【追悼】2012年から2015年に亡くなった芸能人・著名人まとめ

芸能界やスポーツ界、財界などで活躍する芸能人・著名人の訃報が流れると、世間では大きな衝撃が生まれて、その人物の特集記事やコーナーが組まれることが多く有る。本記事では「2012年」から「2015年」の間になくなった芸能人・著名人の情報を、その方の生前の活躍ぶりと共にまとめて紹介する。

出典: shuntiku.com

三瓶明雄

人気番組「DASH村」で農業指導した農家。
6月6日、福島県伊達市内の病院で死去、84歳。
日本テレビ系のバラエティー番組「ザ!鉄腕!DASH!!」で、アイドルグループTOKIOが同県浪江町で農作業などをする人気企画「DASH村」に出演。メンバーに農作業の指導をしていた。

出典: www.town-t.com

古田足日

絵本「おしいれのぼうけん」などで知られる児童文学作家で評論家。
6月8日、心不全のため死去、86歳。
愛媛県出身。児童文学の創作と評論で活躍。昭和35年、「現代児童文学論」で日本児童文学者協会新人賞。平成6年に巌谷小波文芸賞。主な作品に「おしいれのぼうけん」「大きい1年生と小さな2年生」など。日本児童文学者協会会長も務めた。

出典: www.amazon.co.jp

外山ひとみ

写真家、ジャーナリスト。
6月1日、急性骨髄性白血病で死去、55歳。
静岡県富士市生まれ。20年以上にわたって刑務所を取材した。小型バイクによるベトナム縦断撮影旅行や10代の少女のルポなどでも知られる。著書に「ニッポンの刑務所」など。

那珂太郎

詩人、日本芸術院会員。本名は福田正次郎。
6月1日、肺炎のため死去、92歳。
東大卒。高校の国語教師を経て、昭和25年に第1詩集「ETUDES」を刊行。その後、萩原朔太郎の研究に取り組み、精力的に評論を発表した。40年刊行の第2詩集「音楽」が室生犀星詩人賞と読売文学賞を受賞。自由詩を成り立たせている言葉の奥底にある「音」を探る試みが評価された。
その後も「幽明過客抄」で現代詩人賞、「鎮魂歌」で藤村記念歴程賞。平成6年から日本芸術院会員。玉川大教授も務めた。

5月

原貢

プロ野球巨人の原辰徳監督の父で、東海大系列校野球部総監督を務めた。
5月29日、心不全のため、神奈川県内の病院で死去。79歳。
福岡・三池工高野球部監督として昭和40年の夏の甲子園大会で当時無名だった同校を初出場初優勝に導き注目を集めると、翌年から神奈川・東海大相模高野球部監督に就任。春・夏合わせ計8度の甲子園大会で優勝1度、準優勝1度の成績を残した。
東海大を含め数多くのプロ野球選手を育てたが、特に長男である原辰徳監督との「親子鷹」は話題となった。巨人の菅野智之投手は孫にあたる。

粕谷一希

雑誌「中央公論」の元編集長で戦後論壇を先導した評論家。
5月30日午後、心不全のため東京都内の病院で死去。84歳。
東大法学部を卒業し、1955年に中央公論社に入社。「中央公論」編集者だった60年代、国際政治学者の高坂正堯まさたかを論壇デビューさせたほか、政治学者の萩原延寿のぶとし、永井陽之助、劇作家の山崎正和さんらの論文を積極掲載し、左翼全盛の論壇に現実主義的路線を打ち立てた。66年にはイタリアで塩野七生さんと出会い、「ルネサンスの女たち」の執筆を勧めて作家デビューへ導いた。

西森輝門

日本相撲協会の前理事長で、元大関魁傑(かいけつ)、元放駒(はなれごま)親方。
5月18日、死去。66歳。
幕内在位45場所で優勝2度、殊勲賞2度、敢闘賞7度、技能賞1度。79年に引退後は放駒部屋をおこし、横綱大乃国(現・芝田山親方)らを育てた。
2010年8月に理事長に就任した。在任中の11年2月に発覚した力士らによる八百長問題では、同年の春場所の中止と技量審査の夏場所の無料公開に踏み切った。年寄名跡(親方株)を協会で一括管理する方針など、協会運営の大幅な見直しを進め、新制度下での協会の公益法人化へ道筋をつけた。

文挟夫佐恵

俳人。
5月19日、老衰で死去、100歳。
東京生まれ。飯田蛇笏(だこつ)に師事した。1961年に石原八束らと「秋」創刊に参加し、後に主宰。65年に現代俳句協会賞受賞。昨年、俳句で最も権威があると言われる蛇笏賞を最高齢の99歳で受賞した。代表句に「炎天の一片の紙人間〈ひと〉の上に」がある。

出典: wasavi-design.com

長大作

戦後デザイン界の重鎮の一人として知られる家具デザイナー。
5月1日、老衰で死去。92歳。
旧満州(現中国東北部)出身。1947年に坂倉準三建築研究所に入社。57年の「藤山愛一郎邸」、58年の「松本幸四郎邸」では建築の設計から家具のデザインまでのすべてを手がけて、注目を集めた。
両邸宅に携わった経験から、次第に家具デザインに魅了され、和と洋を融合した多くの秀逸な作品を制作した。代表作は「低座イス」など。

出典: www.tokyo-np.co.jp

村山常雄

シベリア抑留者支援・記録センター世話人。
5月11日、細菌性肺炎のため死去、88歳。
元シベリア抑留者で、1949年に帰国。教員を経て、70歳で抑留死亡者のデータベースを作り始め、4万6千人超の名簿をホームページや自費出版で公開した。2006年に吉川英治文化賞。

出典: www.viet-jo.com

田部和良

元Jリーグアジアアンバサダー。
5月9日に死去。52歳。
田部氏は教員を経て99年に横浜FC立ち上げに尽力。フランスリーグのグルノーブル、Jリーグ福岡などのGMを歴任し、13年2月にはJリーグのアジアプロジェクトの一環としてベトナムに派遣されていた。

出典: www.kt.rim.or.jp

神美知宏

全国ハンセン病療養所入所者協議会(全療協)会長。
5月9日、群馬県の病院で死去。80歳。
17歳でハンセン病を発病し、香川県の大島青松園で半世紀にわたり療養。その後は元患者として療養所入所者の尊厳確立と差別撤廃、社会復帰、療養所の将来のため各地で活動を展開。
国立ハンセン病資料館の事業計画などを協議するため厚生労働省が設置した「ハンセン病資料館等運営企画検討会」や、全国の療養所にある史跡をどう保存していくか話し合う「歴史的建造物の保存等検討会」の委員を務めていた。

出典: www.townnews.co.jp

岩井直溥

「吹奏楽ポップスの父」と呼ばれた作曲家・編曲家。
5月10日、呼吸不全で死去。90歳。
東京音楽学校(現・東京芸術大)卒。ジャズのトランペッターとして活躍した後、編曲家になる。1972年から吹奏楽によるポップスシリーズ「ニュー・サウンズ・イン・ブラス」を企画制作し、人気シリーズに育てた。「復興への序曲『夢の明日に』」(2013年度)など、全日本吹奏楽コンクールの課題曲の作・編曲にも携わった。

出典: tokai-tv.com

逢坂じゅん

俳優、本名渡辺美二さん。
5月8日、脳出血で死去、68歳。
明るいキャラクターで、お笑いトリオ「レツゴー三匹」のじゅんとして1970年代を中心に活躍。俳優としてはTBS系ドラマ「半沢直樹」やNHKの連続テレビ小説などに出演した。

出典: blog.esuteru.com

矢田耕司

声優。
5月1日、慢性腎不全のため死去、81歳。
矢田さんは、アニメ「ONE PIECE」のゼフ役、『ドラゴンボールZ』のDr.ゲロ、『聖闘士星矢』の老師役など数多くの人気アニメで活躍。洋画「トランスポーター2」や「デイ・アフター・トゥモロー」などで吹替えも担当していた。

4月

渡辺淳一

男女の愛と性を赤裸々に描いた「失楽園」「愛の流刑地」などのベストセラーで知られる作家。
4月30日午後11時42分、前立腺がんのため東京都内の自宅で死去。80歳。
1933年、北海道生まれ。札幌医科大の講師(整形外科)を務めながら小説を発表。「小説・心臓移植」を69年に発表し、医師の倫理をめぐり話題となったが、学内の反発が強く辞職。上京して専業作家となった。70年には「光と影」で直木賞、80年には「遠き落日」「長崎ロシア遊女館」で吉川英治文学賞を受けた。
激しい不倫愛を描いた97年の「失楽園」、06年の「愛の流刑地」は映画化、テレビドラマ化されて大ヒット。

出典: jazzfusion.com

松岡直也

ピアニスト、作曲家、編曲家。
4月29日、前立腺がんで死去、76歳。
日本を代表するラテン・フュージョン音楽家。バンド「松岡直也&ウィシング」によるライブや、アルバム制作など、60年以上にわたって活動した。中森明菜さんの歌う「ミ・アモーレ」の作・編曲を手がけ、同曲は1985年の日本レコード大賞に選ばれた。ほかに「黄色いサクランボ」「太陽がくれた季節」の編曲などがある。

出典: blogs.yahoo.co.jp

九條今日子

劇作家・寺山修司氏(1935~83年)の元妻で女優。本名は寺山映子。
4月30日に肝硬変による食道静脈瘤りゅう破裂で死去。
松竹歌劇団(SKD)で活躍する一方、映画「乾いた湖」「幸福な家族」などに出演した。1967年に寺山氏らと「演劇実験室○天井桟敷」を設立し、主要スタッフとして創作活動を支えた。著書に「ムッシュウ・寺山修司」「回想・寺山修司 百年たったら帰っておいで」など。青森県の三沢市寺山修司記念館名誉館長。

出典: www.tobikan.jp

市村緑郎

日本芸術院会員で彫刻家。
4月27日午後9時58分、間質性肺炎のためさいたま市中央区の病院で死去。78歳。
写実的な人体表現を追求した。08年、日本芸術院会員となり、日展常務理事なども務めた。

ルービン・カーター

冤罪事件被告の元ボクサー。
4月20日、カナダ・トロントで死去、76歳。前立腺がんを患っていたという。
リングネームは「ハリケーン・カーター」。1966年6月に米ニュージャージー州で3人が殺された事件で殺人罪に問われ、無罪を主張しながらも有罪を言い渡された。いったん認められた再審でも再び有罪となったが、85年に判決が破棄され、釈放された。
冤罪事件として注目を集め、ボブ・ディランが75年に「ハリケーン」という曲を発表したほか、99年には半生が「ザ・ハリケーン」として映画化された。釈放後は冤罪事件の解決に取り組んだ。

出典: www.fcbarcelona.jp

ティト・ビラノバ

サッカースペインリーグ、バルセロナの元監督。
4月26日死去したと、バルセロナが公式発表。45歳。
ビラノバ氏は、2011年11月に耳下腺に悪性腫瘍が見つかり、摘出手術を受けた。2012年夏からは、ジョゼップ・グアルディオラ監督の後任としてバルセロナを指揮。しかし、2012年12月に耳下腺の腫瘍が再発し、一時離脱を余儀なくされた。シーズン終盤にはベンチに復帰したが、治療に専念するため、2013年7月19日に退任が発表された。
病気療養中だった今月25日には、容態悪化で緊急手術したことが現地メディアに報じられていた。

ダニー石尾

サッカーJ1・鹿島アントラーズで、1993年の茨城県立カシマサッカースタジアム開場以来、ホーム戦でスタジアムDJを務めてきたDJ。本名は石尾豊さん。
4月15日に入院先の病院で死去。66歳。死因は肝硬変と肝細胞がん。
石尾さんは、昨年末にがんの診断を受けたため今季はDJの仕事を休み、東京慈恵会医科大学付属病院(東京都)で闘病生活を続けていた。試合前の選手発表などで、いつもあか抜けた爽やかな語り口で会場を盛り上げ、サポーターの間で人気があった。

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