ガールズ&パンツァー / GIRLS und PANZER / ガルパン / GuP

ガールズ&パンツァー / GIRLS und PANZER / ガルパン / GuP

『ガールズ&パンツァー』とは、水島努監督によるオリジナルアニメ・映画およびそれらを原作としたマンガ、ゲームなどのメディアミックス作品である。略称は「ガルパン」「GuP」など。
舞台は乙女の嗜みとして発達した架空の競技「戦車道」が発達した世界。大洗女子学園に転入してきた主人公の西住みほは、この学校で戦車道の実績のないチームを率いることになってしまう。
そして個性的なチームメイト達と共に、種々様々な強豪校と戦い、学園の存続に関わる戦いを経て皆で共に「戦車道」を通して成長していく人物ドラマである。
2012年にテレビアニメ全12話が放送され、アニメ版で省略された幕間劇を描くOVAが2014年に発売。2015年には続編が劇場版映画として制作された。
更に2017年からは最終章(全6話)が劇場にて中編映画として随時上映されている。
作中に登場する数々の実在の戦車の細やかで正確な描写や、細部までこだわり抜いた音響も話題となり、劇場版は異例のロングランヒットとなった。
舞台になった大洗の街並も細密に再現されており、現地での盛り上がりや本作にまつわる町おこしイベント、コラボなども有名である。

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ガールズ&パンツァー / GIRLS und PANZER / ガルパン / GuP
9

新作を重ねる毎に傑作を更新するおそろしい作品

2ちゃん感想などで、オリジンのテレビアニメ第三話あたりで「戦車がかっこいだけのアニメ」という評が出ていた。正にその通りの作品である。そしてこの表現は例外としてポジティブにはたらく稀有な作品でもある。
個人的にかつてのアスキーメディアワークスの電撃ホビーマガジンでのかなり前からの放送前日からの特集により、しつこいくらいの印象がつけられていたが。その時はよくある「美少女と戦車」などというタイトルであっても畢竟「戦車どこいった?」の美少女が、きゃーのいやーんのイエローボイス聞かされるだけの気恥ずかしくて見ていられないものでしかないであろう予測はたてていた。
カレントに疎いものの第一話冒頭の背景動画のすさまじさから「おもしろいのは第一話開始数分だけなんだろうな…」という不安と対になるような、製作遅延の果ての最終回放送が、正直本当の意味で「待っててよかった!」と言える作品が生まれて初めてなほどの体験をさせてもらえた作品だった。そしてそれ以降、やりきったスタッフの「もういいじゃないですか…」感ともうらはらに劇場版、場つなぎのOVA作品、
そして最終章版。新しく登場する作品により過去作が色あせる…。これ以上最高のものはできないだろうを毎回更新してしまうおそろしい作品である。個人的にこれもテレビアニメシリーズ全部を見終わってから動画サイトで番組開始の宣伝動画を見たのだが。何故このような事が可能だったかの答えはそこにあった。
「パンチラはありませんby監督」この点は問題点でもあるのだが当記冒頭の「戦車がかっこいいだけのアニメ」。これを思い出してほしい。戦車以外は全くおもしろくないのだ。
例外はある。「戦車がかっこいい」に添える美少女の役割である。早い話前記もしたが、他の作品では当該メインモチーフがどこかへいってしまって単なる美少女かわいいでしょう?欲情に訴えるでしょう?欲しいでしょう?の「売り方」であるのに対して、この作品はひたすら「戦車がかっこいい」のみに力点を置き、美少女単体の描写やエピソードがかなりいいかげんなのである。深刻そうな事象を盛り込むものの結果単にそういう事が出てきただけで終わり全く本道とのからむ点がなかったりする点である。
この手法は『S.S.S.GRIDMAN』でも人のパートとヒーローのパートでスタッフが完全分離した形で行われたそうだが、ここでも美少女のみのパートと戦車の部分のパートは完全にわけて作業されたのであろう。これこそ完全に他作品と全く違う本来の美少女売りと全く違う、美少女置いてけぼりな稀有な例なのである。
無論力量はこの作品では戦車の登場場面に軸足を徹底して重く置かれている以上、美少女の部分はやりたい事はやらせてもらえるが、担当した者の力量が及ぼうが及ぶまいが。早い話完全放任の末「これはいったいなんだったんだ?」ほどの本道からの無意味さになってしまっても、本道の「戦車がかっこいだけ」のスタッフのメインストリーム層にはおかまいなしに、その「戦車がかっこいいだけ」の巧緻を極める事に専心していたのだろうと思う。その事が殆ど「最後の男の子向けアニメ」という感を個人的にはしてしまう一抹の寂しさもあった。
ボークスでのイベントだったろうか、この作品の「大音響上映会」というものがあった。「戦車がかっこいいだけ」は、鋼鉄の軍勢がその驚嘆たる膂力となにものも傷一つつける事のかなわぬ鉄壁の頑強さを持った鉄塊が、轟音や摩擦の火花をあげてぶつかり全てを完全に破壊する大火力の咆哮をあげ、その場所にいるものに音ひとつだけでそこが戦場である完全なる緊張感に支配される。最早そこには「戦場」というものに支配され一指たりとも動く事かなわずな状態になってしまう…。
よくある美少女メインを単なる添え物に落とし、本来の「男の子らしい」エンタメにしたてながら尚且つ「いいかげん」なふわふわしたもので深刻さをなくした状態で、やはり「男の子らしい」興奮と余韻を残す。この点がこの作品の特に傑出した優秀な点であろう。
それが象徴的である、というのはいささか違うが、巨大な戦車の上に小さな美少女がちょこんと乗っているあの姿は、男女の理想の姿にも見えた。
劇場版クライマックス戦での描写は特に象徴的で、戦車=男の扱いな下手なひと…エリカさんなんかはやれあっちいけこっちいけどなりちらして上手い事いかなかったら「なにやってんのよ!」とまた怒鳴る。それが怒鳴るだけで全く効果的に働いていない。
対してアリスちゃんは戦車=男との信頼ができているので、手信号だけで男は動く。なんだったら信頼は経験則に基づいているので女が指示しなくても自分の方から動き女は余計な指示をしない。もし修正が必要なら怒鳴る事もなく端的に静かに言うか、手信号。表情だけでもいいのかもしれない…。

女性の方が視野は広いと言われている。賢い女性と本来「盾」の役目としての男の理想的な姿…。
無論そんなものがないからこそ、この作品が「創作物」として憧憬の意味も込めて評価される所以のように思える。