【和泉式部】切なすぎる…悲恋を歌った百人一首まとめ【あらざらむ】

百人一首の中には恋を歌ったものが多いといわれていますが、どうやら今も昔も恋愛で傷付き、苦しい思いをするのは同じみたいですね。この記事では、そんな悲恋を歌った百人一首についてまとめています。片想い、相手ある人への想い、離別、心変わり…悲恋といってもいろんな状況がありますが、それを見事な言葉遣いで表現した過去の歌人たちのセンスに脱帽です。

renote.net

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

あふことの 絶えてしなくば なかなかに
人をも身をも うらみざらまし

【訳】もしあの人と愛し合うことがなかったら、かえってあの人のつれなさや、
我が身の辛さを恨んだりしなかったでしょうに。

【解説】本名は藤原朝忠で、三十六歌仙の一人です。
朝忠は笙の名手でもあり、恋心を寄せる女性も多くいましたが
朝忠が失恋した時に詠んだと言われているのがこの和歌です。

今はただ 思い絶えなむ とばかりを
人づてならで いうよしもがな

【訳】今となっては、あなたへの想いはもう諦めようと思います。
ただそのことをせめて人づてではなくて、
直接お目にかかって、伝える方法があればいいのですが。

【解説】本名は藤原道雅と言います。
道雅は斎宮の女性である当子内親王と熱愛に発展するのですが、
天皇の怒りを買ってしまい、仲を引き裂かれてしまった後に詠んだのがこの歌です。

風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ
くだけてものを 思ふころかな

【訳】あまりにも風が激しくて、岩に打ち付ける波が砕け散ってしまう。
それと同じようにあの人がつれないので、
恋に悩み私だけが傷つくばかりのこの頃ですなぁ。

【解説】重之は和歌に優れ、三十六歌仙の一人にも名前が挙げられています。
子や娘も歌人でした。

契りきな かたみに袖を しぼりつつ
末の松山 波こさじとは

【訳】私たちはかたく約束を交わしましたね。互いに涙で濡れた袖をしぼりながら、
波があの末の松山を決して越すことがないように、
二人の仲も絶対に変わることはありますまいと。それなのにどうして…。

【解説】元輔は三十六歌仙の一人で、清少納言の父でもあります。
元輔本人ではなく友人が恋人に去られたときに、
その相手に元輔が届けたといわれているのがこの和歌です。

忘らるる 身をば思はず ちかひてし
人の命の 惜しくもあるかな

【訳】忘れられてしまう、私のことはいいんです。
ただ、私への愛を神に誓ったあなたが誓いを破ったために、
神罰を受けて亡くなってしまうのではないかと、惜しまれてなりません。

【解説】右近は藤原敦忠と愛し合っていましたが、
プレイボーイだった敦忠が他の女性に心を動かしている
という噂を耳にしたときに詠んだのがこの和歌です。
ちなみに、敦忠は37歳の若さで亡くなってしまいます…。

あらざらむ この世のほかの 思ひでに
今ひとたびの あふこともがな

【訳】私の命はもう、長くはないのです。
だから、あの世への思い出に
せめてもう一度だけ、あなたにお会いしたいのです。

【解説】和泉式部は、和歌に優れた五歌仙の一人でした。
彼女が重い病気で寝込んだ時に離れていった恋人のことを
思って作ったのがこの歌です。

嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は
いかに久しき ものとかは知る

【訳】あなたは今夜もおみえにならない…。
一人で寝る夜の明けるまでの時間がどんなに長いか、
あなたはきっとご存知ではないでしょうね。

【解説】右大将道綱母は日本の三美人の1人と言われました。
浮気者だった夫の兼家に対して詠ったのがこの歌です。

あはれとも いふべき人は 思ほえで
身のいたづらに なりぬべきかな

【訳】あなたに見捨てられてしまった私を慰めてくれる人なんていません。
私はこのまま、あの人に恋い焦がれながら、むなしく死んでゆくのでしょうね。

【解説】謙徳公は太政大臣の位にあり、生きている間は藤原伊尹という名前でした。
思い通りにならない恋を嘆いて愛しい女性に作ったのがこの歌です。

難波潟 短き葦の ふしの間も
あはでこの世を すぐしてよとや

【訳】難波潟に生えている葦の節と節の間のような、ほんの短い時間でもお会いしたいのに、
それもかなわずこの世を過していけとおっしゃるのですか。

【解説】伊勢は美しい女性であらゆる男性に愛され、
三十六歌仙の一人でもありました。
逢いに来てくれない男性を嘆いて作ったのがこの歌です。

うらみわび ほさぬ袖だに あるものを
恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ

【訳】あなたのつれなさを恨み、悲しい思いで流す涙にぬれて
乾くひまもない袖でさえ口惜しいのに、その上この恋のせいで
私の評判まで廃れてしまうのは、本当に残念なことです。

【解説】相模は一流の女流歌人で、恋多き女性としても有名でした。
宮中での歌合せのときに詠まれたのがこの歌といわれています。

misumiyua1
misumiyua1
@misumiyua1

目次 - Contents