目次

  1. My chemical romanceとは
  2. My chemical romanceのサウンド
  3. 最後に

My chemical romanceとは

マイ・ケミカル・ロマンス(My Chemical Romance)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身のロックバンド。バンド名はベーシストのマイキー・ウェイの発案で、アーヴィン・ウェルシュのカルト小説「Ecstasy: Three Tales of Chemical Romance」に由来する。

パンク・ロック、ハードコアを基調としたメロディアスで多様な音楽性はクイーンやブラック・フラッグ、アイアン・メイデン、グリーン・デイ、ミスフィッツなどから影響を受けている。

2007年には、日本の音楽番組「ミュージックステーション」に出演したり、武道館でライブを行うなど、日本でもブレイクした。

2013年3月22日に解散し、世界中のファンを驚かせた。

メンバー

ジェラルド・ウェイ (Gerard Way 1977年4月9日 - ) - ボーカル

本名は、ジェラルド・アーサー・ウェイ(Gerard Arthur Way)
ニュージャージー州ベルビル出身
おばあちゃん子で、祖母に絵を描くことや歌うことを教わり、「彼女がいなければ今の自分はいないと思う」と話す。セカンドアルバムの「ヘレナ」は彼の祖母が亡くなった時、「大切な人を失う恐怖と最期に傍にいられなかった自己嫌悪感から生まれた曲」である。ちなみに彼女の名前は「エレナ」だったそうだが、幼いジェラルドは彼女のことを「ヘレナ」と呼んでいたらしい。
2006年に「来年から禁煙する」と宣言していたが、2007年年明け直後、気づいたら煙草を吸っていたらしく、断念した。
日本贔屓であり、本人は本気で日本に住もうとしていた。プライベートでもよく来日する。特にお気に入りの場所は、ロフトらしい。
メンバーは、ジェラルドの左手の薬指の指輪は、フレンドシップリングだと話していたが、MTVが本人に直接訊ねたところ「婚約している」と明かした。なお、2007年9月3日に、マインドレス・セルフ・インダルジェンス のベーシスト・Lyn-Zと結婚し、2009年5月27日には女の子が生まれた。
2007年の9月4日にデンバーで行われたマイ・ケミカル・ロマンスのコンサート終了後に、そのままバックステージで結婚式を挙げた。

レイ・トロ (Ray Toro 1977年7月15日 - ) - リードギター

本名は、レイモンド・マニュエル・トロ・オルティス(Raymond Manuel Toro-Ortiz)
ニュージャージー州カーニー出身。
レイの髪の毛を、マイキーが一度だけストレートにした事があったが、本人は気に入らなかったらしく「たいして変わらないよ」と言って、元に戻した。それに対しマイキーは「ストレートでもカッコイイのに」と言っていた。
目が悪いため、コンタクトレンズを使用している。
楽曲の多くのコーラスを担当する。非常な特徴的な声をしている。

フランク・アイイアロ (Frank Iero 1981年10月31日 - ) - リズムギター

本名は、フランク・アンソニー・アイイアロ(Frank Anthony Iero)
ニュージャージー州ベルビル出身。
2008年に結婚。フィアンセの名前を左胸に彫っている。
苗字の発音の仕方は"Eye-Ear-O"(本人談)。しかし、日本の雑誌で「アイイアロ」と表記されることは少なく「アイエロ」や「イエロ」と書かれる事が多い。
身長が165cm程度しかなく、メンバーの中でも一番短身である(ライフ・オン・ザ・マーダーシーンのDVD2で、145cmと本人が言っていたのは冗談)。そのため「ヘレナ」のPVでは、メンバー達がヘレナの棺を教会から運び出すというシーンの撮影時に、フランク自身は、棺に手を添えてるだけだったとのこと(本人談)。そのシーンの撮影終了後、最前列で棺を持ったジェラルドは「空っぽだし楽勝だと思っていたのに、一人でテーブルを運んでる感じだった」と言い、横にいたレイは「最前列の俺とジェラルドは悲惨だったんだ。フランクめ、昼寝までしやがって」と、笑いながらつぶやいていた。
2001年には、PencyPrepというバンドに加入していた。現在は、LEATHERMOUTHというニュージャージー出身のインディーズバンドでボーカルを務めている。
下唇の内側、首、腹など全身にタトゥーが彫ってある。
幼少期は、喘息持ちだった。
元々、ヘビー・スモーカーだったが、4年ほど前から禁煙している。
2007年1月の日本公演の際には、来日前に、親知らずを4本抜歯した痕が機内で出血し、腫れと疲労による40度もの高熱により不参加。その時の事をジェラルドは「出血が酷くて大変だったんだよ!」と供述している。
犬を4匹飼っている。

マイキー・ウェイ (Mikey Way 1980年9月10日 - ) - ベース

本名は、マイケル・ジェームズ・ウェイ(Michael James Way)
ニュージャージー州ベルビル出身。
15歳の頃、アメリカでは人種差別などの理由からDVD、VHSの発売が禁止であったディズニー映画をフィリピンから手に入れ、それを海賊版として販売して利益を得ていた事があり、FBIから厳重注意を受けた経験がある(未成年のため、刑務所へは行かなかった)。その利益で、ライブのチケットを買っていたが、マイキーがそれを兄ジェラルドに渡すこともあり、そのおかげで今の彼がある。
2007年3月7日に、ベーシストのアリシア・シモンズ(Alicia simmons)と結婚し、新婚生活を送るため現在一時的にバンド活動を休止していた
視力が悪かったが、コンタクトレンズを目に入れるのが恐く、眼鏡を愛用していた。後にレーザー治療を施し、視力は回復した。

バイオグラフィー
結成

初期メンバーの5人全員がニュージャージー出身で、フランク以外はハイスクール在学中から親しくしていた。そのころから、バンドを結成したりしていたが、長くは続かなかった。ハイスクールを卒業後、4人は一旦それぞれ自分達の将来を探すために散っていったが、連絡を取り合うことだけは欠かさなかった。

ジェラルドは、母親の実家の地下室に住みながら、ニューヨークでアニメーションの仕事をしていた。しかし、次第にそんな毎日、自分の生き方に疑問を持ち始める。そんなジェラルドは仕事にニューヨークへ向かう途中、フェリーから直接9.11テロを目の当たりにし、自分の生き方として音楽活動を選ぶ決意をする。そして、同じ疑問を抱えていたマットと連絡を取り合い、2人は一緒に音楽をする決意をする。2人だけではあったが、ここに一番初期の段階のマイ・ケミカル・ロマンスが誕生する。
初期活動・インディーズデビュー

ジェラルドとマットの2人で、最初の曲となる「Skylines And Turnstiles」を作る。そのあと、マイキーがベーシストとして加入し、マイキーの知るなかで一番うまいギタリストの友達、レイを加入させる。この4人でデモテープを作る。そして、そのデモテープがアイボール・レコードの目に留まり契約に至る。

2002年、デビューアルバムのレコーディング中にフランクが新たなギタリストを希望し、Pency Prepを解散し、加入。その後、たった2週間でレコーディングを終え、最初の曲である「Skylines And Turnstiles」をリリースする。そして、2002年の殆どを、アメリカやヨーロッパでのツアーに費やし、この時より確かなファンベースを獲得する。2003年7月には、サーズデイのGeoff Rickly (Vo)のプロデュースのもと、ファーストアルバム『I Brought You My Bullets, You Brought Me Your Love』がインディーズより発売される。彼との親交は、ジェラルドがサーズデイのTシャツを描いた事から続く縁である。
スウィート・リベンジ(メジャーデビュー)

そしてバンドは、メジャーレーベルのリプリーズ・レコードと契約し、セカンドアルバム『Three Cheers For Sweet Revenge』を制作する。本作で、バンドはメジャーデビューを果たし、多くの雑誌やメディアに取り上げられる事になる。なお、セカンドアルバムは、1週間でファースト・アルバムの約2倍も売れるなどといった驚異的な売り上げ数を記録した。日本でも、日本デビュー前にも関わらず「フジロック」と「サマーソニック」の間で争奪戦が繰り広げられるなど、話題となり、その結果「サマーソニック04」にて初来日し、多くの観客を熱狂させた。その来日後、ドラマーのマットが脱退するという事件が起こる。理由は、マットとバンドの考え方の違いから折り合いが悪くなった事が原因である。バンドはその後、新たなドラマーとしてボブを迎える。

ジェラルドの薬物中毒とアルコール依存症に伴ううつ病の悪化など、バンドとして苦しい状況を迎えるが、ジェラルドの禁酒宣言で、問題は解決。2005年2月には再来日し、ワンマンツアーを敢行。また、4月には世界的人気バンドのグリーン・デイのアメリカ・ツアーのサポートに大抜擢され、この頃、バンドを取り巻く状況の変化に戸惑っていたジェラルドに、グリーン・デイのボーカルのビリー・ジョーが「世界には正しいロックスターが必要なんだ」とアドバイスした。そして、夏のワープト・ツアーに参戦し、同年5月にメジャー・デビューしたフォール・アウト・ボーイと共に、エモシーンの盛り上がりに拍車をかけた。その後も、2006年8月には「サマーソニック06」に出演するなど、精力的に活動している。
ザ・ブラック・パレード

2006年10月、サードアルバムからの先行シングル「Welcome To The Black Parade」が全英シングルチャート1位を獲得。 同年、死をテーマにしたサードアルバム『The Black Parade』をリリース。アメリカのアルバム・チャートで1位を記録。 このアルバムは、世界各国で大ヒットし、世界的に有名になる。その後、世界各国でツアーをし、2007年1月には、東名阪と合計4箇所で、3度目となる来日公演を行った。同年5月には、初の武道館公演を行った。この武道館での公演が、日本でのブラックパレードツアーの最終公演となった。 その後も、世界各国でツアーを続け、2008年5月9日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで、ツアー全体のフィナーレを飾った。

2008年、メキシコでのツアーを収めたライヴ・アルバム『The Black Parade Is Dead!』をリリース。 その後は、世界ツアーでの疲れを取るため、活動休止に入る。この時、「バンドが解散するかと思ったよ」と言うジェラルドだが、詳しい事情については不明。
デンジャー・デイズ

2009年、フォースアルバムリリースに向けてのレコーディングも含め、活動を開始。映画『ウォッチメン』の主題歌として、ボブ・ディランの「Desolation Row」をカヴァーする。同年、ジェラルドが氷室京介とコラボした楽曲「Safe And Sound」を発表。 2009年8月には、「サマーソニック09」に、ヘッドライナーとして出演。2010年2月、ジェラルドの喉の調子が思わしくないため、オーストラリア・ツアーをキャンセルした。

2010年3月、フランクが公式サイトにて、ボブ・ブライヤーがバンドを離脱したことを発表した。だが、なぜボブが離脱したかの理由の詳細については発表されていない。2010年に入ってから、バンドメンバーとボブの別々の活動が目立ってきたという。

2010年9月、公式サイトにてフォースアルバム『Danger Days: The True Lives Of The Fabulous Killjoys』を11月にリリースすることを発表した。プロデューサーは当初ブレンダン・オブライエンを迎えたとしているが、新たにロブ・カヴァロを起用している。本国アメリカでは11月22日、日本では11月24日に発売された。アルバムからのファーストシングル「Na Na Na (Na Na Na Na Na Na Na Na Na)」を9月28日、セカンドシングル「SING」を11月9日にリリースした。
解散

2013年3月22日、オフィシャルサイトにて正式に解散を発表。1年後の2014年3月にはバンド結成以来リリースされてきたほとんどのシングルを収録したベスト・アルバム『May Death Never Stop You: The Greatest Hits 2001-2013』をリリースすることを発表した。

出典: JA.WIKIPEDIA.ORG

My chemical romanceのサウンド

My chemical romanceのサウンドが世に出たことは多くの影響を与えた。
パンクやハードコアのビートにメロディアスなボーカル、ギターなどのサウンドを合わせることで既存の音楽とは違うテイストを与えた。
エモやポストハードコアと呼ばれる音楽に属すると思われるが、
どこか悲哀に満ちており枯れたサウンドが特徴的である。

エモーショナルなボーカルが印象的な曲である。

My chemical romanceの代表曲である。
ライブでは大合唱になる一曲。

比較的明るい一曲。
しかし、My chemical romanceらしさが出ている曲である。

My chemical romanceのロックナンバー。
スタンダードな曲調だが、ポップなメロディに溢れている。

最後に

My chemical romanceが解散したことは残念である。
それまでのポップパンクシーンに割り込んでこのようなサウンドが登場したことは驚きであったからだ。
しかし、現在でも熱狂的なファンがいるなど活動再開の声は高まっている。
これまでいくつもの困難を乗り越えてきたバンドであるが故にそのような期待があるのは当然なことかも知れない。
パンク、ロック、エモ、ポップなどあらゆるサウンドが織り交ざるようなサウンドが好きな方にはおすすめできる。
この独特なサウンドは癖になる人は多いのではないか。