目次

  1. 蔦谷喜一の略歴
  2. 内心には葛藤も
  3. 当時を懐かしむお年寄りから小さな子供にまで、再び注目を集めている「きいちのぬりえ」
  4. ぬりえ美術館

蔦谷喜一の略歴

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大正3年(1914)、東京・京橋区(現中央区)で紙問屋を営む
蔦谷家の9人兄弟の五男として生まれる。
幼少時分より人物画を好んで描いていたきいちは、
17歳の時、帝展で山川秀峰の「素踊」の絵を見て
感銘を受け、画家の道に入ることを決意。
昭和15年(1940)、きいちが26歳で「フジヲ」を
名乗り描いたぬりえが、子ども達の間で、人気を博す。
昭和22年(1947)、本名の「きいち」の名でぬりえを発表し、
昭和23年(1948)頃からは、きせかえを制作。
昭和40年頃までぬりえ作家として活躍。
「きいちのぬりえ」は、平均すると月に100万セット、
最高時には160万セットを販売するにまで至り、
名実共に日本を代表するぬりえへと成長した。

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知人に持ち込まれて始めた「ぬりえ」の仕事は、
第2次世界大戦中は中段しましたが、戦後になると
復活し、物資の少ない中で少女たちの貴重な
遊び道具になってゆきました。

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1978年、資生堂ザ・ギンザの「アート・スペース」で
開催された展覧会で、当時すでに大人になっていた女性たちが
子供の頃を懐かしみ、再評価されるようになりました。

内心には葛藤も

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筆の進まないとき、友人と会ったり、良い絵を見たときなどふと我に返り、
「これでいいのか、このままでいいのか」と、と思うことがあった。
初志の夢は遠のいてしまって、私はぬりえなどという、
人からはかんがみられない隔離したしたところで安易な
生きかたをしている。それで寂しくないか、と自分に聞いて
みたくなることもしばしばあった。

 しかし、ぬりえは子供の創造性を阻害すると、
悪視されるのを聞いたりすると、私はふるいたった。
ぬりえは絵画の教育ではない、教育とは無縁のもので、
あくまで子供の遊びである。幼い子供の情操を養う
心の遊びだと主張した。もし”塗るための絵”だけを考えて
描いていたらもっと違った教育的なものを描いていたと思う。
 私は美しい絵を描きたいから描いてきたのだった。
美しい大人なり子供なりを描きたかったのである。
(きいちのぬりえ*草思社)より

当時を懐かしむお年寄りから小さな子供にまで、再び注目を集めている「きいちのぬりえ」

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大判シリーズ きいちのぬりえ 着物編

きいちのぬりえ本は、子供の頃を思い出して
懐かしむお年寄りに売れています。
ぬりえは手と脳の運動になるので、痴呆症の予防にも
なるのだとか。

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大判シリーズ きいちのぬりえ 昭和の暮らし編

きいちの絵柄は、当時のことを知らない今の子供たちも
魅了しています。

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大判シリーズ きいちのぬりえ ドレス編

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大判シリーズ きいちのぬりえ 四季の行事編

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THEきいちのぬりえBOOK〈2〉

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晩年、きいちは、童女を描く「童女画」や「美人画」に取り組み、
「美しさ」への願望を飽くことなく絵の中に見出そうと、
生涯現役の画家として平成17年(2005)、
91歳で亡くなるまで筆を取り続けた。

ぬりえ美術館

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荒川区にある「ぬりえ美術館」では、きいちの作品を
中心に、様々なぬりえの原画などが展示されています。
来館者がぬりえを体験できるコーナーも。

東京都荒川区町屋 土日祝日のみ開館
開館時間:(3月~10月)12:00~18:00 (11月~2月)11:00~17:00