The Rolling Stones(ザ・ローリング・ストーンズ)の徹底解説まとめ

The Rolling Stones(ザ・ローリング・ストーンズ)とは、1962年の結成から一度も解散することなく活動をつづけている英国のロックバンド。ビートルズとならぶその影響力は「世界最強のロックンロール・バンド」とも評され、数限りないミュージシャンたちから尊敬をうけている。
1989年にはロックの殿堂入りを果たし、結成後半世紀以上も精力的に活動する超大物バンドである。

歴史

結成

もともと幼なじみだったミック・ジャガーとキース・リチャーズが、高校時代に偶然、駅のホームで再会したところから始まる。
そのときミックが持っていたレコードは、当時、若者の間で流行していた(ブルース、R&Bなどの)黒人音楽だった。
お互いの趣味が共通していることを知った二人は、関係を復活させ、そのままバンド結成へとつながる。
そして初代リーダーとなるブライアン・ジョーンズが加わり、バンド名もマディ・ウォーターズの曲名から「The Rollin' Stones」に決まった(のちに「The Rolling Stones」と改名)。

1962年、ロンドン「マーキー・クラブ」にて初ライブ。
同年、ビル・ワイマン(ベース)、チャーリー・ワッツ(ドラムス)が加入し、初期オリジナル・メンバーが、ここに揃う。

翌1963年、デッカ・レコードから、シングル「カム・オン」でメジャー・デビュー。
前年にデビューし、爆発的な人気を誇っていたビートルズのライバルとして紹介され、瞬く間にトップ・バンドの座を勝ち取った。

初期はカヴァー曲が中心だったが、徐々にオリジナル曲をつくりだし、1965年「サティスファクション」で、初の全米NO.1ヒットを獲得する。
その後も「ひとりぼっちの世界」、「黒くぬれ」、「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」など、立てつづけにヒット曲を連発するが、ミックとキースを中心とする曲作りは、リーダーであるブライアンとの関係を悪化させ、最高傑作として名高いアルバム「ベガーズ・バンケット」を最後に、ブライアンは脱退した。

ブライアンの死〜オルタモントの悲劇

脱退から1ヶ月後の、1969年7月3日。
ブライアンは自宅のプールにて、水死体として見つかった。
すでにドラッグ中毒であったが、この死については未だ多くの謎がのこされている。

二日後――バンドは、ロンドンのハイド・パークにて、無料の追悼ライブをおこなった。
後任のギターリストとして、元ブルース・ブレーカーズのミック・テイラーをむかえ、約25万人もの観客があつまった。
このとき警備を担当したのが、悪名高い暴走族「ヘルズ・エンジェルズ」である。

この成功に気をよくしたストーンズは、全米ツアーの最後となる「オルタモント・フリーコンサート」でも、警備として起用。
だが準備不足にともない、20万~50万人ともいわれる観客があつまったことで会場は大混乱。
ついには観客の黒人男性が、ヘルズ・エンジェルズのメンバーに刺殺されるという最悪の結末でおわり、「オルタモントの悲劇」とよばれる惨事になった。

この事件は、「ウッドストック・フェスティバル」をはじめとする、ラブ&ピース、ヒッピームーブメントの終焉ともいわれ、当日の模様は、映画「ギミー・シェルター」で、一部始終を観ることができる。

全盛期〜ミック・テイラーの脱退

1970年。バンドは自らのレーベルを設立し、スタジアム級でのツアーも、このころから定着するようになった。
ミック&キースの曲作りも、ますます冴え、音楽性が完全に確立されたのもこの時代である。
その屋台骨をささえたのは、キースとは対照的ともいえる、ミック・テイラーのギターであった。
二本のギターが複雑にからみあい、一本のギターのように聞こえるサウンドは、数々の名曲・名盤を生みだし、バンドは全盛期をむかえていた。

しかし、1974年。
ミック・テイラーは、突然、バンドを脱退する。
あせったメンバーは、ギターリストをオーデションし、ジェフ・ベック、エリック・クラプトンなど、そうそうたる顔ぶれが集まるなか、元フェイセズのロン・ウッドが後任として決定した。

ロンが加わったことで、バンドはさらに成長するが、70年代後半に「パンク・ロック」が誕生すると、彼らは「旧時代の象徴」としてみなされ、若者から批判の対象として攻撃を受けていた。
しかしバンドは「ディスコ」「レゲエ」など、当時の新しい音楽も積極的に取り入れながら、その人気を維持し、80年代へと突入していく。

ミックとキースの確執〜活動休止〜復活

80年代に入っても、スタジアム級でのツアーはつづいたが、徐々に人気に陰りが出始るようになり、人間関係も悪化の一路をたどっていた。
セールス的にも低迷し、84年ごろから、ミックが本格的にソロ活動をはじめるようになると、キースとの軋轢はピークに達していた。
もはやバンドは、ほぼ解散状態ともいえるなかで存続しており、88年になるとついにキースまでもがソロ活動を開始するようになる。

これで解散は現実かとおもわれたが、ロン・ウッドによる計らいで、二人の関係がやっと修復されると、バンドは最大の危機をのりこえ、ふたたびレコーディングに入った。
そして1989年に、アルバム「スティール・ホイールズ」を発表。
みごとなまでの完全復活を果たし、8年ぶりとなるワールド・ツアーをスタートさせると、ストーンズは90年代へとむかい、ふたたび動きはじめた。

不可能といわれた日本公演が実現

初来日時の新聞記事

1990年。メンバーの麻薬常習などを理由に入国を拒否されていた日本での公演が、デビューから27年のときを経て、ついに実現した。
待ちに待った初来日は、民放テレビ局でもゴールデンタイムに放送され、国内でブームを巻きおこした。
当時はバブル全盛期であったため、マイケル・ジャクソン、マドンナなど超大物が続々と来日していたが、さすがにストーンズだけは別格の扱いだった。
ちなみにこの2年前、ミック・ジャガーがソロとして初来日しており、完成したばかりの東京ドームで「こけら落とし公演」をおこなっている。
そのときの模様も、民放のゴールデン・タイム(2時間枠)で放送され、大きな話題をよんだ。

ロックの殿堂入り〜キューバ公演〜その後

2016年におこなわれた、ハバナ公演の模様

そして1989年には、ロックの殿堂入りも果たした。
その後はビル・ワイマンの脱退などあったが、半世紀以上にわたって、ロックし続ける「世界最強のバンド」として今も君臨しており、2016年には歴史的ともいえるキューバ公演を実現させ、大成功のうちに終えた。

さらには、その数カ月後。
今度は11年ぶりとなるニューアルバム「ブルー&ロンサム」を発表。
収録された全曲がブルースのカヴァーという、まさに初期ストーンズを彷彿させる仕上がりとなっており、メンバーの平均年齢が70歳を超えても、現役・第一線のミュージシャンとして活動している。

メンバー

ミック・ジャガー(ボーカル、ハーモニカ)

バンドのフロントマン。
2003年には、英国からナイトの称号を授与された。
最近では、ミックがサッカー観戦で応援したチームは、かならず負けてしまうというジンクスがあり、サポーターの間ではちがう意味で有名人になっている。

また非常に独特な歌い方をするが、もともとは違う声質だったという説もある。
それは中学生のころ、バスケット・ボールの最中に舌を噛みきる大ケガをし、緊急手術をした結果、現在の声に変わってしまったらしい。
真偽のほどは不明だが、いずれにせよ、いまの声がストーンズを唯一無二のバンドにまで押しあげたことに間違いはない。

キース・リチャーズ(ギター)

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