竹内まりや(Mariya Takeuchi)とは【徹底解説まとめ】

「竹内まりや」とは、日本のシンガーソングライター・作詞家・作曲家・ミュージシャン・音楽プロデューサーである。1978年にシングル『戻っておいで・私の時間』とアルバム『BEGINNING』を同時発売してデビューした。1994年に発売したベストアルバム『Impressions』が大ヒットし、通算で300万枚を超えるアルバムCD売上を記録した。その他に、『シングル・アゲイン』『カムフラージュ』などたくさんのヒット曲を持つ。

竹内まりやの名言・発言

「私とエンジニアとアシスタントと3人だけの作業なんですけど、そこで悩んだり、答えが見つかったりっていうのが歌入れの醍醐味ですけれどもね」

質問者から、
「楽曲にあるニュアンスを考えていろんな歌い方をしたり言葉の載せ方を考えているのですか?」
という質問に対して、
「私とエンジニアとアシスタントと3人だけの作業なんですけど、そこで悩んだり、答えが見つかったりっていうのが歌入れの醍醐味ですけれどもね」
と回答した。

「どんな歌い方にするか?メロディにどのように歌詞を載せるのか?を考えることがレコーディングで最重要なんです」と加えて回答した。

歌い方のイメージができたら(Plan)すぐに歌ってみる(Do)。その歌声を確認(Check)して、3人で考えたイメージに合わなければまた話し合って(Action)別のイメージを計画する。このPDCAをレコーディング中に何回も回す作業こそが、自身が歌手なんだと1番実感する時間だと言う。

「例えば私が75歳になった頃にどんなタイプの曲を歌っていたら面白いかなとか漠然と考えるんです」

質問者から、「これからも音楽活動を続けるのですね?」の問いかけに対して、
「例えば私が75歳になった頃にどんなタイプの曲を歌っていたら面白いかなとか漠然と考えるんです」
と回答した。
この言葉には、竹内がいくつになっても音楽活動は続けていきたいという熱意が伝わる。たとえ歌えなくなってもシンガー・ソング・ライターとして作詞・作曲はできるのでマイペースで自分の道を進み続けたい思いを感じる。

自身の音楽の形を「ミドル・オブ・ザロード」と表現するが、要するになんでもアリだ。いろんなジャンルの音楽を竹内まりやというフィルターを通してポップスにしたいのである。そのポップスをプロデューサーであり夫の山下達郎がどう制作するのかと考えると、この先の自分の音楽が楽しみだと言う。

「ポピュラーミュージックを作るうえで大変なことは、自分としてはいいと思っている楽曲が必ずしも世の中にウケるわけではないということなんです」

質問者から、「曲作りで大変なことはなんですか?」という質問に対して、
「ポピュラーミュージックを作るうえで大変なことは、自分としてはいいと思っている楽曲が必ずしも世の中にウケるわけではないということなんです」
と回答した後でさらに、
「曲作りはファン目線が大切であり、自己満足だけではいけない。ポピュラーミュージックは多くの人に多く聞かれてナンボなんです。自分が普段お気に入りの音楽を聴く場合どう感じるのか?を客観的に考えた時に、ファン目線とは何か?が自然と導き出されるのです」
と回答した。

世の中にはたくさんの音楽のジャンルがあるので、自己満足だけを追求して楽曲作りをされてるクリエーターはいるだろう。その自分の世界の中に入り込んだ音楽に多くのファンが魅了されているケースもある。

しかし、竹内まりやの本望なのは独自の音楽を追求するのではなく、聞いてる人がリラックスできて誰からも愛される音楽である。例えば、お店のBGMで音楽が流れても自然な雰囲気を壊さないポップスなどである。

「自分が意識しないところで、自分の放った言葉とかメロディが誰かの人生の役に立つって素敵なことだなと」

竹内まりやは以前のインタビューにて、
「自分が意識しないところで、自分の放った言葉とかメロディが誰かの人生の役に立つって素敵なことだなと」
と回答したことがあった。「ストーリーの中に救いがないのは苦手なんです」と語った。曲の中にいかなる起承転結があろうとも、どこかに救いがあってほしい。竹内まりやの楽曲のどこかにある「救い」こそが「誰かの人生で役に立つ」ということだ。

「誰かの役に立つ」言葉を重い雰囲気で表現するのは自分らしくない。竹内まりやの楽曲はポップスなので明るく軽やかに表現すべきだと心掛けているとのこと。性格が楽観的なのもポップスを表現するのに最適である。

竹内まりやの裏話・トリビア・小ネタ/エピソード・逸話

山下達郎との結婚のきっかけは「リンダ」の楽曲

竹内まりやは多くのアーティストへ作詞・作曲を提供している。その第1作目が1980年にアン・ルイスへの「リンダ」である。「リンダ」はアンのほうから曲を作ってくれと頼まれて、楽天的な性格なので、ちょっとやってみようかと考えて曲作りがスタートする。その時手伝ってくれたのが山下達郎だった。山下自身もたくさんの仕事を抱えていたにもかかわらず、1人でコーラスをしてもらったことが付き合うきっかけになった。アンに「リンダ」を作ってと頼まれなければ、山下達郎と結婚しなかったかもしれないと竹内まりや自身が言っている。

竹内まりや・山下達郎・木村拓哉の3人によるユニゾン

1995年11月20日発売の「今夜はHearty Party」の歌詞で「キムタク」が登場する。これはドラマ『あるなろ白書』に出演していた木村拓哉を見てアイデアがひらめいたと言う。歌詞の後半部分で「かっこいい男」の表現をどうするかと考えていたら「木村拓哉」が思いつく。メロディにスムーズに合わせるために「キムタク」へ変更。
歌詞の中に名前を出してもいいか事務所へ確認したらすぐ快諾された。この流れで、「コーラスで参加してもらえないですか?」と聞くとこれもすんなり快諾。
後日、木村拓哉が音楽スタジオへやってきた。
「今夜はHearty Party」のはじめのセリフ「ねぇ、パーティにおいでよ!」を収録。それから、「愛してるよ!」「パーティやろうぜ!」「元気出しなよ!」を次々に収録する。極め付けは、竹内まりや・山下達郎・木村拓哉の3人で1本のマイクを使ってのコーラスを合唱した。
この出会いが縁となり、竹内まりやと木村拓哉はメル友仲間である。

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