山本邦山
尺八奏者。
2月10日死去、76歳。
古典尺八の奏法を基に多くの作品を創作した。2002年に重要無形文化財保持者(人間国宝)。
牧野隆志
男性デュオ、東京プリンでその立ち位置から“左プリン”と呼ばれ、司会やDJなどマルチに活躍してきた著名人。
2月7日午前0時半、肺がんによる呼吸不全のため、都内の自宅で死去。49歳。
1990年、大阪を中心にDJやテレビのリポーターなどを始める。97年、伊藤洋介(50)と東京プリンを結成しデビュー。同年「携帯哀歌」で日本有線大賞音楽賞を受賞。2009年4月から仙台放送の番組「あらあらかしこ」でメーンパーソナリティーを務める。10年6月、肺がんとの診断を受け、翌月公表。
森徹
中日と早稲田大で4番を務め、全国野球振興会の理事長を務めていた元野球選手で、評論家。
2月6日、肝細胞がんのため東京都文京区の日本医大病院で死去。78歳。
東京・早大学院高から早稲田大に進み、強打の4番打者として活躍。1958年に中日入りし、いきなり23本塁打を放った。2年目の59年には4番を打ち、31本塁打、87打点で2冠を獲得。新人だった58年から3年連続でベストナインに選出された。62年から大洋(現DeNA)で、66年から東京(現ロッテ)でプレーし、68年限りで引退した。通算成績は1177試合で971安打、189本塁打、585打点、2割5分1厘。オールスターゲーム出場5度。
鈴木博之
日本の代表的な建築史家で、国内の近代建築の保存・復元でも活躍した東大名誉教授。
2月3日午前8時59分、肺炎のため東京都内の病院で死去。68歳。
東大大学院博士課程修了。東大教授として日本の建築史研究をリードする傍ら、JR東京駅の赤れんが駅舎復元や愛媛県八幡浜市の日土小学校の修復保存など、各地の近代建築の保存活動で大きな役割を果たした。
ラルフ・カイナー
米大リーグ、パイレーツで新人年から7年連続本塁打王に輝くなど活躍した元大リーガー。
2月6日、老衰のため、カリフォルニア州内の自宅で死去。
カイナー氏は1年目の1946年に23本塁打でタイトルを獲得すると、49年には54本塁打をマークし、52年まで7年続けて本塁打王を獲得した。カブスなどに移籍後、故障の影響で55年に引退。75年に米野球殿堂入りを果たし、パイレーツの背番号4は永久欠番となっている。大リーグ通算成績は1472試合で1451安打、369本塁打、1015打点。
ルイス・アラゴネス
サッカースペイン代表の前監督で、08年欧州選手権で同国を優勝へ導いた。
2月1日、マドリードの病院で死去。75歳。
家族の声明によると白血病で闘病中だったという。現役時代にアトレティコ・マドリードなどでプレー。引退後は指導者に転身して、古巣のアトレティコ・マドリードなどを率いた。2004年にはスペイン代表監督に就任し、スイスとオーストリアで共催されたユーロ2008では、スペイン代表を44年ぶり2回目の大会制覇に導いていた。
塚田正昭
声優。
1月27日に横浜市内の自宅で死去。
塚田さんは「BLEACH」の山本元柳斎重國役、「鋼の錬金術師」の将軍役、「おじゃる丸」の小林茶役などで知られる。映画「リーサル・ウェポン」シリーズなどの吹き替えでも活躍した。夫人は同じ声優の野沢雅子。
小林カツ代
手早く作れる家庭料理を提案し、テレビ番組などで活躍した料理研究家。
1月23日、多臓器不全のため死去。76歳。
1男1女を育てながら、主婦の立場から素早く簡単に作れる料理を紹介。著書も多く、NHK「きょうの料理」に出演するなど、白シャツに黒いエプロン姿と親しみやすい人柄で幅広い世代から人気を集めた。
05年にくも膜下出血で倒れて以降は、療養を続けていた。長男は料理研究家のケンタロウ氏。
永井一郎
国民的人気アニメ「サザエさん」の波平役で親しまれた声優。
1月27日、広島市中区のホテルで亡くなっていたことが判明。82歳。
永井さんは、「バッカモン!」とサザエやカツオを怒鳴る声がおなじみの波平を、1969年の番組スタート時から演じ続け、頑固だが家族思いの父親像を築き上げた。フジテレビ広報によると、永井さんの番組収録は23日が最後で、普段と変わらない様子だったという。2月9日放送の回まで永井さんが声をあてている。
坂東真砂子
伝奇的なホラー小説で知られる直木賞作家。
1月27日午前11時13分、高知県内の病院で死去。55歳。昨年4月に初期の舌がんの手術を受けたが、同年末に転移が判明、治療を続けていた。
奈良女子大卒業後、建築とデザインを学ぶためイタリアに留学。帰国後に作家となり、1993年の「死国」はホラー小説ブームの先駆けとなった。97年に明治末期の雪国を舞台にした「山妣(やまはは)」で直木賞、2002年に「曼荼羅道(まんだらどう)」で柴田錬三郎賞を受賞した。
佐久間正英
BOOWYやGLAY、JUDY AND MARYなど多くのアーティストを手がけた音楽プロデューサーでミュージシャン。
1月16日、胃がんで死去。61歳。
75年にロックバンド「四人囃子」のベース奏者としてデビュー。プラスチックスにも参加した。プロデューサーとして、黒夢、エレファントカシマシ、くるりなど幅広いアーティストの作品を手がけ、80~90年代のロック・ポップスシーンを牽引。
近年も演奏家として早川義夫さんらとの共演などをしていたが、昨年4月にスキルス胃がんとわかり、闘病しながら音楽活動を続けていた。
船井幸雄
企業経営を指導するコンサルタント会社、船井総合研究所の創業者で最高顧問。
同社が死去したことを明らかにした。81歳。
船井氏は京都大農学部を卒業後、1970年に前身となる会社を設立、85年に現社名に変更した。2003年に名誉会長に退くまで社長、会長を歴任し、「船井流経営法」など企業経営を中心とする多数の著書がある。
小サイズに変更
岩見隆夫
毎日新聞社特別顧問で政治評論家。
1月18日、肺炎のため東京都新宿区の病院で死去。78歳。
旧満州(中国東北部)の大連生まれ。京都大法学部を卒業し、1958年に毎日新聞に入社。大阪、東京の社会部を経て政治部で首相官邸や自民党などを担当。論説委員、サンデー毎日編集長、編集委員室長を歴任した。
吉野弘
分かりやすい言葉を使って人間の温かみを描いた叙情詩で知られる詩人。
1月15日、肺炎のため静岡県富士市の自宅で死去。87歳。
山形県酒田市出身。散文詩「I was born」で注目を集め、1953年、同人詩誌「櫂(かい)」に参加。71年の詩集「感傷旅行」で読売文学賞、90年に詩集「自然渋滞」で詩歌文学館賞を受ける。94年に「吉野弘全詩集」を刊行した。
加藤精三
声優。
1月17日、ぼうこうがんのため死去、86歳。
「巨人の星」の星一徹の声で知られたほか、「ジャングル大帝」や「リボンの騎士」などアニメ番組を中心に活躍した。
小野田寛郎
太平洋戦争中に派遣されたフィリピンのルバング島に約30年間潜伏し、生還を果たした旧日本軍少尉。
1月16日、心不全のため東京都内の病院で死去。91歳。
1922年に和歌山県亀川村(現海南市)で生まれ、44年に陸軍中野学校二俣分校を卒業。同年12月に情報将校としてフィリピンに派遣された。終戦後も作戦を解除する命令がないことからジャングルで潜伏を続けた。島を訪れた元上官に終戦を伝えられ、74年3月に帰国した。
その後、一時はブラジルに渡り牧場を経営。青少年の育成にも取り組み、92年に福島県に開いた「小野田自然塾」などで、ジャングルで生き抜いた経験を伝えた。
野並豊
崎陽軒会長。
1月10日、肺炎で死去、91歳。
1965~91年に社長。真空パックシウマイを開発したほか、横浜駅だけだった販路を他駅やデパートに広げ、「崎陽軒のシウマイ」を全国区に育てた。
淡路恵子
喜劇からシリアスな作品まで幅広く活躍した俳優。本名は井田綾子さん。
1月11日午後5時24分、食道がんのため東京都内の病院で死去。80歳。
高校を中退後、松竹歌劇団入団。49年に黒沢明監督の「野良犬」で映画デビュー。66年に萬屋錦之介さんと再婚して、いったん引退。87年に離婚後、山田洋次監督の「男はつらいよ 知床慕情」で映画に復帰、舞台を中心に活躍した。
98年、舞台「もず」の演技で菊田一夫演劇賞。晩年は映画「ぷりてぃ・ウーマン」に主演したほか、バラエティー番組にも出演し、歯に衣着せぬ発言で親しまれた。
水沢薫
元プロ野球選手で、巨人で、主に「1軍監督付」として原監督を支えてきた編成調査室職員。
1月10日午前0時22分、肝不全のため都内の病院で死去。48歳。
秋田商のエースとして活躍したが、甲子園出場はなかった。86年のドラフト会議で巨人から1位の日大明誠高・木田優夫に次ぐ2位で指名。
1年目にイースタン・リーグで最優秀救援のタイトルを獲得。92年オフに引退。トレーニングコーチに転身し、1、2軍での指導に当たった。ジャイアンツ・アカデミーの講師を経て、08年から原監督をサポート。09年の第2回WBCでも、侍ジャパンを率いた同監督に同行した。
やしきたかじん
「やっぱ好きやねん」などのヒット曲で知られるタレントで歌手。本名は家鋪隆仁。
亡くなったことが1月7日判明。64歳。
49年、大阪市生まれ。龍谷大学経済学部中退後、76年に歌手デビュー。86年発売の「やっぱ好きやねん」がヒットし、94年には「東京」で全日本有線放送大賞「読売テレビ最優秀賞」を受賞。
トークバラエティー番組「たかじんのそこまで言って委員会」など3本のレギュラー番組を持っていた。いずれも高視聴率を誇り、「関西の視聴率男」と呼ばれた。
12年1月、初期の食道がんを理由に芸能活動を休止。手術後の13年3月に復帰したが、5月に再び体調を崩し、長期休養に入った。
エウゼビオ
サッカーの元ポルトガル代表で1966年ワールドカップ(W杯)イングランド大会で得点王。本名エウゼビオ・ダシルバフェレイラ。
1月5日、心不全で死去。71歳。
高い身体能力を誇るストライカーで「黒豹(くろひょう)」の愛称で親しまれた。ベンフィカで頭角を現し、62年にはチームを欧州チャンピオンズカップ(現欧州チャンピオンズリーグ)優勝に導いた。66年W杯では北朝鮮に0―3とリードを許したところから4得点を挙げる活躍。計9得点で得点王となり、ポルトガルが過去最高の3位に入る原動力となった。65年には欧州最優秀選手(バロンドール)を受賞した。
今井重幸
作曲家、演出家。
1月4日、食道がんのため死去、81歳。
舞踏家の長嶺ヤス子さんや土方巽氏の舞台演出のほか、テレビや映画の音楽を手掛けた。
山下徳夫
元官房長官。
1月1日午前1時30分、老衰のため佐賀県伊万里市の自宅で死去、94歳。
1969年の衆院選で旧佐賀全県区に出馬し、初当選。連続10回当選を果たした。第2次中曽根内閣で運輸相として初入閣し、国鉄民営化や85年の日航ジャンボ機墜落事故の対応に当たった。また第1次海部内閣では官房長官、宮沢内閣で厚相を務めた。