山と食欲と私(漫画)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『山と食欲と私』とは2015年9月からWEB漫画サイト『くらげバンチ』で連載開始された信濃川日出雄によるアウトドア漫画。『くらげバンチ』では最速で100万アクセスに到達した。
主人公・日々野鮎美(ひびの あゆみ)は単独登山が趣味の27歳会社員。そして絶景の中で食べる「山ごはん」も欠かせない。登山途中に出会う人々や鮎美の日常のエピソードを、登山と料理を通して綴る。
毎回再現性の高い「山ごはん」を鮎美が頬張るシーンや、実在する山からの絶景が見所である。また随所に登山のノウハウも紹介されている。

『山と食欲と私』の概要

『山と食欲と私』とは2015年9月からWEB漫画サイト『くらげバンチ』で連載開始された信濃川日出雄によるアウトドア漫画。『くらげバンチ』では最速で100万アクセスに到達した。スピンオフ作品として本作の主人公・日々野鮎美(ひびの あゆみ)が全国の山を紹介する登山ガイド『日々野鮎美の山歩き日誌』が新潮社WEBサイト『考える人』に2019年6月から連載されている。単行本は17巻既刊。
全国3000店の書店員が選ぶ「2016コレ読んで漫画RANKING BEST50」で2位を獲得、累計発行部数200万部を突破している。毎話10ページほどのショートストーリーとなっており、登山途中に出会う人々や鮎美の日常の悩みなどのエピソードを、登山と料理を通して綴るアウトドア漫画である。各話の最後ではモノローグで鮎美がその回の感想を述べている。
日々野鮎美は単独登山が趣味の27歳会社員。そして山の絶景の中で食べる「山ごはん」も欠かせない。普段は人見知りな鮎美も山で出会う人々とは自然と交流を持ち、様々な人生観に触れ成長していく。
再現性の高い「山ごはん」を鮎美が美味しそうに頬張るシーンや、実在する山からの絶景が見所である。また随所に登山のノウハウも紹介されている。

『山と食欲と私』のあらすじ・ストーリー

単独登山女子・鮎美

主人公・日々野鮎美(ひびの あゆみ)は防犯設備会社の経理課で働く27歳。「山ガール」ブームだった5年ほど前からブームに乗って登山を始めた。単独で本格的な登山をするようになった今では、自身の年齢から「山ガール」と呼ばれることを嫌い、「単独登山女子」を自称している。仕事の合間に筋トレをしたり、金曜は週末の登山に備えたスタミナ弁当にするなど、登山にどっぷりハマった生活をしている。そして登山の最大の楽しみは「山ごはん」。愛用の飯ごう・メスティンを使い、前日から仕込んでおいた食材からご当地食材、コンビニ食材などをフル活用して美味しいご飯を楽しむのだ。
人見知りの鮎美は日常生活ではあまり他人との交流を持たないが、経理課の先輩であり登山に興味を持つ小松原鯉子(こまつばら こいこ)や派遣社員で元山岳部員の瀧サヨリ(たき さより)とは仲良くしていた。また山で出会う人々とは交流を持ち、その後も連絡を取る仲間ができていた。

登山と山ごはんに目覚める鮎美

鮎美が登山を始めたのは大学生だった22歳の時。当初は服装や見た目ばかり重視の「山ガール」だったが、友人らと参加した初心者向けの富士登山ツアーで「なんでこんなに必死に登らなきゃいけないの」とついこぼした本音に、山岳ガイドの比辻(ひつじ)から「こんなに苦しい富士登山を経験したら、きっとこの先日本のどの山を歩いても楽しいと感じますよ。今日をきっかけに日本の美しい山々をぜひ知ってほしいね」と語られ、この言葉がきっかけで登山に目覚めることになる。
しかしこの富士登山の際、最高地点である剣ヶ峰で友人らとカップ麺を食した鮎美は、全くの無知だったことから残したスープを捨てて山を汚してしまう。数年後、再登山した際には剣ヶ峰で富士山に謝罪し、罪滅ぼしとして捨てられていたカップ麺のゴミなどを拾って帰った。
富士登山ツアーに参加した翌年、鮎美とツアーに参加した友人たちは大学を卒業し社会人となっていた。ある日、ツアー参加メンバーの1人「のり〜」こと海苔野浜絵(のりの はまえ)から「会社の人たちと登山をすることになったので、一緒に来てくれないか」と鮎美に誘いが入る。当日、年上ばかりで初対面の登山メンバーに躊躇していた鮎美だが、山頂での昼食時、メンバーの1人がメスティンを使ってその場で焼きたてパンを作り、分けてくれた。美味しいパンを頬張りながら鮎美は「山に登る人って、山の上でこんなに楽しいことをしてたのかーっ!」とショックを受ける。そして自分もやってみたいと思い、早速バーナーを買うことに決めるのだった。

ラーメンの汁事件

バーナーを手に入れた鮎美は海苔野に高尾山へと連れて行ってもらう。しかし周囲にバーナーを使って食事を作っている登山者はおらず、鮎美は恥ずかしくなってしまい、結局持ってきたおにぎりを食べるのみで終わらせてしまう。その次の週末は、海苔野が登山者の数も少なそうな御岳山ならどうかと、鮎美を連れてきてくれた。ここならできそうだと、鮎美は早速バーナーでお湯を沸かしてカップラーメンを作る。鮎美と海苔野はラーメンを食し大満足するが食後にスープの処理に困り、穴を掘って埋めてしまおうかと相談する。すると他の登山者に「山を汚すな!馬鹿者!食べ残しを捨てるな!マナーも知らないで山で飯なんか作るな!」と怒鳴られてしまう。2人は渋々スープを飲み干して下山することにした。
そして下山途中、海苔野が「私、山卒業する」と言い出した。元々登山に興味を持てていなかった海苔野だったが、鮎美が「山に行きたい」「山ラーメンを作りたい」と言うので、調べて連れきていた。しかし学生の頃から「○○したい」と言うだけで動かず、海苔野らが立てた計画についてくるだけの鮎美に、怒鳴られたストレスからついに海苔野は怒ってしまったのだ。
鮎美は自分の幼稚さ、山について全く勉強しようとしていなかったことを恥じた。海苔野からはお詫びのメールが来たものの、その後一緒に登山をすることはなかった。この一件から鮎美は入門書や雑誌で、山の歩き方やマナー、ルールを勉強するようになる。山を歩くことで体力もつき自信もついた鮎美だったが、この時は1人では怖くて登山はできないと考えていた。

単独登山女子への成長

鮎美が登山仲間探しに困っていた頃、鮎美の母・いるかが再婚することになった。いるかは亡くなった鮎美の実父・透(とおる)の家族に報告に行きたいと、透の実家のある北海道行きに鮎美を誘う。鮎美は「行きたい…じゃなくて行く!」と答えた。海苔野の件で少しずつ自分を変えようとしていた鮎美は、北海道では母のお供だけではなく山に登りたいと考え、羊蹄山に登ることに決めた。
鮎美の叔母でスポーツジムのインストラクターをしている雨子(あまこ)に事前相談と同伴を依頼し、鮎美は自分で登山計画を立てた。初めは「山で料理がしたい」と言った鮎美だが、雨子は標高差1500m以上の羊蹄山は体力勝負の山であるため、荷物を減らすため食事はおにぎりを持参することを提案、更に事前に走り込んで体力もつけておくよう鮎美に指示した。そして当日、想像よりもきつい羊蹄山に鮎美は苦戦する。4合目ですでに計画より遅れ始めるが、7合目はペースを上げてなんとか計画通りに通過する。しかしペースを早めたせいで足が止まる。鮎美は「体力ないな。私」と言うが、雨子は「ペースが速くなったり遅くなったりするのが疲れを感じる原因だ。自分を知り山をよく調べ、無理のない計画を立てること。つまり計画力の問題だ」と指摘する。鮎美は「自分でもわかってるから、何度も言わないで」と反論する。
再びペースは遅れ始め、ようやく避難小屋に到着。鮎美は心が折れかけており「ここまででいいので引き返しませんか」と言い出す。雨子は「残念だね。山頂まであと少しなのに。やさしい方に流れちゃうのかなぁ」と鮎美を焚き付けた。そして計画より30分遅れでついに山頂に到着。思わず涙ぐむ鮎美は思いきり叫んだ。海苔野にも「叔母に手伝ってもらったけど、自分で計画して羊蹄山登頂した」とメールを送ると「進歩したな」と返ってきた。道産の食材がたっぷり入ったおにぎりを食べながら「よっしゃー!」と叫ぶ鮎美は「少しは成長できたかな?」と満足感でいっぱいだった。

仲を深めた高尾山登山

鮎美、小松原、サヨリと蛭村(ひるむら)ら経理課メンバーは親睦会で高尾山登山にやってきた。入社したばかりのサヨリは大荷物で現れ、彼女が元山岳部員であり、登山上級者であったことが判明する。冬のアルプス登山の経験談には鮎美も大興奮だった。登頂した4人は昼ごはんを食べることにする。するとサヨリは持ってきていた大鍋で野菜や肉、小麦粉を練っただんごを味噌で煮込んだ「だご汁」を作り、持参した焼酎も一緒に宴会が始まった。会社全体での登山だと思ったサヨリの作った鍋は大量で、他の登山客にも振る舞い盛り上がった。そしてすっかり出来上がってしまった小松原と蛭村はケーブルカーで下山することに決める。鮎美はサヨリと下山しながら、サヨリが部員との人間関係の疲れから今は登山を辞めてしまっていることを聞く。一方サヨリは自分の代わりに重い鍋を楽しそうに背負ったり、景色を楽しむ鮎美を見つめていた。
小松原は蛭村と先に京王線高尾山口駅で温泉に入り、一杯やりながら鮎美とサヨリの到着を待っていた。鮎美とサヨリも温泉に入り、名物のとろろ蕎麦と一緒にビールを流し込む。サヨリは「今日初めて登山というものを楽しいと思ったかも」と呟く。鮎美と小松原も嬉しそうに笑った。

3泊4日の八ヶ岳単独縦走

水曜日の早朝、有給休暇を取得した鮎美は北陸新幹線に乗り、長野県と山梨県にまたがる八ヶ岳へ向かっていた。最近の職場の重たい雰囲気から逃れようと、鮎美は登山に集中する。
最初に到着した山小屋では名物の揚げパンに舌鼓を打ち、その後は絶景を眺めながら黒百合ヒュッテというテント場まで進んでいく。標高2400mから夕焼けで金色に焼ける北アルプスを眺めながら幸せな気持ちで1日目を終える。
2日目も自身の立てた行動計画に基づき、早朝から出発する鮎美。しかし急な悪天候で山小屋に駆け込む。その後も天候は回復せず、そのまま山小屋に宿泊することに決め、昼はビールを、夜は山小屋の食事を楽しむ。
3日目の朝、昨日よりも天候は落ち着いたものの雨やガスの中、慎重に進んでいく鮎美。最後の急登を登りきり、振り返るとそこには思わず声が出てしまうほどの大パノラマが広がっていた。その後は再び天候が悪化したためルートを変更し下ることにした鮎美。温泉で疲れを癒した後は、インスタントラーメンに野菜やウィンナー、餅、仕上げにカレー粉を加え一気に食す。夜もラーメンでは味気がないと感じた鮎美は山小屋の名物ステーキを赤ワインと一緒に堪能することにした。
登山してカロリーを消費するどころか体重は増え、お財布はどんどん軽くなるパターンだと思いながらも、八ヶ岳縦走を堪能した鮎美であった。

若き父の足跡を辿る鮎美

鮎美の父・透は体が弱く、鮎美が6歳の頃急逝していた。ある日いるかが押し入れを整理していると、透の写真が大量に見つかった。それは透が大学生だった20歳頃のものだった。どうやら透は大学の夏休みに日本全国を旅して歩いていたようなのだ。鮎美は20歳の透の足跡を追い、写真に載っていた大分県、くじゅう連山の坊ガツルを訪れる。
「4月の九州は暑い」と始めは半袖で歩いていた鮎美だが、太陽が隠れると一気に寒くなり、避難小屋で夕食をとることにした。うどんを茹で、そこに別府駅で買ってきた大分県名物のとり天を加えた「とり天うどん」を堪能する鮎美。隣で食事をしてい夫婦にもつ鍋をお裾分けしてもらった鮎美は、夫婦に父の写真を見せた。すると写真の下に書かれていた「民宿つるみ」を尋ねてみてはどうかとアドバイスされ、東京に戻る前に立ち寄ってみることに決める。
翌朝は、夫婦にもらった明太とツナの缶詰をご飯と一緒に炊き込んで食し、久住山を登る鮎美。猛烈な風と寒さに耐えながら山を歩き、透の言葉を思い出していた。「鮎美は俺に似て運動のセンスもないし、体力もないし、将来が心配だなぁ」と病床で呟く透。体の弱かった透はなぜ日本一周の一人旅などに出たのか。体が弱い「だからこそ」だったのではないかと鮎美は考えた。
久住山を下山した鮎美は温泉につかりながら、20歳の父と27歳の自分が会ったらと妄想する。会えるなら会ってみたいような、ちょっと怖いような気持ちも感じる鮎美だった。その後、別府・鉄輪温泉(かんなわおんせん)にある「民宿つるみ」を尋ねる。女将の鯵子(あじこ)は40年前のことで記憶がなかったが、宿泊客が自由に記入できるノートを見せてくれた。40年前のノートには透の書いたページがあったが「若女将がカワイイけど、奥手のボクは声をかけられなかった。また泊まりに来たい」という若い男性らしい内容だった。鯵子は「若い男の子の旅なんてそんなもん。楽しそうな姿が目に浮かぶわ」と笑った。
鮎美は体の弱い透が自分に試練を課して、つらい旅に挑んだのだと勝手に思っていた。鮎美の中で透のイメージは「つらい」、「かわいそう」、そんなものばかりだったが、透の人生にも楽しかった瞬間がちゃんとあって、それに触れることができた。そして旅の締めには鉄輪温泉の名物料理・地獄蒸しを堪能。九州に来て本当に良かったと思う鮎美であった。

『山と食欲と私』の登場人物・キャラクター

主人公

日々野 鮎美(ひびの あゆみ)

企業や公共施設向けの防犯機器を扱う会社で経理をしている主人公で、27歳の自称・単独登山女子。山ガールブームにのって登山を始めたものの「山ガール」という言葉は自身の年齢には合わないという理由で好まない。週末は本格的な登山と山での食事を楽しんでいる。人見知りな性格のため日常生活では1人でいることが多いが、山で出会った人たちとは割と交流を楽しんでいる。時々、小松原やサヨリ、瀧本とも登山を楽しんでいる。

鮎美と登山を楽しむ仲間たち

小松原 鯉子(こまつばら こいこ)

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