Nelly(ネリー)とは【徹底解説まとめ】

Nelly(ネリー)とは、アメリカ合衆国・セントルイス出身のラッパーである。1993年にSt. Lunaticsを結成し、自主制作シングルをリリースした後、『Country Grammar』でソロデビューを果たす。デビューから2年でグラミー賞を受賞し、数々のヒット曲を排出している。まるで歌っているかのようなラップに定評があり、セントルイスを代表するラッパーとして人気を博した。アーティスト活動だけでなく、起業家や俳優としても活躍している。

Nelly(ネリー)の概要

Nelly(ネリー)とは、アメリカテキサス州生まれ、セントルイス出身のアメリカのラッパーである。彼の音楽はR&Bよりのメロウなものが多く、まるで歌うかのようなラップと印象的なフックには定評があり、人気を博した。地元セントルイスは治安がいいとは言えない地域である。それゆえ、Nellyはギャングスタのようなリアルな歌詞を書くこともあったが、ギャングスタではないといった否定的な意見もあるようだ。

Nellyは1993年に、高校時代の友人であるAli、 Murphy Lee、Kyjuan、 Slo Downと、異母兄弟のCity Spudと共にSt. Lunaticsを結成し、1996年に自主制作のシングル曲「Gimme What U Got」をリリースしている。「Gimme What U Got」は、当時Nellyが住んでいたセントルイスでの人気は上々であったが、他の地域で評価されることはなく、成功を収めることはできなかった。しかし、地道な活動を続けていたNellyは、1999年にユニバーサル・ミュージック・グループとソロ契約を結ぶことに成功し、デビューアルバムの制作を始める。完成したデビューアルバムの『Country Grammar』は、1週間で25万枚のセールスを記録し、1年以上アメリカのビルボードチャートにチャートインし、ロングランヒットとなった。2002年にリリースしたセカンドアルバム『Nellyville』は、ファーストに続き、全世界で1,000万枚以上の売り上げを打ち出している。2004年には、ダブル・ディスクアルバム『Suit』と『Sweat』をリリースすると、アメリカのビルボードチャートにて、それぞれ1位と2 位を独占し、ラッパーとしての輝かしいキャリアを築き上げた。

彼はラッパーとしてのキャリアも素晴らしいものだが、「起業家」「俳優」としても活躍している。アパレルブランドの設立やエナジードリンクの発売で、起業家としても大きな実績を残した。「The Jes Us 4 Jackie」を設立や、非営利団体「4Sho4Kids Foundation」の運営など、慈善活動にも力を入れている。

Nelly(ネリー)の活動経歴

Nelly(ネリー)の原点

野球の素質があったNellyは、メジャーリーガーを目指していたが、1993年に高校時代の友人であるAli、Murphy Lee、Kyjuan、Slo Downと、異母兄弟のCity Spudと共にSt. Lunaticsを結成した。1996年に自主制作のシングル曲「Gimme What U Got」をリリースすると、地元セントルイスで多くの人気を集め、ラッパーとしての夢を追うことになる。
St. Lunaticsで成功を収めることはできなかったが、Nellyのパフォーマンスがスカウトマンの目に留まり、注目を集めていた。地道な活動を続けたNellyは、1999年にユニバーサル・ミュージック・グループとソロ契約を結ぶことに成功し、契約後初のデビューシングル『Country Grammar』をリリース。このデビューシングルは、US・UKのビルボードチャート7位に輝いた。

『Country Grammar』からの飛躍

デビューシングル『Country Grammar』が爆発的ヒットとなったNellyは、デビューシングルと同タイトルのアルバムをリリースすると、発売から1週間で25万枚のセールスを記録した。このアルバムに収録されているシングル曲「E.I.」「Ride wit Me」が大ヒットした影響で、『Country Grammar』は1年以上ビルボードチャートに留まり、ロングランヒットとなった。その後、2002年にセカンドアルバム『Nellyville』も、デビューアルバムと同様に全世界で1000万枚以上のセールスを打ち出し、メガヒットとなる。『Nellyville』のリード・シングルとして発売された『Hot in Herre』『Dilemma』でグラミー賞を獲得したNellyは、世界的に認知度の高いラッパーへと飛躍したのである。
Nellyの躍進はとどまることを知らず、アメリカのアクションコメディ映画『Bad Boys II』のサウンド・トラックに収録されている「Shake Ya Tailfeather」でグラミー賞を受賞した。2004年には、R&B寄りのメロウなアルバム『Suit』と、ヒップホップ色の強いハードなサウンドのアルバム『Sweat』のダブル・ディスクアルバムをリリース。この2枚のアルバムは、アメリカのビルボードチャートにて、それぞれ1位と2位を獲得し、彼は輝かしい経歴を築いた。
2008年に『Brass Knuckles』をリリース。それに続き、翌年の2009年にアルバムのリリースを公式発表したが、彼の従妹であるMichael Johnsonがミズーリ州で殺害されたため、アルバムのリリースを遅らせている。公式発表した際はタイトル未定であったが、『5.0』というタイトルを付け、1年遅れで2010年にリリースした。2013年にリリースした『M.O.』からは、アメリカのビルボードチャート初登場14位となり、彼のキャリアでは最も低い順位となった。その後、2021年に『Heartland』をリリースしたが、初期ほどの勢いはなくなってきている。

アーティスト以外の活動

Nellyはアーティストとしての活動だけでなく、ビジネスの才能も持ち合わせている。自身のヒット曲「Pimp Juice」からインスパイアされ、製造したエナジードリンク「Pimp Juice」を発売すると、100万缶を売り上げ、人気を誇る商品となった。また、男性向けのアパレルブランド「VOKAL」と、女性向けのアパレルブランド「Apple Bottoms」を設立し話題を集めた。
彼は起業家としての活動に止まらず、2001年に映画デビューし、『Snipes』でProlifikというラッパーの役で主演を務めている。2005年にはAdam Sandler主演映画『ロンゲスト・ヤード』に、過酷なトレーンイングを積み、出演を果たした。この映画のサウンドトラックには、Nellyの楽曲「Errtime」「Fly Away」が収録されている。だが、彼は演技をすることに魅力を感じないことを漏らす場面もあり、映画出演は極めて少ない。
Nellyの姉である、Jackie Donahueが白血病と診断され、「The Jes Us 4 Jackie」を設立し、慈善活動にも力を入れている。この活動は、アフリカ系アメリカ人に対する骨髄移植、幹細胞移植の教育を目的としており、より多くのドナー登録者を増やすことへの取り組みである。しかし、この活動から2年後にJackie Donahueはこの世を去った。これに加え、非営利団体「4Sho4Kids Foundation」も設立し、発達障害の子供たちや、親の影響で生まれながらの麻薬中毒になってしまった子供たちの生活を支援する取り組みも行っている。

Nelly(ネリー)のプロフィール・人物像

本名Cornell Iral Haynes Jr.(コーネル・イラル・ヘインズ・ジュニア)。1974年11月2日生まれ。テキサス州オースティン出身、ミズーリ州セントルイス育ち。父親は軍人の Cornell Iral Haynes Jr. 。Nellyの幼少期の大半を空軍で過ごし、彼が7歳の時に両親は離婚。ラッパーとしての活動だけではなく、起業家・俳優としても活躍している。

Nelly(ネリー)のディスコグラフィー

シングル

『Country Grammar (Hot Shit)』

2000年2月29日リリース

1. (Hot S**t) Country Grammar (clean edit)
2. (Hot S**t) Country Grammar (dirty edit)
3. Greed Hate Envy
4. E.I.
5. Ride wit Me

Nellyのデビューシングルで、アメリカのビルボードチャート初登場7位を記録した。デビューから間もなくして成功を収めたことで、彼の曲を否定していたレーベルを納得させた作品である。

『E.I.』

2000年10月17日リリース

1. E.I. (clean edit with FX)
2. Greed, Hate, Envy
3. E.I. (instrumental)
4. E.I. (video)

Nellyのセカンドシングルで、アメリカのビルボードチャート初登場16位を記録した。この曲のリミックス「Tip Drill」が2003年にリリースされている。

『Ride wit Me』

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