ムー大陸は陸地じゃなかった?伝説の謎に迫る

かつて太平洋に存在し、現代社会よりはるかに高い水準の文明を築いていたといわれている「ムー大陸」。大陸は存在しなかったという説が有力だと言われている中、ポリネシアン・トライアングルに位置する様々な島で、似たような石造物があることが判明。ムー大陸は陸地ではなく、広範囲の海上交易ネットワークがムー大陸のような巨大文明の正体だったのではという声が上がるように。画像を交えながら、伝説の謎に迫ります。

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ムー大陸とは

悠遠の太古、太平洋には「ムー」という大陸が存在した。この大陸は東西8000キロ、南北5000キロにおよぶ広大な陸地で、そこには人口約6400万もの人々が平和に暮らし、現代文明をはるかに上回る高度な文明を築いていた。

しかし今から約1万2000年前、突然悲劇が訪れる。不気味な地鳴りとともに湧き起こった大地震が大陸を襲い、それにともなって発生した大津波にのみ込まれ、わずか一夜にしてすべてが崩壊してしまったのである。

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アトランティスはさかのぼっていくと古代ギリシャのプラトンの著書にたどり着くが、ムーは同様にさかのぼるとイギリスのジェームス・チャーチワードの著書にたどり着く。

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ジェームズ・チャーチワード

チャーチワードによれば、1868年、16歳のときインドに従軍し、現地のヒンドゥー教の寺院の高僧が、寺院の門外不出の粘土板「ナーカル碑文」(Naacal tablets) を見せてくれたという。それには、ムー大陸(チャーチワードによると発音はMOO)の記録が絵文字で彫られていた。また、ウィリアム・ニーヴン (William Niven)なる米国の技師がメキシコで発見したという古代の石板からも、「ナーカル碑文」と同じ絵文字が記されていたという。それらを含めて、種々の古代文献を挙げて、ムー大陸が実在した証拠としている。

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根拠は怪しい?

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ムー大陸の存在を提唱したとされるジェームズ・チャーチワードは、大佐と名乗っていたが実は在籍していなかったという、とんでもないホラ吹き野郎である。さらに、解読に使われた「マヤ・アルファベット」といわれる文字がまったく使い物にならなかったと後の調査で判明している。

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どれも科学的に証明できず、そもそもムー大陸など存在しなかったという説が一番有力視されている。

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ムー大陸の証拠とされるイースター島のモアイ像などがあるものの、地球物理学の観点から「太平洋に沈んだ大陸は存在しない」ことが証明されている。

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その他、ポリネシアの島々もムー大陸の一部だったとされる。

ムーとは、悠遠なる太古に存在した大陸というより、チャーチワードという人物によって創り上げられた、壮大な物語と考えた方が良さそうである。

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しかし!!

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ポリネシアン・トライアングル

ポリネシアン・トライアングル(Polynesian Triangle)とは、北端をハワイ諸島、南東端をラパ・ヌイ(イースター島)、南西端をアオテアロア(ニュージーランド)の3点を結んで出来る三角形。ポリネシアの構成を簡単に定義するのによく使われる。

三角形の中にある多くの島ではアウストロネシア語族のマレー・ポリネシア語派に属するポリネシア諸語がつかわれている。ポリネシア人は言語だけでなく、伝統文化、芸術、宗教、学術などもよく似ている。

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太平洋周辺には似たような巨像が残されています。

インドネシア スラウェシ

インドネシアの島々の中で、『K』の形をしたスラウェシ島は、かつて日本では『セレベス島』と呼ばれていました。この島はタナ・トラジャをはじめとする民俗文化の宝庫であり、また動植物の宝庫であり、メナドを基点とするダイビング・スポットの宝庫でもあります。

そのスラウェシ島には、非常にユニークな遺跡が存在します。
スラウェシ島のパルを中心とする中部スラウェシ州の中央に位置するロレ・リンドゥ国立公園内、あるいはその周辺のバダ谷、ベソア谷、ナプ谷に、奇妙な巨石の石造物が点在しているのです。

マルケサス諸島 ヒバオア島

ヒバオア島はイースター島の“モアイ”の源流?とも云われるティキ像、画家ポール・ゴーギャンやシャンソン歌手ジャック・ブレル関係の史跡で有名です。

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イースター島

モアイ(Moai)はチリ領イースター島にある人面を模した石造彫刻のこと。島の海に面したアフと呼ばれる高台に、多くの場合海に背を向けて、正確にはかっての住居跡を取り囲むように多数建てられている。大きさは3.5m、重量20トン程度のものが多いが最大級のものは20m、重量は90トンに達する。

ムー大陸があるとされる場所の近くでは共通した文化が見られます。これらの文化は、謎の海洋民族である「ラピタ人」が作ったとされています。

5000年ほど前に、台湾からフィリピンやインドネシアに南下していき、その後、3500年ほど前には、海洋航海技術に長けた一部の人々が、ニューギニア北東にある沿岸部や一帯の島々に進出しました。これがラピタ人といわれています。

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2つの船体を板でつないだダブル・カヌー。自然条件を利用して、遠洋航海を行っていた。大きいものになると、全長30mに達し、新天地開拓のため、食料や園芸植物、飼育する家畜などを載せて旅していました。航海術は、鳥が飛ぶ方角をはじめ、星や太陽、月などの天文現象と、風や波、雲などの自然現象を最大限に利用したと考えられています。

ラピタ人は航海術を駆使してフィジーやニューカレドニアに進出、さらに東進して紀元前800年頃にはサモアに到達する。ここでラピタ人による最初の大航海時代は終わり、この海域の島々に定着して独自のラピタ文化を花開かせる。

それから約1000年後。再び海洋民たちは太平洋を東へと漕ぎ出す。サモアから先の島々は孤島ばかり。より高度な遠洋航海術を身につけた人々が、大航海時代の第2幕を開いたのである。担い手となったのは、ラピタ人の流れを汲むポリネシア人。紀元数百年~1000年頃にかけて、彼らはマルケサス諸島やタヒチ、イースター島など、ポリネシアの大三角圏にある無数の島々を制覇していった。

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アメリカ起源と考えられるサツマイモを筆頭にして各種の有用植物がポリネシアに古くから存在していた。

出典: www.jsdi.or.jp

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