テニスの王子様 / テニプリ / The Prince of Tennis / 新テニスの王子様

テニスの王子様 / テニプリ / The Prince of Tennis / 新テニスの王子様

許斐剛によって1999年から2008年まで週刊少年ジャンプにて連載された漫画及びアニメ、映画、ゲーム作品。ミュージカル化もされている。さらに2009年から第2シリーズとして『新テニスの王子様』としてジャンプスクエアにて連載再開された。中学校の部活動テニスを題材にした作品。テニスの名門校に入学した越前リョーマはテニス部に入部し様々なタイプの選手と対戦しながら団体戦での全国大会優勝を目指す。

6wnamimiのレビュー・評価・感想

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テニスの王子様 / テニプリ / The Prince of Tennis / 新テニスの王子様
10

テニヌ?テニスしてない?違う、彼らはテニスへの愛で奇跡を起こしているんだ

テニスをしているはずなのに、ブラックホールを生み出して時間を止め、人間は当たり前のように分身して光り、天衣無縫は歌の歌詞だし、己の目で人体をレントゲン視し、ボールは増えるし、海賊が選手を刺し、意識はループし、ネットは燃え、血みどろに処刑し、未来を奪い、巨人が現れ、透明人間になる。

新テニはもう、何がなんだか分からない。

その気持ちはよく……ほんっとーーーーによく分かる。
無印の頃から様子がおかしかったテニプリは、新テニになってから、もうやりたい放題である。
突っ込むのを諦めるほどにツッコミどころしかない。

でも、少し待って欲しい。
マンガを読んでいる時は、なぜかそのおかしさがキレイサッパリ消え失せるのだ。
それは、トンデモ超展開にそれっぽい理屈が肉付けされていることも要因の一つではあるが、1番の理由は、彼らが「真剣」だからだ。全身全霊を掛けて、命を削るほどにテニスに対して「真摯」だからだ。

彼らは不思議に思わない。だからわたしも受け入れる。
彼らは恥に思わない。だからわたしもまっすぐ応援できる。

テニスに対してのスタンスは様々だが、全ての王子様に共通していることは「テニスを愛している」こと。そこから生まれる無垢な感情の煌めきは、彼らの歳を超えて10年経った今の私では眩しすぎて焼き尽くされそうだが、その熱が、読者の心臓と呼吸を止めるほどまっすぐに伝わってくる。

山吹中の亜久津仁と、立海大附属の幸村精市が分かりやすいかもしれない。
亜久津はテニプリで、都大会でリョーマに負けてテニスを辞めた不良選手だ。新テニでも登場するのだが、彼は青臭く、こちらが恥ずかしくなるほどの葛藤を抱えていた。
テニスでの海外留学の話を貰った彼は、「今更言えるかよ」「テニスがまたしたいだなんて」「カッコ悪ぃ」とまるで15歳の少年のようなことを内心で叫ぶ。それだけでも致死量の青臭さとまっすぐなひねくれ具合だが、千石清純の賭けにより、U-17の合宿に参加することに決まる。
その時の千石清純のセリフである「今夜は月が綺麗だなぁ」には思わず泣いてしまうかと思った。
これは亜久津や千石だけでなく、全ての王子様に共通する気持ちだろう。本誌での編集者による煽り文は、追い打ちをかけるように「亜久津の気持ちはILoveテニス……」だ。もう辞めてくれ、泣いてしまうだろと思った。
合宿が進むと、亜久津は「カッコ悪ぃ」という気持ちを投げ捨てて、真田とダブルスを組み、無様に倒れ込みながら「カッコ悪ぃだのなんだの言ってられねぇんだよ!」と放った。

テニプリという作品は、誰もがテニスに向き合い、それによって精神的に成長しながら人間ドラマを生み出していく。

そして、幸村精市。彼という男は、テニスを楽しめない。
神の子という呼び名、立海の必ず勝利しなければいけない掟、彼個人の命を、そして「テニス」を失うかもしれない恐怖、復帰してもその病が完治していない不安。
背負うものが多すぎて、テニスを純粋に楽しむことが出来ない。勝利を求めてしまう。
彼だって、テニスを楽しもうとしたことはあった。
けれど、真田との勝負で恐れを抱いた幸村は、やはり、テニスを楽しむことではなく、「勝つこと」を選んでしまう。
彼の苦しみ、葛藤、劣等感、トラウマが物語の中でていねいに描かれている。
「勝利に相応の苦痛があるのは当然なんだ。だから俺はテニスを楽しめない」という彼が出した答えは、テニスの王子様である越前リョーマの答えとは真逆だった。
けれど、「俺はテニスを諦めない!」の言葉には、もうひとつのテニプリ、もうひとつのテニスの王子様の概念を感じる。
それが作者許斐剛先生が定義する、幸村精市という男。
誰よりも、どんな苦しみがあっても、自分の命とテニスがどこまでもズブズブにくっついている。誰よりもテニスをしたいという思い、テニスができる喜びが強い幸村精市。
テニスを楽しむ気持ちの一端を掴んだ時、「まほろば」と思ってしまうくらい、テニスを楽しむことに憧れと劣等感を持つ幸村精市。
その彼が出した答え、そして原点にあるのは「テニスを諦めない」という心だ。

これほど真摯な愛があるだろうか?
悲鳴をあげるように、テニスを全身全霊で愛する幸村精市は、たしかにもうひとつのテニスの王子様だ。

テニスの王子様、新テニスの王子様は、愛の物語だ。
全員がそれぞれ、テニスに向き合い、情熱を燃やし、テニスによって何かを得て、成長しながら、テニスとともに人生を歩んでいる。

テニヌだとか、テニスをしていないとか、そんな雑音は些事だ。
だって彼らはこんなにもテニスを愛しているんだから。

きっと今夜も月が綺麗だ。
この作品に出会えてよかった。