The Beatles(ザ・ビートルズ)とは【徹底解説まとめ】

The Beatles(ザ・ビートルズ)とは、1962年に英国でデビューした20世紀を代表する4人組ロック・バンド。その影響力は音楽のみならず、ファッション、言動、思想にまで及び、社会現象を巻き起こした。彼等の音楽を語るうえで特筆すべき点の一つは、彼等自身の音楽的成長がそのまま音楽界全体の、そして聴き手である我々ファンの音楽的成長を促したことだろう。1970年の解散後も彼等の影響力は引き継がれ、21世紀の現在でもそれは変わらない。

●1956年末~1957年初頭
ジョン・レノン、スキッフル・バンド「ブラックジャックス」を結成。すぐにバンド名を「クォリーメン」に改名。

この「クォリーメン」結成がいつ行われたのかには諸説あるが、2016年出版のマーク・ルイソン著「ザ・ビートルズ史」では「はっきりとは判らない」と書かれている。よって大体この期間であろう、ということで「1956年末~1957年初頭」とした。「クォリーメン」という名前にしても「クォリー・メン」なのか「クォリーメン」なのかの判断もあやふやである。ここではとりあえず「クォリーメン」とした(「ザ・ビートルズ史」では「クォリー・メン」となっている)。
当項のこの先の記述に関しても、はっきりと日時のわかっているもの、わかっていないもの、様々な諸説があるもの、信ぴょう性のあるもの、ないもの、と情報としては甚だ心もとないものが多い。よってあまり詳細に記述することは避け、簡単な要点だけを取り上げることにした。あくまでも「参考程度」として読んでいただければと思う。

●1957年
1月16日
リヴァプールのマシュー・ストリートにキャバーン・クラブがオープン。
5月24日
クォリーメン、初の人前でのライヴ。
6月9日
クォリーメン、ABCテレビの公開オーディション番組「テレビ・スター・サーチ」に応募するが予選で落ちる。
7月6日
クォリーメン、教区教会であるウールトンのセント・ピーターズ教会で演奏。ジョンとポールが出会った日である。
8月7日
クォリーメン、キャバーン・クラブで初のギグ。
8月18日
ポール、クォリーメンのメンバーとして初のギグをニュー・クラブムーア・ホールで行う。
(8月7日のキャバーン・クラブがポールの初ギグ、という説もあり)。

●1958年
2月6日
ポール、友人のジョージ・ハリスンをクォリーメンに紹介。
数か月後にクォリーメンのメンバーとなる。
5月~7月
クォリーメン、リヴァプールで電気店を営んでいたパーシー・フィリップスの家で初のデモ・レコードをカット。「That'll be the Day/In Spite of All the Danger」がそれで、1995年にリリースされた「アンソロジー1」に収録される。

このレコードが作成された日付を「1958年7月12日(あるいは7月14日)」としている資料が多いが、「ザ・ビートルズ史」によると、それよりも1、2ヶ月早かった可能性があることを示唆している。少なくとも7月12日(14日)とする納得できる理由は一つもない、と断言している。

クォリーメン。マイクに向かっているのがジョン。

●1959年
8月29日
ザ・ビートルズの初代ドラマー、ピート・ベストの母、モナがオープンした「カスバ・コーヒー・クラブ」でギグ。これはモナが競馬で大穴を当てたお金で買い取った物件を改装したお店で、ジョンやポールは内装のペンキ塗りなどを手伝っている(ピートがザ・ビートルズに参加するのは翌1960年に入ってからである)。
10月
バンド名を「クォリーメン」から「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」に改名。
10月18日
前年に予選落ちした「テレビ・スター・サーチ」に再度応募。予選を通過。
10月26日
予選を通過した「テレビ・スター・サーチ」の地区決勝に挑み、見事合格。
11月15日
「テレビ・スター・サーチ」の決勝に挑むが、落選。
11月
リンゴ・スター、ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズのドラマーになる。

●1960年
1月
この頃、バンド名を「ザ・ビートルズ」に改名している。
1月17日
スチュアートがジョン・ムーア展に出品した絵画が売れ、彼はそのお金でヘフナーのベース・ギターを購入。
ザ・ビートルズのベーシストとなる。
5月20日
バンド名を「ザ・ビートルズ」から「ロング・ジョン&ザ・シルヴァー・ビートルズ」に改名。
すぐに「ザ・シルヴァー・ビートルズ」へと再び改名している。
6月11日
当時のドラマーだったトミー・ムーアが脱退。
8月12日
ピート・ベスト、オーディションによりザ・ビートルズにドラマーとして参加。
8月16日~
ドイツ・ハンブルクでのツアーが始まる。
8月から10月はインドラ・クラブでライヴ。
10月4日からはカイザーケラーでライヴ。
この頃からバンド名は再び「ザ・ビートルズ」となる。
10月15日
同時期にハンブルク公演を行っていたロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズのドラマー、リチャード・スターキーがザ・ビートルズと出会う。
ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズのベーシストだったルー・ウォルターズが自費でレコードを作成することになり、ジョン、ポール、ジョージ、そしてリチャード(リンゴ)はルーのバック・バンドとしてレコーディングに参加している。
「ザ・ビートルズ史」によると、このレコーディングのお膳立ては(ルーにレコードを作らせたことも含めて)当時のザ・ビートルズのマネージャー、アラン・ウィリアムスが行っている。
残念ながらこの「ザ・ビートルズの4人による初のレコーディング」はアセテート盤も含めて音は何も残ってはいない。
10月30日
トップ・テン・クラブへの出演を口頭で了承。
この時、ザ・ビートルズは年内はブルーノ・コシュミダーというドイツ人が経営するカイザーケラーでライヴを行う契約を結んでいたが、トップ・テン・クラブはいわばブルーノとは商売敵であるペーター・エクホルンが経営していた。そちらの方が施設もギャラもよかったからだが、これにブルーノは激怒。11月1日にはブルーノとザ・ビートルズの間に交わされていた契約は破棄される。ただし、契約は破棄されたにも関わらず、それから3週間程はカイザーケラーでライヴを行っている。
11月21日
ジョージ・ハリスン、ドイツ国外に追放される。
まだ17歳だったジョージにとってドイツでの深夜労働は違法であり、それが発覚してしまったための処分。
11月29日
ポールとピートが放火の疑いで逮捕される。
実際には真っ暗な中で灯りをとるために「何か」に火をつけたのだが、ザ・ビートルズを良く思っていないブルーノは警察に通報。そのまま逮捕されてしまう。
11月30日
ポールとピート、ドイツ国外に追放される。
実際には前日の「放火騒ぎ」による強制送還だった。
12月10日
ジョン、イギリスに帰国。
12月17日、24日、27日、31日
凱旋公演として、カスバ・コーヒー・クラブ、グローブナー・ボールルーム、リザーランド・タウン・ホールでライヴを行う。

●1961年
1月5日
リヴァプールのリザーランド・タウン・ホールでライヴ。
スチュアートはまだハンブルクに残っていたため、ポールが初めてベースをプレイしている。
2月9日
ザ・ビートルズとして初めてキャバーン・クラブでライヴ。

キャバーン・クラブ。

4月1日~
二度目のハンブルク公演へ向かう。
6月22日~24日
トニー・シェルダンのバック・バンドとして「マイ・ボニー」他をレコーディング。
7月2日
ハンブルクからイギリスへ帰国。
スチュアート・サトクリフは二度目のハンブルク公演後にザ・ビートルズを脱退する。
7月~
帰国後のザ・ビートルズはキャバーン・クラブをメインに、毎日のようにライヴを行う。
10月23日
トニー・シェルダン&ザ・ビート・ブラザーズの「マイ・ボニー」がドイツでリリースされる。
バック・バンドの名義は「ザ・ビート・ブラザーズ」になっているが、これは「ビートル」がドイツ語で男性器を意味する言葉に似ていたために、別名が使用されたためである。
ちなみに「マイ・ボニー」のドイツでのリリースは1961年8月が定説であったが、「ザ・ビートルズ史」によると10月23日が正解になる。
10月28日
レイモンド・ジョーンズ、ブライアンの店で「マイ・ボニー」を注文。
イギリス盤の「マイ・ボニー」は翌1962年1月5日にリリースされることになる。
また、バック・バンドは「ザ・ビートルズ」名義になっていた。
11月9日
ブライアン、キャバーン・クラブでザ・ビートルズのライヴを初めて観る。
12月3日
ブライアン、ザ・ビートルズにマネージャになることを申し出る。
12月13日
デッカ・レコードのマイク・スミスがキャバーン・クラブでザ・ビートルズを観る。
その結果、デッカでのオーディションを受けることを彼らに提案。
1962年1月1日にロンドンにあるデッカ。スタジオでのオーディションが決定する。

1962年~1966年

●1962年
1月1日
デッカ・レコードのオーディションを受ける。
結果は残念ながら落選。
同じ日にオーディションを受けた「ブライアン・プール&ザ・トレメローズ 」が合格している。
1月5日
トニー・シェルダンの「マイ・ボニー」がイギリスでリリースされる。
バック・バンドの名義は「ザ・ビートルズ」。
1月24日
ブライアン・エプスタインと正式なマネージャー契約を結ぶ。
2月12日
BBCラジオのオーディション。
3月7日のBBCラジオ「ティーンエイジャーズ・ターン」への出演が決まる。
2月13日
ブライアン、EMIのジョージ・マーティンと初めて会う。
3月7日
BBCラジオ「ティーンエイジャーズ・ターン」に出演。
4月13日~
三度目のハンブルク公演
5月9日
ブライアン、ジョージ・マーティンと二回目の会合。
EMIでのレコーディング・テストの約束を結ぶ。
5月24日
再びトニー・シェルダンとレコーディング。
「スゥィート・ジョージア・ブラウン」と「スワニー・リヴァー」をレコーディングしている。
6月2日
ハンブルクからイギリスへ帰国
6月6日
ロンドンのアビーロードにあるEMIスタジオでレコーディング。
ジョージ・マーティンの元、以下の4曲をレコーディングしている。
・Ask Me Why
・Besame Mucho
・Love Me Do
・P.S. I Love You
この日のレコーディング・テストの結果、ザ・ビートルズはEMIとレコーディング契約を結ぶことになる。

EMIスタジオ。

8月16日
ピート・ベスト、ザ・ビートルズから解雇される。
8月18日
イギリス・バーケンヘッドにあるハルム・ホールでライヴ。
この日、初めてリンゴ・スターがザ・ビートルズのメンバーとして演奏する。
8月23日
ジョン、シンシア・パウエルと結婚。
9月4日
ロンドン・アビーロードで二度目のレコーディング。
・How Do You Do It
・Love Me Do(ピート・ベストに代わってリンゴがドラムスをプレイしている)
・Please Please Me(リハーサルでの演奏)
9月11日
ロンドン・アビーロードで三度目のレコーディング。
・Love Me Do(ドラムスはリンゴではなく、アンディ・ホワイト)
・Please Please Me
・P.S. I Love You
10月1日
ブライアンと契約更新。
この日から5年間のマネージャー契約を結ぶ。
10月5日
デビュー・シングル「Love Me Do/P.S. I Love You」イギリスでリリース。
10月17日
マンチェスターのローカルTV番組「ピープル・アンド・プレイス」に出演。
ザ・ビートルズ初のテレビ出演。
10月30日~
四度目のハンブルク公演。
11月15日
ハンブルクからイギリスへ帰国
12月18日
五度目の、そして最後のハンブルク公演。

●1963年
1月11日
セカンド・シングル「Please Please Me/Ask Me Why」をイギリスでリリース。
2月2日~3日
ヘレン・シャピロと共にイギリス国内ツアー。
2月11日
ロンドン・アビーロードでレコーディング。
約12時間をかけてデビュー・アルバム用の全10曲をレコーディング。
2月22日
ジョンとポールの楽曲を管理する音楽出版社「ノーザンソングス」設立。
2月23日
音楽雑誌ディスク誌において「Please Please Me」がNO.1 に。
3月22日
デビュー・アルバム「Please Please Me」をイギリスでリリース。
4月~5月
ポール、のちの婚約者ジェーン・アッシャーに出会う(4月18日とする説と5月9日とする説がある)。
8月3日
キャバーン・クラブでの最後のライヴ。
11月
ポール、ジェーン・アッシャー家に引っ越す。
11月4日
ロイヤル・バラエティ・ショーに出演。
ジョンは「安い席の方は手拍子を、高い席の方は宝石をジャラジャラならしてください」と発言。

●1964年
2月1日
アメリカ・ビルボード誌で「抱きしめたい」がNO.1 に輝く。
2月7日
アメリカ上陸。
ニュー・ヨークのケネディ空港に3000人以上のファンと100人以上の報道陣が集まる。
2月9日
エド・サリヴァン・ショー(録画)
視聴率72%を記録。

エド・サリヴァン (中央) とザ・ビートルズ。

2月11日
ワシントン・コロシアムでコンサート。
2月12日
カーネギー・ホールでコンサート。
2月16日
エド・サリヴァン・ショー(生放送)。
2月18日
モハメド・アリと会う。
2月22日
イギリスに帰国。
2月23日
エド・サリヴァン・ショー(録画)。
3月2日
映画「A Hard Day's Night」クランクイン。
3月23日
ジョンの著書「イン・ヒズ・オウン・ライト」イギリスで出版。
4月4日
アメリカ・ビルボード誌で1位から5位を独占。
4月24日
映画「A Hard Day's Night」クランクアップ。
6月4日
初のワールド・ツアー開始。
ツアーの前半、リンゴは咽頭炎で入院していたので、ドラマーはジミー・ニコルが代役を務める。
7月6日
ロンドン・パヴィリオンで「A Hard Day's Night」プレミア上映。
マーガレット王女が出席。
8月1日
日本で映画「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」公開。
8月18日
北米ツアー開始。
8月28日
ボブ・ディランと会う。
場所はニュー・ヨーク、マンハッタンのパーク・アヴェニューにあるデルモニコ・ホテル。
ディランはこの時、ザ・ビートルズのメンバーにドラッグを教えている。
10月4日
ブライアン・エプスタインの自伝「地下室いっぱいの騒音」イギリスで出版。

●1965年
2月11日
リンゴ、モーリン・コックスと結婚。
2月24日
映画「Help!」クランクイン。
5月13日
映画「Help!」クランクアップ。
6月12日
ザ・ビートルズの4人にMBE勲章が与えられることが認定される。
6月24日
ジョン、二冊目の著書「ア・スパニアード・イン・ザ・ワークス」イギリスで出版。
7月29日
映画「Help!」イギリスでプレミア公開。
8月15日
アメリカ・ニュー・ヨークのシェア・スタジアムでコンサート。
56,000人を集め、当時の動員記録を作る。
8月27日
エルヴィス・プレスリーと会う。
10月26日
MBE勲章授賞式。
ザ・ビートルズはこの時、バッキンガム宮殿のトイレでマリファナを吸っている。
この受賞には多くの非難もあったが、ジョンはこう語っている。
「受賞者の多くは、戦争でたくさんの人を殺したことでもらってる。世界中の人々を音楽で楽しませて、僕たちは勲章をもらうんだ。どっちが正しいか分かるだろう?」

MBE勲章を手にするザ・ビートルズ。

12月12日
ウェールズ・カーディスのキャピタル・シネマでコンサート。
イギリス国内での最後のライヴとなる。

●1966年
1月21日
ジョージ、パティ・ボイドと結婚。
3月4日
ジョン、イヴニング・スタンダード紙のインタビューで、「ザ・ビートルズはキリストより有名だ」と発言。
6月29日
ザ・ビートルズ来日。
6月30日~7月2日
ザ・ビートルズ、武道館で来日コンサート。
7月4日
ザ・ビートルズ、フィリピンでマルコス大統領夫妻主催の昼食会に参加せず。
手違いにより参加できなかったのが真相。
7月5日
前日のマルコス大統領夫妻主催の昼食会不参加に怒ったフィリピン民衆が、マニラ空港で暴動を起こす。
ザ・ビートルズは命からがら脱出する。
7月31日
ジョンの「キリストより有名」発言が大騒動となり、アメリカ南部を中心にザ・ビートルズのレコード焼き討ちやザ・ビートルズ排斥運動が起こる。また、アメリカの30局のラジオ局がザ・ビートルズを放送禁止にする。
8月11日
ジョン、シカゴでの記者会見で「キリストより有名」発言を謝罪。
8月29日
サンフランシスコのキャンドルスティック・パークでコンサート。
これがザ・ビートルズの最後のライヴとなる。
9月5日
ジョン、映画「How I Won The War」出演のため、ドイツへ。
9月14日
ジョージ、インドへ。
ラヴィ・シャンカールからシタールを習う。
11月6日
ジョン、映画「How I Won The War」の撮影終了。
11月9日
ジョン、ロンドンのインディカ画廊でヨーコ・オノと初めて会う。

1967年~1970年

●1967年
2月6日
EMI、ザ・ビートルズと新たに9年間のレコード契約を結ぶ。
2月17日
シングル「Penny Lane/Strawberry Fields Forever」リリース。
イギリスでNO.1 にならなかった初めてのシングル。
6月19日
ポール、ライフ誌のインタビューでLSDの服用を認める。
6月25日
24ヶ国を結んで行われた史上初の衛星同時中継テレビ番組「アワ・ワールド」にイギリス代表として出演。「All You Need Is Love」を披露する。
8月24日
ジョン、ポール、ジョージ、ヒルトン・ホテルでマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの講義に参加、感銘を受ける。
8月27日
ブライアン・エプスタイン死去。
9月1日
ポール、「マジカル・ミステリー・ツアー」のアイディアをメンバーに披露、賛同される。
9月11日
「マジカル・ミステリー・ツアー」クランクイン。
11月3日
「マジカル・ミステリー・ツアー」クランクアップ。
12月5日
ザ・ビートルズの設立した会社「アップル・コア」の事業の一つ、「アップル・ブティック」の開店記念パーティが行われる。
12月7日
ロンドンのベイカー・ストリート94番地に「アップル・ブティック」開店。
12月25日
ポール、ジェーン・アッシャーとの婚約を発表。
12月26日
「マジカル・ミステリー・ツアー」放映。
この時の放映はモノラル。
視聴率は75%であったが、評判は良くなかった。

●1968年
1月5日
「マジカル・ミステリー・ツアー」カラーで再放送。
2月16日
ジョンとシンシア、ジョージとパティがインドへ。
2月19日
ポールとジェーン、リンゴとモーリンがインドへ。
4月22日
ザ・ビートルズの設立した会社「アップル・コア」がロンドンに事務所を構え、業務を開始する。
5月14日
「アップル・コア」の設立に関する記者会見を開く。
この記者会見の席上でポールは、前年ロンドンのバック・オネイルズというクラブで出会ったリンダ・イーストマンと再会している。
7月17日
ロンドン・パヴィリオンでアニメ映画「Yellow Submarine」プレミア上映。
7月20日
ジェーン・アッシャー、BBCテレビの「Dee Time」に出演し、ポールとの婚約を解消したことを発表。
7月30日
アップル・ブティック閉店。
わずか約7ヶ月の営業期間で終了。

アップル・ブティック。

8月22日
シンシア、ジョンとの離婚訴訟を起こす。
10月18日
ジョンとヨーコ、マリファナ不法所持で逮捕される。
11月8日
ジョンとシンシアの離婚が成立。
12月10日~11日
ジョンとヨーコ、ザ・ローリング・ストーンズの企画した「ロックン・ロール・サーカス」にダーティ・マック名義のバンドで参加。

●1969年
1月2日
ドキュメンタリー映画「Let It Be」の撮影がトゥイッケナム・フィルム・スタジオで始まる。
1月16日
トゥイッケナム・フィルム・スタジオで行われていたドキュメンタリー映画「Let It Be」の撮影が終了する。
1月30日
アップル・ビルの屋上で突然のライヴ・パフォーマンスを行う。
いわゆる「ルーフ・トップ・コンサート」。
2月2日
ヨーコ、トニー・コックスと離婚。
3月12日
ポール、リンダ・イーストマンと結婚
3月20日
ジョン、ヨーコ・オノと結婚
3月21日
アラン・クライン、正式にマネージャーに就任。

アラン・クライン。

4月22日
ジョン、アップル・ビルの屋上で改名式を行う。
ジョン・ウィンストン・レノンからジョン・オノ・レノンに改名される。
7月1日
ザ・ビートルズ最後のアルバム「Abbey Road」のレコーディングが始まる。
8月20日
4人のメンバーが揃った最後のスタジオ・セッションが行われる。
9月13日
ジョンとヨーコ、トロントで行われた「トロント・ロックンロール・リヴァイヴァル・フェスティヴァル」に参加。
11月15日
ザ・ビートルズ最後のフォト・セッション。
11月25日
ジョン、MBE勲章を返却。
イギリスがベトナム侵攻を支持していること、及び自身のシングル「冷たい七面鳥」があまりヒットしていないことに抗議する、というのが返却の動機であった。

●1970年
1月4日
ザ・ビートルズとしての最後のスタジオ・セッション。
ジョンは不参加。
4月1日
リンゴ、「Across The Universe」「The Long And Winding Road」「I Me Mine」でドラムスをオーヴァーダブ。
ザ・ビートルズのメンバーの誰かが、ザ・ビートルズの楽曲のレコーディングに参加したのは、この日が最後となる。
4月10日
ポール、イギリス大衆紙「デイリー・ミラー」にザ・ビートルズからの脱退を発表。
ただし、このポールの脱退表明は、イギリスの大衆紙「デイリー・ミラー」がすっぱ抜いたものであり、ポールの本意ではなかった。
5月13日
映画「Let It Be」ロンドンでプレミア上映。
8月4日
アラン・クライン、アップル宣伝部を閉鎖。殆どの従業員が解雇されてしまう。
12月30日
ポール、ザ・ビートルズの正式解散要求をロンドン高等裁判所に提出。ジョン、ジョージ、リンゴの3人を告訴する。
この訴えは、翌1971年3月12日に認められ、ザ・ビートルズの解散が法的にも決定する。

イギリスでのアナログ作品リリース

シングル

yamada3desu
yamada3desu
@yamada3desu

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ポール・マッカートニー来日公演が全て中止!再来日の可能性を考察!

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ポール・マッカートニーは2014年5月に48年ぶりの武道館を含む待望の再来日公演を行う予定だったものの、ウイルス性炎症で体調不良となり、直前に全公演を中止。多くのファンが落胆し、今後どうなるのかという声が数多く上がった。本記事では当時の様子やポールが希望しているという振替公演での再来日の可能性などをまとめた。

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武道館はなぜライブの聖地なの?ポール・マッカートニーなど大スターも

武道館はなぜライブの聖地なの?ポール・マッカートニーなど大スターも

多くのアーティストがライブを行う武道館が「聖地」と呼ばれるようになったのか理由をまとめました。2014年、ポール・マッカートニーが来日公演で武道館を会場に選んだことも話題に。ポール・マッカートニーの来日公演が決定した際のニュースを交えつつ、武道館でライブが開催されるようになった経緯を紹介していきます。

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アーティスト・ミュージシャンの勇気や元気が出る名言まとめ!ジョン・レノンなど

アーティスト・ミュージシャンの勇気や元気が出る名言まとめ!ジョン・レノンなど

ここではアーティストやミュージシャンが残した、勇気・元気が出る名言をまとめた。ミュージシャンのジョン・レノン、エリック・クラプトン、甲本ヒロト、芸術家のパブロ・ピカソの名言を紹介している。「ステージに上がったとき、自分が一番上手いと思え。ステージを降りているとき、自分は一番下手だと思え」といった、人生の導きになる言葉を知ることができる。

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