数の多さは異常ですが、生活は以前とどう変わりました?

田家:まったく寝られなくなりましたね。ワンマンライヴに向けて毎日公開している動画は、いとこがボランティアで作業してくれてます。ほとんどのスタッフが他に仕事していて、その合間にやってくれていますね。

――現場に奥さんやお子さんも連れて行かれるそうですが、奥さんの感想は?

田家:メンバーと僕の家族で、お互い顔が見えてたほうがいいですから。奥さんからは「音楽もいいし、メンバーもいい子だし、彼女たちの人生で楽しい時間を過ごせるように全力を注ぎなさい」って言われてます。

――もともと「アジアとつながろう」として「アジポタ」というサイトを立ち上げて、「自殺するぐらいなら逃げてもいい」というメッセージを機能させるためにアイドルグループを作ったんですよね。そして代表曲のひとつ「逃げろ!!」が生まれた。現時点での手ごたえはどうですか?

田家:アジアは長期戦ですね。

――諦めてないんですか!?

田家:全然諦めてません。前に一度インドネシアのロックバンドと共演させたんですけど、まだ無名だったからか、あまりにも注目されなくて……。日本でもうちょっと地場を固めてから再挑戦したいですね。「逃げてもいい」と訴えることはできてると思います。「逃げろ!!」を聴いてホッとした、という声がちょこちょこあるんです。ただ、BiSやBELLRING少女ハート、でんぱ組.inc.あたりのファン層には知られていても、SUPER☆GiRLSや乃木坂46あたりのファンには全然知られていないので、まだまだですね。

――田家さんのヴィジョンの明確さと、人としてのメンバーへの優しさがゆるめるモ!を形成しているのではないかと思うんですが。

田家:そこに気づいていただけるのはありがたいです……。考えてますね、心を砕いてる。グループをバーンと作っても、1年半続けてくるのは本当に大変です。他のグループを見ていても、女の子が幸せそうに見えないと、そういうことを考えない運営の人が見える気がするんです。

――とはいえ、メンバーが鬱々としていることもあるし、脱退もありますよね。メンバーのメンタルケアも大変なんじゃないんですか?

田家:実際そうです、途轍もないです。でもそれをしなかったら速攻辞めてると思うし。8人いて、忙しくなってくると、話す時間がなかなか取れてないのはヤバいなと思います。ゆいざらすにも本当に辞めてほしくなかった。でも保育士になるために時間がないから、物理的に仕方ないんです。

出典: realsound.jp

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――昨年9月の5人(しふぉん、ようなぴ、ゆいざらす、あの、ちー坊)加入は、グループとして大きかったんではないでしょうか?

田家:あの5人は迷いがなかったんですよ。最初は「入れるとしても2、3人かな」と思っていたら「この5人は誰も落とさない」というくらい、いい子たちに出会って。もちろん人数が増えたら大変なんです、ワイヤレスマイクを買わないといけなかったり。でも、たとえば3人が本物のマイクで歌って、残りがダミーのマイクとかはやりたくないんです。全員が輝けるようにしたいんです。

(中略)

――LIQUIDROOMでのワンマンライヴは、何をもって成功としますか?

田家:お客の入りは大事ですよね。あと、ツインドラム、トリプルギターって狂ってるじゃないですか(笑)。他のアイドルとは別の方向に進もうとしてるヴィジョンを提示したいし、音楽的なことに真面目に立ち向かってると示したいですね。メンバーも演奏に参加するし、シンプルでローファイなレインコーツやシャッグスみたいでもいいから、自分たちで音楽を演奏できる楽しさを見せたい。バンドとしての1ページ目を提示したいですね。今までなかった存在にならないと意味がないし、渦を起こして、そこに巻き込まれたことを後々に語ってもらえるようになりたいですね。

出典: realsound.jp

8月9日
渋谷LIQUIDROOMにて8人体制初のワンマンライブ「2014:A Space Odyssey On Liquid RooMo! ~リキッドルーモ!号で行く、2014年宇宙の旅~」開催。
ゆみこーんは体調不良で参加できず。
この日のライブをもってゆいざらすが卒業。

8/9ワンマンライブ告知映像ソロver(けちょん)。

8/9ワンマンライブ告知映像ソロver(しふぉん)。

8/9ワンマンライブ告知映像ソロver(ようなぴ)。

8/9ワンマンライブ告知映像ソロver(ゆいざらす)。

8/9ワンマンライブ告知映像ソロver(あの)。

8/9ワンマンライブ告知映像Vol.3(最終章)。

8月27日
SHOWROOM配信「ゆるめるモ!の何めるモ?」にて「ちー坊」から「ちーぼう」に改名することを発表。
9月17日
ロック・バンド「PAGE」の楽曲「ノンフィクション・ガールは窓の向こう」のミュージック・ヴィデオにあの出演。

PAGE「ノンフィクション・ガールは窓の向こう」。

10月29日
ちーぼうとBELLRING少女ハートの朝倉みずほによる「Escalator or Elevator」のシングル「Entrance EP」リリース。
11月29日
下北沢GARDENにて「ももぴ生誕」開催。
「ももぴ」から「もね」に改名を発表。
12月3日
ようなぴと女性アイドル・グループ「CY8ER」の苺りなはむとのコラボ・シングル「きらめきらりりかる」リリース。
12月17日
ゆみこーん卒業発表。
ロック・バンド「非常階段」とのライヴ・アルバム「解体的交歓 ~真夜中のヘヴィ・ロック・パーティ~」リリース。名義は「非常階段 featuring ゆるめるモ!」。
同じく「非常階段」のDVD「Bible 1979-2014」に、2014年9月26日、渋谷Mt.Rainier Hallで行われた「第弐回 真夜中のヘヴィロック・パーティー 非常階段 featuring ゆるめるモ!」からの「解体的交歓」の映像が収録される。
12月26日
渋谷WWWにて「箱庭のクリスマス」開催。箱めるモ!の完全再現ライブを行う。
ゆみこーん卒業セレモニー。
12月31日
ミニアルバム「SUImin CIty DEstroyer」リリース。

2015年

1月25日
dues新宿にて「ゆみこーんお別れ会」が行われる。
3月15日
日本のクリエーター、LLLL (フォーエル)の楽曲「All I See」のミュージック・ヴィデオにあの出演。

LLLL「All I See」

3月18日
ロック・バンド「非常階段」とのコラボ・アルバム「私をノイズに連れてって」リリース。名義は「非常階段 featuring ゆるめるモ!」。
3月25日
シングル「Hamidasumo!」リリース。
通常盤以外に、メンバー6人をそれぞれフューチャーした初回限定盤6種類もリリースされている。
ライヴDVD作品「2014:A Space Odyssey On Liquid RooMo! ~リキッドルーモ!号で行く、2014年宇宙の旅~」リリース。
5月2日
東京・赤坂BLITZで「東名阪だよ! 全員ハミ出すモ! ツアー」のファイナル・ライヴを開催。

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@yamada3desu

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