賛否両論巻き起こる、「家族という病」の内容とは

家族という病。この言葉だけをドキリとした人も多いはずである。
普段使っている「家族」という言葉を、病と言い切ってしまうその挑戦的なタイトル。それに惹かれるように私はこの本を手に取った。
今回は「家族という病」の内容をご紹介したいと思う。

「つれあい」という言葉

著者は下重暁子。写真だけ見ると温和そうな女性だが、本の中で繰り広げられるその語り口は、見た目にはそぐわない。どちらかというと攻撃的な文体だ。
元アナウンサーということであるが、残念ながら私は存じ上げない。彼女の名前とその存在を知ったのは、本書を手に取った時なのだから仕方ない。

著者は旦那のことを「つれあい」と呼ぶ。決して、家族に属しているような呼び方はしないのだそうだ。それはそれで良いのだが、どうにもそれを他人に押し付けようとしている感が否めない。それは自分の中で消化すれば良い問題なのに、雑誌のインタビューなんかで旦那さん書かれたところを、わざわざ「つれあい」に直してくださいと言う。いきすぎたこだわりは、醜いだけだ。

本書は悩める人の救いになっているか

答えはノーだ。
この本によって得られるのは、家族礼賛がいかに愚かしいかという単なる知識と、家族そのものを憎んでいるかのような、負の感情だけだ。
「家族のことを本当に知っているか」という問いを、この本では重視しているが、私はそんなこと、知っていても知らなくてもどっちでも良いと思う。独立した人間を志向するのであれば、この問いかけは本書のテーマとはかけ離れたものだ。

何かの救いを求めてこの本を手に取った人は大変気の毒だ。ここに救いはない。
あるのは愚痴と、自慢と、単なる自己満足。ただそれだけだ。

もしかすると家の中の全員他人の方が、理想的な家族ができるのかもしれない

ここで梨木果歩著「からくりからくさ」の一文を引用させてもらう。
なんなら、この一文の方が、上記の一冊よりも価値があるかもしれない。
言いたいことがあるならば一言で言えばいい。大切なことは、それだけで十分通じる。

まとめ

些か、というかかなり批判的な記事になってしまったことをお許し願いたい。
ただ、テレビなどでこの本が絶賛されているのを見て、いてもたってもいられなくなったのだ。

これは単なる娯楽的な読み物だ。本当に悩んでいる人が読むべきものではない。
悩める人が読めば、思考が余計に混乱するだけに違いない。

keeper
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