月に吠えらんねえ

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月に吠えらんねえのレビュー・評価・感想

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月に吠えらんねえ
9

これほどまでに参考資料の多い擬人化がかつてあっただろうか

月に吠えらんねえは、近代詩歌俳句の作品のイメージの擬人化作品です。
擬人化や美化はもはや珍しいものではなく、武器や食品、過去の偉人等がイケメンになったり美少女になったりするのは日本ではもう日常茶飯事です。
まず本を手に取って最期のページから1ページだけ捲って見て下さい。参考文献リストがあります。もう一ページ捲って見て下さい。参考文献リストがあります。数えてみると、200冊以上の文献を資料にして書かれた作品だということがわかります。
1巻を読んで「なんでこんなに必要だったの?」と思われる方も、巻を重ねるごとに理解していけるかと思います。
擬人化・美化作品の魅力は、キャッチーですぐにキャラクターの素敵なところがわかるよう、物語の中ですべての情報がキャラクターが出てきた話で大体わかるところです。
ソーシャルゲームでも、キャラクターが手に入ると自己紹介が読めますし、それでそのキャラクターがどんな奴かすぐにわかります。
しかし、「月に吠えらんねえ」ときたら、その擬人化・美化の利点を全力で無視して、キャラクターの行動も、心理も驚く程読み取れません。そういう点では、普通の漫画に非常に近いので、擬人化に安っぽいイメージをお持ちの方はまず、読んでみて頂きたいです。
ストーリーを追う楽しさがきちんとある物語です。そして、あの意味不明な量の参考文献の理由も、巻を重ねるごとに明らかになっていきます。出来ればネタバレしないで、読んでみて欲しい。読んでみて、こんなこと書いていいのか!?と驚いてページを捲ってみて欲しい。
色んな意味で型破りな漫画、突き抜けたものが読みたい、そんな方に是非オススメの作品です。

月に吠えらんねえ
8

不安定な詩人たち

コミックスを開いたはずが、長い、長い文字列がページの上を渦巻いている。
『月に吠えらんねえ』(著:清家雪子/講談社)を読みだすと、みっちりと詰まった詩の引用の数々に驚くかもしれない。

物語の主人公は詩人・萩原朔太郎の詩群のイメージを元にした「朔」という少年のような、青年のような幼い顔立ちをした男だ。
(ただし、彼を男であると言い切ることがコミックスの巻数を重ねるごとに難しくなっていくのが、この作品の魅力的な「不安定さ」に繋がっていく!)
朔は近代□街(詩歌句街/しかくがい)と呼ばれる場所に住んでおり、憧れの白さん(イメージの元は北原白秋)や、弟子のミヨシ君(イメージの元は三好達治)と仲良くやっているように、見える。

実在する文豪たちが営んだ関係性をオマージュしたような彼らの暮らしぶりだが、作者である清家氏は明確に「実在の人物 団体とは一切関係ありません」とコミックス1巻1コマ目で強く語っている。
様々な作品につけられることのある「一切関係ありません」の文字が、これほど物語の出だしで主張されるのは珍しい。
それもそのはずで朔は文字通り「言葉」に呑まれる幻覚を見て叫び(あるいは気絶し)、度を越したプレイボーイぶりを見せる白さんが乱痴気騒ぎを度々起こすなど、彼らは過剰な狂気の中にいる。
確かに、彼らの人間性を実在の作家と結び付けるのは無理がある。というよりさすがにお叱りを受ける。
だが、作中に引用される詩歌句は実在する作品に他なく、そのどうしようもない「過剰なデフォルメ」と「実在する作品たち」のアンバランスさに不穏な雰囲気を感じずにはいられない。

その不穏さの正体が掲示され始めるのがコミックス2巻収録の第六話「1945」だ。
1巻で異様な街の住人たちの様子と、その街を去った朔の親友・犀(イメージの元は室生犀星)について触れ、ついに2巻で詩人たちが巻き込まれた「戦争」について、清家氏は描きはじめる。
その筆致は、物語が進むごとに加速し、厳しさを帯び、詩人たちが吠えられなかった、秘められた想いを明かしていく。
不安定な詩人たちが遺した「戦争の詩」こそがこの物語を支えている事は間違いない。
「戦争の詩」を生み出した果てに、彼らが何を考えたのか。
作者はそれを描こうと真正面から向きあっている。