The Beatles(ザ・ビートルズ)とは【徹底解説まとめ】

The Beatles(ザ・ビートルズ)とは、1962年に英国でデビューした20世紀を代表する4人組ロック・バンド。その影響力は音楽のみならず、ファッション、言動、思想にまで及び、社会現象を巻き起こした。彼等の音楽を語るうえで特筆すべき点の一つは、彼等自身の音楽的成長がそのまま音楽界全体の、そして聴き手である我々ファンの音楽的成長を促したことだろう。1970年の解散後も彼等の影響力は引き継がれ、21世紀の現在でもそれは変わらない。

*レコーディング詳細
1963年
・2月11日
第1~第12テイクをレコーディング。
第1テイクに手拍子をオーヴァーダブし、第12テイクを作成。
・2月25日
第12テイクの冒頭に第9テイクの「ワン、ツゥ、スリー、フォー」のカウントを付加。
この編集されたテイクを元に、モノ・ミキシングとステレオ・ミキシングが同日に行われる。
なお、カウントのみが使用された第9テイクのフル・ヴァージョンは1995年12月4日リリースのシングル「Free As A Bird」のカップリングに収録されている。

● Misery
ジョンが中心になって作った曲。ジョンとポールがヴォーカルを分け合っている。

当時ザ・ビートルズは、英国ツアーをしていた女性アイドル歌手ヘレン・シャピロ(当時16歳)の前座を務めていた。人気歌手のヘレン・シャピロが自分達の曲を歌ってくれたら創作活動の励みになる、ということで彼女が歌ってくれることを想定して楽屋で書かれたのだが、残念ながら「アイドルの歌としては歌詞が暗い」ということで採用はされなかった。
ポール「バラードに初めて挑戦した作品。ヘレン・シャピロのために書いた。B面でもいいから録音してもらえれば僕らの作曲活動にプラスになると思ってね」

ヘレンの代わりに、同ツアーに同行していたケニー・リンチによってカヴァーされている。ザ・ビートルズの楽曲カヴァー第1号はこのケニー・リンチである。

Misery/Kenny Lynch

You Don't Know/Helen Shapiro
彼女が14歳の時のセカンド・シングルで全英ナンバー1に輝いている。
邦題は「悲しきかた思い」で、弘田三枝子が同じく14歳の時に日本語でカヴァーしている。

*レコーディング詳細
1963年
・2月11日
第1~第11テイクをレコーディング。
・2月20日
第11テイクに、ジョージ・マーティンがピアノをオーヴァーダブし、第12~16テイクを作成。
・2月25日
第16テイクを元にモノ・ミキシングとステレオ・ミキシングが同日に行われる。

● Anna (Go To Him)
オリジナルはアメリカのR&Bシンガー、アーサー・アレキサンダーが1962年9月17日にリリースしたシングル。全米ヒット・チャート最高位70位前後のあまりヒットした曲ではない。

リード・ヴォーカルはジョン。

Anna (Go To Him)/Arthur Alexander

*レコーディング詳細
1963年
・2月11日
第1~第3テイクをレコーディング。
・2月25日
第3テイクを元にモノ・ミキシングとステレオ・ミキシングが同日に行われる。

● Chains
オリジナルはニュー・ヨーク出身の女性ヴォーカル・グループ、クッキーズが1962年10月2日にリリースしたシングル。全米ヒット・チャート最高位17位とスマッシュ・ヒットしている。

「ロコモーション」の大ヒットで知られるジェリー・ゴフィン、キャロル・キング夫妻の作品で、クッキーズはこの「ロコモーション」でバック・ヴォーカルを担当していた。

リード・ヴォーカルはジョージ。

Chains/The Cookies

*レコーディング詳細
1963年
・2月11日
第1~第4テイクをレコーディング。
・2月25日
リミックス処理でエンディングをフェイド・アウトした第1テイクを元に、モノ・ミキシングとステレオ・ミキシングが同日に行われる。

● Boys
オリジナルはアメリカの女性ヴォーカル・グループ、シレルズが1960年11月7日にリリースし大ヒットしたシングル「Will You Still Love Me Tomorrow」のB面に収められていた曲。

リード・ヴォーカルはリンゴ。前任のドラマー、ピート・ベストが在籍していた頃のライヴでは、ピートがヴォーカルを担当していた。

BOYS/THE SHIRELLES

*レコーディング詳細
1963年
・2月11日
第1テイクをレコーディング。
・2月25日
リミックス処理でエンディングをフェイド・アウトした第1テイクを元に、モノ・ミキシングとステレオ・ミキシングが同日に行われる。

● Ask Me Why
ジョンが中心になって作った曲で、リード・ヴォーカルもジョン。
ポール「ジョンのアイディアを元に、2人で座り込んで作った曲だ」

曲作りに関して、当時のジョンのお気に入りのグループ、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズから影響されたと語っている。また、当時のニュー・ヨーク・フィルハーモニー楽団の音楽監督、レナード・バーンスタインはこの曲を絶賛している。

1962年6月11日のBBCラジオ「ティーンエイジャーズ・ターン」で初披露されているが、これはシングル「Please Please Me」のカップリングとしてリリースよりも7ヶ月前のことだった。

*レコーディング詳細
1962年
・6月6日
EMIスタジオでの初のレコーディング。
正規のレコーディングではなくバンドを試すためのテスト・レコーディングであり、ドラマーはまだピート・ベストだった。
・11月26日
第1~第6テイクをレコーディング。
・11月30日
第6テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
1963年1月11日リリースのシングル「Please Please Me」のカップリングに収録される。
1963年
・2月25日
第6テイクを元にモノ・ミキシングとステレオ・ミキシングが同日に行われる。
二度目のモノ・ミキシングになるが、テイク違いはない。

● Please Please Me
ジョンの作品で、リード・ヴォーカルもジョン。

ジョン「『Please Please Me』は完全に僕の曲だ。ロイ・オービソンのような曲を書いてみたかったんだ。信じられないだろうけど。メンローヴ・アヴェニューの家の寝室で書いた。伯母の家のね……あの日のことはよく覚えている。ベッドにはピンクの刺繍がしてあって、僕はロイ・オービソンが『Only The Lonely』かなにかを歌うのを聴いていた。そこからインスピレーションを得たんだよ。それと『お願い(Please)その小さな耳でぼくの願い(Please)を聞いて』という歌詞がすごくひっかかってて……ビング・クロスビーの歌にあったんだ。"Please"という言葉を重ねて使ってみたいと前から思っていた。だからあれは、ビング・クロスビーとロイ・オービソンの合体だね」

最初のヴァージョン(1962年9月11日にレコーディング)はテンポがスローであった。それをマーティンが「もっとテンポをアップして、タイトなハーモニーをつけてみてはどうか」とアドヴァイスしている。
マーティン「あの曲は最初は退屈な曲だった。とてもスローで、ヴォーカルはブルージーで、ロイ・オービソンのナンバーみたいだった。テンポを速めなくちゃどうにも使いものにならないと思った」

2度目のレコーディング(同年11月26日)には、テンポ・アップされたヴァージョンがレコーディングされている。
マーティン「聞いてみたら最高だった……。私がイントロとエンディングのアイディアを出し、彼らはスタジオ2でレコーディングを開始した。実にすばらしかった。セッション全体が歓びに溢れていた。最後に私はコントロール・ルームのインターコムのボタンを押して、こういった。『きみたちはたった今、最初のナンバー1レコードをものにしたんだ!』」

ポール「ジョージ・マーティンの貢献は、実際のところかなり大きかった。僕らの出した曲を、彼がずっと広いレンジで考えているのが初めてわかったのは『Please Please Me』のときだ。もともとはロイ・オービソン調の曲だったんだけど、それをマーティンが『もっとテンポを上げよう』といいだしてね。いわれた通りにしてみたら、僕らもみんな、そのほうが全然いいと思った。で、大ヒットになったわけさ」

イギリスのロッカー、エルヴィス・コステロが生まれて初めて買った2枚のシングルのうちの1枚がこの「Please Please Me」だった(もう1枚はジョン・レイトンの「ザ・フォークシンガー」)。コステロは11歳のころ、ザ・ビートルズ・ファン・クラブの会員であった。

モノラルとステレオではテイクが異なる。モノラルはテイク番号が不明であるが、ステレオはステレオ・ミキシング用に新たに第16、17、18の3テイクを編集したものを元に行われている。よって、ヴォーカルも演奏も全く別のヴァージョンになっている。主な違いは以下の通り。
・ステレオ・ヴァージョンの3番でジョンが歌詞を間違えている(『I know you never even try girl』と歌うところを『Why know I never even try girl』と歌っている)
・前出の3番で歌詞を間違えたので、ジョンは続く「Come on 」のフレーズを照れ笑いしながら歌っている。
・ステレオ・ヴァージョンのサビの終わり「Why do you make me blue」の後に入るジョージのリード・ギターが、ミスをしているように聞こえる(ハーモニカとは若干異なるフレーズを弾いている)。
*ザ・ビートルズ関連の書籍には「2番の歌詞も間違えて歌われている」という記述がいくつかあるが、私(著者)には残念ながら判別が出来なかった。
*ジョージのリード・ギターがミスをしているように聞こえるが、ライヴ映像を見ると、ステレオ・ヴァージョンのフレーズをなぞっているので、このようなアレンジなのだと思われる。

*レコーディング詳細
1962年
・9月11日
テイク数は不明。この段階ではまだスローなヴァージョンだった。
・11月26日
第1~第18テイクをレコーディング。ハーモニカはオーヴァーダブで加えられている。
・11月30日
モノ・ミキシングが行われる (テイク番号は不明)。1963年1月11日にシングルとしてリリース。
1963年
・2月25日
第16、17、18の3テイクを編集、それを元にステレオ・ミキシングが行われている。よって、「Please Please Me」はシングルとモノラルのアルバム・ヴァージョンは同一だが、ステレオのアルバム・ヴァージョンはテイク違いとなっている。

● Love Me Do
ポールが中心になって作った曲で、リード・ヴォーカルもポール。ジョンもミドルの部分を手伝っている。
ジョン「この曲の大部分はポールが書いた。16のときか、もっと若かったかもしれない。僕もミドルの部分を手伝ったんじゃないかな」

ザ・ビートルズのデビュー曲。プロデューサーのジョージ・マーティンは当初「How Do You Do It」という外部の作家が作った曲をデビュー曲として用意しており、実際にザ・ビートルズもレコーディングを行ったが、自作曲にこだわる彼らの意図を組み、この「Love Me Do」がデビュー曲に選ばれた。ちなみに「How Do You Do It」は、後にジェリー&ザ・ペースメイカーズが歌い、見事イギリスでナンバー1に輝いている。またザ・ビートルズがレコーディングした「How Do You Do It」は「Anthology 1」に収録された。

1962年9月4日にリンゴのドラムスで全17テイクをレコーディングするが、ポールはリンゴのドラムスに満足できなかった。
エンジニアのノーマン・スミス「ポールはリンゴのドラミングに不満があるみたいだった。あまりよくないと思っていたんだ。事実、編集にはかなり手がかかったよ」
プロデューサーのジョージ・マーティンもリンゴのドラムスには不満があり、翌週の9月11日のレコーディングには、セッション・ドラマーのアンディ・ホワイトが雇われ、リンゴはタンバリンを担当することになる。
リンゴ「ショックだったよ。なんてこった、レコード・ビジネスなんてインチキもいいとこじゃないかって」「やっぱり僕もピートみたいに切り捨てられるのかと思った」「最初のレコードの演奏を他人に任せるなんて、そんなのでビートルズって言えるか? そんなのずるいよ」
後に、ジョージ・マーティンはこの時の非礼をリンゴに詫び、リンゴは笑って応えたという逸話が残っている。
アンディ・ホワイト「彼らのことはすでに知っていたんだ。僕のワイフが、同じくリヴァプール出身のグループ、ヴァーノズ・ガールズにいたのでね。冷たくされるかなと思ったけど、彼らはすごく感じがよくて、冗談を言い合った。あのころはたいていのグループがアメリカの曲や作曲家の書いた曲をカヴァーしていたから、彼らが自作の曲をやっているのには感心したよ」

初めてのレコーディング(1962年6月6日)はメンバーにとって、とても緊張を強いるものであり、順調な滑り出しとは言えなかった。
ノーマン・スミス「最初のテイクのあとでテープを聞いたら、これがひどい代物でね。彼らの機材はあんまり上等じゃなかったんだ。ポールのギターはうちのベース・アンプにつないだし、ジョンのアンプは、あんまりカタカタいうんでしばりつけとかなきゃならなかった」「スタジオではかなりビビっていたみたいだね。あと、スタジオのフロアーで演奏した音と、それをコントロール・ルームで聞いたときの違いが把握できていなかった。ヘッドフォンを嫌がってね。実際、そのあとも殆ど使おうとしなかった」

1962年6月6日当時、リード・ヴォーカルは最初はジョンだったが、ジョンはハーモニカも担当していたため、リード・ヴォーカルは直前でポールに変更になった。
ポール「すごくナーヴァスになっていた。ジョンがリードをとるはずだったんだけど、向こうの気が変わって、ギリギリのところで僕に歌えといってきたんだ。ジョンにはハーモニカを吹いてほしいって。ハーモニカを入れたリハーサルなんてぜんぜんやってなかった。ジョージ・マーティンがその場でアレンジしたんだ。あれにはかなりまいったよ」
ちなみにこの時にジョンが吹いたハーモニカは、彼がオランダのアナハイムで万引きしたものだった。

マネージャーのブライアン・エプスタインは、自分のレコード店「NEMS」でこのシングルを1万枚注文し、チャート・インさせるつもりだったという。ブライアン自身は否定しているが、当時の彼の部下や友人は「ほぼ間違いない」と証言している。
ジョン「2日でチャート・インしたものだがら、イカサマだろうってみんな思ったはずだ」
結局、メロディ・メーカー誌では最高位21位、レコード・リテイラー誌では最高位17位となっている。
ポール「ハンブルクでもキャバーンでも、人気に火がついていた。けどいつ本当にモノになるかと思ったかって聞かれたら、それは『Love Me Do』がチャートに入った時だ。あれが決めてだった。僕らには行き先ができたんだ」

ジョン「かなりファンキーだ」
ポール「これじゃ、ちょっと遠大な哲学には値しないなって思える曲もあるけどね。『Love Me Do』は、僕らの一番哲学的な曲だ。シンプルな真実を伝える、おそろしくシンプルな曲なんだ」
ジョージ「ラジオでこの曲を初めて聴いた時、体中がゾクゾクした。生涯最高の快感だったね」
マーティン「彼らの手持ちだとあれが精いっぱいだった。かなり貧弱な曲だと思ったね」(ジョージ・マーティンはこの曲の歌詞が嫌いだった)
ジョンの伯母さんのミミ・スミス「(この曲のアセテート盤を聞いて)これでひと財産をつくるつもりなら、考え直すべきだわ」

ザ・ポリスのスティングは、11歳の時に公営のプールで友達と泳いでいた時にこの曲を聴いた。そしてほとんど霊的といっていいほどの衝撃を与えられ、裸のまま歌い踊った。彼が一生を音楽に捧げようと決心したのはこの時だった、と語っている。

この「Love Me Do」では3つのテイク違いが存在する。レコーディングの古い順に並べると以下のようになる。
・ピート・ベストがドラムスを担当したテイク (1962年6月6日にレコーディング)で「Anthology 1」に収録されている。
・リンゴ・スターがドラムスを担当したテイク (1962年9月4日にレコーディング)で「Past Masters」他に収録されている。
・アンディ・ホワイトがドラムスを担当したテイク (1962年9月11日にレコーディング)で「Please Please Me」他に収録されている。
ピートのテイクはテンポがかなりゆるやかで、明らかに他のテイクと異なるため、聞き分けは容易にできる。
リンゴとアンディのテイクはタンバリンと手拍子の有無で容易に聞き分けが出来る。タンバリンが入っておらず間奏に手拍子が入っているのはリンゴが、タンバリンが入っており間奏に手拍子が入っていないのはアンディが、それぞれドラムスを担当している。

*レコーディング詳細
1962年
・6月6日
EMIスタジオでの初のレコーディング。
正規のレコーディングではなくバンドを試すためのテスト・レコーディングであり、ドラマーはまだピート・ベストだった。
・9月4日
第1~第17テイクをレコーディング。ドラムスはリンゴ。モノ・ミキシングまで行われ一旦は完成 (テイク番号は不明)。10月5日リリースのデビュー・シングルの初回版に収録される。その後、この日のマスターは破棄されてしまったため、第二版からのシングルは9月11日にレコーディングされたアンディ・ホワイト・ヴァージョンが使用される。後年、「Rarities」や「Past Masters」に収録された「リンゴ・ヴァージョン」は、シングル・レコードから直接落とされたものが音源になっている。
・9月11日
第1~第18テイクをレコーディング。ドラムスはアンディ・ホワイト。第18テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。第二版のシングル、及びアルバム「Please Please Me」のモノにはアンディ・ホワイトがドラムスをプレイしたヴァージョンが収録されている。
1963年
・2月25日
9月11日に作成されたモノ・ミックスを元にステレオ・ミキシングが行われる。よってアルバム「Please Please Me」のステレオにはアンディ・ホワイトがドラムスをプレイしたヴァージョンが収録されている。

● P.S. I Love You
ポールが中心になって作った曲で、リード・ヴォーカルもポール。
ジョン「ポールはシレルズの『ソルジャー・ボーイ』のような曲を書こうとしていた」

1962年9月11日にレコーディングされているが、この日はセッション・ドラマーのアンディホワイトが雇われていたため、アンディがリム・ショットを、リンゴはマラカスを担当している。
この日、ジョージ・マーティンが不在だったため、代行としてプロデュースにあたったのはロン・リチャーズだった。
ロン・リチャーズ「リンゴはコントロール・ルームで僕の隣におとなしく坐っていたよ。そこで僕は彼に『P.S. I Love You』でマラカスを振ってくれないかと頼んだ。リンゴは素敵な奴だ……いつもおっとりと構えている。『何かしてほしいことがあればやるよ。何もやらなくていい? うん、わかった』と、こんな感じさ。『俺が! 俺が!』みたいなところが全然ないんだ」

当初は「Love Me Do」ではなく、この曲をA面にする話もあった。だが、同名の曲が存在するために、B面に収録されることになった。
ロン・リチャーズ「僕はもともと音楽出版社の宣伝担当だったので、誰かが同名の曲をやっているのを知っていたんだ。それでポールに『B面に入れるのは構わないけれどA面にはできない』と言ったんだ」
*ロン・リチャーズがどの同名の曲を指しているのかは不明だが、1934年に作られたジョニー・マーサー作詞、ゴードン・ジェンキンス作曲による「P.S. I Love You」という同名異曲が存在する。この曲はビリー・ホリディやフランク・シナトラが歌っており、現在ではジャズのスタンダード・ナンバーのひとつとなっている。

*レコーディング詳細
1962年
・6月6日
EMIスタジオでの初のレコーディング。
正規のレコーディングではなくバンドを試すためのテスト・レコーディングであり、ドラマーはまだピート・ベストだった。
・9月11日
第1~第10テイクをレコーディング。リンゴがマラカス、アンディがリム・ショットを担当している。
第10テイクを元にモノ・ミキシングが行われる。
10月5日リリースのデビュー・シングル「Love Me Do」のカップリングとして収録される。
1963年
・2月25日
9月11日に作成されたモノ・ミックスを元にステレオ・ミキシングが行われる。

● Baby It's You
オリジナルはアメリカの女性ヴォーカル・グループ、シレルズが1961年12月4日にリリースしたシングル。アメリカでは8位まであがるヒットになっている。三人による共作だがそのうちの一人は、カーペンターズの「遙かなる影」やB.J.トーマスの大ヒット曲「雨にぬれても」を作ったバート・バカラックである。「Boys」に続いて2曲目のシレルズのカヴァー。

リード・ヴォーカルはジョン。

間奏でジョージのリード・ギターとユニゾンでプレイされているのは、ジョージ・マーティンによるチェレスタ。チェレスタとは小型のアップライト・ピアノのような形状で、金属の板をハンマーで叩いて高音域を出す鍵盤楽器の一種。

チェレスタ

Baby It's You/The Shirelles

yamada3desu
yamada3desu
@yamada3desu

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