【追悼】2012年から2015年に亡くなった芸能人・著名人まとめ

芸能界やスポーツ界、財界などで活躍する芸能人・著名人の訃報が流れると、世間では大きな衝撃が生まれて、その人物の特集記事やコーナーが組まれることが多く有る。本記事では「2012年」から「2015年」の間になくなった芸能人・著名人の情報を、その方の生前の活躍ぶりと共にまとめて紹介する。

諸井誠

国内作曲界の重鎮。
9月2日午前3時36分、間質性肺炎で死去。82歳。
東京都出身。戦前から活躍した作曲家、諸井三郎の二男。東京音楽学校(現東京芸大)で池内友次郎に師事。日本初の本格的な電子音楽に挑んだり、尺八など邦楽器を大胆に採り入れ、独自の作風で高い評価を確立した。代表作に二つの「協奏交響曲」や、尺八のための「竹籟ちくらい五章」など。

音楽評論も手掛け、主著に「ロベルトの日曜日」「音楽の現代史」など。彩の国さいたま芸術劇場館長も務めた。1995年、紫綬褒章。兄は太平洋セメント特別顧問だった故・諸井虔氏。

出典: artist.pia.jp

堤俊作

指揮者。
9月1日死去。66歳。
桐朋学園大卒。1975年に東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団を設立し、バレエ音楽などで活躍した。

8月

出典: akiba.keizai.biz

デービッド・フロスト

英テレビ司会者。
8月31日、乗船中のクルーズ船で死去、74歳。死因は心臓発作とみられる。
1939年、英南東部ケント州生まれ。60年代からBBCを含め英米などで数多くのテレビ番組の司会者を務めた。
77年に行われたニクソン元米大統領への単独インタビューで、ウォーターゲート事件について謝罪を引き出し、世界的に有名に。このインタビューは2008年に「フロスト×ニクソン」の題名で映画化された。

出典: www.tbs.co.jp

山田修爾

元TBSプロデューサー。
8月28日、特発性間質性肺炎のため死去、67歳。
昭和53年~平成元年に放送された音楽番組「ザ・ベストテン」の企画・演出を担当した。

出典: www.10tango.com

藤沢嵐子

「タンゴの女王」として知られた歌手。本名は早川嵐子。
8月22日午後10時54分、老衰のため新潟県長岡市の病院で死去。88歳。
東京音楽学校(現東京芸大)を中退。1949年、後に結婚する早川真平さんの楽団「オルケスタ・ティピカ東京」に入り、タンゴを歌い始めた。53年に勉強のためにアルゼンチンに渡ると、現地でも大人気となった。
代表曲は「カミニート」「ロコへのバラード」「古い女友達」など。NHK紅白歌合戦には57年から5年連続で出場した。

土橋正幸

東映(現日本ハム)で投手、引退後はヤクルトや日本ハムで監督、その後はプロ野球解説者。
8月24日午後10時56分、筋萎縮性側索硬化症のため、都内の病院で死去。77歳。
12年9月に同症と診断され自宅療養を続けていたが、診断からわずか1年足らずで帰らぬ人となった。
軟式野球出身で55年に東映に入団。江戸っ子気質のテンポの速い投球でエースとして活躍、58年から7年連続で2桁勝利を挙げ、61年には30勝をマーク。62年には日本シリーズMVPに輝いた。

井田毅

前サンヨー食品社長で、「サッポロ一番」の生みの親。
8月20日、肺炎で死去。83歳。
全国のラーメンを食べ歩き、札幌市の「ラーメン横丁」で出合ったラーメンをヒントに、1966年に発売した即席麺「サッポロ一番」の開発を手掛け、同社の看板商品に育てた。

ジュリー・ハリス

米女優。
米東部マサチューセッツ州で8月24日、心不全のため死去、87歳。
25年、ミシガン州生まれ。45年にニューヨークの劇場街ブロードウェーでデビュー。米演劇界で最高の栄誉とされるトニー賞の主演女優賞を5回受賞。ジェームズ・ディーン主演の「エデンの東」や「さすらいの航海」「愛は霧のかなたに」など多数の映画にも出演した。

出典: blog.livedoor.jp

藤圭子

歌手。本名は阿部純子。
8月22日朝、東京都新宿区西新宿のマンション敷地内で倒れているのが見つかり、病院に搬送されたが死亡。自殺とみられている。62歳。
藤さんは歌手の宇多田ヒカルさんの母親で、「圭子の夢は夜ひらく」などのヒット曲で知られる。

テッド・ポスト

映画『ダーティハリー2』『続・猿の惑星』などで知られる映画監督。
8月20日、アメリカ・サンタモニカで死去。95歳。
テッドさんは1950年代からテレビ・映画業界で活躍。1960年代には多くの西部劇シリーズを手掛け、クリント・イーストウッドの出世作となった西部劇ドラマ「ローハイド」の監督も務めた。

シダー・ウォルトン

米ジャズピアニスト。
8月19日、ニューヨークの自宅で死去、79歳。死因は不明。
テキサス州ダラス出身。61年に米ジャズ界の巨匠アート・ブレイキー率いる「ジャズ・メッセンジャーズ」に参加し、以後モダンジャズ作曲家、演奏家として活躍した。「モザイク」「ボリビア」などの作品がある。

出典: topics.jp.msn.com

エルモア・レナード

米国の推理作家。
8月20日、脳卒中による合併症のため死去。87歳。
大学で英文学を専攻後、広告業を経て西部劇の台本などを書いていたが、推理小説に転向しベストセラー作家に。12年に推理作家として初めて、生涯の功績が認められ全米図書賞を受賞した。「ゲット・ショーティ」「グリッツ」など40作以上。多くの作品が映画やテレビドラマになり、邦訳も多数。

山口冨士夫

ロックバンド、村八分などで活躍したギタリスト。
8月14日午後9時30分、脳挫傷のため東京・福生市の病院で死去。64歳。
7月14日夜、JR福生駅のタクシー乗り場で酔っぱらいともみ合いになった米国人の男に近づいたところを突き飛ばされ、後頭部を強打した。
1967年にデビュー。69年に故柴田和志さんらと伝説のバンド、村八分を結成し、日本のロックシーンに影響を与えた。2007年に体調を崩してからは闘病生活を送りながらライブを行っていた。

マーク・サットン

昨年のロンドン五輪開会式で映画「007」の主人公ジェームズ・ボンドに扮し、ヘリコプターからパラシュートで飛び降りて登場したスタントマン。
8月14日、滞在先のスイスで事故死。42歳。

出典: manga-1.com

佐渡川準

「無敵看板娘」などで知られる漫画家。
8月13日未明に死去。34歳。
佐渡川さんは茨城県利根町出身。「無敵看板娘」は2002年から「週刊少年チャンピオン」で連載され、06年にはテレビアニメ化もされた。現在は同誌で「あまねあたためる」を連載中だった。

7月

出典: inagakitaisei.com

稲垣太成

プロゴルファー。
7月31日午後4時50分、ガンのため横浜労災病院で死亡。
稲垣さんは1979年にPGA入会、86年のかながわオープンなど4勝を挙げている。

出典: news.mynavi.jp

平山亨

元東映のプロデューサー。
7月31日、埼玉県の病院で心不全で亡くなった。享年84歳。
代表作には「仮面ライダー」はじめ「仮面の忍者 赤影」や、「ロボット8ちゃん」から始まる東映不思議コメディーシリーズ、「がんばれ!!ロボコン」など、本当に数多くの作品が存在する。

出典: syokyo.net

笑福亭松喬

上方落語の本格派として活躍していた落語家。本名は高田敏信さん。
7月30日、死去。62歳。肝臓がんのため闘病中だった。
1969年、六代目笑福亭松鶴(しょかく)に入門し鶴三(かくざ)を名乗る。早くから実力を発揮し、松鶴は「笑福亭の噺(はなし)を一番うまいこと受け継ぐ」とその芸を認めていた。86年の松鶴死去の翌年、六代目松喬を襲名。
2011年12月には大阪・ABCホールで6日連続の落語会「ひとり舞台ファイナル」を成功させた。この終了後に、肝臓がんが見つかり入院。昨年4月に復帰したが、今年6月に緊急入院していた。

出典: nihonseiji.com

中村博彦

自民党参院議員。
7月31日午前0時30分、多臓器不全のため名古屋市内の病院で死去。70歳。
中村氏は徳島県出身で、徳島県議などを経て、2004年の参院比例選で自民党から初当選した。福田、麻生両内閣では総務政務官を務めた。その後、10年の参院選でも比例選で再選された。

今井良晴

全日本女子プロレスのリングアナウンサーとして人気を集め、近年は大日本で活躍した。
7月29日午後6時、都内の病院で、胃がんのため死去。53歳。
1959年に東京都で生まれた今井さんは全女に入社後、91年4月にリングアナとしてデビュー。独特の高く張りのある声でのコールには定評があった。2005年の解散まで同団体に在籍。11年からは大日本の所属となっていた。

出典: www.tabichan.jp

戸井十月

作家・映像ディレクター。
7月28日、肺がんで死去。64歳。
戸井さんは東京・新宿生まれで、武蔵野美術大学を中退後、ルポライターや小説家として「ゲバラ 最期の時」「植木等伝『わかっちゃいるけど、やめられない!』」などを執筆したほか、テレビ番組の司会、映画の脚本・監督や主演など、多岐にわたる活動を行った。
バイク愛好家としても知られ、1983年の北米大陸縦横断を皮切りに世界5大陸をオートバイで走破し、その記録を著書「道、果てるまで」にまとめた。

出典: www.banfun.com

梅津正彦

お笑いコンビ・南海キャンディーズのしずちゃんこと山崎静代選手の専属コーチとして知られる、ボクシングコーチでアクションディレクター。
悪性の皮膚がんが原因で、7月23日に死去。44歳。
今年4月にしずちゃんと公式戦「女子アマ・チャレンジマッチ」に臨み、デビュー戦で負けた相手に雪辱勝利を得ていたのだが、そのときの診断は余命3か月だった。本人も「医者のいう通りなら、これが最後になる」と語っていた。
元K-1ファイターのTATSUJIや大渡博之など、実は数多くの選手たちにボクシング指導をしてきたことでも知られている。

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