火花(映画)

火花(映画)のレビュー・評価・感想

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火花(映画)
8

芸人に見える

芸人以外の人が芸人役をしているとちょっと違和感があることがあるのに、本作の2人は違和感がありませんでした。
役柄がうれていない芸人役だったからなのかもしれません。
また、コンビの1人は芸人だったりするからリアルだったのかもしれないです。
菅田将暉さんの相方役の川谷さんは、昔ちょっと売れていて私も好きでした。
だから本作で見て「あっ、彼は!」と、とてもうれしく思いました。
お話はなんだかとても切なかったです。
芸人さんって売れている人はテレビにでまくってるけど、そうじゃない人たちが多いし切ないですよね。
誰も見ていない営業とかやってられないよなと思うし、そんななか、はっちゃけられる神谷を徳永が崇拝しちゃうのもちょっとわかるなあと思いました。
なんか、神谷は不器用な男っぽいし、売れないかもなあとか思うけど、どっか惹きつけられるところがある気がしました。
桐谷健太さんは、昔から華があるというか、男が惚れる男って感じがするので、神谷役がぴったりだと思います。
映画だけで、原作のすべてを表現できているかというと、ちょっとできていない感じがしますが、映画を見た後、原作を読みたくなる、そんな映画でした。
原作のすばらしさも含めて、高評価の作品だったと思います。

火花(映画)
6

リアリティがあった

夢を追いかけるのって大変だし、嫌なことも多いけど、素敵だなと思わせてくれる映画でした。
芸人は今すごく多いし、売れる人なんか一握りなのだろうなということはなんとなく分かっていましたが、夢破れた人の姿を見るとよりリアルに切なくなりました。でも、映画の中の神谷のいうとおり、そうじゃなきゃ面白くないし、敗者あっての勝者なのでしょう。負けた人にも意味があると教えてくれるいい話でした。
あと、やはり芸人の世界をよく知る人が原作を書いてるだけあって、芸人とはどういう生活してるのかとか、芸人とはどういう人なのかに、リアリティがありました。後輩に飯を上がるというしきたりにより生じる苦しみとか、オーデイションのダメ出しとか、ああ、こういう感じなんだとよく分かりました。それに、桐谷健太さんとか、いかにも熱い男で神谷にぴったりだなと思いました。
ただ、2時間という短い時間にまとめているので、いいエピソードの切り貼り感は否めないです。私はドラマ版は見ていないのですが、そちらは12話あったし、そっちの方が深く描けていたようです。そりゃあ、小説が原作の映画で小説の全てを描くのは難しいとは思いますが、もうちよっとどうにかならなかったかなと思いました。

火花(映画)
9

作品に散りばめられたお笑いへの熱がすごい!

この作品は、菅田将暉演じる売れないお笑い芸人・徳永が、桐谷健太演じる神谷との出会いでお笑い人生が変わっていく物語です。菅田将暉自身も、お笑いというジャンルに対してリスペクトがあり、お笑い好きな俳優さんなのですが、彼が真剣にお笑い芸人を研究し、役に入ったことがスクリーンから伝わってきます。桐谷健太演じる神谷は、お笑いというものがどういうものなのか、というものを感覚的につかんでいるような役柄で、菅田将暉演じる徳永と一緒に過ごすなかで、そのお笑い魂というものを伝えていきます。お笑い芸人さんを主人公にする映画、というのはなかなか珍しく、そして「お笑いというものがどういうものなのか」ということを、私はうまく説明することができません。それほど、多種多様に価値観やその人々の個性や生き方が反映されて一言では言い表せられない深い世界だな、と映画を観て思いました。誰しも生きているうちに、失敗や挫折を経験します。この映画では、その挫折や葛藤を細かく描き、徳永と神谷の日常生活のある部分だけを切り取ったような作品です。いやらしくないのです。映画ですから起承転結があるのはあるのですが、厚かましくなく、お笑い芸人として一生懸命に生きる姿にこちらも勇気をもらいました。

火花(映画)
8

映画火花を見ての感想

お笑い芸人・又吉直樹の作品です。
奇想の天才である一方で人間味溢れる神谷、彼と師と慕う後輩・徳永。二人は笑いの真髄について議論しながら、それぞれの道を歩んでいる。神谷は「俺の自伝をかけ」と命令した。彼らの人生はどう変換していくのか。人間存在の根本を見つめた真摯な筆致が感動を呼ぶということで、あらすじはこんな感じです。

大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。熱海湾に面した沿道は白夜の激しい陽射しの名残りを夜気で溶かし、浴衣姿の男女や家族連れの草履に踏ませながら賑わっている。沿道の脇にある小さな空間に、裏返しにされた黄色いビールケースがいくつか並べられ、その上にベニヤ板を数枚重ねただけの簡易な舞台の上で、僕たちは花火大会の会場を目指し歩いていく人たちに向けて漫才を披露していた。

中央のスタンドマイクは、漫才専用のものではなく、横からの音は殆ど拾わないため、僕と相方の山下はお互いにマイクを頬張るかのように顔を近づけ唾を飛ばしあっていたが、肝心な客は立ち止まることなく花火の観覧場所へと流れていった。人々の無数のほほえみは僕たちの向けられたものではない。祭が常軌を逸するほど激しくて、僕たちの声を正確に聞き取れるのは、おそらくマイクを中心に半径1メートルくらいだろうから、僕たちは最低でも3秒に一度の間隔で面白い事を言い続けなければ、ただ何かを話しているだけの2人になってしまうのだけど、3秒に一度の間隔で無理に面白い事を言おうとすると、面白くない人と思われる危険が高すぎるので、敢えて無謀な勝負はせず、あからさまに不本意であるという表情を浮かべながら与えられた持ち時間をやり過ごそうとしていた。というところから物語は始まります。