The Beatles(ザ・ビートルズ)とは【徹底解説まとめ】

The Beatles(ザ・ビートルズ)とは、1962年に英国でデビューした20世紀を代表する4人組ロック・バンド。その影響力は音楽のみならず、ファッション、言動、思想にまで及び、社会現象を巻き起こした。彼等の音楽を語るうえで特筆すべき点の一つは、彼等自身の音楽的成長がそのまま音楽界全体の、そして聴き手である我々ファンの音楽的成長を促したことだろう。1970年の解散後も彼等の影響力は引き継がれ、21世紀の現在でもそれは変わらない。

前作「The Beatles」から約2ヶ月しか経過していない、1969年1月17日にリリースされた11枚目のアルバム。同名のアニメーション映画のサントラであり、ザ・ビートルズの新曲はわずかに4曲、B面は映画に使用されたジョージ・マーティンによるオーケストラの楽曲が占めている。

レコーディング経過は以下の通り。

●1966年
5月26日
以下をレコーディング。
・Yellow Submarine

6月1日
以下をレコーディング。
・Yellow Submarine

6月2日
以下のモノ・ミキシング。
・Yellow Submarine

6月3日
以下のモノ・ミキシング。
・Yellow Submarine

6月22日
以下のステレオ・ミキシング。
・Yellow Submarine

8月5日
シングル「Yellow Submarine/Eleanor Rigby」リリース。

●1967年

2月13日
以下をレコーディング。
・Not Known (のちの「Only A Northern Song」)

2月14日
以下をレコーディング。
・Only A Northern Song
以下のモノ・ミキシング。
・Only A Northern Song

4月19日
以下のモノ・ミキシング。
・Only A Northern Song

4月20日
以下をレコーディング。
・Only A Northern Song

4月21日
以下のモノ・ミキシング。
・Only A Northern Song

5月12日
以下をレコーディング。
・All Together Now
以下のモノ・ミキシング。
・All Together Now

5月25日
以下をレコーディング。
・Too Much (のちの「It's All Too Much」)

5月31日
以下をレコーディング。
・Too Much (のちの「It's All Too Much」)

6月2日
以下をレコーディング。
・It's All Too Much

6月14日
以下をレコーディング。
・All You Need Is Love
以下のモノ・ミキシング
・All You Need Is Love

6月19日
以下をレコーディング。
・All You Need Is Love

6月21日
以下のモノ・ミキシング
・All You Need Is Love

6月23日
以下をレコーディング。
・All You Need Is Love

6月24日
以下をレコーディング。
・All You Need Is Love

6月25日
以下をレコーディング。
・All You Need Is Love

6月26日
以下のモノ・ミキシング
・All You Need Is Love

7月7日
シングル「All You Need Is Love/Baby, You're A Rich Man」リリース

10月12日
以下のモノ・ミキシング。
・It's All Too Much

11月1日
以下のモノ・ミキシング。
・All You Need Is Love
*アニメーション映画「Yellow Submarine」のサントラ盤用の作業。ただし収録はされなかった。

●1968年

2月11日
以下をレコーディング。
・Hey Bulldog
以下のモノ・ミキシング。
・Hey Bulldog

10月16日~17日
*ザ・ビートルズ、最初で最後の24時間ぶっ通しでの作業。
以下のモノ・ミキシング。
・It's All Too Much
以下のステレオ・ミキシング。
・It's All Too Much

10月29日
以下の4曲のステレオ・ミキシング。
・Hey Bulldog
・All Together Now
・All You Need Is Love
・Only A Northern Song

●1969年

1月17日
アルバム「Yellow Submarine」リリース。

ジャケットはアニメーション映画「Yellow Submarine」のシーンをデザインしたもの。

アメリカ盤、日本盤ともにイギリス・オリジナル盤と同ジャケット、同収録曲であった。ただしアメリカ盤、日本盤ともにモノラルではなくステレオであった。アメリカではモノラル盤のアナログ・アルバムのリリースはなく、1987年のCD化で初めて登場した。
日本でのアナログ・アルバムのモノラル盤は1982年1月21日にオリジナル・モノ・シリーズとして限定リイシューされたのが初めてになる。
イギリスでのモノラル・アルバムのリリースはこの「Yellow Submarine」が最後になる。

本アルバムのモノラル盤に関して言えば、ステレオ・ミックスからの「疑似モノラル」である。よって、2009年にリリースされたCD「The Beatles In Mono」には本アルバムは収められなかった。ただし本アルバムに収録された4曲の新曲に関してはきちんとモノラル・ミックスを行ったヴァージョンが「The Beatles In Mono」のボーナスCDである「Mono Masters」に収録されている。

イギリスのメロディ・メーカー誌のチャートでは、1969年2月1日に14位に初登場。2月25日から3月8日までの4位が最高位だった。イギリスのオリジナル・アルバムで唯一NO.1に届かなかったアルバムとなった。

アメリカのビルボード誌のチャートでは、1969年2月8日に86位に初登場。3月1日の2位が最高位だった。

マネージャーのブライアン・エプスタインが生前、アメリカのキング・フィーチャーズ・シンジケートという会社とザ・ビートルズのアニメーション映画の制作契約を結んでいた。実はこれはブライアンがザ・ビートルズのメンバーに無断で決めたことであったが、ブライアン亡き後も契約は残っており、映画は制作されることとなった。ザ・ビートルズ自身は全く乗り気ではなく、既存の2曲と未発表だった4曲を提供してお茶を濁していた。
マーティンは「ザ・ビートルズのメンバーは出来の悪い曲が出来ると『イエロー・サブマリンに収録するのにちょうどいい』といったジョークを飛ばしていた」と語っている。
ところが完成した映画が予想以上の素晴らしい出来栄えだったため、急きょザ・ビートルズの4人も映画のラスト・シーンに登場することになり、マーティンのスコアによるオーケストラ楽曲をB面に収録して、サントラ盤もリリースされることとなった。

ザ・ビートルズの新曲がたった4曲しかなく(4曲入りEPでも収められるヴォリュームである)、B面は映画に使用されたマーティンのオーケストラ曲だったので、ザ・ビートルズのオリジナル・アルバムの中でも最も人気のない1枚になっている。

収録曲概説

● Yellow Submarine
ポールを中心に作られた曲でジョンが手伝っている。リード・ヴォーカルはリンゴ。
ポール「これはベッドの中で一晩で書いたものだ。子供に聞かせるお話としてね。そしてこの曲はリンゴがやるといいんじゃないかと考えた」「この曲がドラッグとの関係を云々されているのはわかっていた。でも本当に子供の歌なんだ。子供が歌ってくれればいいなと思ってね。『Yellow Submarine』で僕が考えていたのは『いつか子供たちがこの曲を歌っているところに出くわしたら、最高だろうな』ってことだけ。だからすごく簡単に歌えるし、長くて難しい歌詞もないのさ。子供たちの方が大人より簡単に理解できるんじゃないかな」

ジョン「あの覚えやすいコーラス部分を書いたのはポール。僕が手伝ったのはブンチャカブンチャカやってるところだ」「『Yellow Submarine』はポールの曲だよ。ドノヴァン(イギリスのシンガー・ソングライター)が歌詞を手伝って、僕も少し手を貸した。実際にはスタジオで音を出しながら作ったようなものだけど、基本はポールの発想やアイディアだ。タイトルもね」

リンゴ「これは子供たち向けの曲で、別に隠された意味なんてありゃしない。この曲は戦いの歌で、世界の人々は結局イエロー・サブマリンの中で暮らす羽目になるという風に解釈する人もいるけれど、そんなんじゃないよ」

マーティン「私たちはいつも、何かこれまでとは違うことをやろうとしていた。それはいつだって楽しい作業だったし、おかげで人生が少しは面白くなったからね。その最たるものが『Yellow Submarine』だ。タンクの中でプクプクいう水の音や、鎖がガチャガチャいう音、そういった色々な音が聞き取れるだろう。私たちは実際にそういった音をスタジオで出したんだ。ジョンは小型のハンドマイクを自分のヴォックス・アンプに差し込んで、そこから話せるようにした。だから『Full Stream ahead(全速前進)』とかのセリフは、メイン・ヴォーカルが歌っている最中にライヴで録音されてるのさ。みんなくすくす笑っていたよ」

エンジニアのジェフ・エレメック「たとえば『Yellow Submarine』のバッキング・ヴォーカルを録るようなとき、僕らはいつもエコー・チェンバーを使うようにしていました。当時のEMIにはエコー・プレートもありましたが、一度も使いませんでした」

モノラルとステレオではイントロや間奏が異なる。
・モノラルのイントロではアコースティック・ギターのストロークが「In the town」の「In」から入ってくるが、ステレオでは「town」から入ってくる(ワン・テンポ遅く入ってくる)。
・間奏の波の音の長さが若干異なる。
・4番でのジョンの復唱による歌唱が、モノラルでは「Life of ease」から始まるが、ステレオでは「every one of us」から始まる。

*レコーディング詳細
1966年
・5月26日
第1~第4テイクをレコーディング。第4テイクをテープ・リダクションして第5テイクを作成。第5テイクににリンゴのヴォーカルと、ジョン、ポール、ジョージのバック・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
・6月1日
第5テイクにサウンド・エフェクトをオーヴァー・ダブ。
・6月2日
第5テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このミキシングはラフ・リミックスであり、マスターとしては使用していない。
・6月3日
第5テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・6月22日
第5テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Only A Northern Song
ジョージの作品でリード・ヴォーカルもジョージ。
ジョージ「この曲はイングランド北部の聖都、リヴァプールにまつわるジョークだ。それと曲の版権はノーザン・ソングス・リミテッドが所有していて、僕のものじゃないってことさ」

「Northern Song」とは、ブライアン・エプスタインと、音楽出版社社長であるディック・ジェームスが1963年2月22日に設立したザ・ビートルズの楽曲の著作管理会社「Northern Songs」のこと(ザ・ビートルズの版権はのちにマイケル・ジャクソンが所有するなど、なにかとゴタゴタに巻き込まれることになる)。ジョンとポールはこの会社の株主でもあったが、ジョージとリンゴはソング・ライターとしての契約者にしかすぎず、ジョージの取り分はジョンやポールに比べてはるかに少なかった。そんな怒りを皮肉を込めて曲にしたのがこの楽曲である。

トランペットはポールが演奏している、とされている(正式な記述が発見できませんでした)。

元々は「Sgt. Pepper's~」のセッションでレコーディングされたが、「Sgt. Pepper's~」には収録されなかった。また、この曲の正規のステレオ・ヴァージョンは存在しない(下記の「*レコーディング詳細」を参照のこと)。

*レコーディング詳細
1967年
・2月13日
第1~第9テイクをレコーディング。
・2月14日
第3テイクをテープ・リダクションして第10~第12テイクを作成。第12テイクにジョージのヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
第12テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・4月19日
第12テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングはアセテート盤作成のための作業。アセテート盤とはメンバーやスタッフのために作成されるテスト盤のこと。
・4月20日
第3テイクにベース、トランペット、グロッケンスピールをおーヴぁー・ダブ。これらは全て録り直しであり、同じトラックに録られていた音に被せる形でオーヴァー・ダブされた。第11テイクにヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
・4月21日
第3テイク、及び第11テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
1968年
・10月29日
モノ・ミキシングを元にステレオ・ミキシングが行われる。これはモノ・ミックスが第3テイクと第11テイクをシンクロさせながら行われたという複雑な作業であったためと推測される。よってこの「Only A Northern Song」には正規のステレオ・ヴァージョンは存在しない。
*アルバム「Yellow Submarine」のモノラル・ヴァージョンはイギリスでのみリリースされたが、そこにはステレオ・ヴァージョンを元にした疑似モノラル・ヴァージョンが収録されている。この「Only A Northern Song」の正規のモノラル・ヴァージョンは2009年にリリースされたCD「The Beatles In Mono」のボーナスCDである「Mono Masters」に収録されることになる。

● All Together Now
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「コード2つくらいのシンプルな曲だ」
ジョン「前はサッカー場で観衆がよく『All Together Now』を歌ってたもんだけど、あれは楽しかったね」

*レコーディング詳細
1967年
・5月12日
第1~第9テイクをレコーディング。第9テイクにアコースティック・ギター、ハーモニカ、大太鼓、トライアングル、ベース、ホルン、手拍子、ポールのヴォーカルにその場にいた人々によるバック・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
第9テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
1968年
・10月29日
第9テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*アルバム「Yellow Submarine」のモノラル・ヴァージョンはイギリスでのみリリースされたが、そこにはステレオ・ヴァージョンを元にした疑似モノラル・ヴァージョンが収録されている。この「All Together Now」の正規のモノラル・ヴァージョンは2009年にリリースされたCD「The Beatles In Mono」のボーナスCDである「Mono Masters」に収録されることになる。

● Hey Bulldog
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
シングル「Lady Madonna」のプロモーション・フィルム撮影時に、スタジオに拘束されていた時、ポールがスタジオにいる時間を新曲のレコーディングに充ててみてはどうだろう、と提案した。そして彼はジョンに何か書いてくれないかと頼み、ジョンは家に置いてあった歌詞を持ってきた。ザ・ビートルズのメンバーはスタジオでその歌詞を完成させ、ジョンが曲のあらましを説明し、バンドは演奏を開始。プロモーション・フィルムの撮影中にバッキング・トラックを完成させた(よって「Lady Madonna」のプロモーション・フィルムの演奏シーンは「Lady Madonna」ではなく、この「Hey bulldog」の演奏シーンである)。元々のタイトルは「Hey Bullfrog」だったが、ポールがジョンを笑わせようと、曲の終わりでブルドッグの真似をして「ワン、ワン」と吠えたことがきっかけで、タイトルは「Hey Bulldog」に変更されている。

ヨーコがザ・ビートルズのレコーディング・セッションに立ち寄った初めての曲であり、ジョンは「こんな軽くてバカみたいな曲をレコーディングしているのがきまり悪かった」と語っている。

ジョン「サウンドはいいけれど、なんの意味もないレコードだ」
ポール「テーブルや荷箱を叩いたりした。同じことをしなかった、と言われる所以だ」
エンジニアのジェフ・エメリック「これが4人が力を合わせて全力でレコーディングした最後の曲です」

この曲は劇場公開時の映画からはカットされている。本来ならば頭が4つある青い色のイヌが出てくるシーンで流れる予定であったが、このイヌがグロテスクであったため、シーンごとカットされている。1998年にDVDになった際にはこの場面は復活している。

*レコーディング詳細
1968年
・2月11日
第1~第10テイクをレコーディング。
第10テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・10月29日
第10テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*アルバム「Yellow Submarine」のモノラル・ヴァージョンはイギリスでのみリリースされたが、そこにはステレオ・ヴァージョンを元にした疑似モノラル・ヴァージョンが収録されている。この「Hey Bulldog」の正規のモノラル・ヴァージョンは2009年にリリースされたCD「The Beatles In Mono」のボーナスCDである「Mono Masters」に収録されることになる。

● It's All Too Much
ジョージの作品でリード・ヴォーカルもジョージ。
ジョージ「この曲は、LSD体験の最中やその後に現れ、のちに瞑想によって革新した認識をもとに、子供のように純粋な状態で書いた曲だ」

終盤に出てくる歌詞「With your long blond hair and your eyes of blue」の一節はThe Merseys の「Sorrow」から引用されている(メロディもそっくりである)。また、曲中に登場するトランペットのソロは、Jeremiah Clarkeの「Trumpet Voluntary - The Prince of Denmark's March」から引用されている。

Sorrow/The Merseys

Trumpet Voluntary - The Prince of Denmark's March/Jeremiah Clarke

*レコーディング詳細
1967年
・5月25日
第1~第4テイクをレコーディング。
・5月31日
第4テイクをテープ・リダクションして第1~第2テイクを作成(テイク番号が逆行している要因は不明)。第2テイクにジョージのヴォーカル、ジョンとポールのバック・ヴォーカル、パーカッション、手拍子をオーヴァー・ダブ。
・6月2日
第2テイクにトランペット、バス・クラリネット、をオーヴァー・ダブ。
・10月12日
第2テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
1968年
10月16~17日
第2テイクをテープ・コピーし、第196テイクを作成(テイク番号が大幅に増えている要因は不明)。
第196テイクを元にモノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。
*アルバム「Yellow Submarine」のモノラル・ヴァージョンはイギリスでのみリリースされたが、そこにはステレオ・ヴァージョンを元にした疑似モノラル・ヴァージョンが収録されている。この「It's All Too Much」の正規のモノラル・ヴァージョンは2009年にリリースされたCD「The Beatles In Mono」のボーナスCDである「Mono Masters」に収録されることになる。

● All You Need Is Love
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
1967年6月25日、宇宙通信衛星を利用した世界初の試みとして世界31か国に同時中継されたテレビ番組「Our World」でレコーディング風景を放映するために書かれた楽曲。テレビ放映に使用されたのは第58テイクである。
この「Our World」は、全世界24ヶ国、約4億人の人々が試聴した6時間のテレビ番組であり、ザ・ビートルズはイギリス代表として出演した。

マーティン「この曲のことは絶対に知られてはならなかった。視聴者がテレビでビートルズの新しいシングルのレコーディング風景をその目で見る、というコンセプトでやっていたからだ。近代的なレコーディングというものの性質を考えれば、本当にそうするのはどうあっても不可能だったからね。そこでまず最初に基本となるリズム・トラックを作ったんだが、あの時はちょっとした問題が持ち上がった。ジョージができもしないのにヴァイオリンを弾きたがって、抱え込んだまま離そうとしなかったんだ」「この曲のスコアを書いたのは私だ。ほんのわずかしか時間的猶予を与えられていなかったせいで、かなり適当になってしまったけれど……私はフランス国家、バッハの2声インヴェンション、グリーンスリーヴス、を切り繋ぎ、イン・ザ・ムードをほんのちょっと振りかけた。で、それを全部1曲にまとめたんだが、少しずつテンポを変えて、それぞれが独立しても聞こえるようにした」
ポール「僕らの曲にはいつもジョージ・マーティンが関わっているけれど、中には他より関わりが深い曲もある。例えば彼は『All You Need Is Love』の最後の部分を書いたんだけど、イン・ザ・ムードに著作権があったせいで、ちょっと困ったことになってしまった。僕らはランダムな感じを出したくて、ありがちなメロディをいろいろ思い浮かべていた。でもあわただしいセッションだったんで、具体的な暗示はせずに、ただ『最後の部分はいつまでも、延々と続く感じにしたい』とだけいったんだ。そうして彼が書き上げたアレンジは、思っていた以上に支離滅裂だった。で、それをまとめる段になって、僕ら『そのバッハの上にグリーンスリーヴスをもってこれないかな?』とか、『その上にイン・ザ・ムードをもってきたい』といいだしたのさ。まったくマーティンは賢者だね。時には僕らに賛成し、時には反対し、けどいつも僕らをうまく導いてくれる。といってみんなが思っている程、貢献が大きいわけじゃない。彼が全部アレンジを考えていても、僕らがあっさり変えてしまう、ということもあったからね」

ジョージ「ジョンは驚くべきリズム感をもっていて、いつもとても変わったリズムを考え出していた。たとえば『All You Need Is Love』だ。あの曲では、あちこちでビートがとんでるし、テンポも次々に変わる。でも実際どんなことをやっているのかと聞いても、彼は何も答えられない。ごく自然にああいうことをやっているんだ」
ポール「全世界の人に同時にこの曲のレコーディング風景を見てもらえるということだった。そこで僕だちは世界に向けたメッセージを、愛をテーマにしたきょっくを書いたんだ。世界中でもっと必要なもの、それが愛さ」
ブライアン・エプスタイン「素晴らしくて美しくてぞくぞくするレコードだ。これなら誤解のしようもない。愛がすべてだとはっきりいっているんだから」

テレビ放映されたレコーディング風景のバック・コーラスには以下のような著名人が参加した。
ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、ゲイリー・リーズ、マリアンヌ・フェイスフル、ジェーン・アッシャー、パティ・ハリスン、キース・ムーン、グレアム・ナッシュ、マイク・マッカートニー、ハンター・デイヴィスetc

*レコーディング詳細
1967年
・6月14日
第1~第33テイクをレコーディング。第10テイクをベストとしてテープ・リダクション。
・6月19日
第10テイクにリード、及びバック・ヴォーカル、ドラムス、ピアノ、バンジョーをオーヴァー・ダブ。
・6月21日
第10テイクを元にモノ・ミキシングを作成。
*このモノ・ミキシングはアセテート盤作成のための作業。アセテート盤とはメンバーやスタッフのために作成されるテスト盤のこと。
・6月23日
第10テイクをテープ・リダクション。第10テイクへのオーヴァー・ダブ用に第34~43テイクをレコーディング。オーケストラをオーヴァー・ダブしている。
・6月24日
第10テイクへのオーヴァー・ダブ用に第44~47テイクをレコーディング。リズム・トラックを追加オーヴァー・ダブしている。
・6月25日
第48~第58テイクをレコーディング。宇宙通信衛星を利用した世界初の試みとして世界31か国に同時中継されたテレビ番組「Our World」に使用されたのは第58テイク。BBCのリハーサル・テイクとして第1~第3テイクをレコーディング。第58テイクにリンゴのドラム・ロール、ジョンのヴォーカルの一部録り直しをオーヴァー・ダブ。
・6月26日
第58テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・11月1日
第58テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*アニメーション映画「Yellow Submarine」のサントラに使用される。
1968年
・10月29日
第58テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*この「All You Need Is Love」の正規のステレオ・ヴァージョンはこの時に作成されており、アルバム「Magical Mystery Tour」収録のステレオ・ヴァージョンはモノ・ヴァージョンを元にした疑似ステレオ・ヴァージョンであった。

Abbey Road

Side A
1. Come Together
2. Something
3. Maxwell's Silver Hammer
4. Oh! Darling
5. Octopus's Garden
6. I Want You (She's So Heavy)

Side B
1. Here Comes The Sun
2. Because
3. You Never Give Me Your Money
4. Sun King
5. Mean Mr Mustard
6. Polythene Pam
7. She Came In Through The Bathroom Window
8. Golden Slumbers
9. Carry That Weight
10. The End
11. Her Majesty

1969年9月26日にリリースされた12枚目のアルバム。
次作「Let It Be」の後に本アルバムのレコーディングが行われているため、実質上のラスト・アルバムと見做される。
シングル「Get Back」「The Ballad Of John And Yoko」の後にリリースされたが、どちらのシングルも収録されなかった。
10月31日には本アルバムから「Something/Come Togetehr」(両A面シングル)がリリースされているが、アルバムのリリース後のシングル・カットはこれが初めてだった。

レコーディング経過は以下の通り。
*時系列通りにリスト・アップを行うので、次作「Let It Be」用のレコーディングもこちらに含めることとする。
*1969年1月2日から同年1月16日までトゥイッケナム・フィルム・スタジオで行われたセッションは割愛し、1月22日より正式に開始されたアップル・スタジオでのレコーディングからリスト・アップを始めることとする。

●1969年

1月22日
以下の7曲をレコーディング。
・Going Up The Country
・All I Want Is You (のちの「Dig A Pony」)
・I've Got A Feeling
・Don't Let Me Down
・Rocker
・Save The Last Dance For Me
・Bathroom Window (のちの「She Came In Through The Bathroom Window」)
*「Going Up The Country」はアメリカのブルース・ロック・バンド「Canned Heat」のカヴァー。
*「Rocker」は短いインストゥルメンタル。
*「Save The Last Dance For Me」はアメリカのコーラス・グループ「The Drifters」のカヴァー。邦題は「ラストダンスは私に」。

1月23日
以下の2曲をレコーディング。
・Get Back
・Blues
*「Blues」は1分程のジャム・セッション。

1月24日
以下の6曲をレコーディング。
・On Our Way Home (のちの「Two Of Us」)
・Teddy Boy (のちにポールのソロ・アルバム「McCartney」に収録)
・Maggie Mae
・Dig It
・Dig A Pony
・I've Got A Feeling

1月25日
以下の5曲をレコーディング。
・Untitled Jamming
・On Our Way Home (のちの「Two Of Us」)
・Bye Bye Love
・George's Blues (Because You're Sweet And Lovely) (のちの「For You Blue」)
・Let It Be
*「Untitled Jamming」は短いインストゥルメンタル。
*「Bye Bye Love」はアメリカのデュオ「The Everly Brothers」のカヴァー。

1月26日
以下の11曲をレコーディング。
・Dig It
・Shake, Rattle And Roll
・Kansas City
・Miss Ann
・Lawdy Miss Clawdy
・Blue Suede Shoes
・You Really Got A Hold On Me
・Tracks Of My Tears
・Let It Be
・George's Demo (のちの「Isn't It A Pity」で、ジョージのソロ・アルバム「All Things Must Pass」に収録された)
・The Long And Winding Road
*「Shake, Rattle And Roll」はアメリカのブルース・マン「Big Joe Turner」のカヴァー。
*「Miss Ann」はアメリカのロッカー「Little Richard」のカヴァー。
*「Lawdy Miss Clawdy」はアメリカのブルース・マン「Lloyd Price」のカヴァー。
*「Blue Suede Shoes」はアメリカのロカビリー・シンガー「Carl Perkins」のカヴァー。
*「Tracks Of My Tears」はアメリカのソウル・グループ「Smokey Robinson & The Miracles」のカヴァー。

1月27日
以下の5曲をレコーディング。
・Untitled Jamming
・Get Back
・Oh! Darling
・I've Got A Feeling
・The Walk
*「Untitled Jamming」は11分程のインストゥルメンタル。
*「The Walk」はアメリカのR&Bシンガー「Jimmy McCracklin」のカヴァー。

1月28日
以下の9曲をレコーディング。
・Dig A Pony
・Get Back
・Love Me Do
・Don't Let Me Down
・The One After 909 (のちの「One After 909」)
・I've Got A Feeling
・Billy's Song (1)
・Billy's Song (2)
・Teddy Boy (のちにポールのソロ・アルバム「McCartney」に収録)
*「Billy's Song (1) 、(2)」はレコーディングに参加していたキーボーディスト、ビリー・プレストンを中心とした、タイトルなしのデモ曲。

1月29日
以下の6曲をレコーディング。
・I Want You (のちの「I Want You (She's So Heavy)」)
・The One After 909 (のちの「One After 909」)
・Not Fade Away
・Mailman Bring Me No More Blues
・Teddy Boy (のちにポールのソロ・アルバム「McCartney」に収録)
・Besame Mucho
*「Not Fade Away」はアメリカのロッカー「Buddy Holly」のカヴァー。
*「Mailman Bring Me No More Blues」はアメリカのロッカー「Buddy Holly」のカヴァー。
*「Besame Mucho」はメキシコの女性作曲家「Consuelo Velázquez,」のカヴァー・ザ・ビートルズはデビュー前からレパートリーにしていた。

1月30日
以下の6曲をレコーディング。
・Get Back
・Don't Let Me Down
・I've Got A Feeling
・The One After 909 (のちの「One After 909」)
・Dig A Pony
・God Save The Queen
*「God Save The Queen」はイギリス国歌。
*この日はアップル・ビルの屋上での、いわゆる「ルーフ・トップ・コンサート」が行われ、レコーディングも平行して実施された。

1月31日
以下の4曲をレコーディング。
・The Long And Winding Road
・Lady Madonna
・Let It Be
・On Our Way Home (のちの「Two Of Us」)

2月5日
以下の5曲のステレオ・ミキシング(1月30日の「ルーフ・トップ・コンサート」でレコーディングされた曲のミキシング)。
・I've Got A Feeling
・Don't Let Me Down
・Get Back
・The One After 909 (のちの「One After 909」)
・Dig A Pony

2月22日
以下をレコーディング。
・I Want You (のちの「I Want You (She's So Heavy)」)

2月23日
以下をレコーディング。
・I Want You (のちの「I Want You (She's So Heavy)」)

2月25日
以下の3曲をレコーディング。
・Old Brown Shoe
・All Things Must Pass (のちにジョージのソロ・アルバム「All Things Must Pass」に収録された)
・Something

3月26日
以下のモノ・ミキシング。
・Get Back

4月3日
エンジニア、グリン・ジョンズによるアルバム「Get Back」の制作作業。

4月4日
以下の2曲のモノ・ミキシング。
・Get Back
・Don't Let Me Down
以下の2曲のステレオ・ミキシング。
・Get Back
・Don't Let Me Down
エンジニア、グリン・ジョンズによるアルバム「Get Back」の制作作業。

4月7日
以下の2曲のモノ・ミキシング。
・Get Back
・Don't Let Me Down
以下の2曲のステレオ・ミキシング。
・Get Back
・Don't Let Me Down
エンジニア、グリン・ジョンズによるアルバム「Get Back」の制作作業。

4月11日
シングル「Get Back/Don't Let Me Down」リリース。

4月14日
以下をレコーディング。
・The Ballad Of John And Yoko (They're Gonna Crucify Me) (のちの「The Ballad Of John And Yoko」)
以下のステレオ・ミキシング。
・The Ballad Of John And Yoko (They're Gonna Crucify Me) (のちの「The Ballad Of John And Yoko」)

4月16日
以下の2曲をレコーディング。
・Old Brown Shoe
・Something
以下のステレオ・ミキシング。
・Old Brown Shoe

4月18日
以下の2曲をレコーディング。
・Old Brown Shoe
・I Want You (のちの「I Want You (She's So Heavy)」)
以下の2曲のステレオ・ミキシング。
・Old Brown Shoe
・I Want You (のちの「I Want You (She's So Heavy)」)

4月20日
以下の2曲をレコーディング。
・I Want You (のちの「I Want You (She's So Heavy)」)
・Oh! Darling (I'll Never Do You No Harm) (のちの「Oh! Darling」)

4月25日
以下のモノ・ミキシング。
・On Our Way Home (のちの「Two Of Us」)

4月26日
以下の2曲をレコーディング。
・Oh! Darling (I'll Never Do You No Harm) (のちの「Oh! Darling」)
・Octopus's Garden

4月29日
以下をレコーディング。
・Octopus's Garden
以下のステレオ・ミキシング。
・Octopus's Garden

4月30日
以下の2曲をレコーディング。
・Let It Be
・You Know My Name (Look Up The Number)
以下のモノ・ミキシング。
・You Know My Name (Look Up The Number)

5月1日
以下のステレオ・ミキシング。
・Oh! Darling

5月2日
以下をレコーディング。
・Something
エンジニア、グリン・ジョンズによるアルバム「Get Back」の制作作業。

5月5日
以下をレコーディング。
・Something

5月6日
以下をレコーディング。
・You Never Give Me Your Money
以下のモノ・ミキシング。
・Something

5月7日
エンジニア、グリン・ジョンズによるアルバム「Get Back」の制作作業。

5月9日
エンジニア、グリン・ジョンズによるアルバム「Get Back」の制作作業。

5月15日
エンジニア、グリン・ジョンズによるアルバム「Get Back」の制作作業。

5月28日
以下のステレオ・ミキシング。
・Let It Be
エンジニア、グリン・ジョンズによるアルバム「Get Back」の制作作業。

5月30日
シングル「The Ballad Of John And Yoko/Old Brown Shoe」リリース。

7月1日
以下をレコーディング。
・You Never Give Me Your Money

7月2日
以下の2曲をレコーディング。
・Her Majesty
・Golden Slumbers (のちの「Golden Slumbers/Carry That Weight」)

7月3日
以下をレコーディング。
・Golden Slumbers (のちの「Golden Slumbers/Carry That Weight」)

7月4日
以下をレコーディング。
・Golden Slumbers (のちの「Golden Slumbers/Carry That Weight」)

7月7日
以下をレコーディング。
・Here Comes The Sun

7月8日
以下をレコーディング。
・Here Comes The Sun
以下のモノ・ミキシング。
・Here Comes The Sun

7月9日
以下をレコーディング。
・Maxwell's Silver Hammer

7月10日
以下をレコーディング。
・Maxwell's Silver Hammer
以下のステレオ・ミキシング。
・Maxwell's Silver Hammer

7月11日
以下の3曲をレコーディング。
・Maxwell's Silver Hammer
・Something
・You Never Give Me Your Money
以下のステレオ・ミキシング。
・Something

7月15日
以下をレコーディング。
・You Never Give Me Your Money
以下のステレオ・ミキシング。
・You Never Give Me Your Money

7月16日
以下の2曲をレコーディング。
・Here Comes The Sun
・Something

7月17日
以下の2曲をレコーディング。
・Oh! Darling
・Octopus's Garden

7月18日
以下の2曲をレコーディング。
・Oh! Darling
・Octopus's Garden
以下のモノ・ミキシング。
・Octopus's Garden
以下のステレオ・ミキシング。
・Octopus's Garden

7月21日
以下をレコーディング。
・Come Together

7月22日
以下の2曲をレコーディング。
・Oh! Darling
・Come Together

7月23日
以下の3曲をレコーディング。
・Oh! Darling
・Come Together
・Ending (のちの「The End」)

7月24日
以下の3曲をレコーディング。
・Come And Get It
・Here Comes The Sun-King (のちの「Sun King」「Mean Mr. Mustard」)
*「Come And Get It」はアップル所属のバンド「Badfinger」に提供された曲で、ここでは「Badfinger」用のデモがレコーディングされている。

7月25日
以下の5曲をレコーディング.
・Here Comes The Sun-King (のちの「Sun King」「Mean Mr. Mustard」)
・Come Together
・Polythene Pam
・She Came In Through The Bathroom Window

7月28日
以下の2曲をレコーディング。
・Polythene Pam
・She Came In Through The Bathroom Window

7月29日
以下の3曲をレコーディング。
・Come Together
・Sun King
・Mean Mr. Mustard

7月30日
以下の6曲をレコーディング。
・Come Together
・Polythene Pam
・She Came In Through The Bathroom Window
・You Never Give Me Your Money
・Golden Slumbers
・Carry That Weight
以下の9曲のステレオ・ミキシング。
・You Never Give Me Your Money
・Sun King
・Mean Mr. Mustard
・Her Majesty
・Polythene Pam
・She Came In Through The Bathroom Window
・Golden Slumbers
・Carry That Weight
・Ending (のちの「The End」)
以下の9曲をメドレー形式に編集(クロスフェイド処理など)。
・You Never Give Me Your Money
・Sun King
・Mean Mr. Mustard
・Her Majesty
・Polythene Pam
・She Came In Through The Bathroom Window
・Golden Slumbers
・Carry That Weight
・Ending (のちの「The End」)
*この時点でポールが「『Her Majesty』は気に入らないからカットしてくれ」と注文。セカンド・エンジニアのジョン・カーランダーは注文通りに「Her Majesty」をメドレーからカットしたが、「ザ・ビートルズに関するものは、どんなものでも捨ててはいけない」というルールがあったので、編集したテープの後ろに20秒程の空間を明けてくっつけていた。これがのちに「Her Majesty」が「シークレット・トラック」のような存在となった原因である。

7月31日
以下の3曲をレコーディング。
・You Never Give Me Your Money
・Golden Slumbers
・Carry That Weight

8月1日
以下をレコーディング。
・Because

8月4日
以下をレコーディング。
・Because
以下の2曲のステレオ・ミキシング。
・Something
・Here Comes The Sun

8月5日
以下の3曲をレコーディング。
・You Never Give Me Your Money
・Because
・Ending (のちの「The End」)

8月6日
以下の2曲をレコーディング。
・Here Comes The Sun
・Maxwell's Silver Hammer
以下のステレオ・ミキシング。
・Maxwell's Silver Hammer

8月7日
以下のステレオ・ミキシング。
・Come Together
以下をレコーディング。
・Ending (のちの「The End」)

8月8日
以下の3曲をレコーディング。
・Ending (のちの「The End」)
・I Want You (のちの「I Want You (She's So Heavy)」)
・Oh! Darling

8月11日
以下の2曲をレコーディング。
・I Want You (She's So Heavy)
・Oh! Darling

8月12日
以下の3曲のステレオ・ミキシング。
・Oh! Darling
・Because
・Maxwell's Silver Hammer

8月13日
以下のステレオ・ミキシング。
・You Never Give Me Your Money

8月14日
以下の6曲のステレオ・ミキシング。
・Sun King
・Mean Mr. Mustard
・Maxwell's Silver Hammer
・Polythene Pam
・She Came In Through The Bathroom Window
・You Never Give Me Your Money

8月15日
以下の5曲をレコーディング。
・Golden Slumbers
・Carry That Weight
・Ending (のちの「The End」)
・Something
・Here Comes The Sun

8月18日
以下の2曲のステレオ・ミキシング。
・Golden Slumbers
・Carry That Weight
以下をレコーディング。
・Ending (のちの「The End」)
以下のステレオ・ミキシング。
・Ending (のちの「The End」)

8月19日
以下の4曲のステレオ・ミキシング。
・Ending (のちの「The End」)
・Golden Slumbers
・Carry That Weight
・Something
以下をレコーディング。
・Here Comes The Sun
以下のステレオ・ミキシング。
・Here Comes The Sun

8月20日
以下のステレオ・ミキシング。
・I Want You (She's So Heavy)

8月21日
以下の4曲のステレオ・ミキシング。
・You Never Give Me Your Money
・Sun King
・Mean Mr. Mustard
・Ending (のちの「The End」)

8月25日
以下のレコーディング。
・Maxwell's Silver Hammer

9月11日
以下のステレオ・ミキシング。
・What's The New Mary Jane
*「What's The New Mary Jane」は未発表であったが、のちに「Anthology 3」に収録された。

9月26日
アルバム「Abbey Road」リリース。

ジャケットはジョンとヨーコの知り合いのスコットランド人の写真家、イアン・マクミランによって撮影されている。フォト・セッションは1969年8月8日、EMIスタジオ前の横断歩道で行われた。ちなみにこのEMIスタジオの名称は本アルバム「Abbey Road」リリース後に「アビー・ロード・スタジオ」と変更されている。横断歩道を3往復、計6枚の写真が撮影された。所要時間は約10分。これでロック史上に残る、最も有名なアルバム・ジャケットの1枚が完成している。

アルバム「The Beatles」のレコーディング時に離脱していたジェフ・エメリックが再び呼び戻されている。そのジェフが吸っていたタバコの銘柄「エヴェレスト」にちなんでアルバム・タイトルを「Everest」にしようという案があった。そしてアルバム・ジャケットをエヴェレストの麓で撮る計画があった。ところがポールが「ヒマラヤまでジャケット写真を撮りにいくのは面倒だ。ちょっと外に出てそこいら辺りで撮って、アルバム・タイトルを通りの名前(アビーロード)にすればいい」と提案。この案が通り、現在の「Abbey Road」のアルバム・タイトル、及びアルバム・ジャケットが完成した。

このフォト・セッションの直前に撮影された写真は、日本盤シングル「オー・ダーリン/ヒア・カムズ・ザ・サン」のジャケットに使用されている。

写真家、イアン・マクミランは「Abbey Road」のジャケット撮影後も、ジョンのプラスティック・オノ・バンド名義によるアルバム「The Plastic One Band - Live Peace In Toronto」のアルバム・ジャケットを手掛けている。また、ジョンとヨーコによるアルバム「Sometime in New York City」のアナログ盤のレーベルで、ジョンの顔がヨーコの顔に変化していく写真が使用されているが、これもイアンが手掛けている。

アメリカ盤、日本盤ともにイギリス・オリジナル盤と同ジャケット、同収録曲であった。また、イギリスではこのアルバムからモノラル盤のリリースが行われていないため、イギリス・アメリカ・日本で同仕様のアルバムが初めてリリースされたことになる。

本アルバムのモノラル盤はアナログ・アルバムとしては存在しないが、以前は「オープン・リール盤」という、オープン・リールのテープに収録されたソフトも存在しており、このオープン・リール盤には疑似モノラル(ステレオをそのままモノラルにしたもの)が存在する。
ちなみに「A Hard Day's Night」のオープン・リール盤はアナログ盤とは異なり、表題曲「A Hard Day's Night」のエンディングがアナログ盤に比べてかなり長いヴァージョンになっている。

イギリスのメロディ・メーカー誌のチャートでは、1969年10月4日付で、初登場1位に輝いている。その後翌1970年2月14日まで20週間1位に君臨していた。

アメリカのビルボード誌のチャートでは、1969年10月18日に178位に初登場。翌々週の11月1日に1位に輝くと、その後12月20日まで1位に君臨していた。12月27日に2位に落ちるも、翌1970年1月3日に1位に返り咲き、翌週1月10日も1位、1月17日に再び2位に落ちるも翌週1月24日には再び返り咲きの1位に輝き、計11週間1位に君臨していた。

次作「Let It Be」よりも後にレコーディングされており、実質上のラスト・アルバムとなる。ジョンはすでにプラスティック・オノ・バンド名義で活動を始めており、ジョージも「Wonderwall」「Electronic Sound」という2枚のソロ・アルバムをリリースしている。本来なら「Abbey Road」の前にリリースされるはずであった「Get Back」というアルバム(のちに「Let It Be」としてリリースされている)のプロデューサーからはずされていたマーティンは「『LET IT BE』の悲惨な経験のあと、彼らがまた集結するとは思いもよらなかった。ポールが電話をくれた時はひどく驚いたよ。『もう1枚レコードを作りたいんだ。僕たちをプロデュースしてくれない? 本当の意味でプロデュースしてほしい』と言われて『いいとも、もし本当の意味でプロデュースさせてもらえるならね。また私にあれこれ指図して困らせようというんなら断る』と答えたんだ。結果的にはとてもよかった。もっとも連中は自分のことにかまけがちで、それぞれ違うスタジオにいたりしたから、私はあっちこっち飛びまわらなきゃならなかったがね」と語っている。

ポールは「『Abbey Road』を作るころには、ジョンと僕は公然とお互いの曲を非難し合っていた。ジョンは自分の曲を演奏する時以外、ほとんどやる気を示さなかった」
「『Abbey Road』で僕は、ほかのメンバーに対してはプロデューサー的な立場をとるようになった。本当はジョージ・マーティンがプロデューサーだったけれど、僕はもっとはっきりと意見をいうようになったんだ。するとジョージやリンゴが『余計なことを言うな。オレたちは子供じゃないんだ。お前がいなくたってちゃんとやれるんだ』と言い返してきた。僕みたいに自分が高圧的になっているのが分からないタイプの人間は、そういわれるとすごく意外に思ってしまうんだ。だから僕はいっさい口を出すのをやめた。『ああ、わかったよ。君たちが正しい。僕がバカだった』って。で、何日か過ぎて、セッションがだんだんと活気がなくなってきて、とうとうリンゴが僕のところにやってきた。『さあ。プロデュースしてくれよ』。つまりふたつにひとつだったんだ。あの時は僕のやりたいようにするか……はっきり言って出来は悪かったと思う……でなければ、一歩さがって自分も被害妄想になってしまうしかなかったのさ」と語っている。

レコーディング時期について細かいことを言うと、実は「Abbey Road」が最後ではない。「Abbey Road」リリース後、1970年1月3日、4日にはポール、ジョージ、リンゴがEMIスタジオに集まり、「I Me Mine」「Let It Be」のレコーディングを行っている。また同年4月1日にはリンゴが「Across The Universe」「The Long And Winding Road」「I Me Mine」でドラムスをオーヴァーダブしている。よってザ・ビートルズのメンバーの誰かがレコーディングに参加したのは、この1970年4月1日が最後となり、実際にレコーディングされた最後のアルバムは「Let It Be」である、と言うことも可能なのである。

すでにメンバーの間では「解散」が暗黙の了解になっており、「これが最後の1枚だから最高のものにしよう」という意識の元で制作された。よって、今まで以上に非常に完成度の高い作品に仕上がっており、特にB面のメドレーに関しては米ローリング・ストーン誌をして「本作のB面のみで「Sgt. Pepper's ~」と匹敵する」と評している。ジョンは「A面は良いが、B面はジャンクの集まりだ」とコメントしているが、ポールとリンゴは「B面のメドレーは僕らの最高傑作のひとつだ」と語っている。

リンゴは「僕らがノッているときはそれがそのままレコードに表れていると思う。曲がエキサイティングだとすべてがピタリとハマるんだ。個人的なくだらないレベルでどんな状態であろうと、そんなことはまったく関係ない。僕らは1000%の力をつぎ込んだんだ」と語っている。

ジョージは「このアルバムの時は、雰囲気が前向きだった。一部オーヴァーダビングしたものの、メドレーは全部通してプレイした。順番通りにバッキング・トラックをプレイして、全部1テイクでレコーディングした。また本当のミュージシャンに戻ったみたいだったよ。ヴォーカル・トラックも、いろんなハーモニーのリハーサルをやり、バック・コーラスもすべて覚えた。その場で、自分たちでパートを作ることもあった。全員、ちゃんとしたシンガーになろうとしていたよ」と語っている。

ジョンは「これは『Rubber Soul』と同じように、まとまりのある、完成度の高いアルバムだと思う。だけど『Abbey Road』にはハートがない」と語っている。

マーティンは「あれは妥協したアルバムだった。片面はジョンの趣味、もう片面はポールと私の趣味で作られた。私は彼等に『交響的な』アルバムの全体感ということを考えたアルバム作りをさせようと努力した。『交響的な』とは、たとえば曲と曲の対位法といったところだ。もし、あのままレコードを作り続けていたら、私はそうさせていただろう。でももうその時、私たちはバラバラになっていた。『Abbey Road』は終末の前触れだったんだ」と語っている。

収録曲概説

● Come Together
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。

ジョンはこの曲で、チャック・ベリーの『You Can't Catch Me』の冒頭のメロディと、歌詞の出だし2行を盗作したと訴えられた。ジョンは曲をコピーしたことは否定しつつ、1973年10月にビッグ・セヴン・ミュージックが出版権を持つ3曲をレコーディングすることに同意して、この問題に決着をつけた。ザ・ビートルズ解散後、1975年にリリースされたジョンのソロ・アルバム「Rock 'n' Roll」に収められたチャック・ベリ^の「You Can't Catch Me」「Sweet Little Sixteen」そしてリー・ドーシーとモーリス・レヴィーが書いた「Ya Ya」の3曲がそれにあたる。
ジョン「『Come Together』は、僕が昔のチャック・ベリーのある曲に大まかなヒントを得て書いたものだ。『Here comes old flat-top』というくだりはそのまま残した。全然チャック・ベリーの曲らしくなかったからね。でも僕が何年か前、一度だけ彼の影響を認めたせいで、結局は裁判沙汰になってしまった。『Here comes old iron face』に歌詞を変えてもよかったんだけど、とにかくこの曲はチャック・ベリーのものでも、ほかの誰のものでもない」

You Can't Catch Me/Chuck Berry
1分10秒あたりから「Here comes old flat-top」という歌詞が歌われる(実際には「Here comes a flat-top」と歌われている)。

「Come Together]というフレーズは、アメリカの心理学者、ティモシー・リアリーがカリフォルニア州知事選に出馬するにあたって立てられたスローガンであった。ジョンはティモシーから選挙の応援ソングを作ってほしいと依頼されたが、うまくいかず、代わりにこの楽曲が誕生した。
ジョン「これはスタジオで作ったんだ。ちょっとややこしいんだけど、『Come Together』は(カリフォルニア州知事選にロナルド・レーガンと対抗して出馬する予定だった)ティモシー・リアリーが選挙運動用に考え出したフレーズでね。彼がキャンペーン・ソングの作曲を依頼してきたんだよ。いろいろ頭をひねったけれど、なかなかいいのが浮かばない。それでもなんとかひねり出したのがこの『Come Together』だったのさ。でも彼の役には立たなかったろうね。こんなキャンペーン・ソングなんてありえないもの。そうだろ?」

「シュッ」と聞こえる部分は実際には「Shoot Me (僕を撃て)」と歌われている。
エンジニアのジェフ・エメリック「完成したレコードでは『Shoot』という言葉しか聞こえません。ベース・ギターが『me』の部分にかぶさってしまったからです」

ポール「ジョンがメンバーの誰かを褒めたとしたら、それはすごい称賛なんだ。実際、彼はめったに人を褒めたりしなかった。ほんの一言でも、ちょっとした言葉でもかけてもらえれば、たとえば『Come Together』で、彼はピアノをスワンプっぽいスモーキーな感じの音にしたがっていた。で、僕がそんな風に弾くと、とっても気に入ってくれて、すごくうれしかったな、あれは」

この曲は歌詞の中に「Coca Cola」と商品名が出てくるため、BBCでは放送禁止になった。

ジョン「ファンキーなレコード。ザ・ビートルズの曲の中でもお気に入りのひとつだ」

ザ・ビートルズ解散後に、ジョンとポールが揃って演奏したことがあるザ・ビートルズの楽曲はこの「Come Together」と「I Saw Her Standing There」だけである。

*レコーディング詳細
1969年
・7月21日
第1~第8テイクをレコーディング。第6テイクをテープ・コピーし、これを第9テイクとする。
・7月22日
第9テイクにヴォーカル、エレクトリック・ピアノ、ギター、マラカスをオーヴァー・ダブ。
・7月23日
第9テイクにオーヴァー・ダブ(詳細は不明)。
・7月25日
第9テイクにバック・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
・7月29日
第9テイクにギターをオーヴァー・ダブ。
・7月30日
第9テイクにギターをオーヴァー・ダブ。
・8月7日
第9テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Something
ジョージの作品でリード・ヴォーカルもジョージ。
ザ・ビートルズのシングルでジョージの楽曲がA面になったのは、これが初めてで唯一(両A面扱い)。また、イギリスで既発のアルバムからシングル・カットされたのはこの「Something/Come Together」が初めてで唯一。
ジョン・レノンの伝記を書いたレイ・コールマンによると「この曲は、アラン・クラインが即座に金になると主張したためにシングル盤として発売された」としている。
ジョージ「B面に取り上げられたことは2度程あったけど、A面になったのはこれが初めてだ。ありがたい話さ」
ジョン「『Something』は初めてA面になったジョージの作品だった。何故っていつもポールと僕が、両方とも書いていたからね。別に彼をのけ者にするつもりだったわけじゃない。単に彼の曲が水準に達していなかっただけなんだ」
*ジョンは「Abbey Road」リリースから数年後に「Something」がアルバム中で最高の楽曲だと語っている。

ジョージ「『Something』はホワイト・アルバムの制作中にピアノで作った曲なんだ。ポールがなにかのオーヴァーダビングをしている合間を利用して、誰もいないスタジオに入って行って作り始めた。スラっと書けたけれど、真ん中の部分だけは決めるのに時間がかかったな。だけど、ホワイト・アルバムは全曲のレコーディングが終わったところだったから、収録はできなかった。それで自分が歌う1年前にジョー・コッカーに贈ったんだ。そして1年後に自分でもレコーディングした。このメロディは確か、上下五音の範囲内に収まっていたはずだ。大抵のシンガーは自分の声域の中で無理なく歌うことが出来る。おそらく、僕の曲の中では一番のヒットだろう。150種類を超えるカヴァー・ヴァージョンが出ている。気に入っているのはジェイムズ・ブラウンのもので、あれは素晴らしかった。曲を書いたときはレイ・チャールズが歌っているところを想像していたのだが、何年か後で本当に歌ってくれた。スモーキー・ロビンソンのヴァージョンも好きだ」

Something/James Brown

ポール「車の宣伝で『Something』を聞いたけど、笑っちゃったよ。悪趣味もいいところだ」

アメリカのシンガー、フランク・シナトラ「この50年でもっともすばらしいラヴ・ソングだ」

歌詞の出だし「Something in the way she moves」は、アップルからデビューしたアメリカのシンガーソングライター、ジェイムズ・テイラーの「Something In the Way She Moves」から引用している。

yamada3desu
yamada3desu
@yamada3desu

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