羊たちの沈黙(映画)のネタバレ解説・考察まとめ

『羊たちの沈黙』とは、1991年にアメリカで製作されたサイコ・スリラー映画で、アカデミー賞主要5部門を獲得した大ヒット作品である。トマス・ハリスの同名小説をジョナサン・デミ監督が映像化した。ジョディ・フォスターとアンソニー・ホプキンスが主演を務める。連続殺人事件の調査として、FBIは実習生クラリス・スターリングを抜擢。収監中の猟奇殺人犯で、元精神科医のハンニバル・レクターに捜査の協力をさせるべく派遣する。クラリスはレクターとの奇妙な関係を築く一方、自らの過去と対峙してゆくことになる。

『羊たちの沈黙』の概要

廊下の奥に見えるのがレクター博士の独房だ

『羊たちの沈黙』(The Silence of the Lambs)は、1991年にアメリカで製作・公開されたサイコ・スリラー映画である。監督を務めるのは、多くのドキュメンタリー映画を手掛けその分野の受賞経験もあるジョナサン・デミ。本作における成功の印象が強いが、2008年公開の『レイチェルの結婚』ではヴェネツィア国際映画祭に出品されている。主演のクラリス・スターリング役には、『告発の行方』(1989)ですでにアカデミー主演女優賞を獲得しているジョディ・フォスターが抜擢された。彼女は『タクシードライバー』(1976)など多くのヒット作品にも出演している。また、ハンニバル・レクター役のアンソニー・ホプキンスは、1980年公開『エレファント・マン』で高い評価を得ていたイギリスの俳優である。彼は芸術にも造詣が深く、レクター役に当たっては犯罪者の文献を読み漁るなどの研究を敢行しており、独特の存在感と鬼気迫る演技を披露した。
原作はトマス・ハリスが執筆した同名小説であり、彼にとっては『ブラック・サンデー』『レッド・ドラゴン』に続くベストセラーとなった。脚本はテレビや舞台などの劇作家として活躍していたテッド・タリーが務め、本作において高い評価を受けた。

興行的に本作は大成功を収めており、1900万ドル(約22億円)の予算に対し全世界で2億7千万ドル(約225億円)もの興行収入を達成している。また、各界からも高い評価を得ており、アカデミー賞を始めとした多くの賞を受賞している。アカデミー賞では7部門にノミネートされ、作品賞、監督賞(ジョナサン・デミ)、主演男優賞(アンソニー・ホプキンス)、主演女優賞(ジョディ・フォスター)、脚色賞(テッド・タリー)の5部門を受賞。本作以前に主要5部門を受賞できたのは、『或る夜の出来事』『カッコーの巣の上で』の2作品のみである。ちなみに、ホラー・オカルト系映画としてアカデミー作品賞を受けたのは本作が初めての快挙であり、それまでは皆無であった。
また、公開から20年を経た2011年にはアメリカ国立フィルム登録簿に新規登録されたことが話題となった。アメリカ国立フィルム登録簿とは「国立フィルム保存委員会」が半永久的な保存を推奨している映画・動画作品のリストである。

音楽を担当するのは『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズで2度のアカデミー賞作曲賞を受賞したハワード・ショアだ。名匠デビッド・クローネンバーグ監督の『スキャナーズ』や『ザ・フライ』などですでに高い評価を得ており、ダークな中にもオペラティックで美しさを秘めた彼独自の世界観を余すところなく披露している。
また、背景音楽以外では4つの楽曲が挿入されている。「American Girl」は、Tom Petty & The Heartbreakersが1977年にリリースしたカントリー・ソングだ。キャサリン・マーティンが車を運転して帰宅する際にカーラジオから流れ、曲に合わせ大声で歌うシーンに使われている。「Goodbye Horses」は、ク・ラザロー(Q Lazzarus)が1988年にリリースした曲で、彼女唯一のヒット曲である。バッファロー・ビルがメイクを施し、ほぼ全裸でトランス状態となり踊るシーンで使われている。「Alone」は、Colin Newmanが1980年に発表したアルバム「A-Z 」の中の1曲で、バッファロー・ビルが被害者の皮膚をミシンで縫い合わせるシーンで流れている。また、ハンニバル・レクターお気に入りの曲としてバッハの「ゴルトベルク変奏曲BWV988」が使われている。レクターは特にグレン・グールド(ピアニスト、作曲家1945~1982)が演奏したバージョンを愛したとされるが、本作においてそれは使われておらず別の演奏者のものである。後半のシーンで、2名の警官を殺害した後、血まみれのレクターはこの曲に酔いしれている。

『羊たちの沈黙』の物語は、連続殺人事件を追うFBIが実習生クラリス・スターリングを、元精神科医で猟奇殺人犯のハンニバル・レクターの元へ調査のために送り込むところから始まる。知性があり、教養もあるが人肉を食する殺人鬼でもあるレクター博士と、まだ若く小柄だが賢く美しい女性であるクラリスは、やがて奇妙な信頼関係を構築する。レクターの並外れた洞察力を捜査に役立てたいクラリスは、自らの個人的な秘密と交換に事件解決のヒントを得てゆく。だがそれは、最も辛い過去のトラウマに向き合う試練でもあった。
本作は、観客を飽きさせない工夫が随所に施されている。セリフの言い回しや内容であったり、撮影手法からコマ割りに至るまで、それら全てが緻密に計算されている。そのため観客は最後まで、クラリスと共に驚き、悩み、そして恐れるのだ。しかもサイコ・ホラー映画でありながら、サスペンス要素やスリリングな場面も多い。映像的には高い芸術性も追求しており、時代を超えていつまでも語り継がれる名作だと言えるだろう。

『羊たちの沈黙』のあらすじ・ストーリー

実習生クラリス・スターリング

訓練中に呼び出されたクラリス

バージニア州クワンティコ近郊のFBIアカデミー(連邦捜査局の訓練施設)で、クラリス・M・スターリングは実習生として訓練に励んでいた。バージニア大学を卒業後、FBI捜査官になるため挑んだ境地である。周りに女性も少しはいるが、FBIは圧倒的男性社会であり、小柄なうえ少女のような顔立ちのクラリスは一層小さく見える。彼女は賢く、そして周りの男性が常に注目するほどに美しい。だが、その横顔に光るまなざしはしっかりと未来を見据え、目的のためには努力を惜しまない強さに溢れていた。

ある日、クラリスは行動科学課のジャック・クロフォード主任捜査官から呼び出される。バージニア大学時代の彼女はクロフォードのゼミに参加しており、優秀な成績を修めていた。そのことはクロフォードもおおいに認めている事であり、クラリス自身もFBIアカデミー卒業後はクロフォード率いる行動科学課への配属を希望している。行動科学課とは、犯人や事件を様々な視点から科学的に分析(プロファイリング)すべく設けられた部署である。

クロフォードは、クラリスにとある調査任務を指示する。それは、収監中の連続殺人犯で元精神科医のハンニバル・レクターに会い、面談調査を行うというものだ。クロフォードは、世間を騒がせている連続猟奇殺人犯「バッファロー・ビル」を追っていた。その事件とは、若い女性が次々と殺害され、その遺体からは必ず皮膚が広範囲に渡って剥がされるという凄惨なものだ。ちなみに、バッファロー・ビルと呼んではいるが犯人の本名では無い。西部開拓時代にバッファロー狩りで名を上げた、実在したガンマンの呼び名である。食肉用途もあったが、バッファローは主に毛皮を取る為に殺された歴史がある。そこで、犯人が皮膚を剥ぐことから連想した警察官が付けたあだ名らしい。ともかく、捜査は完全に行き詰まっており、FBIは収監中の連続殺人犯たちの心理分析を進めていた。データを集め、犯人像の絞り込みに役立てることで、この件を含め未解決事件の解明をしようと考えたのだ。

しかし、多くの犯人は協力的なのだが、ただひとりレクターは頑としてその協力を拒んでいる。そこで、若くて経験の浅い実習生ならベテランとは違った視点で捉えられる可能性があり、しかも美しい女性ならレクターの警戒心が少しは解けるかもしれない。クロフォードはそう考え、教え子の中から特に優秀なクラリスを抜擢したのだ。

クロフォードはクラリスに「ヤツが君に協力するとも思えないが」と切り出した。だが、その場合でもレクターを観察して彼の様子や、絵を描いているなら何を描いているかなどを報告するようにと続ける。そして、こう言って念を押す。「レクターは危険だから気を付けろ。決して個人的な話をしてはならん。まともな人間と思うな」クロフォードのただならぬ口調に、クラリスは身の引き締まる思いであった。

セッション1

クラリス(左)に事件のヒントを与えるレクター博士(右)

メリーランド州ボルチモアは、アメリカ東海岸北部に位置する同州最大の都市である。古くはタバコの輸出港として栄えた。ハンニバル・レクターはそのボルチモアにある「チェサピーク州立病院」の「ボルチモア精神異常犯罪者診療所」に収監されていた。診療所とはいえ、レクターの居る最厳重監視病棟は一般の刑務所より規則や警備が厳しいとされる。クラリスはそこで、フレデリック・チルトン博士に会う。彼はその最厳重監視病棟の責任者で、レクターなど凶悪犯の治療に当たる医師である。

チルトンもクロフォードと同様に、レクターには十分警戒するようクラリスに注意を促す。そして、「ルールはこうだ。監房のガラスには近寄らない。鉛筆やペン、ホチキスやクリップの類も渡してはならない。彼に渡したいものは食事用の引き出しから入れ、向こうからは何も受け取るな」と続けた。初対面のクラリスをいきなりデートに誘うような、軽薄で失礼な態度を取るチルトンだが、その言葉は重い。さらにチルトンは、ある写真を取り出して見せ「油断するとこうなる」と言う。
ある日、レクターは胸の痛みを訴えて医務室に運ばれた。心電図を取るため女性看護師が近づくと、レクターは突然彼女の顔に食らい付き、その肉を食べたのだ。医者が看護師の顎を整形し、片方の目だけはなんとか救ったという。写真には、その女性看護師の無残な姿が映っていた。しかも「そんな事をしでかしたレクターの脈拍は全く正常だったそうだ」と、チルトンはニヤリと笑った。わざわざそんな写真を持ち出し、若いクラリスを脅して楽しんでいるのかもしれない。
そんな彼を疎ましく思ったのか、あるいはレクターに毛嫌いされているとも言っていたからか分からないが、クラリスは「ここからは私ひとりのほうが。レクターを刺激したくないので」と告げる。そう聞いて「もっと早く言ってくれたら」と、不満を漏らすチルトンに「少しでも博士とご一緒したかったので」と、クラリスは微笑む。すると、チルトンはそれ以上何も言わず立ち去った。

監禁病棟は古い石造りの建物で、内部はごつごつとしたレンガのような岩石が所々にむき出している。しかも窓ひとつ無く、暗くジメジメとしていた。看護師のバーニーが黒錆の浮いた鉄製の扉を開けた。レクターの居る監房へ向かう、通路の入口だ。看護師と言ってもここでは看守のようなもので、彼は屈強なアフリカ系の男性である。「イスを用意しておきました。右側を歩いて下さい。監視しているので大丈夫ですよ」と、緊張するクラリスを気遣うようにバーニーは丁寧な口調で言った。

レクターの監房は一番奥にあった。クラリスは、粗末な岩石で出来た右側の壁に沿って注意深く歩いた。左側にはいくつかの監房があり、中の男たちがクラリスを見てそれぞれに反応している。サルのような動きをする髪の長い男は何か叫んでいる。最も奥のレクターは直立不動の姿勢で、まっすぐこちらを見据えていた。他の囚人たちとは違う、異様な気配を辺りに漂わせている。銀髪をオールバックで綺麗にまとめ、清潔そうに身なりを整え、収監されているとは思えない落ち着いた様子だ。しかも、身のこなしにどこか気品が漂い、威厳すら感じてしまう。

レクターは、礼儀正しく挨拶を交わしクラリスに身分証の提示を求める。それを見て、クロフォードの部下であり、実習生であることを即座に見抜いた。初めにレクターは、隣の監房に居るミグズが何と声をかけたかクラリスに質問する。サルのような動きをして叫んでいた男のことだ。若い女性が言うには恥ずかしい言葉であったが、正直にクラリスが答えるとその態度をレクターは気に入ったようだ。

だが、クラリスが書類を取り出し質問事項に答えるよう依頼しても「くだらない心理分析などお断りだ」と言って、レクターは拒んだ。しかも「学生を寄越すくらいだから、どうせクロフォードは新入りの殺人鬼バッファロー・ビルの捜査に忙しいのだろう」と、世間を騒がせている連続殺人犯の手がかりを得るため、クラリスがここへ送り込まれたことも看破する。

続けて、「なぜ犯人のことをバッファロー・ビルと呼ぶんだ?新聞には書かれていない」とレクターは尋ねた。それを受けクラリスが「犯人は必ず、殺害した女性の皮膚を剥ぐから」だと説明すると、レクターは「なぜヤツが皮を剥ぐか分かるか?」と、まるで力量を試すかのように分析を促した。
クラリスが「興奮するからでは?」と答え、「連続殺人犯のほとんどは記念品を欲しがる」と教科書通りの話をすると、レクターは「私は違う」と鋭い眼光をクラリスに向けた。しかし、クラリスは物怖じすることなく「そうね。あなたは食べたわ」と返した。

するとレクターは急に態度を変え、質問事項の書類を受け取った。しかし、答える気など無さそうにパラパラとめくるだけだ。そして、今度は挑発するようにクラリスの分析を始める。「バッグは高級な品だが、靴は安物。田舎娘が都会風を気取っているだけで、野暮な格好だ。両親は貧困層の出で、君が必死に消そうとするのはウエストバージニアなまりだな?君は常に男の目を引き、つまらない恋愛にうんざりしていた。だから、そんな環境から抜け出すためにFBIに飛び込んだ。違うか?」
クラリスは衝撃を受けた。なぜなら、レクターの言うことはことごとく当たっていたうえ、彼女にとって不愉快極まりない指摘だったからだ。まるで「お前に用は無い」と言われているようで、つい腹立ち紛れに「その強力な洞察力をご自身に向けてみたらどう?恐くて出来ないでしょ」と、クラリスは健気にも言い返してしまった。だが、あくまでも冷静な態度で、レクターへの礼儀を失することはしなかった。

しかし、すぐにレクターは「昔、国勢調査の職員が来た。私はそいつの肝臓を豆と一緒に食ってやったよ。ワインのつまみにね」と言い放ち、威嚇するように歯をむき出し「ツツツツ」と舌をすするような音を立てた。その異常な言動に、クラリスは背筋の凍るような恐怖を感じたに違いない。そして「学生さんはもう学校へお帰り」と言われ、レクターに背を向けられてしまったクラリスは立ち去るほか無かった。終始レクターのペースであしらわれ、取り付く島も無かった。優秀な彼女がこれまで味わったことの無い、完全なる敗北感であった。失意のクラリスは肩を落とし、レクターの監房を後にする。その途中、ミグズがベッドで背を丸めてうずくまり、何やらつぶやいている。クラリスが歩きながらミグズの方へ顔を向けると、彼は手に持っていたものをいきなり投げてきた。それはミグズの精液で、クラリスはそれを顔に受けてしまったのだ。
突如起こった信じられない出来事にクラリスが狼狽していると、囚人らが騒ぐ中にレクターの声が聞こえた。彼は「戻って来いスターリング捜査官!」と言っている。そして、クラリスに向かいミグズの非礼を詫びると共に「昇進のチャンスをやろう」と言う。レクターは「私の患者だったミス・モフェットを探せ」と、バッファロー・ビル事件のヒントをクラリスに与えたのだ。
帰り際、クラリスはさめざめと涙を流す。それは、ミグズや囚人たちに受けた屈辱のせいでは無い。レクターに打ちのめされたこと、確かにそれもある。だが何より辛いのは、警察官であった父を思い出したからだ。レクターに突き付けられた自らへの分析が、過去の様々なトラウマを呼び覚ましたのだった。

ミス・モフェット

クラリスは古い貸倉庫で事件の手掛かりを発見する

アカデミーに戻り、クラリスは訓練を続けながらレクターそして「ミス・モフェット」について調べ始めた。そんなある日、クロフォードから電話があり「ミグズは死んだ」と告げられる。レクターに一日中なじられ続けた挙句、自殺したのだ。レクターは逮捕される前にカルテを全て破棄しており、モフェットが元患者であったとしても調べようが無かった。だが、クラリスはある手がかりを見つける。それは、10年間先払いで借りられた貸倉庫で、名義は「ヘスター・モフェット」であった。クロフォードの許可を得て、クラリスはすぐにその貸倉庫に向かった。そしてそこで、男性の頭部だけが入ったホルマリン漬けのガラス容器を見つけたのだ。男性の顔には化粧が施されており、付けまつげが外れてホルマリンに漂っていた。周りにはドレスやハイヒールなどが無造作に置かれ、この男性が女装趣味だったことを窺わせている。

ヘスター・モフェット(Hester Mofet)はアルファベットの綴りを並び替えると「私の残りもの(the rest of me)」となり、つまりこの倉庫を借りたのはレクターだとクラリスは考えた。このヒント自体が彼のお遊び、もしくはクラリスへの課題のようなものだと。当然、このホルマリン漬けのことを尋ねる必要がある。クラリスはすぐにレクターに会いに行くことを決めた。

セッション2

事件への協力を申し出るレクター博士

レクターの監房は真っ暗闇だった。彼がどこに居るのかも分からない。折からの雨に打たれ、びしょ濡れのままクラリスは暗闇に向かって話し掛けた。綴り遊び(アナグラム)を解き、貸倉庫からホルマリン漬けの首を見つけたことについても告げた。すると、ガタンと大きな音がして、食事の引き出し口が押し出される。中には清潔そうなタオルが入っていた。レクターが雨に濡れたクラリスを気遣ったのか。あるいは、彼の課題にクラリスが合格したご褒美なのかもしれない。ともかく、レクターから多少なりとも信頼が得られたのだろう。「彼からは何も受け取るな」というルールがあったが、クラリスは少しためらいながらタオルを受け取り、濡れた髪を拭いた。
ミグズを自殺へ追い込んだ件の懲罰なのか、レクターは照明を消されたうえで通路にテレビを置かれ、退屈な宗教番組を一日中流され続けていた。チルトンの地味な嫌がらせだとレクターは言う。だが、もしかすると照明のほうはレクターが看護師のバーニーに頼んだ演出かもしれない。ともかく、バーニーが照明を点すとレクターは丁重に彼への礼を述べる。そして、例のホルマリンに漬けられた首の「名前はベンジャミン・ラスペール。私の元患者だ」と明かし、自分は隔離しただけだと言う。レクター自身が殺したのではなく、別の人物が殺したのだと匂わせている。

クラリスがさらなる情報を求めると、「私はもう一生ここを出られないだろう。ただ、窓が欲しい。青々とした木々や水のせせらぎが見たい。チルトン先生から遠くへ離れたい」と、まるで取引でもしたいかのようにレクターは心境を吐露した。

さらに「バッファロー・ビルの心理面を資料から分析できる。逮捕を手助けしよう」と、レクターは言う。クラリスは「犯人を知っているのね。誰なの?」と尋ねた。レクターはそれには答えず「待つ者にこそ幸いあれ」と、ことわざを引き合いに出した。「果報は寝て待て」とも言い換えられるが、やはり取引のオファーなのだろう。「私には時間がいくらでもあるが、ビルはもう次の獲物を探しているぞ」と、レクターはさらにクラリスを煽るような言葉を口にするのだった。

バッファロー・ビル事件

不気味な犯人宅の様子

だが、レクターの推察通りに事件が起こる。テネシー州メンフィスで、帰宅途中のキャサリン・マーティンが何者かに連れ去られたのだ。現場には切り裂かれたキャサリンの衣服が投げ捨ててあり、状況から見てバッファロー・ビルの犯行であろうと思われた。なぜなら、キャサリンはふくよかな若い女性で、放置された衣服の背中部分はザックリ切り裂かれており、他の被害者と多くの類似点が一致するからである。

同じ頃、ウエストバージニア州クレイ郡で女性の変死体が発見される。クラリスは授業中に呼び出され、クロフォードと小型飛行機で現地に飛んだ。クロフォードによると、被害者は捕らえて3日後に射殺されている。つまり3日間は生かされているのだ。その間、残虐な行為をされた形跡は無く、死後になって遺体から皮膚を剥いでいるようである。そして、いつも違う川に遺体は捨てられていた。川の水に洗い流され、犯人の指紋やDNAなどの証拠が発見されにくい。今回の遺棄現場はエルク川であった。そして、最初の被害者だけはなぜかおもりを付けて沈められており、そのため3番目に発見されている。今回は6人目の犠牲者であった。

被害者の家に到着すると、すでに通夜が執り行われていた。遺体は地域の保安官たちが遺族の元に届けたのだ。クロフォードと保安官が別室で話をしている間、クラリスは被害者の遺族らが集まる会場に目を移す。なんとなく遺族らの様子を見ていると、やがて過去の悲しい記憶が呼び覚まされる。それは、幼い頃に亡くなった父親の葬儀であった。
クロフォードに検視の所見を録音するよう命令され、クラリスは惨たらしい犠牲者の遺体を調べ始めた。そして、被害者の爪がいくつか割れていること、別の爪と指の間に土が詰まっていることなどを声にして小型のテープレコーダーに収めてゆく。クラリスやクロフォードが鼻の下に塗ったのは、遺体の腐敗臭を紛らせるための香料だ。同行した別の捜査官は、インスタントカメラで遺体を撮影している。このカメラは撮影する都度、自動的に現像されて画像を確認することの出来るカメラである。クラリスは撮影された写真の一枚から、被害者の喉に何かが詰まっているのを発見する。

それは、どうやら昆虫のサナギのようであった。水中で発見される遺体には、口や喉に木の葉などの異物が詰まることはよくある。だが、これは明らかに何者かの手によって詰められたものと見られ、事件解決の手がかりの可能性があった。そして、特徴的なのは遺体から剥がされた皮膚の形だ。背中の皮膚が背骨の左右に2つ、細長いダイヤ状に整然と並んで剥ぎ取られているのだ。あたかも儀式のようであり、この特徴はバッファロー・ビル事件において、何人かの被害者と一致する。

その後の調べで、サナギはスズメガの一種のものであることが判明した。研究者によると、学名「アケロンティア・スティックス」といい、日本語では「メンガタスズメ」だ。アジアにしか生息しない種類のガである。成虫の背中にはドクロのような模様があり「人面蛾」とも呼ばれる。犯人はわざわざアジアから卵を輸入して育て、サナギにして遺体の喉に詰めたのだ。

一方テレビなどのメディアは、連日のようにキャサリン・マーティンがメンフィスで行方不明になった事件を大々的に報道し始める。キャサリンの母親が有力な上院議員だったため、より一層センセーショナルに取り上げているのだ。「娘を、キャサリンを返して下さい。今こそ、あなたの慈悲を世間に示して下さい」と、ルース・マーティン上院議員はテレビカメラに向かって犯人に呼びかけ、愛娘のために一縷の望みを賭けていた。ちなみに、アメリカでは各州に必ず2名の上院議員が選出される。民衆の代表として責任も大きいが、強い権力を保持する地位にあるとも言える。

セッション3

クラリスはレクター博士(左)に取引を持ち掛ける

クラリスはレクターに、ある取引を持ち掛ける。その内容は、キャサリンが生きて救出された場合、母親であるマーティン上院議員はニューヨーク州の森が見える病院へレクターを移しても良いと言っている。しかも、1年の間に1週間はニューヨーク州「プラム・アイランド動物疾病センター」へ行き、毎日砂浜の散歩が出来る。そのうえ、1時間だけではあるが海で泳ぐことまでが許可されるというものだ。当然、狙撃隊の監視付きだ。それには、犯人逮捕とキャサリン救出にレクターが協力する必要があり、仮にキャサリンが殺害されてしまえばこのオファーは無効になる。

「魅力的だな」とつぶやき、レクターは興味を示す。クラリスが「アジサシ(英語でtern)の巣もあるのよ」と言うと、「ターンか。いいね。協力はするが情報の交換(ターン)が条件だ」とレクターは言い出した。アジサシとは、カモメの一種でハトと同じくらいの大きさがある渡り鳥だ。レクターがもじった「ターン(turn)」は「転換」や「やりとりする」などの意味がある。

レクターの求める条件は、クラリス個人の情報であった。「自分の事を話してはならない」とクロフォードから注意を受けていたが、キャサリンを救うためクラリスは彼の求めに応じる。そして、バッファロー・ビルの資料をレクターに渡した。

子供時代の最悪の思い出を尋ねられ、クラリスは田舎町の警察署長だった父が幼い頃に亡くなったことを明かす。母はこの時すでに他界しており、10歳のクラリスは孤児になってしまった。父親は幼かった彼女の全てだったのだ。

「君は正直だ。ありがとう」とクラリスの率直な態度に感じ入ったのか。約束通りレクターも事件の分析を始める。被害者の喉にススメガのサナギが詰め込まれていたことについてレクターは「ガの意味するところは変化だ」と言う。クラリスは、ホルマリン漬けの男性の首からも同じスズメガのサナギを見つけていた。双方の犯人は、同一人物である可能性が高い。

さらに、レクターは父親の死後どうだったか尋ねる。クラリスは、モンタナ州に住む親戚夫婦の牧場に行ったと答える。羊と馬を飼っており、善良な人々だった。だが、たった2か月しかそこで暮らしていない。「逃げ出したの」と、クラリスは言う。

「なぜだ?何があった?」と、レクターはさらに質問を重ねるがクラリスは「交換条件よ」とそれには答えず、分析の続きを促した。するとレクターは「バッファロー・ビルは自分で性的倒錯者(現代風に言い換えると性同一性障害)だと思い込んでいる。だが、彼の問題はそこでは無く、その凶暴性だ。性転換手術を病院に希望して、精神的な理由から断られた可能性がある」と、ついに核心に迫るヒントを披露する。性転換手術を行える病院は、国内に数えるほどしかないのだ。それらの病院を調べれば、容疑者が見つかるかもしれなかった。これまでのレクターの話を要約すると、犯人には変身願望があり、自分では性的倒錯者と思い込みそのような行動を取っている。ホルマリン漬けの首は、女装させられ化粧を施したうえで殺害され切り取られた。言わば予行演習であり実験台だ。しかも犯人には凶暴性があり、複雑で入り組んだ思考の持ち主だと言っているようであった。

7人目の被害者

必死に命乞いをするキャサリン

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