信長の忍び(漫画・アニメ)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『信長の忍び』とは、2008年に『ヤングアニマル』(白泉社)12号から連載を開始した重野なおきによる4コマ漫画、およびそれを原作としたアニメ作品である。重野いわく、「忍び漫画ではなく、忍びの目から見た戦国漫画」とのこと。基本的にギャグ漫画でありつつ、戦国時代の逸話、うんちくも盛り込まれ、ストーリーラインも史実をほぼ忠実におさえている。
少女忍者千鳥が、織田信長の夢に惹かれ、ともに天下布武を追っていく物語。信長を超甘党な男として描いたり、その他のキャラクターたちも強い個性を持っている。

『信長の忍び』の概要

『信長の忍び』とは、2008年に『ヤングアニマル』(白泉社)12号から連載を開始した重野なおきによる4コマ漫画、およびそれを原作としたアニメ作品である。日本の戦国時代を舞台に、少女忍者、千鳥と、その主である織田信長が、個性豊かな仲間達とともに天下統一を目指す物語。登場人物が多いため、人物の描き分けのためのディフォルメや、極端な個性付けなど、面白おかしく書かれている。反面、史実をほぼ忠実になぞるストーリー展開で、中学校社会科の教員免許を持つ重野の知識が遺憾なく発揮された作品となっている。

派生作品として、『信長の忍び外伝 尾張統一記』、『軍師 黒田官兵衛伝』、『政宗さまと景綱くん』、『真田魂』、『明智光秀放浪記』などがあるが、これらは全て『信長の忍び』の延長線上にある作品群であり、異なる時間軸で描かれている。

信長ははじめ、「これよりお前達はワシに仕え…、ワシのために死ね!」と言った。すると千鳥は、「あ、それは無理です。」と即答する。「忍びは侍とちがって、主君のために死ぬことはしません。忍びの本分は生きることにあるのです。何があっても生き抜いて味方に情報を伝えるのが忍び。それでもよければおやといください」、と語る千鳥…。すると信長も、「では言い改めよう、ワシのために生きろ!」と答える。何があっても生きる、それが信長の忍びである。

自ら「魔王」を名乗り、苛烈な性格と思われがちな信長が「超甘党」と設定されており、「甘い」という言葉だけで「甘い物があるのか!?」と寄って来る。あまりの強さに敵から「化け物!」と呼ばれるほどの千鳥が、貧乳をネタにされる。「お年頃」の助蔵は、千鳥にやたらと露出度が高い忍び装束を着せようとしたりする。

信長の正妻、帰蝶は超天然ぼけ。秀吉は「お約束」で「サル」と呼ばれ、本当のサルのように、信長の妹・お市から柿や栗を投げ与えられ、餌付けされている。帰蝶の父、「美濃のマムシ」=斎藤道三が首に巻いているのは「マムシ」ではなく「シマヘビ」である。

殺伐とした戦国のはずが、突っ込みどころ満載の見事なギャグ漫画として描かれている。

『信長の忍び』のあらすじ・ストーリー

時は戦国、戦の時代、乱世と呼ばれるほど、日本は荒れていた。

統治を担うべき幕府はとうの昔に機能しなくなり、全国各地に「戦国大名」と呼ばれる勢力が台頭。それぞれの領地をかけて、戦、戦、また戦。

戦に明け暮れる日本の東海の小国・尾張に生を受けた織田信長が天下取りへと駆け上がっていく様子を描いている。

はじまりはかの有名な「桶狭間の戦い」と見せかけて、不良青年が川で溺れる幼子を助けるところから物語はスタートする。

桶狭間から石山合戦まで

時は戦国乱世、少女忍者、千鳥(ちどり)は、川で溺れていたところを、尾張(おわり)の領主、織田信長(おだのぶなが)に助けられる。信長の「百年続いた乱世を終わらせる!」という言葉に感銘を受けた千鳥は、一人前になったら信長に仕えたい、と望むようになる。

5年後、伊賀の忍びの里に、織田家から忍びの派遣要請が来る。千鳥は幼なじみの助蔵(すけぞう)とともに織田家に派遣される。

そうしてむかえる「桶狭間の戦い」、今川義元(いまがわよしもと)本隊の位置を正確に伝えた千鳥の活躍によって織田軍が大勝利。2万5千の大軍を、わずか2千の兵でやぶった信長の武名は日本中に轟くことになる。

美濃攻め

次に狙うは美濃国(みののくに)。亡き義父、斎藤道三(さいとうどうさん)の思いにこたえるため、また、妻、帰蝶(きちょう)との約束を果たすため、信長は策をめぐらせる。まずは墨俣(すのまた)に築城し、美濃国、稲葉山城への足がかりを作ること。ここで足軽から立身出世した木下秀吉(きのしたひでよし)が奮起、かつて親交があった尾張の野武士たちの頭領、蜂須賀小六(はちすかころく)を引き込み、墨俣への築城を開始する。さらに斎藤氏の重臣、「美濃三人衆」が、暗君、斎藤龍興(さいとうたつおき)に愛想を尽かし、織田家に寝返った。この機を捉えた信長は素早く出陣、一足先に稲葉山城に潜入した千鳥は、各所に火を放って城内に混乱を起こす。信長は龍興を追放して、稲葉山城を攻略。美濃の国名を「岐阜」とあらため、城下町の整備にとりかかりつつ、すでに次なる策を練っていた。

近江に嫁ぐ織田家のアイドルお市

信長の当面の目標は上洛することにある。美濃=岐阜を制した信長が次に目をつけたのは近江(おうみ)であった。近江は現在、北を浅井氏が、南を六角氏が領有していた。信長は、妹、お市(おいち)を北近江の大名、浅井長政(あざいながまさ)に嫁がせることで、婚姻同盟を結ぶことにする。戦国一、二を争う美女であるお市の結婚に、織田家の家臣達はおおいに落胆する。

千鳥と甲賀忍び

また、その一方で大きな動きが起こる。越前(えちぜん)の大名、朝倉義景(あさくらよしかげ)の客人となっていた、前将軍の弟、足利義昭(あしかがよしあき)が、元斎藤道三の家臣、明智光秀(あけちみつひで)の仲介で織田家にやって来た。これを機に信長は上洛の軍をおこし、信長に従わない六角氏を蹴散らす。このうらで、千鳥と六角氏に従う甲賀の忍び、杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう)との暗闘があった。信長は無事、京に入る。

早くも窮地に立たされる新将軍・足利義昭

さらに千鳥の活躍で、大和国(やまとのくに)の大名で前将軍足利義輝(あしかがよしてる)を殺害した、松永久秀(まつながひさひで)も信長に臣従を誓う。こうして1567年、足利義昭は室町幕府第15代将軍に就任。しかし信長が岐阜にもどると、義昭の将軍就任を快く思わない三好三人衆(みよしさんにんしゅう)と、信長への復讐に燃える斎藤龍興が手を結び、将軍御所を攻めてきた。守るのは明智光秀の手勢と千鳥達のみ。光秀は、岐阜の信長の援軍をまっていては遅すぎると判断。京と同じ山城国(やましろのくに)にある勝竜寺城(しょうりゅうじじょう)を護る幕臣、細川藤孝(ほそかわふじたか)を援軍に呼ぶべく、千鳥を使者に出す。千鳥が走る、走る、走る。

細川藤孝は桂川を挟んで三好勢と対峙、難なくこれをやぶる。潮時、と呼んだ龍興は、「俺は何度でも現れるぞ!」と不敵な笑みを残して引いて行く。岐阜の信長も、死者が出るほどの強行軍で京に到着、光秀の必死の防衛が実を結んだ。信長は将軍襲撃を重くうけとめ、堅牢な石垣や天守を備えた「二条御所」の建設に着手する。

剣豪大名と果たし合いをする千鳥

次なる信長の攻略目標は伊勢国(いせのくに)の大名、北畠具教(きたばたけとものり)、具房(ともふさ)親子。「『戦国最強大名』としてまず名があがるのは、『甲斐の武田信玄(たけだしんげん)』、『越後の上杉謙信(うえすぎけんしん)』。しかし『個人的武力』という点から見るならば、この北畠具教こそが最強である」と、ここで作者、重野なおきは断言している。北畠具教は、「剣聖」と謳われた鹿島新当流、塚原卜伝(つかはらぼくでん)の直弟子で、奥義「一の太刀(ひとつのたち)」を授けられた「剣豪大名」だった。戦場であいまみえる千鳥と具教。具教は千鳥を好敵手と認める。「織田軍に降伏するくらいなら、戦って死んで、あの世で閻魔大王と戦う!」と、かたくなに降伏を拒否する具教に、千鳥がなんと、一騎打ちを申し込む。「私が勝ったら降伏してください」と告げる千鳥。そうして深夜、秘密の決闘が始まる。「一の太刀」を放つ具教、皮一枚の負傷で具教のうしろをとった千鳥。息もつかせぬ攻防の果てに、「この勝負、わしの負けだ…」と、具教が敗北を認めた。こうして千鳥の、誰も知らない命がけの勝負の末、伊勢は織田家のものとなった。

「金ヶ崎の退き口」での命がけの退却戦

しかし、年が明けて元亀元年(1570年)から、信長の苦難の道のりがはじまる。婚姻同盟で絆が深まったと、信長は浅井長政との関係を過信し、浅井家と強い同盟関係にある越前の朝倉義景を攻める。これに激怒した長政の父、浅井久政(あざいひさまさ)は、すぐさま援軍を送り、信長は挟み撃ちにあう。進むも引くもままならず、敗色濃厚となった織田軍は京へ逃れることとなる。木下秀吉、明智光秀、そして千鳥をしんがりとして朝倉軍2万、対する織田軍しんがり部隊3千で、地獄の退却戦「金ヶ崎の退き口(かながさきののきぐち)」が開始される。

追ってくるのは朝倉軍精鋭、大太刀使いの真柄直隆(まがらなおたか)と、百戦錬磨の山崎吉家(やまざきよしいえ)。千鳥は秀吉の軍師、竹中半兵衛(たけなかはんべえ)に頼まれ、朝倉軍が夜営しているところにそっと忍び込み、敵兵数十人を切っていく。朝倉軍に「何日も続く追撃戦なのに、夜もろくろく眠れない」、と言う恐怖感を与えるためだった。しかし吉家の指示で木下隊の側面に現れた真柄直隆によって、千鳥は肋骨を折る大怪我を負ってしまう。秀吉、光秀の必死の退却戦が続く。しかし、この撤退戦の最大の鍵は、信長の行く先陣にあった。近江、朽木谷(くつきだに)の領主、朽木元綱(くつきもとつな)が、信長につくか、浅井につくかで迷っていたのだ。朽木谷を越えねば、京にはたどり着けない。ここで松永久秀が使者となり、朽木元綱を巧みに説き伏せたため、元綱は織田派となり、信長隊は無事京に入る。そして、頑張り続けた木下隊に、織田と同盟を結ぶ、徳川家康(とくがわいえやす)の援軍が加わり、朝倉軍は退却。秀吉、光秀、千鳥も無事に京の地を踏んだ。

千草峠から姉川の戦いへ

敵地となってしまった近江を迂回して岐阜にもどる織田軍。しかしその途中の、「千草峠(ちぐさとうげ)」で、甲賀忍び、杉谷善住坊が、信長を暗殺しようと火縄銃をかまえていた。火縄の焼けるにおいに気付いた千鳥が信長をかばったため、暗殺は未遂に終わる。無事に岐阜に帰還した信長は、浅井長政との決着を付けるため、機会を待つ。そうして1570年6月28日、織田、徳川連合軍と、浅井、朝倉連合軍は、導かれるように近江国姉川(あねがわ)を挟んで対峙する。槍と槍、刃と刃が交わり、強者どもが激突すること1時間、朝倉軍を敗走させた徳川軍が、織田の軍に加わり、浅井軍も敗走。姉川は、浅井、朝倉合わせて数千の死者の血で真っ赤に染まったと伝わる。織田、徳川連合軍も無傷ではなかった。信長は、浅井長政が籠もる小谷城の支城、横山城を秀吉に任せ、いったん兵を引く決断をする。

宿命の石山合戦

浅井の監視を秀吉に任せた信長は、西国攻略の策を練る。そこで目をつけたのが、摂津国(せっつのくに)の交通の要衝。奇しくも、そこは浄土真宗(じょうどしんしゅう)=一向宗(いっこうしゅう)の総本山、石山本願寺(いしやまほんがんじ)の建つ場所であった。仏教勢力を軽視していた信長は、本願寺宗主・顕如(ほんがんじそうしゅ・けんにょ)に「石山本願寺を明け渡すように」と要求する。しかし、この明け渡し要求こそが、信長の人生最大の失策、と言っても過言ではなかった。1570年、9月、顕如は各地に打倒信長の檄文を飛ばし、それに応じた一向宗門徒達が、石山本願寺に続々と集結していく。「信長の天下取りを10年遅らせた男」=本願寺顕如がついに立つ「石山合戦」が、幕を開ける。

目指すは一つ「天下布武」のみ。少女忍者、千鳥と、主君、信長、そして個性豊かな仲間達が天下統一にむけてひた走る。やがて結成される「信長包囲網」が織田家を苦しめる。しかし信長は進むことをあきらめない。やがて包囲網にほころびが生じる。まずは、足利義昭を京から追放だ。織田軍が持てる最大の戦力を投じ、今、歴史を動かす。そして「本能寺の変」までの時が、刻一刻と迫っていた。

『信長の忍び』の登場人物・キャラクター

織田家の人々

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