ベッカムに恋して

ベッカムに恋してのレビュー・評価・感想

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ベッカムに恋して
8

かっこいい!逆境に立ち向かいながら、ベッカム選手に憧れ夢を叶える少女

舞台はイギリスで、主人公はサッカーを得意とするインド系移民の女子高生のジェス。舞台となった正確な年は設定されていないものの、映画の公開年やタイトルから、主人公の憧れであるデビッド・ベッカム選手が実際に大活躍していた2000年代前半だと分かる。
主人公・ジェスが公園で男子とサッカーをしているところ、地元の女子サッカーチームに所属しているジュールズという選手に誘われて入部し、コーチにもその才能を見込まれる。しかし、主人公・ジェスの家族はインドの伝統・習慣・宗教に厳格で、彼女がサッカーをすることに反対する。それでも彼女は両親に内緒でサッカーを続け、才能をどんどん開花させていく。
ある日、主人公の姉は結婚式を迎えることになる。しかし、姉の結婚式当日はジェスが参加する試合のトーナメント最終日と同じ日であった。さらに、最終戦はアメリカのサッカーチームからスカウトも来る大切な試合である。もし、試合に参加できなければ、彼女は試合だけでなく、サッカー選手になるという夢まで諦めることになってしまう。こんな状況の中、主人公はどのような行動を起こすのか。家族との関係、チームメイトや監督との絆、サッカー選手になるという夢はどうなってしまうのか。勇気をもらえる、感動のストーリー。

この映画の原題は『Bend It Like Beckham』。このタイトルには、ベッカムのように華麗なカーブを描いたゴールを決めたいという意味が含まれているだろう。しかし、それだけでなく、ベッカムのようなサッカー選手になるために、自分の生き方を自分で決めて進んでいきたいという想いが込められているはずだ。主人公のジェスは、人種、宗教、性別による偏見、差別、固定概念にとらわれずに、自分の夢を一生懸命追いかけている。誰もがこの映画の主人公に勇気をもらうことができる。主人公やその友人のように、自分の生き方を自分の意思で決め、どんな逆境にも立ち向かい、まっすぐに突き進める強い女性になりたいと感じる作品だ。

ベッカムに恋して
7

今の時代だからこそ、考えさせられた。

私は「ベッカムに恋して」を見て、国籍、肌の色の違い、祖国の違い、宗教の違いによって、こんなにも多くの事に亀裂が出来てくるのかと驚かされました。主人公のジェスの行動は現代の私達からするとそう変わった事には思えませんでした。しかし、「移民」である彼女だからこそ、周りの視線は「自分と違う者」として受け入れ難い部分があるのではないかと思いました。

イギリス社会におけるインド系イギリス人は、アイデンティティの違いによって恋愛、結婚、クラブまでも規制をされることに驚きでした。ジェスがバス停で友人のジュールズとはしゃぎ合ってハグしているところを姉の婚約者の両親に見られ、ジュールズがショートヘアーだった故に男の子とキスしていたと勘違いされ、それによって姉は婚約破棄にまで至ったシーンで、国籍を超えた恋愛は禁止であることご描かれていました。
ジェスの姉もジェスに何度も「インド人でもいい男はいっぱいいるわ。」とジェスに言っていたため、移民だからと言った理由で恋愛を自由にする事が出来ないという当時の状況がよく伝わりました。後に恋愛に発展していった女子サッカーチームのコーチであるジョーとの恋愛模様はとても切ないものでした。時間や距離ではなく、意思に問わず生まれてきた時点で既に国籍は決まっているため、どうしようもない事には抵抗出来ません。世間の目というものはとても威圧感があり、大きなものであって、そう簡単に乗り越えられるものではありません。人はなぜ自分と違うものを受け入れられないのか今でも不思議に思っています。
そして、ジェスのお父さんが過去にクリケットの選手でしたが、お父さん自身も過去にイギリスのクリケットチームに居て、プロを目指していたにも関わらず「インド人」というだけでイギリスのクリケット業界から追い出されてしまったのです。そんな経験があったからこそ自分の娘には期待を持たせたくないと思い、ジェスにサッカーを止めるよう言っていた所はとても複雑な思いで見ていました。今まで先生が用意して下さったビデオの中で、「第一世代と第二世代では時代が変わっていて、環境も変化している」というのが私の中で強く印象着いているため、このシーンにも共通して言えるのではないかと感じました。実際、その後ジェスは国籍を越え、サッカーの推薦でアメリカの大学への入学が決まった時は時代は変化していくものだと実感しました。
国と国の差異は未だに残っていますが、だんだんと減っていっているのではないかと思い、将来「移民」であろうと国籍を越えて、誰もかも壁をなくした時代が来てほしいと思っています。第一世代、第二世代、第三世代と進んでいくにつれ、第二世代のような考えが浸透して欲しいと思いました。