【追悼】2012年から2015年に亡くなった芸能人・著名人まとめ

芸能界やスポーツ界、財界などで活躍する芸能人・著名人の訃報が流れると、世間では大きな衝撃が生まれて、その人物の特集記事やコーナーが組まれることが多く有る。本記事では「2012年」から「2015年」の間になくなった芸能人・著名人の情報を、その方の生前の活躍ぶりと共にまとめて紹介する。

出典: ameblo.jp

弓哲玖

震災支援の競売サイトに出品された米人気歌手レディー・ガガさんのティーカップを落札した宮城県大崎市の歯科医。
ゆみあきひさ。2月21日朝、難病の特発性肺線維症で死去。54歳。
震災の風化防止に役立ててほしいと、2月20日、妹を通じ、宮城県にカップを寄贈したばかり。
カップは、ガガさんの「日本の為に祈りを。」とのメッセージとキスマーク付きで、昨年5月にチャリティーオークションに出品された。「震災を思い起こす起爆剤になるはず。コレクターに落札され、秘蔵されたら意味がない」と、弓さんが601万1000円で落札。

出典: news.goo.ne.jp

ドナルド・リチー

黒澤明監督や小津安二郎監督らの作品を欧米に紹介した映画評論家。
2月19日午後1時26分、東京都文京区の病院で死去。88歳。米オハイオ州出身。
終戦直後に来日。進駐軍の新聞や米国の新聞で日本映画を紹介。ニューヨーク近代美術館の映画部門主事も務め、日本映画の海外上映などに尽力。黒澤明、小津安二郎、溝口健二ら各監督の作品の魅力を欧米に伝えた。

出典: jp.reuters.com

ジェリー・バス

米プロバスケットボール協会(NBA)レーカーズの名物オーナー。
2月18日に死去。80歳。死因は腎臓不全。
バス氏は1979年にレーカーズを買収し、NBAファイナルを10回制覇。80年代にはカリーム・アブドゥルジャバーやマジック・ジョンソン、90年代後半から2000年代にかけてはシャキール・オニール、コービー・ブライアントら、スーパースターを数多く擁してNBAを席巻し、球団の価値を高めた。

本郷功次郎

俳優。
2月14日、心不全のため死去、74歳。
大映映画で活躍後、特撮映画「ガメラ」シリーズやテレビドラマ「特捜最前線」などに出演した。

出典: blog.goo.ne.jp

東条由布子

東条英機元首相の孫、本名岩浪淑枝。
2月13日、間質性肺炎で死去、73歳。
保守派の論客として知られ、靖国神社のA級戦犯の分祀に反対する立場から発言。07年参院選東京選挙区に無所属で立候補したが、落選した。

桜井郁三

元自民党衆院議員。
2月10日、多臓器不全で死去、68歳。
1996年、衆院神奈川12区で初当選し、当選3回。

出典: www.kobe-np.co.jp

鳩山安子

鳩山由紀夫元首相の母。
2月11日午後9時15分、多臓器不全のため、都内の病院で死去。
ブリヂストン創業者の故石橋正二郎氏の長女で、初代自民党総裁の鳩山一郎元首相の長男・威一郎元外相の妻。大量の同社株を保有し、物心両面から、長男の由紀夫氏や次男の邦夫元総務相の政治活動を支えた。
09年に由紀夫氏の元公設秘書が在宅起訴された偽装献金問題では、02年頃から09年5月まで毎月1500万円を、由紀夫氏に提供していたことが発覚。

西ゆうじ

作家・漫画原作者。本名は西祐治。
2月6日、胃がんのため死去。59歳。
福井県出身。漫画「あんどーなつ 江戸和菓子職人物語」(「ビッグコミックオリジナル」連載中)などの原作を手掛けた。

出典: yamiutsu.exblog.jp

国松達也

映画プロデューサー。2月2日、食道がんのため死去、52歳。東映Vシネマ作品や映画「北のカナリアたち」「ツレがうつになりまして。」などを手がけた。

山岡ミチコ

広島で被爆、渡米してやけどの治療を受けた「原爆乙女」の一人で、被爆証言者として平和の尊さを訴え続けた女性。
2月2日、肺炎のため広島市中区の介護施設で死去。82歳。
学徒動員に向かう途中、爆心地から約800メートルで被爆。顔や手に重いやけどを負った。1955年、米国の作家、故ノーマン・カズンズ氏らの招きで渡米し、ケロイドの手術を受けた。「生き残って申し訳ない」と被爆の話を避けていたが母の死をきっかけに被爆証言の活動を始め、広島を訪れる修学旅行生や海外からの観光客に原爆の恐ろしさを伝え続けた。
被爆50年の95年にも米国を訪れ学生らに被爆体験を語り、やけどを治療した米国人執刀医と再会を果たした。

出典: www.emo.or.jp

杵屋五三郎

長唄三味線方で人間国宝。本名は増田元弘。
2月2日、肺炎のため死去、94歳。
長唄三味線の第一人者として長年活躍し、1989年に重要無形文化財保持者(人間国宝)。長唄協会会長も務めた。

山形基夫

女優鈴木杏樹の夫で、駿河台日本大学病院勤務の外科医。
2月1日、米国の病院で死去した。56歳。
75年に日本大学医学部に進学。81年の卒業後は母校の板橋病院に勤務。その後、米国留学で内視鏡治療を習得し、消化器がんを研究テーマにしていた。テレビ番組で“がんの若き権威”として紹介されたこともあった。
鈴木杏樹さんと山形さんとの出会いは98年。司会を務めるフジテレビ「ミュージックフェア」出演中に腹痛を訴え、同病院に入院。山形さんの執刀で手術を受けた。パソコンが同じ趣味だったことから意気投合。退院後にメール交換をしているうちに交際が始まり、交際4カ月で婚姻届を提出した。

出典: pub.ne.jp

塩路一郎

元自動車労連〈現日産労連〉会長。
2月1日、食道がんのため死去、86歳。
1962年から86年まで自動車労連会長。日産自動車の経営にも大きな影響力を持った。日産の英工場進出を巡り、会社側と対立。事実上解任された。72年からは自動車総連の会長を務め労働戦線統一に尽力したほか、国際労働機関(ILO)の理事などを歴任。

1月(13年)

木村正直

大相撲の三役格行司。本名・山内幸久。
1月29日午前1時52分、都内の病院で肝細胞がんのため死去した。59歳。
69年夏場所に木村幸久の名で初土俵。71年名古屋場所から木村正義を襲名した。84年春場所から現名となり、90年に十両格、03年幕内格、08年には三役格に昇進。
10年秋場所からがん治療のため3場所連続で休場。復帰後も「土俵の上で死ねれば本望」と体の限界まで行司人生を歩んだ。だが、昨年九州場所10日目から再発を理由に休場し、初場所も全休していた。

出典: www.kira-boshi.com

亀山助清

声優・俳優。
1月26日午前、悪性リンパ腫による肺炎のため埼玉県内の病院で死去。58歳。
宮城県石巻市出身。日大芸術学部在学中、俳優・声優の川路夏子氏に師事。その後、声優活動や俳優としてテレビドラマ・映画に多数出演し、山寺宏一・松本梨香らとライブグループ「トリックすたあ」としても活動。2003年に八代駿さんが亡くなった後、アニメ映画『くまのプーさん』日本語版のプーさん役を引き継ぎ代表作となる。

嶋本昭三

前衛美術家
1月25日午後5時17分、急性心不全のため、兵庫県西宮市の病院で死去。85歳。
関西学院大学卒業後、画家の吉原治良氏に師事。1954年、関西の前衛美術グループ「具体美術協会」の創設に参加し活躍した。大砲から絵の具を発射するなどして描いた作品で知られ、前衛的作風が欧米でも評価された。日本障害者芸術文化協会(現エイブル・アート・ジャパン)会長も務めた。

神宮司史彦

消費者庁審議官。
1月27日午前3時5分ごろ、東京都豊島区高田の10階建てマンションの敷地内で、倒れているのを管理人が発見。病院で死亡が確認された。警視庁目白署は飛び降り自殺を図ったとみている。

原哲男

「誰がカバやねん!」などのギャグで知られる往年の吉本新喜劇俳優。
1月11日に肝臓がんのため死去していたことが1月23日に判明。78歳。
地元、熊本の高校を卒業後、旅回りの劇団で芸を磨き、53年に大阪へ。ストリップ劇場のコメディアンなどを経て、62年に吉本入りし、新喜劇で活躍。69年に座長に就任した。愛嬌のある四角い顔から「カバ」の愛称で親しまれ、新喜劇を代表する俳優の1人となった。
90年の新喜劇脱退後は「必殺」シリーズや「はぐれ刑事純情派」などに出演。04年、吉本新喜劇が上方お笑い大賞の審査員特別賞を受賞した際、授賞式に出席したのが最後の公の場となった。

高橋亨平

東京電力福島第1原発事故で被災した福島県南相馬市の産婦人科医で、自らがん闘病を公表した医師で院長。
1月22日、死去。74歳。死因は明らかになっていない。
第1原発の北約25キロにある原町中央産婦人科医院の院長。南相馬市は原発事故で広い範囲が避難区域に指定され、医療関係者も多くが避難した中、病院でただ一人の常勤医として勤務。原発事故発生後にがんが見つかり、12年8月、病院のホームページに「私の体の現状と医師募集のお願い」と題し「いつまで生きられるか分からない。もし、後継者がいてくれればと願ってやみません。私の最後のお願い、どうかよろしくお願いいたします」とメッセージを寄せていた。

マイケル・ウィナー

英映画監督。
1月21日ロンドンの自宅で死去、77歳。
ジャーナリストとして活動後56年映画業界入り。チャールズ・ブロンソン主演作品『狼よさらば』『メカニック』などで知られる

出典: news.goo.ne.jp

鈴木文弥

元NHKアナウンサー。
1月20日午後6時13分、急性肺炎のため死去した。88歳。
48年にNHKに入局。スポーツアナウンサー一筋に活躍し、スピード感あふれるたたみかける描写と、「文彌節」と呼ばれる独特の表現で知られた。
64年の東京五輪では、「東洋の魔女」旋風を起こした女子バレーボール「日本対ソ連」のテレビ放送を担当。日本リードで迎えたマッチポイントの場面で、「いよいよ金メダルポイントであります」と実況。
野球放送も数多く実況し、1969年夏の甲子園決勝戦「松山商業」対「三沢高校」のラジオ放送を担当。両チーム無得点のまま延長18回引き分け再試合となった名勝負を実況した。

柴田トヨ

98歳で初めて刊行した詩集「くじけないで」が150万部を超えるベストセラーとなった女性詩人。
1月20日午前0時50分、老衰のため宇都宮市内の老人福祉施設で死去。101歳。
栃木県栃木市出身。夫と死別後、90歳を過ぎてから詩作を始め、2010年に「くじけないで」(飛鳥新社)を出版した。みずみずしい感性と優しい言葉で表現した詩が反響を呼び、韓国やオランダなど海外でも翻訳発刊されている。11年にも詩集「百歳」を刊行した。

出典: www.chunichi.co.jp

大鵬

「巨人・大鵬・卵焼き」の流行語で一世を風靡(ふうび)し大相撲で史上最多32回の優勝を達成した元48代横綱、大鵬(本名は納谷幸喜)。
19日午後、心室頻拍のため、東京都内の病院で死去した。72歳。
16歳で二所ノ関部屋に入門。61年に柏戸と横綱同時昇進を果たし「柏鵬時代」を築いた。その強さと人気の高さから「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語が生まれた。71年に引退。
05年から08年まで日本相撲協会の相撲博物館館長。04年に紫綬褒章、09年に文化功労者。

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