【追悼】2012年から2015年に亡くなった芸能人・著名人まとめ

芸能界やスポーツ界、財界などで活躍する芸能人・著名人の訃報が流れると、世間では大きな衝撃が生まれて、その人物の特集記事やコーナーが組まれることが多く有る。本記事では「2012年」から「2015年」の間になくなった芸能人・著名人の情報を、その方の生前の活躍ぶりと共にまとめて紹介する。

トーマス・カートライト

広島周辺で撃墜された米軍爆撃機の元機長。
1月11日、米西部ユタ州の自宅で死去。90歳。死因は不明。
1924年、米サウスカロライナ州生まれ。45年7月、広島県呉市沖の上空で日本の戦艦を爆撃中、搭乗していたB24爆撃機が撃墜された。自身は東京へ移送されたが、同乗していた同僚6人が広島市の憲兵隊司令部などに留置され、原爆の犠牲になった。99年、同僚の慰霊のため広島を訪問した。

出典: www.piano.or.jp

中山靖子

ピアニスト、東京芸大名誉教授。
1月16日午前4時30分ごろ死去、93歳。
ドイツ留学後、母校の東京芸大で教授などを務める一方、全日本ピアノ指導者協会副会長、顧問として音楽教育の向上に貢献した。夫でバリトン歌手の故中山悌一氏との共演でも知られた。05年瑞宝小綬章。

出典: nakata.net

片山幽雪

京都能楽界の重鎮として活躍した能楽師で、人間国宝。
1月13日、敗血症のため死去。84歳。
昭和5年、観世流・能楽シテ方の片山家に長男として生まれ、5歳で初舞台を踏む。昭和60年には九世・片山九郎右衛門を襲名、幽玄な女物を演じる能を得意とし、優美な舞やこまやかな表現で存在感を発揮。
京都能楽界の重鎮として平成13年には人間国宝に認定されたほか、能楽協会の理事長を務めるなど長年にわたって能楽界に貢献し、平成21年には文化功労者に選ばれた。

出典: talent.yahoo.co.jp

石井光三

石井光三オフィス会長。
1月6日、胆管がんのため死去、83歳。
1983年に芸能プロダクション「石井光三オフィス」を設立。コント赤信号のマネジャーとして知られ、「オレたちひょうきん族」などのバラエティー番組にも出演した。

西川俊男

ユニー特別顧問、創業者。
1月1日、急性心筋梗塞で死去。89歳。
大手流通業、ユニー(ユニーグループ・ホールディングス)の前身の西川屋を1949年に設立し、ユニーの社長、会長を務めた。

ロッド・テーラー

ヒチコック映画出演で知られる俳優。
1月7日、ロサンゼルスの自宅で死去。84歳。
1930年1月、オーストラリア・シドニー生まれ。画家志望から俳優に転向し、オーストラリアで活躍後、米ハリウッドに渡った。59年のSF映画「タイム・マシン」で人気を博し、ヒチコック監督の代表作「鳥」(63年)主演に抜てきされた。「ホテル」(67年)、「砦のガンベルト」(67年)などにも出演。

出典: girly-gossip.com

藤本信行

ドラえもんなどの脚本家。
1月4日、上縦隔腫瘍で死去。57歳。
テレビアニメ「ドラえもん」「宇宙船サジタリウス」や、映画「のび太の結婚前夜」「ぼくの生まれた日」などの脚本を手がけた。

ウルリッヒ・ベック

ドイツの社会学者。
1月1日、心筋梗塞のため死去、70歳。
現代社会が抱えるリスクを警告した著書「危険社会」(1986年)で知られ、ドイツを代表する社会学者。
ポーランド北部生まれ。ミュンスター大教授などを経てミュンヘン大教授。東京電力福島第1原子力発電所事故を受け、脱原発を提言したドイツ政府の諮問機関「倫理委員会」のメンバーも務めた。

12月

宮尾登美子

「序の舞」「鬼龍院花子の生涯」など運命にあらがい高い志を持った女性の一生を描き、多くのベストセラー作品を生んだ作家。
2014年12月30日、老衰で死去。88歳。

宮城喜久子

元ひめゆり平和祈念資料館副館長。
2014年12月31日、卵巣がんのため死去、86歳。
沖縄戦にひめゆり学徒隊として動員された。戦争の悲惨さを訴える語り部として活動し、同資料館の開設にも関わった。

ヨゼフ・ピタウ

ローマ・カトリック教会大司教として当時のローマ法王、故ヨハネ・パウロ2世の側近を務めた上智大学元学長。
12月26日、東京都練馬区の聖職者向け高齢者施設「ロヨラハウス」で脳梗塞のため死去した。86歳。
1928年、イタリア西部サルデーニャ島に生まれ、45年にイエズス会に入会。52年に来日し、中学教師などをした後、上智大で教壇に立ち、75年から81年まで第7代大学長。81年に故ヨハネ・パウロ2世が来日した際は通訳を務めた。

中村秀利

声優。
12月24日、死去。
NHKEテレ「つくってあそぼ」の「ゴロリ」の声や、映画「ダイ・ハード/ラスト・デイ」のブルース・ウィリスの吹き替えなどを務めた。

出典: www.nikka.com

竹鶴威

ニッカウヰスキーの元社長で相談役の竹鶴威。
12月17日、老衰のため自宅で死去。90歳。
NHKが放映中のドラマ「マッサン」の主人公のモデルである同社創業者、竹鶴政孝氏の養子。
北大工学部を卒業後、昭和24年にニッカに入社。製造部長、取締役、常務などを経て、昭和60年に社長。その後、会長兼社長などを経て平成15年から相談役。
竹鶴政孝氏を継いで、ニッカの2代目マスターブレンダーとして、品質にこだわり、世界で評価されるウイスキー作りの基礎を築いた。

出典: news.line.me

角銅秀人

「オールナイトニッポン」などを手掛けたニッポン放送ディレクター。
12月上旬にくも膜下出血で倒れ、病院に搬送。意識が戻らないまま、11日に亡くなったという。43歳。
角銅さんは、04年に「ナインティナインのオールナイトニッポン」を担当したのを契機に「福山雅治のオールナイトニッポン」「テリー伊藤のってけラジオ」「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」など多くの人気番組に携わった。リスナーや出演者からは「カタヤマ」や「姫」などの愛称で親しまれていた。

出典: mabillon.jugem.cc

ジョー・コッカー

英ロック歌手。
12月22日、米コロラド州で肺がんのため死去、70歳。
1944年、英中部シェフィールド生まれ。68年にビートルズの「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」のゴスペル風カバーで脚光を浴びた。ジェニファー・ウォーンズさんとデュエットした米映画「愛と青春の旅だち」(82年)の主題歌が大ヒットして83年にグラミー賞を受賞。

遠山一行

広範な教養に基づく詩的な文体で知られ、桐朋学園大学長などの要職を歴任した音楽評論家で文化功労者。
12月10日午後9時12分、脳梗塞(こうそく)のため、東京都内の自宅で死去。92歳。
1922年東京生まれ。東大で美学を専攻。24歳の時、音楽評論家の野村光一さんの推薦で毎日新聞の音楽評論を手がけるように。文学で「評論」のジャンルを確立した小林秀雄らの精神を継ぎ、吉田秀和さんとともにクラシック音楽評論の第一人者となった。

出典: gigazine.net

川北紘一

映画特技監督。
12月5日、肝不全で死去、72歳。
映画「ゴジラvsキングギドラ」などの平成ゴジラシリーズ6作や、テレビ「超星神グランセイザー」などの特撮を手がけた。

山内久司

「必殺仕掛人」を手掛けた元プロデューサーで、朝日放送顧問、元専務。
8月13日死去していたことが12月に判明。82歳。
55年に朝日放送に入社。72年にプロデューサーとして時代劇「必殺仕掛人」を手掛け、故藤田まことさんが殺し屋の主人公、中村主水役を務めるなどして人気を集めた「必殺」シリーズの制作に92年まで携わった。

秋山千晶

プロ野球ソフトバンク前監督の秋山幸二氏の妻。
12月9日に死去。
秋山前監督は今季、チームを3年ぶりの日本一に導いた。球団からは続投を要請されていたが、今季限りで退任していた。

蒲池猛夫

1984年ロサンゼルス五輪射撃ラピッドファイアピストル金メダリスト。
12月4日、脳梗塞で死去、78歳。
宮崎・高原中卒業後、書店員を経て、自衛隊入隊。62年、自衛隊体育学校1期生となり、68年メキシコ五輪から5大会連続で日本代表。幻に終わったモスクワ五輪後に引退。草刈り中に鎌で右手人さし指のけんを切る大けがを負ったが、ロス五輪前に現役復帰。日本五輪史上最年長の48歳で金メダルを獲得した。

11月

菅原文太

映画「仁義なき戦い」「トラック野郎」シリーズなどで知られる俳優。
11月28日、肝がんのため死去。81歳。
仙台市生まれ。早稲田大第二法学部を中退後、58年に新東宝の「白線秘密地帯」で俳優デビュー。
72年に深作欣二監督の「人斬り与太」シリーズがヒット。73年には、やくざの抗争を実録風に描いた同監督の「仁義なき戦い」に主演し、強烈な存在感で一躍トップスターに。75年に始まった「トラック野郎」シリーズでは、男気あふれるトラック運転手役で人気を集め、全10作が作られた。

矢野清

元プロ野球阪急選手。11月20日、肺がんで死去。74歳。
愛媛県大洲市出身。1959年に入団し、主に外野手として12年間で通算64本塁打、159打点。2000年から約3年間、オリックスの球団本部長を務めた。

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