仮面ライダーファイズ正伝: 異形の花々

仮面ライダーファイズ正伝: 異形の花々のレビュー・評価・感想

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仮面ライダーファイズ正伝: 異形の花々
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タイトルなし

仮面ライダー555は、そのすべての脚本を井上敏樹さんが書いてます。
歴代ライダー作品の中で、ひとりの人間が最初から最後まで脚本を書くというのは非常に珍しいことだと思います。
その井上氏が、555放映終了後に執筆されたのが本作品。よって、内容は、TVの規制を受けない555の小説版ということでタイトルに「正伝」の肩書きがあるように、TV本編とは異なる設定と物語でハードな仕上がりとなっています。
まず、表紙の扉絵にあるラッキークローバーは出てこない(笑)スマートブレインすら出てこない(笑)
木村沙耶が、ドラゴンオルフェノクとして、重要な役割を演じています。
TVの規制がないということで、好きでもない雅人に、何度も抱かれる真理とか…啓太郎と結花の間に、赤ちゃんができるとか…草加雅人の死が、凄惨であるとか…ショッキングな展開があります。しかし、そのことによってTV本編では、わかりずらかった物語の構成が非常にわかりやすくなっています。
なぜ?木場勇治が、人間を諦めたのか?という当時の疑問は、この小説を読んで、とってもスッキリしましたし、草加の真理への想いも、とてもわかりやすくなってました。
個人的には、たっくんや木場さんをオルフェノクだからということで殺そうとした草加雅人が
惨殺されるシーンはTV作品では、「仮面ライダー」の冠のため、「善」か「悪」か?はっきりしなかったカイザが、まさに「悪」として殺されたことによって、この物語が勧善懲悪としてぶれることなくカタルシスが昇華されたのではないかと思います。
カイザについては、村上幸平さんの熱演と仮面ライダーカイザの素晴らしいデザインからTV作品では、「善」とも「悪」とも区別がつかないところが非常にもどかしく、思春期の子供の教育上において、善と悪の判断を誤らせるのではないか?という危惧のあるキャラクターであったように思えます。
実際に、ネガティブな人間がカイザを称賛する姿を見ると、彼らが前に向かって進もうとする力を奪っているのではないか?とも…老婆心な思いになります。確かに、ネタキャラとしては、面白いキャラクターではありますが、物語の構成上では「悪」でなければ成立しないキャラであるということを認識しないと、この「人間」と「異形の者」という「縦ライン」に、「善」と「悪」という「横のライン」を引いた本作品の肝であり、かつ画期的なアイデアでもある基本コンセプトがまったくブレてしまい、台無しになってしまうと感じました。
ですので、TV作品終了後にTVや玩具メーカー・村上幸平さんのファンの方などの外からの規制を受けずに、井上氏が555を書き上げたことは「真の555」という作品を知るためにも、
大変意義があったのではないかと思います。
ただ、昨今の「TV作品の小説化」について思うこととしては、映像作品ではないということからTV作品で愛されたキャラクターをむやみやたらに、過剰な性描写や暴力描写で破壊してしまうのは小説というメディアを、もっと、メジャー化していく上で障害になるのではないかとも感じました。ただでさえ、人々の文字離れが進んでいる状況でもあります。逆に、そのような過剰な表現を駆使しなくとも人々に感動を与える物語を書くことができるのがやはり、プロ作家なのではないかとも思いますね。
これは、小説版 仮面ライダーに限らず、最近読んだサイボーグ009完結編においても同じことを感じました。
今回の 「仮面ライダー555正伝 異形の花々」は本当に面白くて、あっという間に読みおえました。みなさんにもお薦めです。