コット、はじまりの夏

コット、はじまりの夏のレビュー・評価・感想

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コット、はじまりの夏
7

賢い少女は語らず走る

この作品はアイルランドの映画である。
1981年の夏の物語。9歳の少女コットは学校にもなじめず、家族の中でも孤独だった。草原に寝そべって、身を隠すように過ごしていた。兄弟からも探されて「コット、コット!」と、何度も何度も呼ばれて、ようやく動き出す。

夏休みの間、親戚のキンセラ夫婦にコットだけあずけられることになる。もちろんコットはなじめないが、妻のアイリンはコットにやさしく接してくれる。夫のショーンも不器用だが優しかった。その不器用さがおかしくもあった。
コットは井戸から水汲みをする。料理の手伝いや牛舎の掃除もする。やるべきことを与えられることで、コットは自分の存在価値を高めていった。特に郵便受けまでのダッシュは、映画的にもいいシーンだ。

しかし、夫婦にはコットに話していない事実があった。それは息子がいたが、亡くなってしまったこと。コットがいる部屋は、その息子の部屋だったこと。それを知って、お互いが優しくなった。

ひと夏が終わり、実家に帰ると相変わらず、コットの居場所はそこになかった。
そしてラストシーンのダッシュ。それからのハグは、その夏の記憶がよみがえって感動する。

その時代、宗教的な理由からも避妊ができなかった。そのためコット家は、大家族になっていたわけなのだが、父親のデリカシーのなさには辟易する。

コット役を演じたキャサリン・クリンチがすばらしい。本作がデビューらしいが、無口で佇んでいるだけのシーンでも、いろいろ考えて空気を読んでいる賢いコットをみごとに演じていた。