竹内まりや(Mariya Takeuchi)とは【徹底解説まとめ】

「竹内まりや」とは、日本のシンガーソングライター・作詞家・作曲家・ミュージシャン・音楽プロデューサーである。1978年にシングル『戻っておいで・私の時間』とアルバム『BEGINNING』を同時発売してデビューした。1994年に発売したベストアルバム『Impressions』が大ヒットし、通算で300万枚を超えるアルバムCD売上を記録した。その他に、『シングル・アゲイン』『カムフラージュ』などたくさんのヒット曲を持つ。

竹内まりやの概要

「竹内まりや」とは、日本のシンガーソングライター・作詞家・作曲家・ミュージシャン・音楽プロデューサーである。1955年3月20日生まれで、出身は島根県出雲市。既婚者であり、夫はシンガーソングライターの山下達郎。子供は娘が1人いる。1978年11月25日にシングル『戻っておいで・私の時間』とアルバム『BEGINNING』を同時発売してデビューした。1994年5月に『純愛ラプソディ』を発売。累計で89.6万枚を超えて、竹内まりやのシングルCD売上で最大のヒット曲となった。同年7月に、その『純愛ラプソディ』が収録された通算2枚目のベストアルバム『Impressions』が300万枚を超えて、自身のアルバムCD売上で最大のヒット曲となった。2019年の『第70回NHK紅白歌合戦』に特別企画枠で初出場して「いのちの歌」を歌った。

人生で1番影響を受けた音楽は「ビートルズ」。子供の頃、英語がまったくわからなかったが夢中になって聞いていた。その他には、日本人歌手では坂本九、ザ・ピーナッツ、吉田拓郎。大学生時代には「ジェームズ・テイラー」「ニール・ヤング」などが好きでよく聞いていた。

竹内まりやの音楽を1言で表現すると「ミドル・オブ・ザ・ロード」だ。
ミドル・オブ・ザ・ロードとは次の3つを意味とする
1.万人受けする
2.穏やか
3.左右に偏りがない中間的な音楽
つまり老若男女誰でも癒されて楽しめる音楽という意味になる。その証拠に「マンハッタン・キス」「今夜はHearty Party」などたくさんのヒット曲があり、多くの人から愛され続けている。「左右に偏りがない」とは、歌詞の内容が前向きで明るくて丸い表現が多いという意味だ。そこにとんがった激しく強いメッセージ性はない。穏やかな曲と歌詞が人の心を穏やかにするのだ。

夫の山下達郎から「シンガーソング専業主婦」と呼ばれる。その言葉通りに、曲作りする時は主婦として家事をしながら、片手間でダイニングテーブル上でミニキーボードを使っている。また、入浴中に新たな曲がよく思い浮かぶと言う。

たくさんのアーティストへ作詞・作曲を提供している。
1.KinKi Kids 「Midnight Rain」 作詞・作曲
2.中山美穂 「色・ホワイトブレンド」 作詞・作曲
3.広末涼子 「MajiでKoiする5秒前」 作詞・作曲
4.山下達郎 「寒い夏」 作詞のみなど多数
他のアーティストへ作詞・作曲を提供しているが、その曲を自身でカバーして歌っている場合もある。

竹内まりやの活動経歴

学生時代から歌手デビューまで

高校は地元の進学校へ進学してクラブ活動はコーラス部へ入った。高校2年生の9月からAFS交換留学制度を利用して、米国イリノイ州のロックフェールズ高等学校へ、1年間の留学をした。大学は慶應義塾大学文学部へ進学。サークル活動は「リアル・マッコイズ」という音楽バンド同好会に所属した。バックコーラスを担当していた。杉真理がリーダーをしていて、彼のレコーディングのサポートを続けていたら業界の人から誘いを受けて歌手デビューが決まった。1978年11月25日にシングル『戻っておいで・私の時間』とアルバム『BEGINNING』を同時発売して歌手デビュー。デビュー当時は慶應義塾大学に在籍中だった。

山下達郎との結婚と活動の変化

歌手としてデビューした1979年はちょうどアイドル空白期だったので、目が大きくかわいい容姿が買われアイドル活動を求められた。歌わない仕事に不満を持ちながらもテレビのバラエティ番組の出演や雑誌のグラビアを頑張ってこなしたが、結局馴染めずにストレスを多く感じる日々を過ごした。1981年にストレスと疲労が原因で入院し、まもなく一時休養宣言をする。そして1982年に山下達郎と結婚した。家庭を優先するためにライブ活動やメディア出演はほぼなくなったが、山下達郎のサポートを受けながらシンガーソングライター活動は続けた。1994年に『純愛ラプソディ』を発売する。自身のリリースしたシングルCDの中で最大のヒット曲となった。同年7月にベスト・アルバム『Impressions』を発売する。売上枚数は通算で300万枚を超え、自身のリリースしたアルバムCDの中で最大のヒットとなった。

『紅白歌合戦』に初出場

2000年からライブ活動を再開する。また、山下達郎の音楽シングルの作詞を手伝ったりして仕事の量を少しずつ増やしていった。2000年代中期になると子育てが一段落したので、音楽活動により積極的になる。2008年にはデビュー通算30周年を記念してベスト・アルバム『Expressions』を発売する。2010年の北海道で開催された野外フェスに、山下達郎が出演した時、バックコーラスとして夫をサポートした。これが10年ぶりのライブ活動となる。2013年に故郷の島根県出雲市では、出雲大社の60年に1度の大遷宮(だいせんぐう)が斎行(さいこう)された。この時に出雲市から依頼を受けて作詞・作曲を手がけた『愛しきわが出雲』を発売。この楽曲により2015年に出雲市から特別功労者として表彰を受けた。2018年にデビュー40周年を迎える。40周年記念アルバム『Turntalble』を発売。オリコンチャート1位を獲得したことにより、「昭和・平成・令和の3つの時代で1位を獲得した初の女性アーティスト」となった。この年に1984年発売のアルバム『VARIETY』の中の曲「PLASTIC LOVE」がYouTubeで2400万回以上の再生を記録する。竹内まりやは世界的には名が知られていなかったが、動画共有サービスにより世界的に歌が知られるようになった。2019年に芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞。この年の年末には『NHK紅白歌合戦』の特別企画で初出場し「いのちの歌」を歌った。

2020年以降の主な活動

2020年11月より7年ぶりとなる全国ライブツアーが開催される予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大と緊急事態宣言の再発令が原因で中止となった。ライブツアーの中止を受けて、代替企画として無観客で有料配信されたのが「LIVE Turntable Plus」である。

竹内まりやのプロフィール・人物像

1955年に島根県出雲市にて生誕。実家は出雲大社の鳥居から約100mほどの距離にある創業140年の竹野屋旅館である。2男4女の6人兄弟の第4子。既婚者で夫はシンガーソングライターの山下達郎である。娘が1人いる。高校まで地元の学校で、大学は慶應義塾大学文学部へ進学して、英米文学を専攻した。大学在学中に歌手デビューした。

得意料理は「無限ピーマン」。ピーマン、ツナ、鶏がらスープの素、ごま油を混ぜてレンチンするだけの簡単料理である。
楽曲制作はダイニングテーブルの上のミニキーボードで行う。
夫の山下達郎から「シンガーソング専業主婦」と呼ばれている。その理由は主婦業と音楽業を家の中で器用に切り替えながらこなしていたから。
影響を受けた音楽は、60年代の欧米ホップス。ニール・セダカ、シャノン等の作品を弘田三枝子や坂本九が訳詞で歌っていたもの。最大の影響を受けたのはビートルズ。

竹内まりやのディスコグラフィー

シングル

『戻っておいで・私の時間』

1978年11月25日発売

収録曲
1.戻っておいで・私の時間
2.ジャスト・フレンド

竹内まりやのデビューシングル。
伊勢丹TVCMテーマソングとして使用された。
オリコンチャート最高順位は84位。

『ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風〜』

1979年2月25日発売

収録曲

1.ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風
2.すてきなヒット・ソング

「ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風」はキリンの炭酸飲料「キリンレモン」のCMソング。
通算10万枚ほどのヒット曲だったが、約6ヶ月間もTOP100にチャートインを継続した。

『SEPTEMBER』

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