RCサクセション(RC Succession)の徹底解説まとめ

RCサクセション(RC Succession)とは、1970年にデビューした日本のロック・バンド。ヴォーカリストの忌野清志郎とギタリストの仲井戸麗市を中心に、数々の名曲・名盤を残してきた。現在でも多くのミュージシャンが影響を受けたバンドとして名前を挙げている。1991年に活動休止状態に入り事実上の解散。2009年5月2日、忌野清志郎の死去により、RCサクセション復活の夢は永遠に絶たれた。

12月5日
渋谷公会堂でのライブの模様を収録したアルバム「THE KING OF LIVE」をリリース。これは、清志郎が慢性肝炎のためにツアーができなかった代わりとして制作された作品である。

●1984年
清志郎の肝臓疾患は、医者から見放されるくらいに悪い状態だったが、自ら東洋医学を勉強し、実践することで全快させることに成功する。

この年、所属していたロンドン・レコードが倒産、ポリドール・レコードに吸収される。これにともないRCは東芝EMIへ移籍する。

4月13日
清志郎、事務所独立のことで奥田社長と会談。バンド側は完全な独立を希望するが、事務所側は原盤制作だけでも残せ、と譲歩を求める。よって会談は決裂する。奥田社長は「今度は俺がお前らを干してやる!」と清志郎に暴言を吐き、清志郎も「冗談じゃねー!」とタンカを切って飛び出した。清志郎には過去にホリプロから干された経験があり、その時のことを思い出して悔しさと怒りで涙が込み上げてきたという。

7月21日
シングル「不思議」をリリース。東芝EMI移籍第一弾となる

7月21日
アルバム「EPLP-2」が無許可で発売されてしまった。
9月21日
アルバム「The LiVE!」が無許可で発売されてしまった。
12月21日
アルバム「MIX & MIX-ER」が無許可で発売されてしまった。

これら「EPLP-2」「The LiVE!」「MIX & MIX-ER」はメンバーの承諾なし、というよりも全く知らない間に勝手に出されてしまった作品。事務所がアーティストの承認なしに原盤をNewレコードに提供したらしい。よってここでは「『EPLP-2』をリリース」という書き方はしない。
発売元は「Newsレコード」。1980年3月3日に、松山千春、清須邦義、加川良の3名により設立されたレコード会社である。
このようにアーティスト非公認の作品を勝手に出されてしまうという原盤管理のずさんな状況も、事務所独立の一因となる。
RCはNewsレコードそのものに嫌悪感を持っていたようで、このことに対して激怒。当時、Newsレコードの幹部であった、松山千春や山本コータローなどをステージの上で痛烈に批判、ファンに対しては「アーティスト非公認盤を絶対に買わないように」と訴えかけた。なお、「The LiVE!」はカセット・テープのみで出された。

11月23日
アルバム「FEEL SO BAD」をリリース。
奥田社長と事務所「りぼん」を公然と批判している楽曲が収録されており、訴訟沙汰になる。

1985年~1987年:ソロ活動の活発化

●1985年
この年、奥田社長の設立した「りぼん」から独立することになる。「OK」レコーディング時におけるアーティストの意向を無視した傲慢なやりかたや、営利第一主義的な経営方針、実績に見合わない不明瞭会計、事務所スタッフによる暴言(「奴らもいつか人気が落ちる日が来るんだから、その時は店の一つでも持たせてやるか」)、ずさんな原盤管理、といった事例が重なり、不信感がマックスにまで高まってしまった結果であった。
4月には自らの事務所「うむ」を設立し、RCとしてシングル2枚とアルバム1枚をリリースするが、各メンバーのソロ活動も活発になってくる。
またこの年、小林和生が結婚している。

4月1日
自らの事務所「うむ」を設立する。
独立記念コンサート「スーパーエイプリルフール」を渋谷の西武劇場(現在のPARCO劇場)でおこなう。ゲストは泉谷しげる、金子マリ、三浦友和、坂本龍一、矢野顕子ら。

4月21日
シングル「すべてはALRIGHT(YA BABY)」をリリース。タイトルからもわかるように独立記念的なシングル。
「PARCO」のCMソングに起用され、メンバー全員がミイラ男のような扮装をして出演している。

RCサクセション「すべてはALRIGHT(YA BABY)」
「PARCO」のCM。

7月
清志郎、日本テレビ系で放送された「天才たけしの元気が出るテレビ」に出演、番組のタイトル・ソングとして「元気が出る音頭」を作り、番組内で披露する。後年「元気が出るテレビ」のベストアルバムにDANGER+金子マリ」名義で収録された。

DANGER+金子マリ「元気が出る音頭」

7月13日~14日
全世界規模で行われた「ライヴエイド」の日本版「THE 地球CONCERT LIVE AID」に清志郎はDANGER(清志郎+どくとる梅津バンド)として出演。「はたらく人々」を披露する。番組そのものはCMを挟み込むタイミングの悪さや、衛星中継の中断、同時通訳のぎこちなさなどが重なり、大変に不評だった。また洋楽アーティストのライヴを目当てにしていた視聴者にとっては、日本のスタジオで録画された日本人アーティストのライヴも不評だった。
DANGER以外に出演した日本人アーティストは次の通り

オフコース「ENDLESS NIGHTS」
矢沢永吉「苦い雨」
LOUDNESS「Gotta Fight」「CRAZY NIGHT」
佐野元春「SHAME -君を汚したのは誰」
チェッカーズ「ギザギザハートの子守唄」
チャゲ&飛鳥「棘」
杏里「16BEAT」
さだまさし「まほろば」
南こうせつ「風をくらって」
安全地帯「悲しみにさよなら」
イルカ「もう海には帰れない」
谷村新司(元「アリス」)「12番街のキャロル」
長渕剛「勇次」
HOUND DOG「BAD BOY BLUES」
ラッツ&スター「WHAT'S GOING ON」
THE SQUARE「OMENS OF LOVE」
杉山清貴&オメガトライブ「ふたりの夏物語」
白井貴子&Crazy Boys「FOOLISH WAR」
柳ジョージとハーレム少年聖歌隊「Having A Party」
上田正樹「東京エキスプレス」
中原めいこ「ロ・ロ・ロ・ロシアンルーレット」

DANGER「はたらく人々」
THE 地球CONCERT LIVE AIDより

7月20日
DANGER(清志郎+どくとる梅津バンド)による約4年ぶりのアルバム「DANGERⅡ」がリリースされる。

8月31日
仲井戸麗市のソロ・アルバム「THE仲井戸麗市BOOK」をリリース。

9月21日
仲井戸麗市のソロ・シングル「ONE NITE BLUES」をリリース。

11月21日
アルバム「ハートのエース」をリリース。

12月21日
シングル「スカイパイロット」をリリース。

●1986年
3月21日
忌野清志郎, Johnny, Louis & Char名義でシングル「S・F」をリリース。アニメ映画「県立地球防衛軍」のテーマ・ソングである。
ちなみに清志郎は、この映画音楽の話が来てから初めて原作の漫画を読んでいる。

3月30日
アルバム「県立地球防衛軍」のサウンドトラックをリリース。忌野清志郎, Johnny, Louis & Char名義でリリースされたシングル「S・F」とカップリング曲「かくれんぼ」、そして「プライベート」が収録されているが、それ以外は羽田健太郎によるピアノ演奏曲。
「S・F」は1994年9月16日にリリースされた清志郎のアルバム「MAGIC」に、「かくれんぼ」は2008年5月28日にリリースされた清志郎のアルバム「入門編」に収録された。「プライベート」は1993年10月24日にリリースされた忌野清志郎 & 2・3's のアルバム「Music From POWER HOUSE」に収録されるが、Johnny, Louis & Charがバックの演奏を担当しているヴァージョンはこのアルバムでしか聴けない。

忌野清志郎, Johnny, Louis & Char「プライベート」

4月23日
ミニ・アルバム「NAUGHTY BOY」をリリース。

8月16日、17日、23日、24日
日比谷野音にて4日間ライブを行う。
清志郎の中学・高校時代の同級生で、当時は鬱状態にあった日隈権座を逆説的に励まそうとした古い楽曲「君はそのうち死ぬだろう」が歌われ話題となる。
同年4月8日、アイドルだった岡田有希子が投身自殺をしてしまう。そして後追い自殺をする若者が相次ぎ、社会問題になった。そういった背景もあって再び歌われたものと思われる。清志郎は原曲の歌詞を一部変えて「君はそのうち 死ぬだろう ビルから飛び降りて 死ぬだろう」と歌っている。
「逆説的に励まそう」とした清志郎の意図がどこまで通じたのかは不明。この曲は同年10月12日にリリースされたライヴ・アルバム「the TEARS OF a CLOWN」に収録されたが、歌詞カードには「都合により詞は掲載されておりません」の但し書きがあり、歌詞は掲載されなかった。
同級生の日隈権座も、残念ながら1977年8月に鉄道自殺している。

10月12日
ライブ・アルバム「the TEARS OF a CLOWN」をリリース。

12月24日
清志郎、サザン・オールスターズの桑田佳祐プロデュースによるテレビ番組「Merry Xmas Show」にVTR出演。司会は明石家さんま。スタジオ出演者はKUWATA BAND、松任谷由実、泉谷しげる、アン・ルイス、中村雅俊、吉川晃司、ARB、鮎川誠など。VTR出演者は清志郎以外に、チェッカーズ、THE ALFEE、鈴木雅之、BOØWY、山下洋輔などであった。
清志郎はオープニングのメドレー形式の「Come Together」、桑田佳祐や山下洋輔とのジョイントで「セッションだッ!」、ベートーベンの「第九交響曲」、エンディングの「Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)」をVTR出演で披露している。

●1987年
この年、RCの作品リリースはなし。ロンドンでのレコーディングの計画があったが、清志郎以外のメンバーが乗り気ではなく、結局は清志郎一人で渡英。イアン・デューリー&ブロック・ヘッズをメンバーを中心に結成された「RAZOR SHARPS」をバックに従えたソロ・アルバムを作成している。

2月4日
忌野清志郎のソロ・シングル「AROUND THE CORNER」をリリース。

2月25日
忌野清志郎のソロ・アルバム「RAZOR SHARP」をリリース。

6月5日
忌野清志郎のソロ・ライヴ・アルバム「HAPPY HEADS」をリリース。

6月15日
大阪・御堂会館で行われたイアン・デュリー&ブロック・ヘッズのライヴに清志郎が飛び入り参加する。

6月16日
京都会館で行われたRCのライヴに、今度はイアン・デュリーとRAZOR SHARPSが飛び入り参加する。

6月18日
東京・後楽園ホールで行われたイアン・デュリー&ブロック・ヘッズのライヴに清志郎、仲井戸、Gee 2wo が飛び入り参加する。

9月5日
忌野清志郎のソロ・シングル「E-JAN」をリリース。デュプロという会社のCFに使われた。

12月24日
清志郎、昨年に引き続き「Merry Xmas Show」にVTR出演。司会は明石家さんま。スタジオ出演者はKUWATA BAND、松任谷由実、泉谷しげる、アン・ルイス、中村雅俊、吉川晃司、 鈴木雅之、Charなど昨年とほぼ同じ。VTR出演者は清志郎以外に、THE ALFEE、米米CLUB、BARBEE BOYS、BAKUFU-SLUMPなどであった。
清志郎はオープニングのメドレー形式の「Come Together」、桑田佳祐、泉谷しげる、山下洋輔とのジョイントで「セッションだッ!」、ベートーベンの「第九交響曲」、エンディングの「Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)」をVTR出演で披露するという、昨年とあまり変わらない内容だった。

1988年~1990年:アルバム「COVERS」、そして終焉へ

●1988年
この年、清志郎に長男「タッペイ君」誕生。入籍したのは、長男誕生の約1ヶ月前。

2月25日
アルバム「MARVY」をリリース。スタジオ録音盤としては1985年11月21日発売の「HEART ACE(ハートのエース)」以来の約3年ぶりの作品となる。また、スタジオ録音としては初の2枚組であった。

3月25日
シングル「NAUGHTY BOY」をリリース。

6月22日
毎日新聞、朝日新聞、読売新聞の紙上に以下のような広告が掲載された。

RCサクセション レコード発売中止の御知らせ
「COVERS」8月6日発売予定/「ラヴ・ミー・テンダー」6月25日発売予定
上記の作品は素晴しすぎて発売出来ません。東芝EMI株式会社。

8月15日
アルバム「COVERS」、そしてシングル「ラヴ・ミー・テンダー」が古巣のキティ・レコードからリリースされる。人類が初めて原爆投下の悲劇を体験した8月6日での発売は中止にされてしまったが、終戦記念日である8月15日には無事に発売されることになった。
皮肉なことに「COVERS」はRCにとって初のオリコン1位になったアルバムであった。

12月16日
アルバム「コブラの悩み」をリリース。

●1989年
この年、RCの作品リリースはなし。代わりに謎の覆面バンド「THE TIMERS」がデビュー。世間を騒がせてくれた。

4月7日
この日から「HARD TIMES LIVE」と銘打ったライヴ・ツアーが始まる。「COVER」を始めとする既成曲も演奏されたが、翌年リリースの「Baby a Go Go」に収録される曲や、現在まで公式にリリースされていない曲も多く演奏される。

「COVERS」発売中止の大騒ぎにより、清志郎はほとほとあきれ返ってしまい、レコード会社に対する不信感、不満、レコードがまともにリリースできないことへの憤りなどから、「新曲なんて客が持ち込んだテープで勝手に録音すりゃいいじゃねえか!」と「録音自由化」を宣言。

4月13日
大阪国際交流センターでのライヴ。清志郎はステージ上でこう言っていた。

「新曲ばかりで凄い。みんなそう思ってるよな。今日は新曲ばかりでつまんないなみたいな顔して観てるヤツがいますが、今日のお客さんは大変物事の価値がわかってらっしゃる方が多いようでございます。レコードにもなって無い曲がこんなに聴けて皆さん大変嬉しいと言う顔してらっしゃるので僕も幸せです」

10月11日
謎の覆面バンド「THE TIMERS」によるデビュー・シングル「デイ・ドリーム・ビリーバー」をリリース。

THE TIMERS 結成のいきさつはこうだった。
RCサクセションのアルバム「COVERS」及びシングル「ラヴ・ミー・テンダー」の発売中止に激怒した清志郎は、抗議の意味でゲリラ・ライヴを計画する。ところがRCのほかのメンバーの賛同は得られなかった。腹の虫が収まらない清志郎は、それではと他のメンバーを集めることにした。まずはRCの裏方の仕事を経験したことがある三宅伸治が選ばれる。彼は当時「 MOJO CLUB」というバンドに在籍していた。続いて同じく「 MOJO CLUB」のドラマーだった杉山章二丸に声がかけられ、最後に音楽仲間で当時は「ヒルビリー・バップス」というバンドでベースを担当していた川上剛がメンバーとなる。

公表されているメンバーの名前は「ゼリー」「トッピ」「ボビー」「パー」である。
バンド名の「ザ・タイマーズ」は、沢田研二が在籍していた「ザ・タイガース」のパロディであり、メンバーの名前もそれぞれ「ジュリー(沢田研二)」→「ゼリー」、「トッポ(加橋かつみ)」→「トッピ」、「サリー(岸部修三)」→「ポピー」、「ピー(瞳みのる)」→「パー」とザ・タイガーズのメンバーの愛称のパロディになっている。

10月13日
謎の覆面バンド「THE TIMERS」がフジテレビ系の音楽番組「ヒットスタジオR&N」に出演。メドレーで「タイマーズのテーマ~偽善者~デイ・ドリーム・ビリーバー~イモ~タイマーズのテーマ」を歌う予定であったが、「偽善者」は歌われず、代わりに「お●●こ野郎FM東京」と歌われるFM東京を罵倒する曲が歌われた。

謎の覆面バンド「THE TIMERS」
テロップにある「偽善者」は歌われなかった。

11月8日
謎の覆面バンド「THE TIMERS」によるデビュー・アルバム「THE TIMERS」をリリース。

12月13日
謎の覆面バンド「THE TIMERS」によるセカンド・シングル「ロックン仁義」をリリース。

●1990年
この年、まずキーボードの柴田義也(Gee 2wo)がメンバー間での話し合いの末に脱退。他のメンバーとの折り合いがあまり良くないこと、音楽的な志向に違いがあったこと、趣味に夢中になり過ぎ練習をすっぽかすことが度々あったこと、などが原因と言われている。
また、アルバム「Baby a Go Go」をレコーディング中にドラマーの新井田耕造が脱退。清志郎や、ミキサーのヘンリー・ハシュ、ディヴィッド・ドマーニッチ、プロデューサーの春日博文たちとの間に意見の対立が発生。新井田は激怒し、RCを脱退してしまったのだ。
RCはキーボードにVOW WOWに在籍していた厚見玲衣、そしてドラマーには旧知の春日博文をサポートにツアーを行うが、これがRCにとって最後のツアーとなった。

2月21日
仲井戸麗市セカン・ソロ・アルバム「絵」をリリース。

4月28日:大阪城野外音楽堂
4月30日:日比谷野外音楽堂
清志郎、坂本冬美・三宅伸治・小林和生の4人のユニット「SMI」として参加。「S:坂本、M:三宅、I:忌野」というのがユニット名の由来(小林がいないのは残念)。アコースティック・ユニットであり小林はウッド・ベースを弾いていた。メンバーは学ラン、坂本冬美はセーラー服といういでたちだった。

SMI「パープルヘイズ音頭」

SMI「高校三年生」

9月5日
シングル「I LIKE YOU」をリリース。西武セゾングループのCMソングに起用される。

9月27日
アルバム「Baby a Go Go」をリリース。忌野清志郎は逝ってしまったので、これがRCサクセションのラスト・アルバムとなってしまった。

12月25日
日本武道館でのクリスマス・ライヴ。恒例のクリスマス・ライヴであり、10年目、10回目そしてRCサクセションのラスト・ライヴになってしまった。

RCサクセションのディスコグラフィー

忌野清志郎や仲井戸麗市などのソロ関連作品の数は、RCサクセションの作品数を上回っているので、ここでは省略する。
また、文中に登場する森川欣信氏の回想・コメントは、「音楽ダウンロード・音楽配信サイト mora」の2015年10月15日に掲載された「匠の記憶」から引用している。

1969年

11月1日:アルバム「カレッジポップス・コンサート実況録音盤」

yamada3desu
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