RCサクセション(RC Succession)の徹底解説まとめ

RCサクセション(RC Succession)とは、1970年にデビューした日本のロック・バンド。ヴォーカリストの忌野清志郎とギタリストの仲井戸麗市を中心に、数々の名曲・名盤を残してきた。現在でも多くのミュージシャンが影響を受けたバンドとして名前を挙げている。1991年に活動休止状態に入り事実上の解散。2009年5月2日、忌野清志郎の死去により、RCサクセション復活の夢は永遠に絶たれた。

1986年

4月23日:アルバム「NAUGHTY BOY」

Side A
1. マリコ
2. 海辺のワインディング・ロード(UTOPIA RE-MIX VERSION)

Side B
1. サマー・ロマンス
2. 山のふもとで犬と暮らしている(UTOPIA RE-MIX VERSION)

*****

CD NAUGHTY BOY
*2018年2月現在:未CD化

当時流行していた12インチ・シングルという形式でリリースされた作品。
新曲2曲と「HEART ACE(ハートのエース)」収録の2曲のリミックス・ヴァージョンで構成されている。
ミックスはイギリス・ロンドンにあるユートピア・スタジオで行われている。ミキサーはティム・パーマー。
ティム・パーマーはイギリスのバンド「シンプル・マインズ」のアシスタント・エンジニアをしていた人物。のちにプロデューサーとなり、ロバート・プラント、パール・ジャム、U2などを手掛けている。
清志郎以外のメンバーが「海外嫌い」だったため、プロデュースは清志郎のみになっている。また、この経験から清志郎は「ミキサーは大切。やはり外人に限るな」と発言している。これら「ロンドン」「海外嫌い」「ミキサーは外人」といったキーワードが、清志郎のソロ・アルバム「RAZOR SHARPS」に繋がることになる。

「マリコ」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
スローなラヴ・ソング。
古い楽曲で、1970年頃にはレパートリーになっていた。1974年の夏に出演した、古井戸がパーソナリティをつとめていたラジオ番組「古井戸Night together」では、この曲のデモ・テープが流されている。「シングル・マン」のレコーディング・セッションでも取り上げられ、2013年5月3日リリースの「悲しいことばっかり(オフィシャル・ブートレグ)」には、フォーク時代のヴァージョンが収録されている。
しばらくは入手困難だったが、2005年6月1日リリースの編集盤「GREATFUL DAYS 1981-90」に収録された。

「海辺のワインディング・ロード(UTOPIA RE-MIX VERSION)」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
リミックスにより音の抜けは格段に良くなっている。また「HEART ACE(ハートのエース)」ではオミットされていたサックスが復活している。
1990年11月14日リリースの編集盤「BEST OF THE RC SUCCESSION1981~1990」でやっとCD化された。

「サマー・ロマンス」は作詞・作曲:忌野清志郎・Gee2woによる楽曲。
ジャジーなタイプの楽曲。
Gee2woは元々ジャズをやっていたので、そのあたりが影響しているのかも知れない。RC盤「サマータイム」といったところか。
現在は入手困難な状態になっている。

「山のふもとで犬と暮らしている(UTOPIA RE-MIX VERSION)」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
この曲もリミックスにより音の抜けが良くなっている。また、エンディングのサックスのパートがオミットされ、あっさりと終了するような編集に変更されている。
1990年11月14日リリースの編集盤「BEST OF THE RC SUCCESSION1981~1990」でやっとCD化された。

10月21日:アルバム「the TEARS OF a CLOWN」

Side A
1. IN THE MIDNIGHT HOUR
2. SWEET SOUL MUSIC~STRAWBERRY FIELDS FOREVER
3. 君が僕を知っている
4. ラプソディー

Side B
1. よそ者
2. 君はそのうち死ぬだろう
3. 打破
4. スローバラード

Side C
1. SKY PILOT スカイ・パイロット
2. トランジスタ・ラジオ
3. ドカドカうるさいR&Rバンド
4. LONELY NIGHT (NEVER NEVER)

Side D
1. ヒッピーに捧ぐ
2. 自由
3. 雨あがりの夜空に

*****

CD the TEARS OF a CLOWN
*アナログ盤と同一

1986年8月16・17・23・24日の4日間、日比谷野外音楽堂にて行なわれたコンサート「4 SUMMER NITES」の実況録音盤。4日間のうち、2日目と4日目から選曲されている。
ジャケットはイラストレーターのあさみかよこの作品。よく「ジャニス・ジョップリンのアルバム『チープスリル』をモチーフにしている」と言われるが、正確には「ジャニス・ジョップリン」ではなく「ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニー」のアルバムである。「ジャニス・ジョップリン」はそのバンドのヴォーカリストであった。ちなみに「チープスリル」のジャケットはアメリカの漫画家「ロバート・クラム」の手による。
アルバム・タイトルの「the TEARS OF a CLOWN」は、モータウンの希代のシンガーでありソングライターでもあるスモーキー・ロビンソンが率いる、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの1967年の大ヒット曲からとられている。邦題は「涙のクラウン」。

「IN THE MIDNIGHT HOUR」は作詞・作曲:Wilson Picket Jr.・Steve Cropperによる楽曲。
オリジナルは作者の一人であるウィルソン・ピケット。楽曲を共作しているスティーヴ・クロッパーはオーティス・レディングのバックのギタリストで、清志郎のソロ・アルバムにも参加することになる。
清志郎はスティーヴ・クロッパーについてこう語っている。
「巷のバカな若い奴はキース・リチャーズだぁエリック・クラプトンだぁとかって騒いでいるけど、いちばんカッコいいギタリストは、何といっても今でもスティーヴ・クロッパーなんだから。」
セミの鳴き声から始まる、いかにも夏の野外ライヴっていう演出がニクい。

「SWEET SOUL MUSIC」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」は作詞・作曲:John Lennon・Paul McCartnyによる楽曲。
清志郎は「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」と「IN THE MIDNIGHT HOUR」を英語で歌っていることに対して「ちょっと英語が固いんですよねぇ」と語っている。

「君が僕を知っている」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
シングル「雨あがりの夜空に」のカップリングに収録時の表記は「君が僕を知ってる」だが、本アルバムの表記は「君が僕を知っている」と少し丁寧(?)になっている。

「ラプソディー」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。

「君はそのうち死ぬだろう」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
本アルバムが初出になるが、楽曲自体はフォーク時代からあった。
清志郎の中学・高校時代の同級生で、セカンド・アルバム「楽しい夕に」にミキサーとしてもクレジットされていた日隈権座のことを歌っている。日隈が鬱で苦しんでいた時に、彼を逆説的に励まそうとした曲である。結局彼は鉄道自殺をしてしまう。
また、このライヴが行われた4ヶ月程前の4月8日、当時人気絶頂だった女性アイドル「岡田有希子」が投身自殺をしている。そして、後追い自殺をする若者が相次ぎ、社会問題にもなった。そういった背景があり、この日比谷野外音楽堂で歌われたものと思われる。ここでは「ビルから飛び降りて死ぬだろう」と歌われているが、オリジナルは「首でもくくって死ぬだろう」であったらしい。この歌詞の変更も、「岡田有希子」の投身自殺を受けてのことだと思われる。清志郎がどういう意図でこの曲を披露したのかは、彼自身からのコメントがないので想像の域を出ない。
この曲をどう受け止めるかによって、本アルバムの価値も随分と変わっている。事実、この曲が収録されていることでこのアルバムを毛嫌いしてい人もいる。なお、「都合により詞は掲載されておりません」の断り書きがあり、歌詞カードには歌詞は掲載されていない。
本アルバムにはこの曲以外にも「死」を扱った「ヒッピーに捧ぐ」という曲が収録されている。「君はそのうち死ぬだろう」とともに、この「ヒッピーに捧ぐ」も対で聴くべきである。

「打破」は作詞・作曲:仲井戸麗市による楽曲。
仲井戸のソロ・アルバム「THE仲井戸麗市BOOK」からの1曲。
後半、「清志郎!」と叫び、清志郎を呼び込んで一緒にデュエットしている。

「スローバラード」は作詞・作曲:忌野清志郎・みかんによる楽曲。

「スカイ・パイロット」は「SKY PILOT スカイ・パイロット」は作詞・作曲:忌野清志郎・小林和生による楽曲。

「トランジスタ・ラジオ」は作詞・作曲:忌野清志郎・G1,238,471による楽曲。
途中でドヴォルザークの「新世界より 家路」(遠き山に日は落ちて)がちらりと演奏される。

「ドカドカうるさいR&Rバンド」は作詞・作曲:G忌麗による楽曲。

「LONELY NIGHT(NEVER NEVER)」はは作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。

「ヒッピーに捧ぐ」は作詞:忌野清志郎、作曲:肝沢幅一による楽曲。
アルバム「シングル・マン」に収められていたナンバー。このタイミングで披露されたのは、やはり「岡田有希子」の投身自殺を受けてのものかも知れない。
ホリプロ時代にRCのサブ・マネージャーをしていたオオシロ氏の死を悼んだ歌。彼のあだ名が「ヒッピー」だった。清志郎はこの曲に関して後日、こう語っている。
「サブ・マネージャーやってたオオシロくんってのがいて、彼のあだ名がヒッピーだったんだよ。彼は頭もいいし、不遇時代の俺たちに対して、『オレがおまえらを有名にしてやる』なんていって、すごくいいやつだった。そしたらさ、夏に死んじゃったんだよ。ポックリ病だった。そりゃもうショックだったよ……。葬式の後にジァンジァンかどこかでライヴがあって。当時は電車で通ってたんだけど……。ちょうど新しいギターを買った頃だったんだ。中古だけど、ギブソンのハミングバード……。この歌はね、そんな彼に捧げたナンバー。確かレコーディングにはミッキー吉野がいてハモンドを弾いていたと思う。」
ライヴ後半の清志郎の悲痛な叫び声を聴いてほしい。彼が「死」に対してどう感じているかを、一緒に感じ取ってほしい。そしてアルバム・タイトル「the TEARS OF a CLOWN」を思い出してほしい。「CLOWN」は道化師の意味。「道化師の涙」がアルバム・タイトル。「君はそのうち死ぬだろう」を単独で聴いても何の意味もないのだ。

「自由」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。

「雨あがりの夜空に」は作詞・作曲:忌野清志郎・仲井戸麗市による楽曲。

1988年

2月25日:アルバム「MARVY」

Side A(WOLF SIDE)
1. DIGITAL REVERB CHILD
2. MIDNIGHT BLUE
3. FULL OF TEARS-涙あふれて
4. AN OLD STORY ありふれた出来事 PART 2

Side B(WOLF SIDE)
1. CALL ME
2. COOL FEELING・クールな気分
3. 共犯者-The Accomolice
4. 遠い叫び

Side C(FISH SIDE)
1. HONEY PIE
2. GIBSON(CHABO’S BLUES)
3. 空が泣き出したら-The Sky is Crying
4. 夢中にさせて・Make Me Crazy About You

Side D(FISH SIDE)
1. DANCE
2. 俺は電気
3. SHELTER OF LOVE-ツル・ツル
4. NAUGHTY BOY

*****

CD MARVY
*アナログ盤と同一

スタジオ録音によるフル・アルバムとしては、1985年11月21日リリースの「HEART ACE(ハートのエース)」以来2年3ヶ月ぶりとなるリリースとなったアルバム。アナログでは2枚組で、1枚目は「WOLF」、2枚目は「FISH」
というタイトルが付けられていた。

前年にもRCの「ロンドン・レコーディング」が予定されていたが、清志郎以外のメンバーが乗り気ではなく、結局は清志郎一人で渡英。イアン・デューリー&ブロック・ヘッズをメンバーを中心に結成された「RAZOR SHARPS」をバックに従えたソロ・アルバムを作成している。

「MARVY」というのは、アメリカの俗語で「素晴らしい、目を見張るような」の意味。「MARVELOUS」から派生した言葉。表ジャケットの魚は清志郎が描いたもの。魚は、清志郎が日光の丸沼温泉に行ったときに入った男湯の壁一面が水槽になっており、そこにいた一匹の白子の山女を描いたもの。裏ジャケットのオオカミは、当時の原盤制作会社「ハッピージョーク」所属、現在は音楽事務所の代表を務めている相沢自由里が描いたもの。色を塗ったのは清志郎。予定ではこちらが表ジャケットだった。

前作「HEART ACE(ハートのエース)」がクリーンな音でなかったこと、試しにロンドンで制作・リミックスした「NAUGHTY BOY」の音が良かったこと、そして何よりもロンドンで制作された清志郎のソロ・アルバム「RAZOR SHARP」の出来が良かったこと。それらを踏まえ、本アルバムのエンジニアには「RAZOR SHARP」を手掛けた「チャーリー・ハウエル」を起用している。彼は「サイケデリック・ファーズ」や「パブリック・イメージ・リミテッド」などの作品を手掛けた人物である。清志郎以外のメンバーは、最初は外人のエンジニアに戸惑ったらしいが、徐々に慣れていき、最終的にはアナログ2枚分のレコーディングが行われている。

清志郎はこう語っている。
「ミキサーと音の関係がハッキリしたんでさ、外人を呼ぼう! ミキサーは外人に限る! ってノリになって、イギリスの若いミキサーと組んだの。そしたらやっぱり音がイイんでさ。ガンガン曲が録れちゃったわけ。で、絞って1枚にまとめましょうって時に、全然意見がまとまんなくてさ。『じゃあ2枚組にしましょう』とか言ってさ、出しちゃったんですよ」

この時期、音楽のソフトがレコードからCDに主流が移りつつあり、本アルバムが2枚組になったのもCDを意識しての結果だったという話もある。
再び清志郎の言葉を借りれば、「CDの最大収録時間に合わせました。レコードなんてもう古い。ぼくらは常にCDのことを考えてます!」ということになる。
ちなみにCDは1枚だが、2008年7月2日に再発されたCDは2枚組だった(税込で¥3,086)。

全体的にGee2woのキーボードが占める割合が減ってきており、それは彼のアレンジでの貢献度の減少とも関係しているように感じられる。この頃からGee2woと他のメンバー間との確執、Gee2wo自身のバンドへのモチベーションの低下、などが表面化してきたように思われる。

「DIGITAL REVERB CHILD」は作詞・作曲:忌野清志郎・春日博文による楽曲。
CDが音楽ソフトの主流になると同時に、デジタルとどう向き合うか、というのがミュージシャンたちの避けて通れない課題の一つとなっていた。RCについてもそれは言えることで、ドラムスを始めとして、この曲の持つ雰囲気もデジタル・テイストが表面に出てきている。
エンジニアの変更により、音の抜けが良くなり、よりクリアーなサウンドになったことも、このデジタル・テイストの表面化に拍車をかけている。違和感を覚えるファンもいたのでは、と想像できる。
「たらいまわしにされるより」という歌詞は、東芝→ポリドール→キティ→ロンドン→東芝、とたらいまわしのように点々としてきたレコード会社のことを指している。

「MIDNIGHT BLUE」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
この曲の方が、今までのRCのテイストに近い、ストレートなロック。
やはり音は格段に良くなっている。

「FULL OF TEARS・涙あふれて」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
3連のバラード。
歌詞には、やたらと悲哀を演出するような歌謡曲に対する批判が含まれているように感じる。
似たタイプの「海辺のワインディング・ロード」と異なり、キーボードの占める割合が極端に減っており、本アルバムにおけるGee 2woの役割(キーボードのみでなく、アレンジにおいても)が激減しているように思われる。

「AN OLD STORY・ありふれた出来事 PART2)」は作詞:忌野清志郎、作曲:武田清一による楽曲。
トロピカルな雰囲気のスローな楽曲。
武田清一は清志郎と小林で高校時代に組んでいた「The Remainders of The Clover」のメンバーで、のちに「日暮し」でデビューする人物。
この曲はその「日暮し」が1977年にリリースした同名アルバムに収められており、本アルバムでは歌詞を書き換えて収録されている。

「CALL ME」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
ライトでポップなラヴ・ソング。
バックの演奏は完全なギター・バンドである。
「君に贈るよ テレフォン・カード」という歌詞に、時代を感じる。

「COOL FEELING・クールな気分」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
これまたライトでポップなラヴ・ソング。
そしてこれまたバックはギター・バンドのそれであり、キーボードの出番はない。

「THE ACCOMPLICE・共犯者」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
歌詞、演奏ともにヘヴィーで切実な状況を歌ったロック。
自らを犯罪者に例え、それでも愛してくれるかい? と恋人に究極の選択を迫る、という内容になっており、今までの清志郎にはあまり見られなかったタイプの歌詞になっている。

「遠い叫び」は作詞・作曲:仲井戸麗市による楽曲。
マイナー調のロック・ナンバー。
仲井戸の作品であり、リード・ヴォーカルも彼が担当している。
1998年7月6日から9月28日まで、テレビ東京で放映されたアニメ「Serial experiments lain」に別ヴァージョンが起用された。本アルバム・ヴァージョンは、アニメ主題歌ヴァージョンよりはすっきりとしており、逆にアニメ主題歌ヴァージョンは少し過剰な印象がある。

「HONEY PIE」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
勢いのよいロック・ナンバー。いつものようにエッチなダブル・ミーニングの歌詞になっている。
本アルバムの約3ヶ月前にリリースされた吉川晃司のアルバム「GLAMOROUS JUMP」にも収録されており、セルフ・カヴァー的な収録になっている。

「GIBSON(CHABO'S BLUES)」は作詞・作曲:仲井戸麗市による楽曲。
仲井戸による仲井戸のためのギター・ソングといった感じのブルース・ナンバー。
2000年2月9日にリリースされた仲井戸麗市のデビュー30周年記念4枚組CDにもセルフ・カヴァーとして収録された。

「空が泣き出したら…・The Sky is Crying」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
ライトでポップなナンバー。本アルバムには割とこの手の軽めでキャッチーな楽曲の収録が多い。
「The Sky is Crying」とはブルースのスタンダードとなっているエルモア・ジェイムスの曲のタイトル。

「夢中にさせて・Make Me Crazy About You」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
3連のスローなナンバー。
前のアルバムに収録されていた「海辺のワインディング・ロード」や、本アルバム収録の「FULL OF TEARS・涙あふれて」も3連のスロー・ナンバーだったので、この頃の清志郎のお気に入りのタイプの楽曲だったのかも知れない。

「DANCE」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
これはもうジョン・リー・フッカーの「ブーン・ブーン」でしょ、ってタイプのブルース・ナンバー。
清志郎のヴォーカルが、時に憎々しげに、時に力強く、と色々な顔を見せてくれる。

「俺は電気」は作詞・作曲:B.NELSON、編曲:仲井戸麗市による楽曲。
仲井戸によるカヴァー曲。
イギリスのロック・バンド「ビル・ネルソンズ・レッド・ノイズ」の「ドント・タッチ・ミー(アイム・エレクトリック)」がオリジナル。オリジナルのほうはもう少しテンポがゆっくりしており、初期のXTC的なパンクとニュー・ウェイヴの中間って感じの作りになっている。
洋楽のカヴァーということでいえば、次作の「COVERS」の萌芽をすでにここで見ることが出来る、という解釈もできる。

「SHELTER OF LOVEーツル・ツル」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
タイトでキャッキーなロック・ナンバーで、次作「COVERS」の萌芽はここでもみられる、反原発楽曲。
清志郎は「遠回しではあるけれど、やはり大人としてそういう問題も少しは触れていくべきかなと思っている」と語っている。
また、「シングルをこの曲にするか、『NAUGHTY BOY』にするかいちおうモメたんだ。結局『NAUGHTY BOY』になったんだけど、泉谷しげるなんかは『なんでオマエ、ツル・ツルをシングルにしないんだバカヤローっ』て怒ってた」とも語っている。

「NAUGHTY BOY」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
ギターのアルペジオが印象的なキャッチーなナンバー。
清志郎がロンドンで「RAZOR SHARP」をレコーディングしている際に「NAUGHTY BOY」と呼ばれていたことに由来している。「NAUGHTY BOY」とは「わんぱくぼうす、いたずら小僧」といった意味。

3月25日:シングル「NAUGHTY BOY」

Side A
1. NAUGHTY BOY

Side B
1. DIGITAL REVERB CHILD

1月25日リリースのアルバム「MARVY」からのシングル・カット。
A・B面ともにアルバム収録ヴァージョンと同一。

8月15日:シングル「LOVE ME TENDER」

Side A
1. ラヴ・ミー・テンダー

Side B
1. サマータイム・ブルース

元々は東芝EMIから1988年6月25日に発売されるはずだったシングル。
結局はキティから1988年8月15日、「終戦の日」に発売されたシングル。
各楽曲の概要はアルバム「COVERS」を参照のこと。

8月15日:アルバム「COVERS」

Side A
1. 明日なき世界
2. 風に吹かれて
3. バラバラ
4. シークレット・エージェント・マン
5. ラヴ・ミー・テンダー
6. 黒くぬれ!

Side B
1. サマータイム・ブルース
2. マネー
3. サン・トワ・マ・ミー
4. 悪い星の下に
5. イマジン

*****

CD COVERS
*アナログ盤と同一

多分、RCの中で最も有名な1枚だろう。最も売れた1枚でもあり、現在のところ、RCで唯一のオリコン・アルバム・チャートNo. 1に輝いている。

「COVERS」のそもそもの始まりは1987年12月25日、武道館での恒例のクリスマス・ライヴにある。RCはこのライヴで日本語によるボブ・ディランのカヴァー「風に吹かれて」を披露した。その時、所属レコード会社、すなわち東芝EMIのスタッフたちがそのカヴァーを絶賛し、カヴァー・アルバムを作るという企画が数日で固まったという。

また、当時清志郎はギターのオープン・チューニングに凝っており、それをマスターするためにいろいろな昔の曲を思い出して演奏していたら、「けっこういい感じ」になったことで、「新しい歌詞を盛り込んで替え歌にしたら何か楽しそうだな」と語っている。参考にしたのは、ザ・バンドのカヴァー曲をあつめたアルバム「ムーンドッグ・マチネー」だったと言われている。

前作「MARVY」で原発問題に触れた「SHELTER OF LOVEーツル・ツル」を披露したことにより、原発問題などに興味があるファンから、清志郎の元に色々と資料などが送られてきており、清志郎の中で原発に対する意識が高まっていた。

RCは「MARVY」のレコーディング終了後、その「MARVY」の発売も待たずしてスタジオに逆戻りし、清志郎はFAXで友人たちに企画書を送り、参加を呼び掛けた。呼びかけに応じたのは、金子マリ、三宅伸治、ジョニー・サンダース、山口冨士夫、高井麻衣子、三浦友和、坂本冬美、ちわきまゆみ、泉谷しげる、桑田佳祐(桑竹居助名義)といった豪華な顔ぶれであった。他にも坂本龍一や田原俊彦などにも呼びかけたが、日程などが合わずに断念されている。レコーディングはものすごいスピードで進められた。当初は3枚組にしようか、という案まであったという。

山口冨士夫は当時を振り返ってこう語っている。
「とにかく原発とか、そういう巨悪が許されているのに、俺たちみたいなロックンローラーが当局から目をつけられる、そんなのフザケた話じゃねぇか、みたいな話から始まった。最初にやったのは『黒くぬれ!』だったかな。」

また、レコード会社の関係で変名(桑竹居助名義)で参加した桑田佳祐は、後日自分のラジオ番組「やさしい夜遊び」において「(当初は)原子力発電への関心が全くなくて、『ラヴ・ミー・テンダー』とか『サマータイム・ブルース』とか、イタいというか面倒くさい話をしているなぁと思った」と語っている。彼はそのことを反省し、自身のソロ・アルバム「MUSICMAN」収録の「グッバイ・ワルツ」の替え歌(2011年3月11日の東日本大震災における、福島第一原子力発電所事故をテーマにしている)を同ラジオ番組で披露している。

収録曲「シークレット・エージェント・マン」には、大韓航空機爆破事件の実行犯の一人「金賢姫(キム・ヒョンヒ)の記者会見のテープが使用されている。これは「朝日ジャーナル」の協力で入手したものであり、このテープの使用に問題があるかを外務省に問い合わせ、了承を得ている。レコード制作基準倫理委員会(レコ倫)も問題なく通過している。大韓航空機爆破事件とは、本アルバムリリース予定日(1988年8月6日)の約8ヶ月前の1987年11月29日、大韓航空の旅客機「ボーイング707-320B」が、偽装パスポートを使い日本人に成りすました北朝鮮の工作員により、飛行中に爆破されたテロ事件。乗客乗員合わせて115名全員が死亡。実行犯の金賢姫ともう一人の男性はバーレーンの空港で身柄を確保され、取り調べ中に男性は青酸カリ入りのタバコを吸って自殺。金賢姫も自殺を図ったが、未遂に終わっている。1988年のソウル・オリンピックの妨害が目的のテロ事件であった。

金賢姫のテープの使用にも問題がないことが確認され、シングル「ラヴ・ミー・テンダー」は6月25日に、アルバム「COVERS」は広島平和記念日の8月6日にリリースが決定。シングルのサンプルも完成し、新聞、雑誌、放送局などに配布された。音楽評論家へは、東芝EMI制作部門の責任者がわざわざ直接にサンプル盤を送っている。。つまりこの時点では東芝EMIもこのアルバム「COVERS」に対して、かなり力を入れていたことになる。

1988年6月9日、清志郎は当時の東芝EMI・邦楽統括本部長、石坂敬一に呼び出された。場所は虎ノ門のホテルオークラ。清志郎はこの席で、石坂から「会社の事情でこのアルバムは東芝EMIから発売することはできません。サイコーの出来なのに誠に申し訳ありません」と告げられる。理由は「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」が原子力発電への不安や危険性を訴える内容だったため。発売元の東芝EMIは、原子炉メーカーである東芝の子会社。石坂によると、今回の中止は当時の東芝EMI社長・乙骨剛の決断による。彼は親会社の東芝から来ている人物。親会社の事業の大きな柱である原子力発電に異議を唱える歌を認める訳にはいかなかったのだ。親会社・東芝からの圧力はそれほどにはなく、あくまでも子会社である東芝EMIが自粛した格好であった、と言われているが、真相は謎のままである。その時、清志郎は「ウムムッ……それはひ、ど、い」と唸ると同時に灰皿を壁に投げつけたという。

善後策として、石坂からは「ラヴ・ミー・テンダー」「サマータイム・ブルース」「マネー」「シークレット・エージェント・マン」の4曲をカットすれば発売してもいいという提案があった。元々は3枚組という構想まであったアルバムからさらに楽曲をカットしろ、という提案である。清志郎は「東芝だからこそ出すべきなんだ。ロックの東芝だろ! だったらこういったメッセージ色の濃い作品を絶対に出すべきだ。これは必要だから出す!」と主張するも、話し合いは平行線をたどり、結局は決裂。翌日も交渉は続けられ、東芝EMIの社内でも話し合いが設けられたが、発売中止の決定が覆ることはなかった。

1988年6月13日の長崎市公会堂、及び同年6月19日の宇和島門司港における「門司港ロック・フェスティヴァル」のステージにおいて清志郎は「万が一、レコードが発売されなかったら、あいつら騙されたな、はめられたなと思ってください」といった趣旨の発言をしている。

山口冨士夫は当時を振り返ってこう語っている。
「発売中止の話は清志郎からの電話で知らされた。それもレコード会社はOKだったのにもっと上からのお達しだって。頭に来たよ。けど、それ以上に言論の自由もヘッタクレもない、自由だなんて見せかけだけで、本当はやっぱり違ってたんだなってつくづく思ったね。でも清志郎は『絶対出そうせ』っていう気構え持ってたから、あとは安心して、口は出さなかった」

1988年6月22日、毎日新聞、朝日新聞、読売新聞の紙上に以下のような広告が掲載された。
「RCサクセション レコード発売中止の御知らせ
『COVERS』8月6日発売予定/『ラヴ・ミー・テンダー』6月25日発売予定
上記の作品は素晴しすぎて発売出来ません。東芝EMI株式会社。」
これは発売中止を受け呆れ、怒った清志郎の「素晴らしすぎて出せないっていうんだったら、それを新聞に出してくれ」との訴えから掲載された。

1988年、電気事業連合会は「原子力PA企画本部」というものを設置している。PAは「PUBLIC ACCEPTANCE」の略で、直訳すると「大衆、国民の受容、賛同、支持」となる。当時は2年前の1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原発事故を受け、世論は反原発に動いており、また広瀬隆による「危険な話」という原発問題を論じる書籍がベスト・セラーになっていた。それに対して「文藝春秋」は「デタラメだらけの『危険な話』」を掲載したり、日本原子力文化振興財団は「つくられた恐怖 『危険な話』の誤り」を出版したりと、反原発派と原発推進派が反目しあう状況があった。
そんな中、電気事業連合会は「原子力PA企画本部」を設立、反原発運動の鎮静化を図るための「世論工作」を始めた。そんな状況の中での発売中止であり、その理由が「反原発の歌を歌ったから」ということであろうと推理されたため、社会から大きく注目をされる結果となったのだ。
それだけではなく、表現の自由の問題やRCサクセションというネーム・ヴァリューの大きいロック・バンドが絡んだ「事件」だったため、多くの新聞やテレビ、マシメディアがこのことに関心を示したのだが、肝心の東芝EMIからの真相はついに聞かれずじまいであった。

それでも東芝EMIから、いくらかの「返答」はあった。
多くの問い合わせに対する東芝EMIからのFAXによる返答は以下の通りであった。
「このたび上記(広告)のような決定をいたし原盤をアーチストのもとにお返し致しました。私共といたしましては、すでにお返し申し上げた作品を尊重する立場から本決定に関する御質問は一切御返事を差し控えさせていただきたく、このことをお許し下さい。発売不能の広告にありましたメッセージは、我々から去りゆく作品に対する惜別のメッセージとおとりください。世の中アナログからディジタルへと移り変わりつつある昨今ではありますが、私共とアーチストとのふれあいはディジタルではなくアナログであり、かつ共感でありたいと念じております。育てる間もなく去っていった子供(作品)に対しては、すこし離れたところで静かに見守っていきたいと思っております。以上私共の気持ちをお汲み取りいただければ幸いです。東芝EMI株式会社」

東芝EMI・野村嘉次広報担当取締役は朝日新聞社の電話にこう応じている。
「原盤は今週になってお返しした。本件は東芝EMI独自の判断で決定した。圧力などは一切ない。この決定はあくまでもLPに関して全体を判断してのもの。シングルはLPのプロモート用の意味合いが強いために、LP本体を発売中止にする以上、シングルも中止にしただけ。特にシングルの2曲が問題になったわけではない。」

東芝EMI・乙骨剛社長は「朝日ジャーナル」7月8日号の取材に対してこう語っている。
「清志郎は、最高だと思う。今回のレコードもどこか他社からきっと発売されますよ。確かにRCには、悪いことをした。しかし、いまさら、別れた女房のどこが悪い、あそこが嫌いだなんて男として言えない。(中略)発売中止で、制作現場やアーチストからの不信感が強まるし、企業イメージのダウンも避けられない。しかし、社長というのは世の中の動きを見て判断すべき時はしなければいけない。あくまで自分の判断で決めた。批判が出ているとすれば私があほうだからです。」

2009年、清志郎が亡くなったのち、2015年6月号の「ローリング・ストーン日本版」において、石坂は当時のことを振り返っている。
「あれは私と忌野清志郎が当事者でした。ずいぶん話し合ったのですが、清志郎は『これは必要だから出す』と。けれど、私は『絶対に出せない』と言いました。なぜなら、会社の皆の人生がかかってしまう。親会社の進言でしたから。」
ここで石坂は「親会社の進言」とはっきり言っている。やはり親会社「東芝」からの圧力はあったものと思われる。
「ローリング・ストーン日本版」からもう少し引用させていただく。
「ビジネスマン、サラリーマンの世界では、あれしか答えはないんです。その頃、社長は東芝から来ていましたし、個人的な感情でものを言えない。」
「資本主義社会のルールでは、大株主である東芝の進言を無視するようなことはできない。そういう意味では、私は間違ってないんです。『出す』と言った清志郎も間違ってない。」

石坂はいわゆる「中間管理職」としての責務を果たしたことになるのだろう。ただし、彼の名誉のために付け加えておくが、彼は「中間管理職」として終わるだけではなかった。彼はこの「COVERS」が他の会社からリリースできるように、かなり方々に働きかけたという。石坂は東芝EMIの本部長に就任したとき、RCサクセションを東芝EMIの邦楽における柱にしたいという思いで、「俺は本部長だけど俺が担当をやる!」と言って、自らが獲得に動いた経緯があった。彼はRCに惚れ込んでいたのだ。

石坂は「COVERS」の発売中止決定直後から、本アルバムをリリースしてくれそうなレコード会社と秘密裡に交渉を始めている。その際には、東芝EMIの社長・乙骨剛からも理解を得ていたものと思われる。考えてみれば乙骨剛だって親会社の東芝との間に挟まれた「中間管理職」的な立場だったに違いないのである。
交渉を行ったレコード会社には、リリースの承諾を得たあとに何らかの圧力がかかり破断したケースもあったという。当時の日本のレコード会社の大半は大手電機メーカーの子会社か系列会社であったため、交渉は難航した。
最終的にキティ・レコードとの間で、8月15日にリリースすることが決定したが、合意に至った要因の一つは、キティ・レコードが電機メーカーとは全くの無縁だったからだと想像できる。また、キティ・レコードの創設者である多賀英典は以前はポリドールのディレクターをしており、1974年に東芝(東芝EMIではない)との契約が切れたRCをポリドールに移籍させたのも、この多賀英典がRCをかっていたことからであった。
当初のリリース予定日だった8月6日(広島平和記念日)からわずか9日後の8月15日(終戦記念日)にリリース先が決まる、といった非常に迅速な決定が可能になったのは、石坂をはじめとする、表立つことのない人々の努力の賜物だったのかも知れない。もちろん、発売中止にならなければそれが一番良かったことではあるが。

こうしてみると東芝EMI自体はこの「COVERS」に前向きだったと思われる。そうすると元凶(元凶、という表現が正しいのであればだが)となったのは、やはり親会社の東芝だったのだろう、と想像できる。その後の東芝という会社が抱え込んだ問題(アメリカでの原子力発電所建設事業にからむ不正会計処理の発覚や、18歳未満を原子力発電所で雇用していたなど)を考えると、どうしても皮肉なものを感じてしまう。

時期は不明だが、原盤制作会社「ハッピージョーク」に所属していた相沢自由里がこう語っている。
「しばらくして、広告代理店を通じて東京電力からCMソングの依頼が清志郎に継続してありました。私たちは原発を推進しているところのCMはやりませんと断りました。東電の真意については分からないです。」

2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震に伴う、福島第一原子力発電所事故の際には、本アルバムの収録曲「サマータイム・ブルース」が再度注目を集め、ピーター・バラカンは同年4月1日、自身のラジオ番組「BARAKAN MORNING」において本アルバムの収録曲「ラヴ・ミー・テンダー」を掛けようとしたら「局に止められた」と明言している。

どうしても反原発が中心の話題になってしまう「COVERS」ではあるが、実際に反原発に関する曲は全11曲中、「ラヴ・ミー・テンダー」と「サマータイム・ブルース」の2曲だけであり、本来は単純に「洋楽に日本の詞を乗せた替え歌カヴァー・アルバムです。楽しんで聴いてください」といった主旨のアルバムであった。

仲井戸は後日、この騒動についてこう語っている。
「(いま、『カバーズ』の事件を振り返ってみて、どうですか」という問いに対して)まったく残らなかったですよ。社会のニュースになっちゃうと、めちゃくちゃ客観的になっちゃって……。どうしてこういう人が近づいてくるんだろうみたいなことがたくさん出てきて。覚めまくっちゃって……。カヴァーをやったという音楽的な楽しみは残ったし、あのテーマがなくなったわけではないけど、引きずってることはまったくないです。いまはむしろ、ああ、そういうのがあったなという感じですね」

清志郎は後日、この騒動についてこう語っている。
「でも俺、『COVERS』に関してはぜんぜんわからなかった。なんでこんなに騒いでいるのか? 単純に面白いじゃんな、これ。笑えるだろう? それをよくもムキになりやがってさ、皆が。社会から何からよ。まー、歌が何かにぶつかんなけりゃツマンナイけど、それにしても、ほんと駄ジャレの世界で笑えるのになぁ……。」

「明日なき世界(EVE OF DESTRUCTION)」
作詞・作曲:P.F.Sloan、日本語詞:高石友也・忌野清志郎による楽曲。
オリジナルはバリー・マクガイヤー(Barry McGuire)の「EVE OF DESTRUCTION」。
金子マリ、三宅伸治がバック・ヴォーカルで、ジョニー・サンダースがギターと冒頭のナレーションで参加している。
「受験生ブルース」で有名な高石友也が歌った日本語訳詞が元になっている。
清志郎のヴォーカルからは強い怒りと憤りを感じることが出来る。

「風に吹かれて(BLOWIN' THE WIND)」
作詞・作曲:B.Dylan、日本語詞:忌野清志郎による楽曲。
オリジナルはボブ・ディラン(Bob Dylan)の「Blowin' In The Wind 」。
高井麻巳子がバック・ヴォーカルで、山口冨士夫と三宅伸治がバック・ヴォーカルとギターで参加している。山口冨士夫は一部リード・ヴォーカルも取っている。また、「こどもたち」というクレジットで子供たちがバック・ヴォーカルで参加している。
前年1987年の武道館クリスマス・ライヴでこの曲を披露。これが「COVERS」作成の発端となっている。

「バラバラ(BALLA BALLA)」
作詞・作曲:H.Lippok、日本語詞:忌野清志郎・仲井戸麗市による楽曲。
オリジナルはドイツのバンドでレインボウズ(The Rainbows)の「BALLA BALLA」。
原曲は「My Baby Baby Balla Balla」と「Balla Balla Balla Balla……」というフレーズしか歌詞が登場しない。
三浦友和と桑田佳祐(桑竹居助名義)がバック・ヴォーカルで、山口冨士夫がバック・ヴォーカルとギターで参加している
1997年頃のチロル・チョコのCMに使用されている。

「シークレット・エージェント・マン(SECRET AGENT MAN)」
作詞・作曲:P.F.Sloan & S.Barry、日本語詞:忌野清志郎・仲井戸麗市による楽曲。
オリジナルはジョニー・リバース(Johnny Rivers)の「Secret Agent Man」。
イギリスのテレビ・ドラマに「Danger Man」という番組があり、アメリカでは「Secret Agent」というタイトルで放映されていた。イギリスでは「High Wire」というインストルゥメンタル曲がテーマ・ソングとして使用されていたが、アメリカではジョニー・リヴァースが歌う「SECRET AGENT MAN」がテーマ・ソングとして使用され、ヒットした。ザ・ベンチャーズもカヴァーしており、RCヴァージョンはジョニー・リヴァースよりもザ・ベンチャーズの方に近い。
坂本冬美がヴォーカルで、ジョニー・サンダースがバック・ヴォーカルとギターで参加している。
前年1987年11月29日に起きた「大韓航空機爆破事件」を元に作られており、冒頭ではその事件の実行犯の一人「金賢姫(キム・ヒョンヒ:北朝鮮の工作員)」の記者会見のテープが使用されている(「朝日ジャーナル」の協力で入手したもの)。このテープの使用に関しては事前に外務省の了承も得ており、レコード制作基準倫理委員会(レコ倫)も問題なく通過している。東芝EMI側がこの曲を含む4曲のカットを提案しているが、外務省もレコ倫も問題なしであったので、単なる「触らぬ神に祟りなし」でカットを提案したものと思われる。

「ラヴ・ミー・テンダー(LOVE ME TENDER)」
作詞・作曲:E.Presley & V.Matson、日本語詞:忌野清志郎による楽曲。
オリジナルはエルビス・プレスリー(Elvis Presley)の「Love Me Tender 」。
作詞・作曲:E.Presley & V.Matsonとなっているが、実際には1861年に発表された「オーラ・リー(AURA LEE)がオリジナルである。作詞はW. W. Fosdick、作曲はGeorge R. Poulton。プレスリー・ヴァージョンはこの曲の歌詞を書き換えてリリースされている。つまりプレスリーも替え歌ヴァージョンだったわけだ。
「こどもたち」がバック・ヴォーカルに参加している。
ダジャレを使用した、不真面目な印象を与える歌詞で反原発を訴えることに抵抗を持つファンも多いが、そういう受け取り方が巡り巡って、あの大騒ぎになったのではないだろうか。ファン、あるいは社会は「これは真面目な反原発のメッセージだ!」と受け止め、清志郎は「面白いだろ! 駄ジャレだぜ、ベイビー」といったスタンスだったのかも知れない。そういった送り手と受け手の齟齬の大きさは確かにあっただろう。
「放射能はいらねぇ 牛乳を飲みてぇ」という歌詞が秀逸。「放射能」というあまり身近でない事柄を「牛乳」という身近な事柄に置き換えたことによって、「対岸の火事ではなく、自分たちの問題だよ」と改めて喚起させられる。

「黒くぬれ!(PAINT IT BLACK)」
作詞・作曲:M.Jagger & K.Richerd、日本語詞:忌野清志郎による楽曲。
オリジナルはザローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)の「Paint it, Black 」。
三宅伸治がギターで、山口冨士夫がバック・ヴォーカルとギターで、ちわきまゆみと三浦友和がバック・ヴォーカルで参加している。

「サマー・タイム・ブルース(SUMMERTIME BLUES)」
作詞・作曲:E.Cochran & J.Capehart、日本語詞:忌野清志郎による楽曲。
オリジナルはエディ・コクラン(Eddie Cochran)の「Summertime Blues 」。
高井麻巳子がバック・ヴォーカルで、泉谷しげると三浦友和がヴォーカルで参加している。途中の「原発という言い方を改めましょう。何でも縮めるのはニッポンジンの悪い癖です。正確に原子力発電所と呼ぼうではありませんか。心配はいりません」というナレーションは三浦友和。また彼は「ドック・オブ・ザ・ベイ」の日本語訳を提供したが、採用はされなかった。
清志郎は、うじきつよしが率いる「子供バンド」がカヴァーした「サマータイム・ブルース」の日本語訳詞をベースに日本語訳を作っている。ちなみに子供バンドのヴァージョンはザ・フーがカヴァーしたヴァージョンに近い。
曲中で日本の原発は37基だと歌われているが、現在(2018年3月)では運用中は40基、廃止・解体中は19基(福島第一原子力発電所を含む)、建設中あるいは計画中が2箇所となっている。
2011年3月11日の東日本大震災における福島第一原子力発電所の事故で、この曲の持つ説得力は増している。

「マネー(MONEY)」
作詞・作曲:J.Bradford & B.Gordy Jr.、日本語詞:仲井戸麗市・忌野清志郎による楽曲。
オリジナルはバレット・ストロング(Barret Strong)の「Money (That's What I Want) 」。また、作詞・作曲の一人「ベリー・ゴーディ(B.Gordy Jr.)」はモータウン・レコードの創業者である。
山口冨士夫と三宅伸治がバック・ヴォーカルとギターで、三浦友和がバック・ヴォーカルで参加している。
リード・ヴォーカルは仲井戸で、RCは以前からライヴで披露していた楽曲である。

「サン・トワ・マ・ミー(SANS TOI M'A MIE)」
作詞・作曲:S.Adamo、日本語詞:岩谷時子、補作詞:忌野清志郎による楽曲。
オリジナルはアダモ(Adamo)の「Sans Toi M'amie」。
日本語訳詞に関しては越路吹雪がカヴァーした岩谷時子訳をベースにしている。
山下洋輔がピアノで、梅津和時がアルト・サックスで、桑田佳祐(桑竹居助名義)がバック・ヴォーカルで、コリーヌ・ブレがナレーションで参加している。コリーヌ・ブレはフランス人ジャーナリスト。
フジテレビで放送されていたドラマ「やっぱり猫が好き」のエンディング・テーマや、日産自動車の「ル・マン参加キャンペーン」のCM、映画「バカヤロー」シリーズのテーマ・ソングなどに起用されている。

「悪い星の下に(BORN UNDER A BAD SIGN)」
作詞・作曲:W.Bell & B.T.Jones、日本語詞:忌野清志郎による楽曲。
オリジナルはアルバート・キング(Albert King)の「Born Under A Bad Sign 」。
山口冨士夫がギターで参加している。
山口冨士夫はのちにこう語っている。
「『悪い星の下に』は俺のギターがハード過ぎたんだろうね。レコードではずいぶんそぎ落されてた。」

「イマジン(IMAGINE)」
作詞・作曲:J.Lennon、日本語詞:忌野清志郎による楽曲。
オリジナルはジョン・レノン(John Lennon)の「Imagine 」。
ちわきまゆみと三浦友和がバック・ヴォーカルで参加している。
清志郎の日本語訳はジョン・レノンの歌詞の直訳に近い。
後半の「僕らは薄着で笑っちゃう」は、1982年12月15日にリリースされたシングル「つ・き・あ・い・た・い」のカップリング曲「窓の外は雪」からの引用。

12月16日:アルバム「コブラの悩み(Cobra In Trouble)」

Side A
1. アイ・シャル・ビー・リリースト
2. 言論の自由
3. CALL ME
4. ヘルプ
5. 明日なき世界
6. からすの赤ちゃん

Side B
1. 軽薄なジャーナリスト
2. 心配させないで
3. パラダイス
4. 俺は電気
5. あきれて物もいえない
6. 君はLOVE ME TENDERを聞いたか?(スペシャル・ショート・バージョン)

*****

CD コブラの悩み(Cobra In Trouble)
*アナログ盤と同一

1988年8月14日、日比谷野外音楽堂で行われたライヴの実況録音盤。
前作「COVERS」の発売中止騒動の最中に行われたライヴであり、発売中止という仕打ちに関するもの、それに付随するマスコミの大騒ぎに関するもの、そして直接「東芝」を非難した楽曲などが含まれているが、リリース元は東芝EMIであった。
「COVERS」が発売されたのが、この実況録音が行われた翌日の1988年8月15日。確かに発売中止という大騒動があったとはいえ、発売前のアルバムの存在なしに語れないライヴ・アルバムというのも不思議な気がする。
全12曲中、2曲はスタジオ録音である。また、10曲のライヴ・ヴァージョンのうち、1曲は金子マリの楽曲である。
この当時を振り返って清志郎はこう語っている。
「88年のライヴの時は、会場にカセレコとか持ってきてバンバン録ってもいいよ、とか言ったたんだよ。諦めちゃったっていうより、見放したとこがありますよね、音楽業界自体を。ホントにかったるいヤツらだなという。だから、作品を作ってるんだって気持ちが無くなっちゃったんだよ。考え方が変わった。正しい、正確な見方になった。『子供だましのモンキー・ビジネス』とか歌ってる時より、もっと辛辣なものかもしんない。(中略)でさ、『コブラの悩み』はさんざん新聞とかにアーだコーだ書かれたんで、一つ返答として出したいなと思ったんだ。他のメンバーはそれぞれに意見が違った。手売りでいこうとか言う人もあったし(笑)。やっぱりここまで歌っちゃいけないんだよっていう人もいたしね。」

「アイ・シャル・ビー・リリースト(I SHALL BE RELEASED)」
作詞・作曲:Bob Dylan、日本語詞:忌野清志郎による楽曲。
オリジナルはザ・バンド(THE BAND)だが、ボブ・ディラン(BOB DYLAN)をオリジナルと考えてもいいかも知れない。
歌、演奏、日本語詞、どれをとっても秀逸な楽曲。まさに「COVERS」騒動に対する清志郎からの返答になっている。歌詞カードでは「日はまた昇るだろう 東の島にも」と記述されているが、実際に清志郎は「日はまた昇るだろう 東の芝にも」と歌っている。野暮な解説を入れるとすれば、「東の芝」=「東芝」である。
冒頭の時計のベルや鐘の音はPINK FLOYDの「TIME」という楽曲の冒頭から引用されている。

「言論の自由」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
1972年2月5日リリースのRCのデビュー・アルバム「初期のRC・サクセション」からの1曲。
16年も前に発表した楽曲であり、予言的な歌、というよりも、楽曲の内容にあまりにも合致する状況が招かれてしまったことを憂うべきなのだろう。「こんな状況は普遍的なものじゃないか」という考え方はあまりにも悲しい。

「コール・ミー」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
1988年2月25日リリースのアルバム「MARVY」から。
「もしもひとりで退屈なときは」を「もしもひとりで安全はときは」、「もしもひとりでさみしい夜は」を「もしもひとりで自由なときは」とそれぞれ歌い替えている。「退屈でさみしい」ではなく「安全で自由」な状況が切望されているということだろうか。

「ヘルプ!(HELP!)」
作詞・作曲:Lennon-McCartney、日本語詞:忌野清志郎による楽曲。
オリジナルはザ・ビートルズ(THE BEATLES)の「HELP!」。
清志郎の駄ジャレをここでも聴くことが出来る。
オリジナルは「HELP ME」だが、ここでは「HELP US」と歌われている。

「明日なき世界(EVE OF DESTRUCTION)」
作詞・作曲:P.F.Sloan、日本語詞:高石友也・忌野清志郎による楽曲。
途中で歌が一時中断するが、これはマイクがマイク・スタンドから落ちてしまったためである。

「からすの赤ちゃん」は作詞・作曲:海沼実による楽曲。
この曲はライヴではなくスタジオ録音。
ちょうど「COVERS」のレコーディングが終了する頃、清志郎の育ての父が亡くなった。その父の初七日が済んだころに親戚の叔母さんが、清志郎の実母(清志郎が3歳の時に亡くなっている)の形見を清志郎に手渡している。その中に、清志郎の実母が吹き込んだレコードがあり、その中にこの曲が収録されていた。
清志郎はこう語っている。
「おやじが死んだ時、親類のおばさんが産みの母親の荷物をくれた。その中に実母が歌っているレコードがあってね。歌手でもなんでもなかったんだけど、『からすの赤ちゃん』とか『アリラン』とか歌っていた。実母の声ってこんなだったのか、と思った。」
清志郎はソロになってからもこの曲を歌っている。彼にとっては大切な歌なのだと思う。
オリジナルと比べ若干詞を変えて歌っているが、これは清志郎が変えたものなのか、彼の実母がそう歌っていたのかは不明。
作詞・作曲の海沼實は、1909年生まれの童謡作曲家。この「からすの赤ちゃん」は彼が作詞・作曲した数少ない楽曲の一つで、戦後に音羽ゆりかご会によってレコード化され大ヒットとなっている。
他にも戦前には「お猿のかごや」、「あの子はたあれ」、戦後には「みかんの花咲く丘」などのヒット曲を持つ。

「軽薄なジャーナリスト」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
初出の楽曲。
まさに「名は体を表す」でタイトル通りの内容を持つ楽曲。アルバム「COVERS」に関連し、ナンセンスなヒロイズムを巻き起こしたマスコミに対する清志郎からの回答。
ヘヴィーなブルース・ナンバーで、曲は単調だが、歌われている内容は辛辣であり、最後を「軽薄なジャーナリズムにのるくらいなら 軽薄なヒロイズムに踊らされるくらいなら そんな目にあうくらいなら あの発電所の中で眠りたい」と強烈な一言で締めくくっている。

「心配させないで」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
これも初出の楽曲
一見、男女間のラヴ・ソングのように思えるが、明らかにそうではないだろう。
清志郎は「おまえ」だけでなく「おれ達」だけでなく「子供のこと」まで心配している。
最後の方に「平和を我等に」と歌われているが、これはジョン・レノン(プラスティック・オノ・バンド)の楽曲のタイトルである。

「パラダイス」は作詞・作曲:石田長生による楽曲。
リード・ヴォーカルは金子マリ。1983にリリースされた彼女の初ソロ・アルバムに収録されていた曲(タイトルは「GET TO PARADISE」となっている)。
作詞・作曲の石田長生は、大阪出身のギタリスト。ソー・バッド・レビューや、上田正樹のバンドに在籍したりしていた。1989年にCharとアコースティック・ギターによるデュオ「馬阿(BAHO:バホ)」を結成し、知名度を上げるが、2015年に食道ガンにより亡くなってしまった。

「俺は電気(I'M ELECTRIC)」は作詞・作曲:B.Nelson、補作:仲井戸麗市による楽曲。
1988年2月25日リリースのアルバム「MARVY」から。
リード・ヴォーカルは仲井戸麗市。

「あきれて物も言えない」は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
1980年12月5日リリースのアルバム「PLEASE」に収録されていた。
元々ここで歌われている「山師」は泉谷しげるのことであったが、今回は誰を(あるいは何を)対象にしているのだろう。

「君はLOVE ME TENDERを聴いたか?」(SPECIAL SHORT VERSION)は作詞・作曲:忌野清志郎による楽曲。
スタジオ録音による楽曲で、タイトル通り本アルバムでは30秒程の楽曲だが、元々は4分8秒程の長さがある。
清志郎はこう語っている。
「あの曲は、東芝、マスコミその他すべてに対しての嫌がらせです。」
また「購入者から『ラストの曲が最後まで収められてない! 途中で切れてるじゃないか』とクレームが来たら?」という問いに対しては「それだったら、全部収録されろよな!」と答えている。
この年、1988年12月25日の武道館クリスマス・ライヴではフル・ヴァージョンが披露されている。1988年12月16日(本アルバムのリリース日)にFM大阪で放送されていた「忌野清志郎の夜をぶっとばせ」では、清志郎の「さぁ、カセットの準備、よろしいでしょうか。」というリスナーへの呼びかけとともにフル・ヴァージョンが放送されている。
ところどころに「ラヴ・ミー・テンダー」のメロディを配した、皮肉たっぷり、嫌味たっぷりの歌詞を聴くことができるが、残念ながら現在に至るまでCD化はされていない。

1990年

yamada3desu
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