目次

  1. 彼らと「憧れの師匠」との出会い
  2. 芸人「大木こだま」の誕生、そして、「大木こだま、ひびき」誕生秘話
  3. 「大木こだま」と彼らの大きな転機
  4. 「憧れの師匠」から彼らへ・・・。

彼らと「憧れの師匠」との出会い

 彼らの現在の活躍の陰には、憧れの師匠である「大木こだま、ひびき」の存在がある。
「大木こだま、ひびき」と彼らが出会った場所は博多温泉劇場。当初、「福岡よしもと」でデビューした彼らは「もっと漫才の腕を上げたい。」とのことで、
大阪からベテランの漫才師を呼んで「華丸大吉の十番勝負」という漫才イベントを実施し、最初の一回目に「大木こだま、ひびき」を呼んだのだ。
「どうせするなら、トップの人とやりたい。」という彼らの思いがあったからだ。

 当時、予想では沢山の観客が見込まれたが、結果は観客の動員数は散々なものだった。
彼らは間近で「大木こだま、ひびき」の漫才をみて、後に「大木こだま、ひびき」が彼らにとって「憧れの師匠」となる。
何故なら、漫才の作り方だけでなく、私生活も素晴らしいと感じたからだ。
では、憧れの師匠「大木こだま、ひびき」はどういう漫才師なのか・・・

「祇園笑者」の時の大木こだまと博多大吉の対談の動画「その1」です。
動画が見にくくてすみません。

芸人「大木こだま」の誕生、そして、「大木こだま、ひびき」誕生秘話

 さて、ここからは「大木こだま」の子供時代や芸人を目指した動機、芸人になったきっかけ、「大木こだま、ひびき」の結成秘話、吉本興業に移籍して現在に至るまでの経緯を
博多大吉との対談の中で語れている。

 小学校時代は修学旅行にも連れていけないくらい、凄い悪ガキだったが、中学校時代は
目立たない存在だったとのこと。
 芸人を目指すようになったのは大学生になってからだ。
大ベテラン漫才師の中田カフスとの出会いがあるが、ここで仰天エピソードがあり、
大吉をビックリさせる。
 
 その後、芸能プロダクション主催の漫才教室でプロダクションの社長からスカウトを受け、そのまま漫才師に・・・。「大木こだま、ひかり」としてコンビ結成する。
「大木こだま」という芸名をつけたとのことで、「最初に芸名を自分でつけた芸人」と言われている。
デビューして3日してから初舞台に立つ。漫才教室の台本で漫才したが、だれも笑わなかったとのこと。
大吉もネタの内容を聞いて、ドン引きするが、どんなネタだったのか?

 その後、「お笑いスター誕生」で10週勝ち抜くも、コンビ解散する。
解散後、大木こだまは相方を募集し、そこで「大木こだま、ひびき」としてコンビ結成する。




同じく「祇園笑者」の時の大木こだまと博多大吉の対談その2です。
動画が見にくくてすみません。

「大木こだま」と彼らの大きな転機

 その後、吉本興業に移籍するも、給料は以前の三分の一に減っていた。
そして、今の奥さんと出会い、結婚することに・・・・・。
 そして、大木こだまは1年間かけて「あるコンテスト」のネタを作り、優勝することに・・・。
大吉はこのことに触れ、「元祖M-1芸人」と語っている。
さらに、大吉は、博多華丸大吉の「THE MANZAI 2011」の出場の話題に触れ、大木こだまの思いを背負って出場したと語っている。

 その3年後に博多華丸大吉は「THE MANZAI 2014」に出場し、「優勝」という「栄光」を手に入れる。
優勝インタビューの時に「大木こだま、ひびき」が背中を押してくれたと大吉は語っている。

 

 この回では、吉本興業に移籍した時のエピソードや「コンテスト用のネタ」を1年間かけて作って、優勝した時のエピソードや
「THE MANZAI 2011」に博多華丸大吉が出場したきっかけのエピソードが語られています。
動画が見にくくてすみません。

「憧れの師匠」から彼らへ・・・。

 今でも彼らが大阪で飲みに行く仲である「大木こだま、ひびき」。
最後に、憧れの師匠から彼らに向けてメッセージを送っている。

「漫才を愛して、漫才を重要視しながら芸能界を渡っていくと、大看板の漫才師になれるから、漫才からブレないことが大事。
漫才を基本的に大事にして、愛して他の仕事をやるのは構わないが、戻ってくる場所は漫才しかないから、漫才を大事にして愛してください。」

 今では大活躍中の彼らだが、憧れの師匠からの学んだ「漫才に対しての姿勢」があるからこそ、今の彼らがあっても過言ではない。

 



 

おまけです。
東京ダイナマイトの松田をゲストに迎えて、
たけし軍団のことやビートたけしの豪快な伝説について語っています。