フジファブリック / Fujifabric

フジファブリック / Fujifabricのレビュー・評価・感想

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フジファブリック / Fujifabric
8

クセがあるがハマる人はハマる

フジファブリックは2000年に結成され、2004年にメジャーデビューを果たしたバンドです。
結成当時は5人で活動を行っていました。
『若者のすべて』は有名ですが、そのほかの曲にも魅力があります。
どの曲も独特の感性で書かれた描写的な歌詞と、個性のあるメロディーが特徴的です。
また、ボーカルの志村さんの抑揚を抑えているが、感情が伝わる歌い方や発声はこのバンドの最大の特徴だと思います。
激しすぎる曲は好きではないが、静かすぎる曲は嫌だと考えている人にはまさにピッタリなアーティストです。
ボーカルの志村さんはボーカルだけではなく、作詞作曲も手掛けていましたが2009年のクリスマスイブの時に突然亡くなってしまいました。
多くのファンはこれをとても悲しみ、バンドの継続を心配していました。
しかし、バンドは解散することなく現在は3人で精力的な活動をしています。
ボーカルは山内総一郎さんが勤めています。
山内さんの歌い方が生前の志村さんにどんどん似てきているという声が、ファンの間で高まっていて、私もファンの一人として喜んでいます。
志村さんの死はとても悲しいことですが、彼の魂は形を変えて残されたメンバーやファンに確実に受け継がれています。

フジファブリック / Fujifabric
8

適度な脱力とポップさ、独特なセンスが抜群

3人組のシンセロック系バンド。2009年にメインボーカルの志村が急逝するという出来事があったが、その大きなショックを乗り越え、残ったメンバーで活動を継続している。あの強烈な個性を持った作詞作曲ボーカルを務めていた志村の亡き後も、こうして活動を続けられていることそののものが、今のフジファブリックのメンバーたちの音楽性の高さを証明していると言えるだろう。どこか奇妙で、聴いていて耳に残る不思議なメロディや歌詞、そういった良さは昔から変わらず、しかし以前にもましてポップな雰囲気をまとったバンドになり、聴き心地が良くファンが増えるのも納得だ。最大の特徴は適度に脱力して、適度にロックしているというところだ。あれもこれもと詰め込むのではなく、ふわっと力を抜き、音の数を多くしすぎないところは、他のミュージシャンと比べて特筆すべきポイントだ。それでいて、音作りや曲の全体の雰囲気などは細かいこだわりも聞き取れる。そのバランス感覚が絶妙なバンドだと言える。いわゆる脱力系のミュージシャンとは違って、決して癒やしやゆるさを売りにしているのではなく、程よくロックな音楽もあるところが良いのだ。聴いていて疲れないし、飽きのこないバンドである。

フジファブリック / Fujifabric
10

フジファブリックのすべて

「フジファブリック」という、バンドを知っているだろうか?
メジャーデビュー15周年を迎えた3人組のバンドだ。

デビュー時は現3人を含む5人編成であったが、メンバーの脱退、フロントマンであり曲の製作をほとんど全て行っていた志村正彦の死を乗り越えて、1年間休止の後、当時ギターを担当していた山内総一郎がギターボーカルをすることとなりフジファブリックの「第2章」が始まった。

いわゆる「第1章」で志村が作り出した曲たちはとってもいい意味で変態的であった。これはほめ言葉である。
「銀河」や「パッションフルーツ」など中毒性のある曲から、「茜色の夕日」や「若者のすべて」などの最近で言うところの
情景が浮かぶような、切ない曲までのふり幅がすごい。
フジファブリックを知らない人の中にも、「若者のすべて」はカバーで聴いたことがあるかもしれないが、是非!本家も聴いてみて欲しい。
志村は自分のことを「歌が下手」と言っていた。
そう、確かに決して上手くはないのだけれどそれが更に良い味を引き出しているのだ。

しかし、ここで私が大きな声で言いたいのは、「今のフジファブリックもめちゃめちゃいいぞ」ということです。

ボーカルが代わって、きっと離れてしまった人もいると思う…。

けど、この3人はしっかり志村の作った「フジファブリック」というバンドを進化させているのだ。

新体制初期の頃には本人たちも志村の残したフジファブリックの「らしさ」に割りととらわれていた様に思うが、歳を重ねて自分たちの「らしさ」を素直に曲に表現できているように感じてそれがたまらなく愛おしい。

15周年を迎え、初の大阪城ホールでのライブも決定した。

まだまだ進化をする彼らをこれからも見届けたい。

それと同時に、より沢山の人たちにフジファブリックを知ってもらえたら…と思う。

フジファブリック / Fujifabric
9

純真無垢な邦ロック。青春ってこういうこと

フジファブリックは聴いてる日の天気だったり、時間だったり色んなものとマッチする。逆も然りで、こんなシーンではフジファブリックが聴きたい、なんて事もしばしば。特に夏の日の夕暮れ時なんかが一番似合うアーティストなんじゃないだろうか。聴くとついつい自転車で河川敷とかに行きたくなるし、近くの自販機でコーラでも買って飲むのも良い。
このバンド、実はボーカルが一度変更になっている。あんまり普通のミュージシャンだと、ボーカルが変更ってないと思うが、フジファブリックの元ボーカル志村さんは実は既に他界されているのだ。
そのため、現在は元々ギターのメンバーの山内さんが、ボーカルを引き継ぎ様々な楽曲を引き継いでいる。そんな歴史もあり、掘れば掘るほど、聴けば聴くほど味わい深く面白みのあるバンドだ。
特に、志村さんが歌っていた曲を、山内さんがライブで披露する事があるのだが、2人のボーカルの表現の違いや、声の違いなど、それぞれの良さが感じられてたまらないものがある。
前述した、このバンドの元ボーカル志村さんの故郷である富士吉田市では、毎年夏頃に同バンドの楽曲が夕方のチャイムで使用される。曲の歌詞が、志村さんの過ごした富士吉田市の夕暮れ時とマッチして、とても心地いい時間が流れる。楽曲を聴いてファンになった方は、是非とも訪れてほしいと思う。

フジファブリック / Fujifabric
8

郷愁系ロックバンド「フジファブリック」の魅力について

フジファブリックは、2000年に結成、2004年にメジャーデビューして以来、ライブやロックフェス出演、アニメやドラマとのタイアップなど、幅広い活動を行っています。
音楽の特徴としては、キーボードのメンバーがいるロックバンドです。
初期~メジャーデビュー時の楽曲は、ボーカルとギターを務めた志村正彦さんの作詞・作曲が主でした。彼の故郷である山梨県富士吉田市の街なみ、幼い頃の思い出などをテーマにした、甘酸っぱさや郷愁を帯びた曲が人気を集めます。一方で、遊び心のある歌詞とメロディで、レトロさとおしゃれさが共存する楽曲が多くあります。志村さんが影響を受けた奥田民生さんや、70~80年代のニューウェイブのサウンドが好きな方は、フジファブリックの曲を聴いて何か通じるものを感じるのではないでしょうか。
全国ツアーを行っていたブレイク直前の2009年に、志村正彦さんが急逝します。その後は、ギターを務めていた山内総一郎さんがボーカル&ギターとなります。結成時からのメンバーを失い、バンドの方向性や音楽性も変革せざるを得ない難しい局面であったでしょうが、その後フジファブリックは精力的に活動を続けています。
山内さんはじめ、ベースの加藤慎一さん、キーボードの金沢ダイスケさんがそれぞれ作詞作曲をし、音楽性としては郷愁感、レトロさという従来のものも生かしながら、より爽やかさやポップさもバリエーションとして増えていきました。山田孝之、バカリズムなどといった、ミュージシャンを本業としないアーティストととのコラボ音源の作成を行ったり、アニメ主題歌、CMのタイアップも数多く行っています。

フジファブリック / Fujifabric
10

フジファブリックと幻影

現在は三人組バンドとして 学生に人気のある彼らだが、その作詞作曲の根幹は 今は亡き志村正彦にある。

呟く様に歌われる歌詞、心の柔らかい所に触れる様な心情描写、空想的世界観、絶叫。

独特、奇特、それでいて寄り添う様な作品の数々は、奥田民夫やMr.childrenを初め多くのアーティストが愛し、演奏している。
そんな彼らを関西で初めて耳にしたのは、10年以上前の ラジオ番組だった。
「陽炎」と名付けられたその曲は、夢の中でラジオを聞いているかの様な違和感。強烈な印象を与えた。ほどなくして 活動の幅が大きく成り始め、
メジャーデビューに伴って認知されるに従ってファンが増え続けた彼らだが、一般人はあまり知らないアーティストだった。
そんなフジファブリックの曲が 一般人に最も認知されたのは 志村の死後五年以上が経った今であろう。

志村の死後 映画にも成った「モテキ」主題歌への抜擢、数々のアーティストがcover演奏、アニメでの楽曲起用を経て 今ではLINEのCMに使用されている「若者のすべて」。
あの日ラジオで聞こえてきた陽炎の様に、多くの人にその違和感と幻影を届け、また新たなフジファブリックファンが生まれ初めている。