The Beatles(ザ・ビートルズ)とは【徹底解説まとめ】

The Beatles(ザ・ビートルズ)とは、1962年に英国でデビューした20世紀を代表する4人組ロック・バンド。その影響力は音楽のみならず、ファッション、言動、思想にまで及び、社会現象を巻き起こした。彼等の音楽を語るうえで特筆すべき点の一つは、彼等自身の音楽的成長がそのまま音楽界全体の、そして聴き手である我々ファンの音楽的成長を促したことだろう。1970年の解散後も彼等の影響力は引き継がれ、21世紀の現在でもそれは変わらない。

*レコーディング詳細
1963年
・2月11日
第1~第3テイクをレコーディング。
・2月20日
第3テイクに、ジョージ・マーティンがチェレスタとピアノをオーヴァーダブし、第4~6テイクを作成。
・2月25日
第5テイクを元にモノ・ミキシングとステレオ・ミキシングが同日に行われる。

● Do You Want To Know A Secret
ジョンの作品で、ジョージがリード・ヴォーカルをとっている。
ジョン「僕が1歳か2歳くらいのころ、母親がよくこのメロディを口ずさんでいたんだ。ディズニー映画のナンバーだった。頭に残っていたメロディを曲にして、ジョージにうたわせたのさ」「3音しかないから、ジョージ向きだと思ったんだ」
ジョージ「この曲はステレオズの1961年のヒット曲「I Really Love You」に多少なりとも影響を受けていると思う」

ジョンが元にしたディズニー映画の曲は「白雪姫」の挿入歌「I'm Wishing」だと言われているが、「シンデレラ」もしくは「ファンタジア」ではないかという説や、「ピノキオ」でピノキオにうたいかけるジミニー・クリケットの歌の一節を覚えていたジョンがそこから膨らませた、という説がある。

ブライアンがマネージメントしていた、ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスがこの曲をカヴァーし、イギリスでナンバー1に輝いている。ジョンはこのビリー・J・クレイマー用のデモ・テープをアコースティック・ギターの弾き語りで作成しているが、「音が響くし、一番静かで適した場所だったから」という理由で、トイレでレコーディングしており、テープの最後には水を流す音が収録されていた。

*レコーディング詳細
1963年
・2月11日
第1~第8テイクをレコーディング。
第8テイクは、第6テイクにハーモニーとドラム・スティックを叩く音をオーヴァーダブしたもの。
・2月25日
第8テイクを元にモノ・ミキシングとステレオ・ミキシングが同日に行われる。

● A Taste Of Honey
オリジナルは1960年にブロードウェイで上演された同名のミュージカルの主題歌で、同ミュージカルの中で繰り返し演奏されたインストゥルメンタルだった。元々は1958年のイギリスの同名の演劇をブロードウェイでミュージカル化したものであり、1961年にはイギリスで同名の映画になっている。初のヴォーカル・ヴァージョンは1961年にビリー・ディー・ウィリアムズがレコーディングしている。ザ・ビートルズは1962年9月17日にリリースされたレニー・ウェルチのヴァージョンを元にしている。

リード・ヴォーカルはポール。

ジョンはこの曲が大嫌いで、ライヴではサビの「A Taste Of Honey」のパートを「A Waste Of Money」(お金の無駄遣い)と歌ったこともあった。

A taste of honey/Lenny Welch

*レコーディング詳細
1963年
・2月11日
第1~第8テイクをレコーディング。
第7テイクのヴォーカルに、第5テイクのヴォーカルをオーヴァーダブしており、本アルバム中唯一のヴォーカル・ダブル・トラッキングの楽曲となっている。
・2月25日
第7テイクを元にモノ・ミキシングとステレオ・ミキシングが同日に行われる。

● There's A Place
ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「『There's A Place』は黒っぽい、モータウンの線を狙った曲だ。歌詞はいつものレノン風さ」
ポール「その”場所”とは、頭の中にある。知的なレベルのことを書いているんだよ」

1963年2月11日に行われた、約10時間に及ぶレコーディング・セッションは、この曲のレコーディングから開始された。

タイトルは、ミュージカル「ウェスト・サイド物語」の挿入歌である「Somewhere」からとられている。
・Somewhere の冒頭の歌詞は以下の通り。
There's a place for us,
Somewhere a place for us.

*レコーディング詳細
1963年
・2月11日
第1~第13テイクをレコーディング。
第13テイクは、第10テイクにハーモニカをオーヴァーダブしたもの。
・2月25日
第13テイクを元にモノ・ミキシングとステレオ・ミキシングが同日に行われる。

● Twist And Shout
オリジナルは1961年にリリースされたトップ・ノーツのシングルで、プロデュースはのちに「Let It Be」をプロデュースすることになるフィル・スペクター。この曲の作者の一人であるバート・ラッセル(当時はバート・バーンズ名義)は、フィル・スペクターに対し「曲を台無しにしやがって」と告げ、自らのプロデュースでアイズレー・ブラザーズのヴァージョンを作成している。ザ・ビートルズはこのアイズレー・ブラザーズのヴァージョンを参考にしている。思えば、この時からザ・ビートルズとフィル・スペクターの相性はあまり良くなかったのかも知れない。

Twist and Shout/Top Notes

Twist and Shout/The Isley Brothers

リード・ヴォーカルはジョン。1963年2月11日、約10時間に及んだレコーディング・セッションの最後にプレイされている。長時間のレコーディングだったため、スタジオを閉めなければいけない時間に差し掛かっていたが、まだ1曲足りなかったため、急きょこの曲がレコーディングされている。

エンジニアのノーマン・スミス「ジョンのリード・ヴォーカルでアイズレー・ブラザーズの『Twist And Shout』をやったらどうかと、誰かが言い出したんだ。でも、その時にはもう、みんな声を使いすぎていて喉をだいぶ痛めていた。セッションを始めてから12時間も経っていたんだからね。特にジョンは、声を完全につぶす一歩手前だったから、本当に一発録りで決めるしかなかった。それでビートルズはスタジオに、僕たちはコントロール・ルームに戻ると、ジョンがのど飴をいくつか口に放り込み、ミルクでうがいをしていざ本番に入ったんだ」

ジョージ・マーティン「キャヴァーンで演奏すると決まって大騒ぎになる曲があった。『Twist And Shout』がそれだ。ジョンはまさに絶叫していた。歌うたびに彼がのど仏をどうしていたのか、それは神のみぞ知る、だ。なにしろ肉を引き裂くように歌っていたから。あれは最初のテイクで完成させるべき曲だった。2度やっても、絶対によくならないのはわかっていた」

ジョン「僕はただ歌詞をがなっていただけだ」

セカンド・エンジニアのリチャード・ランガム「彼らがあの曲を歌うのと聴いていて、思わず飛び跳ねたくなったよ。驚異的な演奏だった」
この日の担当ではなかったが、たまたまコントロール・ルームにいたエンジニアのクリス・ニール「ジョンは上半身裸になって、あのものすごいヴォーカルを録ったんだ。翌朝ノーマン・スミスと僕は、スタジオのコピー・ルームをまわってみんなにテープを聴かせながら『すごいだろう』って言って歩いたよ」

ジョージ・マーティン「彼らはいったいどうなってるんだろう。1日じゅうレコーディングしているのに、長くやればやるほどよくなってくる」

1962年から65年までライヴの定番のレパートリーであり、クロージング・ナンバーとして演奏されていた。ポールの「Long Tall Sally」がクロージング・ナンバーにとって代わると、オープニング・ナンバーとして演奏されていた。
ジョン「黒人アーティストと共演するコンサートで『Twist And Shout』を演奏するのは嫌だな。なにか、しっくりこないんだよ。彼らの音楽って感じがして、居心地が悪くなる。体をよじりたい気分だ。彼らのほうがずっと上手くやれる」「黒人の曲の方がずっと興味深い。いたってシンプルだからね。ケツとかチンポコとかを揺すれっていっているわけだろ。これって、すごい改革だよ。黒人は自分の痛みとかセックスとかについて、なんのてらいもなく率直にうたう。だから好きなんだ」

1986年のアメリカ映画「フェリスはある朝突然に」にこの「Twist And Shout」が使用されている。
ポール「『フェリスはある朝突然に』を観た。映画としては気に入ったんだけど、なんと『Twist And Shout』にダサいブラスをオーヴァーダビングしてるんだ! ブラスが必要だったら、とっくの昔にぼくらでくっつけてたさ」

Twist And Shout/映画「フェリスはある朝突然に」より

*レコーディング詳細
1963年
・2月11日
第1~第2テイクをレコーディング。
*ザ・ビートルズの逸話の一つに「Twist And Shout」は1テイクしか録らなかった、というものがあるが、実際には2テイクがレコーディングされている。
・2月25日
第1テイクを元にモノ・ミキシングとステレオ・ミキシングが同日に行われる。

With The Beatles

Side A
1. It Won't Be Long
2. All I've Got To Do
3. All My Loving
4. Don't Bother Me
5. Little Child
6. Till There Was You
7. Please Mister Postman

Side B
1. Roll Over Beethoven
2. Hold Me Tight
3. You Really Got A Hold On Me
4. I Wanna Be Your Man
5. Devil In Her Heart
6. Not A Second Time
7. Money (That's What I Want)

1963年11月22日にリリースされたセカンド・アルバム。
シングル「From Me To You」「She Loves You」の後にリリースされたが、この2枚のシングルは収録されなかった。

レコーディング経過は以下の通り。

●1963年

7月1日
以下の2曲をレコーディング。
・She Loves You
・Get You In The End (のちの「I'll Get You」)

7月4日
以下の2曲のモノ・ミキシング。
・She Loves You
・Get You In The End (のちの「I'll Get You」)

7月18日
以下の4曲をレコーディング。
・You Really Got A Hold On Me
・Money (That's What I Want)
・Devil In Her Heart
・Till There Was You
この日レコーディングされた楽曲はすべてカヴァーで、オリジナルのレコーディングはなかった。

7月30日
以下の6曲をレコーディング。
・Please Mister Postman
・It Won't Be Long
・Money (That's What I Want)
・Till There Was You
・Roll Over Beethoven
・All My Loving

8月21日
以下の8曲のモノ・ミキシング。
・Devil In Her Heart
・Money (That's What I Want)
・You Really Got A Hold On Me
・Please Mister Postman
・Till There Was You
・Roll Over Beethoven
・All My Loving
・It Won't Be Long

8月23日
シングル「She Loves You/I'll Get You」リリース。

9月11日
以下の5曲をレコーディング。
・I Wanna Be Your Man
・Little Child
・All I've Got To Do
・Not A Second Time
・Don't Bother Me

9月12日
以下の4曲をレコーディング。
・Hold Me Tight
・Don't Bother Me
・Little Child
・I Wanna Be Your Man

9月30日
この日はザ・ビートルズは参加せす。
マーティンによるオーヴァーダブ、レコーディング、モノ・ミキシングの作業が行われた。
オーヴァーダブ。
・Little Child
・Hold Me Tight
レコーディング。
・Money (That's What I Want)
・I Wanna Be Your Man
モノ・ミキシング。
・All I've Got To Do
・Don't Bother Me
・Little Child
・Hold Me Tight
・Not A Second Time
マーティンは「Money (That's What I Want)」でピアノの別テイクを、「I Wanna Be Your Man」でハモンド・オルガンをオーヴァーダブしている。

10月3日
以下の2曲をレコーディング。
・I Wanna Be Your Man
・Little Child
「I Wanna Be Your Man」にリンゴのマラカスとヴォーカルを、「Little Child」にジョンとポールのヴォーカルをオーヴァーダブ。

10月17日
以下の3曲をレコーディング。
・You Really Got A Hold On Me
・I Want To Hold Your Hand
・This Boy
この日、4トラックのレコーディング・デッキがスタジオに設置される。
「You Really Got A Hold On Me」を4トラックでレコーディングしているが、1テイクで終了している。
また、ファンクラブ向けの「The Beatles' Christmas Record」のレコーディングも行われた。

10月21日
以下の2曲のモノ・ミキシング。
・I Want To Hold Your Hand
・This Boy
以下のステレオ・ミキシング。
・I Want To Hold Your Hand

10月23日
以下をレコーディング。
・I Wanna Be Your Man
以下の3曲のモノ・ミキシング。
・I Wanna Be Your Man
・Little Child
・Hold Me Tight

10月29日
以下の14曲のステレオ・ミキシング。
・It Won't Be Long
・All I've Got To Do
・All My Loving
・Don't Bother Me
・Little Child
・Till There Was You
・Please Mister Postman
・Roll Over Beethoven
・Hold Me Tight
・You Really Got A Hold On Me
・I Wanna Be Your Man
・Devil In Her Heart
・Not A Second Time
・Money (That's What I Want)

10月30日
再びステレオ・ミキシング作業が行われた。
・Money (That's What I Want)

11月22日
セカンド・アルバム「With The Beatles」リリース。

11月29日
シングル「I Want To Hold Your Hand/This Boy」リリース。

ジャケットはカメラマン、ロバート・フリーマンが撮影した「ハーフ・シャドウ」。1963年8月22日、イギリス・ボーンマスにあるパレス・コート・ホテルで撮影している。彼はこの後も「Beatles For Sale」「Help!」「Rubber Soul」のジャケットを手掛けることになる。ザ・ビートルズの写真集も出版している。
この「ハーフ・シャドウ」、元々はザ・ビートルズがハンブルク公演の際に知り合った友人、アストリット・キルヒヘルのもので、メンバーはこのアストリットの撮影した写真をロバートに見せて、「このような感じにしてほしい」と要望している。

ポールは「ロバート・フリーマンはそれまでのカメラマンの中で一番僕らに近い感覚の人だった。あれはホテルの少し暗い廊下に椅子を四つ持ってきて、たった一時間で撮影したんだ。廊下の端には窓があって、右手から入る自然光を使ってあの写真を撮影したんだ」と語っている。

このジャケットからは数多くのパロディ、オマージュが生まれており、Genesis、The Residents、Queen、ももいろクローバーZなどの作品がある。

アメリカではイギリス盤と全く同じ仕様、つまり同じジャケットで収録曲や収録順も同じアナログ・アルバムはリリースされていない。1987年のCD化で初めて登場した。
1964年1月20日にリリースされたキャピトルからのデビュー・アルバム「Meet The Beatles」はイギリス盤の「With The Beatles」のジャケットを流用しているが、収録された楽曲はアメリカ編集によるものである。

日本では、1966年5月25日にリリースされた、ジャケットと曲順を変えた「ステレオ!これがビートルズVol.2」がイギリス盤の「With The Beatles」にあたるが、モノラルではなかった。1976年6月5日にジャケットと曲順を同じにした「With The Beatles」がリリースされるが、この時もモノラルではなかった。イギリス盤と同仕様によるアナログ・アルバムのモノラル盤は1982年1月21日にオリジナル・モノ・シリーズとして限定リイシューされたのが初めてになる。
1964年4月5日にリリースされた日本でのデビュー・アルバム「ビートルズ!」はイギリス盤の「With The Beatles」のジャケットを流用しているが、収録された楽曲は日本編集によるものである。

イギリスのメロディ・メーカー誌のチャートでは、1963年11月30日付で当時1位だった同じくザ・ビートルズの「Please Please Me」を蹴落として、初登場1位に輝いている。その後、翌1964年4月25日まで22週間1位に君臨していた。またその間、1964年3月7日以外は2位を「Please Please Me」が位置しており、1、2位を長い期間独占していた。「Please Please Me」は1964年3月7日は3位であった。

ザ・ビートルズのセカンド・アルバムである本作は1963年11月22日にリリースされているが、奇しくもアメリカでケネディ大統領が暗殺された日でもあった。

モータウンからのカヴァー3曲を含め、黒人アーティストのカヴァーが5曲もあり、R&Bからの影響を強く感じさせるアルバムになっている。

ジョージの自作曲が収録された初のアルバムでもあり、デビュー2作目にしてシングル曲が全く収録されていないアルバムでもある。

リンゴは「このアルバムに収録されたカヴァー曲は、みんなそれぞれが好きな曲を持ち寄ったんだ。僕がビートルズに参加した時、まだお互いによく知らなかった。もちろん、他の3人はわかりあっていたけどね。それなのにレコードのコレクションは殆ど同じだった。全員がミラクルズやバレット・ストロングを持っていたんだ」と語っている。

ジョージは「ライヴに行く前に閉店後のレコード店NEMS(マネージャのブライアン・エプスタインが経営)にメンバーが集まって、棚の中からみんなが知らないような曲を探し回ったんだ。『Some Other guy』や『Money(That's What I Want)』や、『Devil In Her Heart』なんかはここで探し出したんだ」と語っている。

ジョンは「初めて使ったトリックはセカンド・アルバムでのダブル・トラック・レコーディングだ。やっていいと言われたんだ。すれですべてが動き始めた。セカンドは文字通り『ダブル・トラックし尽した』アルバムだよ。」と語っている。

エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズのドラマー、ピート・トーマスは「9歳の時に『With The Beatles』を手に入れて、それからおばあちゃんが中古のドラムとシンバルを買ってくれたんだ。それで決まりさ。ほかになにがいる? ドラムにシンバルに『With The Beatles』。世界はあれから少しでも進歩しただろうか?」と語っている。

収録曲概説

● It Won't Be Long
ジョンの作品で、リード・ヴォーカルもジョン。イントロなしでいきなりヴォーカルから始まり、ザ・ビートルズの代名詞の一つである「Yeah」が初めて登場する。
ジョン「シングル用に書こうとしたんだけど、完璧には仕上がらなかったんだ。失敗するかな、と思ってアルバムに回したんだ」

カナダ出身のシンガー・ソングライター、ニール・ヤングが初めて人前で歌ったのがこの曲だった。

*レコーディング詳細
1963年
・7月30日
第1~第23テイクをレコーディング。
・8月21日
第17テイクと第21テイクを編集し、それを元にモノ・ミキシングが行われる。
・10月29日
第17テイクと第21テイクを編集し、それを元にモノ・ミキシングが行われる。

● All I've Got To Do
ジョンの作品で、リード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「これもまたスモーキー・ロビンソンをやろうとした曲だ」

ポールがベースによる和音弾きを初めて披露している。
例として、出だしの「Whenever」の次の「I」で、まず解放弦のEを弾いたあとにC#、G#、C# の3音を同時に弾いている。他にも所々で和音弾きを披露している。

*レコーディング詳細
1963年
・9月11日
第1~第15テイクをレコーディング。
第14テイクにポールとジョージのコーラスをオーヴァーダブし、第15テイクを作成。
・9月30日
第15テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・10月29日
第15テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● All My Loving
ポールの作品で、リード・ヴォーカルもポール。
ジョン「彼の初期の名曲のひとつだ」「『All My Loving』はポールのだ。悔しいけど……。だって、すごくいい曲だからさ。けど僕もバックでかなりニクいギターを弾いてるぜ」
ポール「これは僕が書いた中で、曲の前に歌詞があった初めての曲だ。ツアー・バスで歌詞を書いて、バスが付いてから曲を作ったんだ」

厳密な意味でのテイク違いは存在しないが、ハイハットで「チッ、チッ、チッ、チッ、チッ」と5回カウントしてから曲が始まるヴァージョンが存在する。
その「ハイハット・ヴァージョン」が収められているのは以下のアルバムである。
・ドイツ盤「With the Beatles」「Beatles Greatest」「All my Loving」(4曲入りEP)
・オランダ盤「Beatles Greatest」
・イギリス盤「The Beatles Box」(EMIの通販部門であるワールド・レコーズが企画した8枚組の編集アルバム・セットで通販のみの流通)
・日本盤「グレイテスト・ヒッツ」(上記オランダ盤「Beatles Greatest」の国内盤)「リヴァプールより愛を込めて ザ・ビートルズ・ボックス」(上記イギリス盤「The Beatles Box」の国内盤で、こちらは一般小売店でも流通した)「Beatles Greatest」

*レコーディング詳細
1963年
・7月30日
第1~第14テイクをレコーディング。ただし第5テイクが欠番となっており、実際は全13テイクがレコーディングされている。
第11テイクにポールのセカンド・ヴォーカルとエレキ・ギターをオーヴァーダブし、第14テイクを作成。
・8月21日
第14テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・10月29日
第14テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Don't Bother Me
ジョージの作品で、リード・ヴォーカルもジョージ。
ハンブルク時代に録音された「Cry For A Shadow」(ジョンとジョージの共作によるインストゥルメンタル)や、「Anthology 1」で陽の目を見たクォリーメン時代の自主制作シングルの楽曲「In Spite Of All The Danger」(ポールとジョージの共作)といった例はあるが、ジョージ作による楽曲としては初お披露目となる。
*「In Spite Of All The Danger」に関してはポールは以下のようにコメントしている。
「レーベルには僕とジョージとあるけれども、実際は僕が書いた曲だったと思う。ジョージはギターソロを弾いた。僕らは仲間だったし、誰も著作権や版権のことなんて言わなかった。誰も知らなかったんだ。僕らがロンドンに行ってからでも、曲は全員の共有だと実際思ってたよ。曲はただ宙に漂うもので誰も手に掴むことはできないとマジに思ってた。僕はこれを何回か言っているけど本当なんだ。あの時はジョージがギターソロを弾いたので、僕らはそれを『ジョージが書いた』と解釈したというわけなんだ」

ジョージ「僕が初めて曲を書いたのは、はたして自分にも曲が書けるのか、それをたしかめるのが目的だった。書いたのはイギリスのボーンマスのホテル。僕らは1963年の夏にそこで演奏したんだけれど、僕は病気で臥せっていた。だから『Don't Bother Me』(ほっといてくれ)なんてタイトルになったのかもしれない。大していい曲とは思わない。いや、曲とすら呼べないものかもしれない。けれどこのおかげで、少なくとも書き続けてさえいれば、いつかいい曲ができるかもしれないと思えるようになった。『いい曲が書けますように』という気持ちは、今も同じだ。『いい曲』の基準は変化していく。そのおかげで、作曲が一生の仕事になっているのだ」

当時の「マージー・ビート」誌の編集長、ビル・ハリーは「なんでジョンとポールみたいに曲を書かないんだ。『Cry For A Shadow』以外の曲を早く書きなよ」と手紙で書いて送ったが、それに対する返答 (ほっといてくれ) としてこの曲が書かれた、と語っている。

ジョン「(自分の曲が不当な扱いをされているというジョージの不満に答えて) お前の曲には『Don't Bother Me』のころから随分と協力してきたじゃないか。長い時間をかけて、みんなでブルーヴして……。今もお前が弾いていたリフを覚えているぜ」

ジョージ「曲を書くことによって……たとえば『Don't Bother Me』のような曲であっても、無意識的な重荷がいくらか軽減される。曲を書くのは懺悔に行くようなものだ」

*レコーディング詳細
1963年
・9月11日
第1~第7テイクをレコーディング。満足できる出来栄えではなかったため、翌日にリメイクをする。
・9月12日
リメイクのため、テイク番号を10からに切り上げて第10テイク~第19テイクをレコーディング。
第13テイクに、ジョージのセカンド・ヴォーカル、ポールのクラベス(2本の棒状の木片を打ち合わせて音を出す打楽器)、ジョンのタンバリン、リンゴのアラビアン・ボンゴをオーヴァーダブし、第15テイクを作成。
・9月30日
第15テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・10月29日
第15テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Little Child
ジョンとポールの共作で、リード・ヴォーカルはジョン。
ジョン「僕ら二人で書いたんだ。ポールと僕ででっち上げた曲だ」

元々はリンゴが歌う予定であったが、リンゴは「I Wanna Be Your Man」を歌ったので、ジョンが代わりに歌うことになった。
ジョン「たしかリンゴのために二人で書いた。力んで書いた曲はうまくいなかなったな」
ポール「(I'm so sad and Lonely)の部分は) エルトン・ヘイズのメロディを頂戴した。"これから2時間でリンゴの曲を"ということだったんだ」

ポールがピアノを弾いているが、これはジョージ・マーティン以外でメンバーがプレイした第1号であった。

*レコーディング詳細
1963年
・9月11日
第1~第2テイクをレコーディング。
・9月12日
第3~第18テイクをレコーディング。
第7テイクをベーシック・トラックとし、ここにジョンのハーモニカをオーヴァーダブし第13テイクを作成。続いてポールのピアノをオーヴァーダブし第15テイクを作成。最後にジョンのハーモニカ(ソロ)をオーヴァーダブして第18テイクを作成している。
・9月30日
第15テイクと第18テイクを編集し、それを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・10月3日
ジョンとポールのヴォーカルをオーヴァーダブし、第19~第21テイクを作成。
・10月23日
第21テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・10月30日
第21テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。

yamada3desu
yamada3desu
@yamada3desu

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世の中に大きな影響を与えた芸能人・有名人たち。その中には、40代という若さでこの世を去ってしまった方がたくさんいます。病気、事故、自殺、暗殺…。この記事では、そんな彼ら/彼女らについてまとめました。原因は様々ですが、いつの時代もどこの国でも、人が亡くなるというのは辛いものですね…。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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【ポール・マッカートニー】実は反日疑惑のあるハリウッドスター・セレブまとめ【キャメロン・ディアス】

【ポール・マッカートニー】実は反日疑惑のあるハリウッドスター・セレブまとめ【キャメロン・ディアス】

「ハリウッドスター」と聞けば、世界的に有名な演者たちの代名詞ですよね。もちろん日本でも知名度はバツグン!そんな彼ら/彼女らの中には「日本大好き!」を公言している人もいますが、実は反日だったという疑惑のある人もいるそうです。本当かどうかはわかりませんが、世界に通用する演技ができるこの人たちなら、本音と建前を使い分けることくらい朝飯前なのかもしれません。

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ポール・マッカートニー来日公演が全て中止!再来日の可能性を考察!

ポール・マッカートニー来日公演が全て中止!再来日の可能性を考察!

ポール・マッカートニーは2014年5月に48年ぶりの武道館を含む待望の再来日公演を行う予定だったものの、ウイルス性炎症で体調不良となり、直前に全公演を中止。多くのファンが落胆し、今後どうなるのかという声が数多く上がった。本記事では当時の様子やポールが希望しているという振替公演での再来日の可能性などをまとめた。

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武道館はなぜライブの聖地なの?ポール・マッカートニーなど大スターも

武道館はなぜライブの聖地なの?ポール・マッカートニーなど大スターも

多くのアーティストがライブを行う武道館が「聖地」と呼ばれるようになったのか理由をまとめました。2014年、ポール・マッカートニーが来日公演で武道館を会場に選んだことも話題に。ポール・マッカートニーの来日公演が決定した際のニュースを交えつつ、武道館でライブが開催されるようになった経緯を紹介していきます。

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アーティスト・ミュージシャンの勇気や元気が出る名言まとめ!ジョン・レノンなど

アーティスト・ミュージシャンの勇気や元気が出る名言まとめ!ジョン・レノンなど

ここではアーティストやミュージシャンが残した、勇気・元気が出る名言をまとめた。ミュージシャンのジョン・レノン、エリック・クラプトン、甲本ヒロト、芸術家のパブロ・ピカソの名言を紹介している。「ステージに上がったとき、自分が一番上手いと思え。ステージを降りているとき、自分は一番下手だと思え」といった、人生の導きになる言葉を知ることができる。

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