日出処の天子(馬屋古女王)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『日出処の天子』とは山岸涼子により描かれた漫画。舞台は仏教が渡来した頃の日本。のちに聖徳太子と呼ばれるようになる厩戸王子と蘇我毛人の関係を中心として、厩戸皇子の少年時代から摂政になるまでを描く。厩戸王子は聖人ではなく、不思議な力を持つ超人として描かれている。『馬屋古女王』は『日出処の天子』の後日談となる、山岸涼子による漫画。厩戸王子の死後、末娘の馬屋古女王により、厩戸王子の一族が滅亡へ導かれていく様を描く。2作とも、それまでの聖徳太子像を一新する意欲作である。

摂政

天皇が幼少、女性の場合に政を補佐するために置かれた役職。
厩戸王子が史上初の摂政といわれる。

581~618年に中国にあった王朝名。
当時最先端の国であった中国と対等の関係を結ぶため、また高い文化や技術を取り入れるために、厩戸王子は遣隋使を派遣した。

『日出処の天子(馬屋古女王)』の名言・名セリフ/名シーン・名場面

厩戸王子「これより先の我が望みすべてかなうなら この矢よ当たれ!」

朝廷での賭弓の儀式での厩戸王子のセリフ。
賭弓は皇族や豪族、舎人が弓を競う儀式である。皇族たちが弓を引く「射礼」(じゃらい)は本来呪術的行事であり、願掛けの意味も持つ。
日ごろから厩戸王子を苦々しく思っている崇峻天皇は、何の準備もしていない厩戸王子に恥をかかせようとして突如行事に参加するように命じる。
願い事を口にしてから弓を射るのだが、その時の願いが「これより先の我が望みすべてかなうなら この矢よ当たれ!」であった。
矢は見事命中。その後厩戸王子の願いは順調に叶えられていくが、一番欲している蘇我毛人は手に入らないという皮肉な結果に終わる。

厩戸王子「自分でも自分を救えぬ者の前に現れるというわけか?それにしてはそなた達が何者をも救わぬのを私は見てきたぞ」

蘇我毛人に愛を告げるが拒絶され、絶望の淵にいる厩戸王子の前に仏が現れる。
「自分でも自分を救えぬ者の前に現れるというわけか?それにしてはそなた達が何者をも救わぬのを私は見てきたぞ」からは、仏教を尊びながら、誰よりもその無力さを感じている様がうかがえる。
仏たちは何も答えず、厩戸王子も仏にすがることはしない。
世間一般に見られるような仏教を尊ぶ聖徳太子像からはかけ離れた、リアリストな厩戸王子の姿が印象的なセリフである。

推古天皇「本日より斑鳩宮の厩戸王子を大兄とし万機を以て悉に委ねん」

崇峻天皇死後、厩戸王子は先の大后(敏達天皇后)である額田部女王を天皇に推していた。
渋る額田部女王に厩戸王子は自分の計画を話す。
そして額田部女王が即し、初めての詔として発せられたのが「本日より斑鳩宮の厩戸王子を大兄とし万機を以て悉に委ねん」という言葉であった。
群臣らは青天の霹靂で驚きを隠せず、なぜ厩戸王子自ら即位しなかったのかといぶかしがる。
やがて天皇を厩戸王子が補佐する、という形で政が進んでいく。それはあたかも天皇が二人いるかのごとくであった。
天皇家の力が倍増し、反対に豪族の力が減少していく事実に、蘇我馬子ら豪族は驚愕することになる。

『日出処の天子(馬屋古女王)』の裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

「法隆寺がカンカン」新聞に虚偽報道が掲載

漫画連載中の1984年1月24日毎日新聞夕刊に、『法隆寺 カンカン「えっ、これが聖徳太子?!」』と題する記事が掲載された。
内容は「この漫画を読んだ法隆寺が信仰の対象を冒涜していると激怒。出版社に釈明を求めたい」というもの。
しかし、この記事は事実無根で、後日毎日新聞社による謝罪記事も掲載された。
法隆寺に漫画のことを持ちかけたが、態度を保留された奈良新聞の記者による思い込みの捏造記事であった。
原作者の山岸涼子は、裁判になったときのために自宅を売却して裁判費用にしようと考えていたそうである。

作者の実体験をもとにした疫神登場シーン

厩戸王子の父・用明天皇が崩御する時、疫神が天皇の部屋の四隅に立つシーンがある。
実は作者の山岸涼子は似たような経験をしている。
山岸涼子の父親が亡くなった時、入院していた病院の個室のトイレに何か黒いものがいるような気がして、お清めの塩を置いていたそうだ。

奈良に行くたびに起こる不思議な体験

山岸涼子は奈良に行くたびに不思議な体験をするいう。その中でも特に印象的なエピソードが、夢殿を訪ねた時に横倒しになった虹を見たというものである。
これは日暈(ひがさ)といって太陽の回りにできる光の輪。年に数回見られ、色がつくと虹のように見える現象である。

『日出処の天子』を描く前に読んだ3冊の資料

山岸涼子が『日出処の天子』を描く前に読んだ資料は、梅原猛『隠された十字架』、直木 孝次郎『日本の歴史〈2〉古代国家の成立』、菊竹淳一編『日本の美術91 聖徳太子絵伝』の3冊だった。
調べすぎると自分の中にあった最初の熱が冷めてしまうので、これが描きたいというパワーがあったら、すぐにその段階でとりかかるそうである。

『隠された十字架』は、法隆寺は聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられたという説を主張し、論争を巻き起こした問題作。
山岸涼子は小学生時代に、法隆寺所蔵の仏像に刀剣が納められているという新聞記事を読んだという。禍々しいもの貴いもので覆い隠しているという状況がとても怖かった、という話を友人の漫画家の矢代まさこに話したところ、まさにそのことが書かれている、と『隠された十字架』を紹介された。ホラー小説を読むようにゾクゾクしながら夢中で読み進んだそうである。
この本を読んで、鎮めねばならないほど強大な存在とはなんなのか、ということを描きたくなった、とのちに語っている。

『聖徳太子絵伝』は、聖徳太子の生涯を絵巻物にしたものである。そこに描かれた様々な常人とはかけ離れたエピソードから、聖徳太子が超能力者だったら、という発想につながった。

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