The Beatles(ザ・ビートルズ)とは【徹底解説まとめ】

The Beatles(ザ・ビートルズ)とは、1962年に英国でデビューした20世紀を代表する4人組ロック・バンド。その影響力は音楽のみならず、ファッション、言動、思想にまで及び、社会現象を巻き起こした。彼等の音楽を語るうえで特筆すべき点の一つは、彼等自身の音楽的成長がそのまま音楽界全体の、そして聴き手である我々ファンの音楽的成長を促したことだろう。1970年の解散後も彼等の影響力は引き継がれ、21世紀の現在でもそれは変わらない。

● Yes It Is
9枚目のシングル「Ticket To Ride」のB面曲でオリジナル・アルバム未収録。

ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「『This boy』を書き直そうと思って僕がやったんだけど、うまくいかなかった」
ポール「ジョンには珍しい、素敵なバラードだ」

この「Ticket To Ride/Yes It Is」のカップリングはAB面ともにジョンの作品であり、「Please Please Me/Ask Me Why」以来のこと。また、両面がジョンの作品となるオリジナル・シングルはこの2枚しかない。

*レコーディング詳細
1965年
・2月16日
第1~第14テイクをレコーディング。
・2月18日
第14テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・2月23日
第14テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*このステレオ・ミキシングは本アルバム「Past Masters Volume One」で初リリースされている。

● I'm Down
10枚目のシングル「Help!」のB面曲でオリジナル・アルバム未収録。

ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「自慢の作品だ。メロディがほとんどないR&Rは、バラードより難しいんだよ」
ジョン「ポールの曲だよ。僕も少し手伝ったと思うけど」

アメリカのロック・バンド、エアロスミスのヴォーカリスト、スティーヴン・タイラー「オレたとが一番最初にレコーディングした曲が『I'm Down』だった。もう18年も前(1969年)になるかな。エアロスミスが結成される5年前の話だ。MGMレコードに出すデモ・テープが必要になったんで、ビートルズの専門店でテープを買って、3回ほと聞いた。それからスタジオに飛び込んで、ライヴでやったんだ」
*1987年にはエアロスミスとしてカヴァーしている(アルバム「Permanent Vacation」に収録)。

I'm Down/Aerosmith

*レコーディング詳細
1965年
・6月14日
第1~第7テイクをレコーディング。
*このシャウトするロック・ナンバーを7テイク歌い終わった後に、「Yesterday」がレコーディングされている。
・6月18日
第7テイクを元にモノ、及ぶステレオ・ミキシングが行われる。

Past Masters Volume Two

Past Masters Volume Two
1. Day Tripper
2. We Can Work It Out
3. Paperback Writer
4. Rain
5. Lady Madonna
6. The Inner Light
7. Hey Jude
8. Revolution
9. Get Back
10. Don't Let Me Down
11. The Ballad Of John And Yoko
12. Old Brown Shoe
13. Across The Universe
14. Let It Be
15. You Know My Name (Look Up the Number)

「Past Masters Volume One」及び「Past Masters Volume Two」は、1988年3月7日、世界同時リリースされた編集盤。1987年に行われたザ・ビートルズのオリジナル・アルバムのCD化に伴い、オリジナル・アルバム未収録であった、シングル曲やシングル・ヴァージョン、レア・ヴァージョンを集めたもの。これによりオリジナル・アルバム全てとこの編集盤2枚を揃えれば、ザ・ビートルズの公式にリリースされた楽曲が全て集まることになる。ただし、モノラルとステレオで異なるヴァージョンや、キャピトル盤に収録されていたイギリス・オリジナル楽曲とは異なるヴァージョンなどは個々に揃える必要はある。あくまでもイギリス・オリジナル・ヴァージョンで揃う、という意味合いである。なお、本アルバムの選曲とCD付属の解説はザ・ビートルズ研究の第一人者である、マーク・ルイソンが行っている。

収録曲概説

● Day Tripper
11枚目、ザ・ビートルズとしては初の両A面シングルで、両面ともオリジナル・アルバム未収録。片面は「We Can Work It Out」。

ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。ポールも手助けしている。
ジョン「僕が作ったけど、詞ではポールも手伝ってくれた」「あれは僕の曲だよ。リックも、ギターのブレイクも、全部ね。単なるロックン・ロールさ。『Day Tripper』っていうのは日帰りの旅行者のことだ。大抵はフェリーかなんかに乗ったりして。だけどこれは『お前なんか週末だけのヒッピーじゃないか』ってことなんだ。わかるだろ?」
ポール「日曜画家みたいにちょっと手を出して、その気になっている人たちを皮肉った歌だよ」

ジョンとポールは、この曲は急遽ニュー・シングルをリリースする必要があったため、「無理強いされて作った」曲だと語っている。また、ビートルズのメンバーは「We Can Work It Out」をA面に推していたが、周囲の関係者は「Day Tripper」を推していたため、両A面扱いのシングルとなった。

アメリカ・キャピトル盤「Yesterday And Today」のステレオ盤に収録されている「Day Tripper」は他の通常ステレオ・ヴァージョンとは異なる。
通常のステレオ・ヴァージョンのイントロのギター・リフは2音目からダブロ・トラックになっているが、「Yesterday And Today」のステレオ・ヴァージョンは、まず左チャンネルからのシングル・トラックで1フレーズがプレイされ、2回目のリフレインから右チャンネルからギター・リフが聞こえてきて、ダブル・トラックとなる。

*レコーディング詳細
1965年
・10月16日
第1~第3テイクをレコーディング。
・10月25日
第3テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*本ミックスは未使用に終わっている。
・10月26日
第3テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*本ミックスはアメリカ、及びオーストラリアのアルバム用に使用される。
・10月29日
第3テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。

● We Can Work It Out
11枚目、ザ・ビートルズとしては初の両A面シングルで、両面ともオリジナル・アルバム未収録。片面は「Day Tripper」。

ジョンとポールの共作で、リード・ヴォーカルはポール。
ジョン「ポールが前半を書いて、僕がサビのところをやった。ほら、ポールの書いたところはひどく楽天的だろ? 一方僕はジリジリしている」

サビのパートで3拍子に変わるアイディアはジョージによる。
ポール「アップ・テンポのC&W。ドイツ・ワルツのようなアイディアはジョージだよ」

*レコーディング詳細
1965年
・10月20日
第1~第2テイクをレコーディング。
・10月28日
第2テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*TV番組「The Music Of Lennon And McCartney」に使用するための作業。
・10月29日
第2テイクに追加のヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
第2テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
・11月10日
第2テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*本ミックスはアメリカ、及びオーストラリアのアルバム用に使用される。

● Paperback Writer
12枚目のシングルでオリジナル・アルバム未収録。
ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。ジョンが手伝っている。
ポール「手紙を書くような調子で歌詞を書き始めた。本物の手紙のように『拝啓』とね」
ジョン「これを書いたのはポールだよ。歌詞の一部分を手伝ったかもしれない。うん、確かに手伝った。でも殆どはポールの曲さ」「『Day Tripper』のポール版。ファズを効かせた大音量のギター・リフでできてる曲ってこと」

エンジニアのジェフ・エメリック「『Paperback Writer』はベース・サウンドの興奮をそのままとらえた初めての曲です。まず、ポールはいつもと違うリッケンバッカーのベースを弾いていました。そして僕たちはラウドスピーカーをマイク代わりに使って、音を増幅させました。ベースのスピーカーのまん前に置くと、ラウドスピーカーの振動板が動いて電流が生じるんです」

バック・コーラスのメロディの一部は、フランスの童謡「Frere Jacques」から引用されており、これはポールのアイディアである。

Frere Jacques
最初の歌い出しの「ド、レ、ミ、ド」といったフレーズが引用されている。

*レコーディング詳細
1966年
・4月13日
第1~第2テイクをレコーディング。
・4月14日
第2テイクにポールのヴォーカル、ジョンとジョージのバック・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
第2テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。

● Rain
シングル「Paperback Writer」のB面曲でオリジナル・アルバム未収録。

ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「テープの逆回転が入った最初の曲。マリファナの神からの贈り物さ」「僕はスタジオから家に戻って、マリファナでぼうっとしながらいつものようにその日レコーディングしたテープを聞いていた。耳にイヤフォンをあてて、太いマリファナを持って、床に座りこんでね。そしたらそのうちに何かの拍子で、テープを逆に回してしまったんだ。翌日僕はスタジオに駆け込んだ。『わかった。どうすればいいか。これを聞いてくれ!』ってね。そして僕はみんなにも逆向きにプレイさせた。フェイドアウトの所では僕も逆向きに歌っている。『Sharethsmnowthsmeaness』ってね」

最後のパートは「Rain, if the rain comes they run and hide their heads」という歌詞を逆回転させたものである。

マーティン「何か新しいことを始めると、しばらくはそれがファッションのようになってしまう。例えば私は『Rain』だったか、ジョンのヴォーカルを逆回転させて曲に入れてみたことがあったんだが、そうすると『こいつはすごい、みんな逆にしよう』ということになって、それからはジョージも自分のギター・ソロを逆向きで弾いたりするようになった。『Strawberry Fields Forever』では逆向きのシンバルまで出てくる。逆回転に飽きて、別の新しいアイディアが出てくるまでは、そういうのが延々続いていたわけだ。何か新しいサウンドや、自分たちを表現する新しい方法を見つけだそうと、みんなが好奇心旺盛だったからね」

エンジニアのジェフ・エメリック「(1週間前にレコーディングされた)『Tomorrow Never Knows』のテープ・ループをいじっていたとき、速度を落とすと、特定の楽器の音質がとても良くなって、音の深みも増すことを発見したんです。『Rain』の時は、ビートルズがリズム・トラックをかなり速度を上げてプレイしました。そうするとテープをノーマルなスピードでプレイバックしたとき、全部がずっとスローになって、音の質感が変わるんです」

ポール「まるで巨大ドラム・セットで叩いたような音が出来た。ほんの少しスピードを遅くするだけで、絶大な効果がある。音にすごく重さが出るんだ。お蔭で、大きくで重圧で雷が轟くようなバッキング・トラックが出来上がった。単にゆっくりというんじゃない。大仰な音が生まれた。それがすごく面白かったよ」

リンゴはこの曲をビートルズ・ナンバーのベスト・ドラミングに挙げている。

リンゴ「自分でも、見事な演奏をしたと思うよ。スネアとハイ・ハットに凝っていてね。直接ドラムから入らないで、まずハイ・ハットを叩いて始めるという技を使ったのは、確かあのときが最初だったと思う。これは僕がプレイした全部のレコード中でもベストだな。『Rain』には本当に参っている。全然普通じゃないからね。僕は自分自身、そして自分のプレイがわかっているつもりでいた。そしたらそこで『Rain』にぶつかったんだ」

*レコーディング詳細
1966年
・4月14日
第1~第5テイクをレコーディング。
・4月16日
第5テイクにタンバリン、ベース、追加のヴォーカルをオーヴァー・ダブ。第5テイクをテープ・リダクションして第6~第8テイクを作成。
第7テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。

1969年
・12月2日
第7テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*アメリカ・キャピトル編集盤「Hey Jude」用の作業。

● Lady Madonna
17枚目のシングルでオリジナル・アルバム未収録。

ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
ポール「『Lady Madonna』は全ての女性さ。彼女たちはどうやりくりしてるのか? 彼女たちに祝福あれってこと。赤ん坊を胸に抱いたまま、彼女たちはいったいどうやって食い扶持を稼ぐ時間を見つけるんだろう? 君はどこから金を得てる? 女たちのやってるようなことが君にできるかい?」
ジョン「ピアノのフレーズはいいけど、曲自体はどうしようもない」
リンゴ「エルヴィス(プレスリー)みたいだと思わない? いや、違うな、エルヴィスみたいなんじゃない。エルヴィスそのものだ。彼がすごくハイになるところまで」

エンジニアのジェフ・エメリック「『Lady Madonna』にぴったりのピアノの音を得るまでには、随分時間がかかりましたね。結局わざと安っぽいマイクを使って、コンプレッサーとリミッターをかけまくったんです」

ビートルズ自身、メロディと編曲はハンフリー・リトルトンの1956年のヒット曲「Bad Penny Blues」を元ネタにしていることを認めている。この曲はイギリスのヒット・チャートで初めてトップ20入りしたジャズのレコードである。
*この「Bad Penny Blues」のプロデューサーはジョージ・マーティンである、という記述がいくつかの書籍にあるが、実際のプロデューサーはデニス・プレストンという人物。ジョージ・マーティンはこの時、パーロフォンでA&Rマンのヘッドではあったが、実際のレコーディングには参加していない。ちなみにA&Rとは「Artists and Repertoire」の略で、アーティストの発掘・契約・育成とそのアーティストに合った楽曲の発掘・契約・制作を担当する人物のこと。

Bad Penny Blues/Humphrey Lyttleton

*レコーディング詳細
1968年
・2月3日
第1~第3テイクをレコーディング。
・2月6日
第3テイクをテープ・リダクションして第4テイクを作成。第4テイクにポールの追加ヴォーカル、追加ピアノ、手拍子、ポール、ジョン、ジョージによるバック・ヴォーカル、同じくこの3人によるブラスの口真似で歌ったミドル・エイトのパートをオーヴァー・ダブ。第4テイクをテープ・リダクションして第5テイクを作成。第5テイクにブラスをオーヴァー・ダブ。
第5テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・2月15日
第5テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。

1969年
・1月31日
「Get Back Session」におけるジャム・セッションでの演奏。
・12月2日
第5テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*アメリカ・キャピトル編集盤「Hey Jude」用の作業。

● The Inner Light
シングル「Lady Madonna」のB面曲でオリジナル・アルバム未収録。

ジョージの作品でリード・ヴォーカルもジョージ。
*ジョージの作品がシングルでリリースされたのは今回が初。

ジョージ「西洋のポピュラー音楽に興味を失っていたんだ。言葉がすべてを物語っている。いい曲だ」
ポール「インド音楽ってことを忘れてメロディを聴くと最高だよ」

1968年1月12日のレコーディングは、インドのボンベイにあるEMIスタジオで行われ、インド人のミュージシャンによって全パートが演奏されている。同年2月6日にジョージのヴォーカルがレコーディングされている。
テープ・オペレーターのジェリー・ボーイズ「ジョージはきちんと歌える自身がないから、歌いたくないなんて、とんでもないことを言い出した。『やってみるべきだよ。心配するなって、申し分ないよ』とポールが励ましていたのを覚えている」

*レコーディング詳細
1968年
・1月12日
第1~第5テイクをレコーディング。
*この時点では「Untitled」というタイトルだった。」
・2月6日
第5テイクをコピーし、これを第6テイクとする。第6テイクにジョージのヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
第6テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・2月8日
第6テイクにジョンとポールのバック・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。
第6テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。

1970年
・1月27日
第6テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*これまでステレオ・ミキシング処理がされていなかった。この段階でのリリース予定はなかったが、1981年12月7日リリースの「The Beatles EP Collection」のボーナス・ディスクに初収録された。

● Hey Jude
18枚目のシングルでオリジナル・アルバム未収録。

ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。

この曲はジョンとシンシアの間に生まれた一人息子ジュリアンを励ますために書かれた。ジョンとシンシアはすでに別居しており、離婚も時間の問題だった。
ザ・ビートルズの側近のピーター・ブラウン「(ジョンとシンシア・レノンが別居中に)ポールはシンシアと息子のジュリアンを訪ねるために、アストン・マーチンを運転してウェイブリッジに向かっていた。その途中で、彼は小さな男の子(ジュリアン)を元気づける曲を作ったんだ。(運転中のポールは『Hey Jules』とくちずさんでいた)その後、『Jude』のほうがいい名前だと思ったんだ。そのほうがちょっとカントリー・ウェスタン風に感じられたからね」
ジョン「あれは彼の最高傑作だよ」「僕はいつも僕に向けた曲だと思って聞いている。考えてもごらんよ。あれはちょうどヨーコああらわれたばかりのころだった。彼は言っているんだよ、『Hey Jude』つまり『Hey John』とね。深読み好きなファンみたいに聞こえるのはわかってる。でもやっぱり僕に向けた曲とも取れるはずだよ。『go out and get her (さあ、彼女をモノにするんだ)』という歌詞は、潜在意識的には『go ahead, leave me (好きにしな、僕なんか置いていけばいい)』と言っているんだ。意識のあるレヴェルでは、彼は僕に去って欲しくなかった。彼の中の天使は『祝福あれ』と言っていた。でも彼の中の悪魔はそんなことちっとも思っていなかった。パートナーを失いたくなかったからさ」

レコーディングの最中、ポールとジョージはギターの演奏に関してトラブルを起こしている。
ポール「『Hey Jude』の時はジョージにギターを弾くなといったんだ。彼は歌の後に、それをなぞったリフを入れたがったんだけど、僕にはいいアイディアとは思えなかった。でも彼はそう思っていたし、だからジョージ・ハリスン---偉大なミュージシャンの一人---に演奏するなっていうのは結構ホネだったね。侮辱するようなものだから。だけど僕らは大抵の曲を、そんな調子でやっていったんだ」「アレンジは誰であれ曲を作った人間が決める、というのがルールだった。それでジョージは腹を立てたのさ」

リンゴのドラムは途中から入ってくるが、これはレコーディングが始まった時にリンゴはまだトイレにいて、曲の開始に間に合わなかったため、たまたま途中から入ってきたのだ、というエピソードが書かれている書籍が結構あるが、ポールの発言を聞く限り、ドラムが入ってくるタイミングは最初から決まっていたものと思われる。
ポール「『Hey Jude』のあのテイクは、すごく特別だった。実際の話、リンゴはトイレにいたんだ。僕はドラムスなしで歌い始めた。リンゴはドラム・ブースにいるものとばかり思っていたからね。彼は僕が『Hey Jude, don't make it bad』と歌いだしたのを聞きつけると、ズボンのジッパーを上げ、すっとんでスタジオに戻り、そうっと僕のわきを通って行った。僕kはドラマーが自分のブースに戻ろうとしているのを意識しながら、そのテイクを続けていく。彼は全然音を立てずに自分の市について、ちょうどドラムスが入るところに間に合った。まったくあれは、魔法みたいなテイクだったな」

曲の途中で、ポールはピアノの演奏を間違えて「Fucking hell」とつぶやいてしまったが、ジョンはそれを面白がり「消さないで残しておけ」とアドヴァイスした。現在も2分59秒のあたりでしっかりとそのつぶやきを聞くことができる。また、ジョンは歌詞に対してもアドヴァイスをおくっている。
ポール「『Hey Jude』のデモ・テープをジョンとヨーコに聞かせたのを覚えている。その時僕はこう言ったんだ『この歌詞は最終的なものじゃない』って。その中には『The movement you need is on your shoulder (お前のやるべきことは、お前の肩に乗っかっている)』という一節もあって。そしたらジョンが『すごいよ!』と言うんだ。僕が『クレイジーさ、まるで意味がない』と言うと、彼は『そう、だからすごくいいんだよ!』。つまり、それが僕なのさ。いい出来なのかどうか自分じゃ判らない。それが僕なんだよ。ね?」
ジョン「ポールは実に有能な作詞家だよ。彼自身はそう思っていないけど。『Hey Jude』なんて最高の詞じゃないか。あれに関しては僕はなんの貢献もしていない。彼の作った詞を何行か見ただけで、いい作詞家だってわかるよ。ただ、その先に進もうとしないんだな」

ザ・ビートルズの側近のピーター・ブラウン「ポールはベイカー街とパディントン街の閉店したアップル・ブティックを利用して、『Hey Jude』の宣伝をすることにした。ある夜遅くにこっそり忍び込み、窓に水しっくいを塗りつけると、その上にブロック体で『Hey Jude』と書いたんだ。ところが翌朝、店を開けようとやって来た近所の店主たちは、それを見て激怒した。『Hey Juden (よう、ユダ公)』なんて曲は聞いたこともなかった彼らは、それが反ユダヤ主義者の嫌がらせだと思い込んでしまったんだ。文字を消して誤解を解くより先に、店の窓にはレンガが投げ込まれていたんだ」

この曲はザ・ビートルズ初の8トラック・レコーダーを使用してレコーディングされた楽曲である。

ポールは、アメリカのソウル・グループ、ザ・ドリフターズのヒット曲「Save The Last Dance For Me」からインスピレーションを得たと語っている。
ポール「『Save The Last Dance For Me』をギターで弾いていて思い浮かんだんだ」

ラストダンスはヘイジュード/ザ・キングトーンズ
1981年に大滝詠一がプロデュースしたシングルで、「Save The Last Dance For Me 」と「Hey Jude」をシンクロさせている。

*レコーディング詳細
1968年
・7月29日
第1~第6テイクをレコーディング。
・7月30日
第7~第23テイクをレコーディング。第23テイクをテープ・リダクションして第24第25テイクを作成。
第25テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*このステレオ・ミックスを元にジョージ・マーティンがオーケストラの編曲を行う。
・7月31日
第1~第4テイクをレコーディング。リメイクのためテイク番号を1から始め直している。
・8月1日
第1テイクにオーケストラをオーヴァー・ダブ。
8月2日
第1テイクにオーヴァー・ダブ(詳細は不明)。
第1テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる(ステレオ・リミックス1~3を作成)。
・8月6日
ステレオ・リミックス3を元にモノ・ミキシングが行われる。
*マスター・テープからではなく、ステレオ・リミックスを使用して行われている。
・8月8日
第1テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*この日はマスター・テープが使用されている。

1969年
・12月5日
第1テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*アメリカ・キャピトル編集盤「Hey Jude」用の作業。

● Revolution
シングル「Hey Jude」のB面曲でオリジナル・アルバム未収録。

ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ポール「革命についてのとても政治的で素晴らしい曲」

ジョンはアルバム「The Beatles」に収録されている「Revolution 1」をシングルにしたいと思っていたが、ジョージとポールに反対されている。
ジョン「ビートルズの面々はお互いにすごくピリピリしていた。僕はスロー・ヴァージョンを、ヴェトナムや革命に対するビートルズの立場の表明として、シングルでリリースしたかった。でもジョージとポールは、テンポが遅すぎるといって反対した」
*「Revolution 1」はシングル・ヴァージョンの「Revolution」に比べてかなりスローなテンポになっている。
そこでジョンはテンポアップした大音量のヴァージョンをレコーディングし、(B面ではあるが)シングルとしてリリースすることに成功した。
マーティン「(ギターのディストーションは)わざと出したんだ。ジョンはギターをすごく汚い音にしたがってたからね。でも自分のアンプじゃそんな音は出なかった。だから結局、プリアンプのひとつをオーヴァーロードさせたのさ」

当初はこの「Revolution」がA面で「hey Jude」はB面の予定だった。しかしこの予定は逆になり、ジョンはしぶしぶ自分の曲をB面に追いやった。
ジョンの友人のピート・ショットン「ポールはジョンの赤裸々な曲のいくつかを嫌っていることを隠そうともしなかった。はっきりいってしまえば、『Revolution』と『Revolution 9』だ。けれど『Revolution』はあの頃のジョンにとって、彼が何年も書いてきたどの曲よりもずっと意味のあるものだった。それで彼は、まもなく発足するアップル・レコードからのデビュー盤には、絶対この曲をA面にすると決めていた。彼が最初に好きになった、高アドレナリンで飾り気のないロックンロールに立ち返ったということ以外にも、『Revolution』はビートルズがはじめて政治的なメッセージをはっきりと打ち出した曲だったからね。だからこそポールも慎重になったんだよ。彼は根っからのノンポリだから。ビートルズがそんな重いテーマに手を出すのは気が進まなかったと思うんだ」

歌詞に関して、このシングル・ヴァージョンでは「count me out」つまり「僕を外してくれ」と暴力に反対する立場をとっているが、アルバム「The Beatles」に収録されているスロー・ヴァージョンでは「count me out」の後に「in」、つまり「僕も入れてくれ」と歌っており、迷いが生じている。
ジョン「アングラ左翼は『count me out』といったやつしか問題にしない。結局アルバムに入ったオリジナル・ヴァージョンでは『count me in』も入っているのに。確信がなかったから両方入れたのさ。シングルとしてリリースしたヴァージョンでは『When you talk about destruction you can count me out (破壊について語るなら、僕は勘定から外してくれ)』といってるけど。殺されたくはなかったからね」「それは陰と陽さ。僕らは誰でも意識の底に暴力衝動を持っているんだ」「政治や過激派への考え方がかわるはず。すべてを破壊した後に何を? ということ」「毛沢東うんぬんは入れるべきじゃなかったな。たまたまあの時は、スタジオで仕上げを急いでいたからね」

この曲のエレクトリック・ピアノはニッキー・ホプキンスがプレイしている。彼は、ザ・フーやザ・キンクス、T・レックス、ジェフ・ベックといったブリティッシュ・ロックの有名なバンドのレコーディングに数多く参加しており、特にザ・ローリング・ストーンズとの仕事は有名。残念ながら1994年9月6日に死去。享年50歳であった。

1987年、この「Revolution」は、700万ドルをかけたナイキ・シューズのキャンペーンの一部に使用されている。ナイキはザ・ビートルズのオリジナル・ヴァージョンを使用するため、北米での版権を所有するキャピトル・レコードに25万ドルを支払ったと伝えられている。ザ・ビートルズの3人とヨーコは、アップル・レコードを通じて、ナイキとその広告代理店、キャピトル・レコード、及び北米以外の版権所有者であるEMIレコードを告訴した(ジョンはすでにこの世にいなかった)。ナイキがビートルズの「肖像権と信用」を許可なく広告に使用したというのがその告訴理由であったが、ナイキは、これは正当な契約であり、単にビートルズとキャピトル、EMIの紛争に巻き込まれたに過ぎないと反論した。
キャピトルはのちに、ナイキにビートルズのヴァージョンを使うよう要求したのはヨーコ・オノだったと主張。
ヨーコ「ジョンの歌は殉教者をたたえる讃美歌の類にすべきではありません。現在の子どもたちに楽しんでもらうべきものです」

ポール「ある人たちがビートルズのカタログを使用する権利もないのに使用したってことさ。その権利もないくせに権利を投げ売りしたんだ。だけどもっと難しい問題は、そもそも曲をコマーシャルに使うべきかどうかなんだ。僕はまだ心を決めかねてるけどね。基本的には好きじゃない。特にビートルズの作品を使うのはね。20年以上たったころなら、別にかまわないって感じになっているかもしれないけど」

ジョージ「もしそんなことが許可されたら、これまでレコーディングしたビートルズの曲はどれもこれも、女性の下着やらソーセージやらのCMソングになってしまうだろう。前例を作らないためにも、僕らはそういうことを阻止すべきなんだ。さもなければ、そのうち誰でも使っていいってことになりかねない。死んじゃったアーティストならともかく、僕らはまだ生きているんだからね。連中は僕らがこの曲を書き、レコーディングしたという事実、そしてそれは僕らの生命だったという事実に対して、まったく敬意を払おうとしない」

ナイキは1988年3月22日、レコード使用権の失効を認めた。同社は1年にわたる広告キャンペーンにより、充分な売り上げがあがったことに満足している、と述べた。

アメリカのシンガー・ソングライター、ジェイムス・テイラー「僕はジョンがスタジオでレコーディングするのを見てたんだけど、僕や僕たちの世代にとって、『Revolution』は社会の変化に対する正直な声明だった。彼の基本をそのまま歌った曲、真実を歌った曲だったのさ。それが今じゃランニング・シューズのCMに使われているんだからね」

アメリカのロック・バンド、クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルのメンバー、ジョン・フォガティ「オレもナイキのCMを見たとたん、物凄く怒った人間のひとりだよ。どこかのホテルの部屋にいたと思うんだけど、ぶったまげたね。マジで腹が立った。ちくしょう、オレはむちゃくちゃ頭にきた。だってジョン・レノンがあの曲を書いたのは、金儲けするためじゃなかった。なのにどっかの会社のために使われるなんて。もう、腹が立ってしょうがなかった」

Revolution が使用された NIKI の CM。

*レコーディング詳細
1968年
・7月9日
スタジオでのリハーサル。
・7月10日
第1~第10テイクをレコーディング。第10テイクをテープ・リダクションして第11~第13テイクを作成。第13テイクにジョンのリード、及びセカンド・ヴォーカルをオーヴァー・ダブ。第13テイクをテープ・リダクションして第14~第15テイクを作成。
・7月11日
第15テイクにエレクトリック・ピアノとベースをオーヴァー・ダブ。第15テイクをテープ・リダクションして第16テイクを作成
*エレクトリック・ピアノはニッキー・ホプキンスがプレイしている。
・7月12日
第16テイクにジョンのリード・ギターと、ポールのベースをオーヴァー・ダブ。
第16テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
*このモノ・ミキシングは未使用に終わっている。
・7月15日
第16テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。

1969年
・12月5日
第16テイクを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*アメリカ・キャピトル編集盤「Hey Jude」用の作業。

● Get Back
19枚目のシングル。アルバム「Let It Be」に収録されているヴァージョンとは異なる。

ポールの作品でリード・ヴォーカルもポール。
本シングルはジョージ・マーティン・プロデュースによるシングル・ヴァージョンになっており、約1年後にリリースされるアルバム「Let It Be」に収録されているのは、フィル・スペクター・プロデュースによるアルバム・ヴァージョンである。両ヴァージョンの主な違いはイントロとエンディングにある。
アルバム・ヴァージョンのイントロには、ジョンの替え歌「Sweet Loretta Fart she thought she was a cleaner but she was a frying pan (可愛いロレッタ・ファートは、自分では掃除機だと思っていたけど、本当はフライパンだった。ちなみに「Fart」はオナラの意味もある)」や、ライヴ演奏直前の雰囲気を醸し出す楽器類の試し弾きの音などが入っているが、シングル・ヴァージョンにはそれがない。
アルバム・ヴァージョンのエンディングは、演奏が終わるとポールの「Thanks Mo! (ありがとう、モー。モーとはリンゴの奥さん、モーリンのこと。彼女が一番拍手をしてくれていたため、ポールが感謝している)」やジョンの「I'd like to say thank you on behalf of the group and ourselves, and I hope we passed the audision (グループを代表してお礼を申し上げます。これでオーディションに受かっていればいいんだけれど)」といった語りが入っているが、シングル・ヴァージョンは、演奏が一旦終わったあとに、再度始まり、そしてフェイド・アウトしていく。全体的にアルバム・ヴァージョンの方がライヴ感を意識した作りになっている。

ポール「僕らはスタジオに座っていて、この曲を何もないところから作り出した。まず歌詞から初めて、完成すると、アップルのスタジオでレコーディングして、ジェットコースターのBGMに打ってつけな曲に仕上げた」
ジョン「『Lady Madonna』の上出来ヴァージョン。またそろウケを狙って書いたんだ。ヨーコがあの場にいることにあてつけた部分もある。『Get back to where you once belonged (もといたところに帰れ)』ってスタジオで歌う時、あいつはいつもヨーコをじろじろ見ていたからね」

初期ヴァージョンには以下の歌詞が含まれていた。
「Siddiatawher was a Pakistani living in another land. Always heard it all around. Don't dig no Pakistanis taking all the people's job (シディアワターは別の国に暮らすパキスタン人。いつもそんな話を聞かされた。パキスタン人がみんなの仕事を奪ってしまうのはたまらない)」
この歌詞は、ポールが人種差別主義者であることを示すものだ、という指摘もあった。
ポール「僕らが『Let It Be』をやっていたとき、『Get Back』には2通りの歌詞があったけど、どっちも人種差別だなんてとんでもない。人種差別に反対してるんだ。あのころ新聞には、パキスタン人がアパートに溢れて、ひと部屋に16人も一緒に住んでいるなんて記事がたくさん載っていた。だから『Let It Be』のセットで作って没なった『Get Back』の歌詞の中にも『Too many pakistian's living in a council flat (あまりにも多くのパキスタン人が公営アパートに押し込まれている)』ってくだりがあったのさ。人種差別に反対しているグループがあるとしたら、それはビートルズだよ。だって、僕らのひいきにしていたミュージシャンはみんな黒人だったからね。モータウンを初めて世界に紹介したのは、ある意味、僕らだったんだ」

オルガンを演奏しているのは、アメリカのキーボーディスト、ソウル・シンガーであるビリー・プレストン。この「Get Back」のシングルは「The Beatles with Billy Preston」名義でリリースされているが、ザ・ビートルズのシングル名義にゲスト・ミュージシャンが載ったのはこれが最初で最後である。

この曲からアメリカでリリースされるシングルはステレオになった(それまではモノラルだった)。イギリスではまだこのシングルはモノラルであり、アメリカのステレオ・ヴァージョンよりも5秒程エンディングが長くなっている。ちなみにイギリスでは次の「The Ballad Of John And Yoko」のシングルからステレオになった。

*レコーディング詳細
*「Get Back Session」でレコーディングされた楽曲はテイク番号があやふや、あるいは不明であり、マーク・ルイソン著による「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」や日経BP社発行による「ザ・ビートルズ全曲バイブル」にも振られていないので、ここでも省略する。

1969年
・1月23日
「Get Back Session」で演奏。
・1月27日
「Get Back Session」で演奏。
・1月28日
「Get Back Session」で演奏。
・1月30日
アップル・ビルの屋上での、いわゆる「ルーフ・トップ・コンサート」でのレコーディング。
・2月5日
「ルーフ・トップ・コンサート」のレコーディングを元にステレオ・ミキシングが行われる。
*このステレオ・ミキシングは未使用に終わっている。
・3月26日
モノ・ミキシングが行われる。
*アセテート盤作成のための作業。アセテート盤とはメンバーやスタッフのために作成されるテスト盤のこと。・4月4日
モノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。
*シングル盤リリース用のミキシング作業であり、モノはイギリス盤、ステレオはアメリカ盤に使用される。元となったレコーディングは1969年1月27日をメインに、ブレイク後にフェイド・アウトしていくエンディングのパートには1969年1月28日にレコーディングされたヴァージョンが使用されている。
*このモノ、及びステレオ・ミキシングは未使用に終わっている。
・4月7日
モノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。
*4月4日のリミックスに不満があったポールがグリン・ジョンズとともに再度ミキシングを行い、これがマスターとなった。本アルバムに収録されているのは、この日のヴァージョンである。

1970年
*ここから先がフィル・スペクター・プロデュース
・3月26日
ステレオ・ミキシングが行われる。
*シングルに使用されたマスターに、会話などを追加。また、ブレイク後のリフレインをカットしてライヴ感を出している。

● Don't Let Me Down
シングル「Get Back」のB面曲でオリジナル・アルバム未収録。

ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。

ポール「いい歌だよ。助けを求めたジョンの心の叫びだと思う。ジョンとヨーコはヘロインに手を出してパラノイアになって、危うい状態にあったんだ」

1969年1月22日のリハーサルにおいて、ジョンは「叫びだすための景気づけに」シンバルをでかい音で叩いてくれとリンゴに頼んでいる。

エレクトリック・ピアノをプレイしているのは、ビリー・プレストン。

*レコーディング詳細
*「Get Back Session」でレコーディングされた楽曲はテイク番号があやふや、あるいは不明であり、マーク・ルイソン著による「ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版」や日経BP社発行による「ザ・ビートルズ全曲バイブル」にも振られていないので、ここでも省略する。

1969年
・1月22日
「Get Back Session」で演奏。
・1月28日
「Get Back Session」で演奏。
・1月30日
「Get Back Session」で演奏。
・2月5日
1月30日の「ルーフ・トップ・コンサート」でレコーディングされたヴァージョンを元にステレオ・ミキシングが行われる。
・4月4日
モノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。
*このモノ、及びステレオ・ミキシングは未使用に終わっている。
・4月7日
モノ、及びステレオ・ミキシングが行われる。

● The Ballad Of John And Yoko
20枚目のシングルでオリジナル・アルバム未収録。

ジョンの作品でリード・ヴォーカルもジョン。
ジョン「ジョニーB・ペイパーバック・ライターだな」
ポール「結婚式の曲を、とジョンがね。『イエス・キリスト! 誰か怒るぜ』って」

ジョンとヨーコの結婚式からハネムーンまでを歌った曲。ジブラルタルでの結婚式から、平和運動の一環で行った「ベッド・イン」「バッグ・イン」「平和のためのドングリ運動」などが歌いこまれている。曲中に登場するピーター・ブラウンとは、アップルの重役だった人で結婚式の立会人。

レコーディングはジョンがギターとパーカッション。ポールがドラムス、ピアノ、ベース、マラカスを担当。二人だけで行っており、レコーディングからステレオ・ミキシングまでを1日でこなす、というスピードぶりだった。

ジョンとポールの間が険悪だった時期にあたるが、この曲のレコーディングに関しては、例えばジョンがポールに「リンゴ、もっとテンポをあげてくれよ」と注文すると、ポールはジョンに「了解、ジョージ!」と答える、といった和気あいあいの雰囲気だったという。

イギリスBBCとアメリカの多くのラジオ局がこの曲を放送禁止にした。理由は歌詞の中の「Christ! you know it ain't easy, You know how hard it can be. The way things are going They're gonna crucify me (ちくしょう! まったく楽じゃないぜ このままじゃオレは晒し者だよ)」という箇所が問題になったからである。
*「Christ」はキリストを意味する。また「crucify 」には「磔(はりつけ)にする」という意味も含まれている。

この曲からイギリスでリリースされるシングルはステレオになった(それまではモノラルだった)。アメリカでは前作「Get Back」からステレオになっている。

ラストのギター・ソロは、1957年にリリースされたジョニー・バーネットの「Lonesome Tears In My Eyes」から引用されている。またザ・ビートルズはこの曲をカヴァーしており、1994年11月30日リリースのアルバム「Live At the BBC」に収録されている。

yamada3desu
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@yamada3desu

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