超獣戦隊ライブマン

超獣戦隊ライブマンのレビュー・評価・感想

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超獣戦隊ライブマン
9

曽田戦隊最後の輝き

本作は実質最後の昭和戦隊と言っても良い作品です。
曽田博久戦隊の「闇」の集大成と言って良いかも知れない(「光」の集大成は「チェンジマン」)。
テーマとなっているのは恐らく「学生運動のレヴュー」でしょう。
元々「ゴーグルV」からして若者が自分たちで立ち上がって自分たちで戦おうという全共闘の作品であり、常にどこかそういうテーマを奥底に抱えながらやって来たことを思うと、やはり本作はその学生運動の最後の段階、即ち連合○軍がもたらした一連の事件をドラマとして再現したところにその凄みがあるのじゃないでしょうか。
本作はアカデミアという学校の若者達による熾烈な争いとなり、科学技術の発展による最高の知性を求めて突っ走った結果道を踏み外してしまった者達とそれを傍で見て止めようと奔走する者達というとても切なく苦い戦いとなります。
よって歴代でも爽快さより陰鬱さの方が勝る戦いとなり、その意味で本作の終盤は歴代でも「ジェットマン」「タイムレンジャー」に並ぶレベルのハードな展開となっています。
故に本作は「サンバルカン」以来の三人戦隊でありつつ、キャスティングにも物凄く力が入ってます。
既に歌手として活動していた嶋大輔、天才役者の森恵、そして今でも大活躍の西村和彦とこの三人の持つテンションやムードによって演技にも重厚さがありますし、またそれを受ける敵側の三人も凄い力量を持った人達で構成されています。
そんな本作の終盤、とうとうアカデミアから頭脳軍ボルトの幹部であった三人(というか二人)はとうとう己の頭脳を捧げ、一人は機械化、そしてもう一人が獣と化して完全に人間性を喪失してしまいます。
そしてそれこそが本作の持つ「悪」の姿であり、人間であることを選んだライブマンと人間であることを喜んで棄ててしまったボルトの幹部連中、そんな彼らが行き着く先はもはや破滅の道しか残されておらず、故に一人を除いて「救済」が出来なかったラストは苦さの方が勝るのです。
そしてそれは同時に戦隊シリーズとして見ると、理想を貫き一つの頂点に到達した戦隊シリーズがどんどんやり続けていく内に生々しい現実と向き合うことになり夢だけでは生きていけなくなるようなもので、かつての学生運動と同じような気高き革命の後には大衆主義に飲み込まれていくという悲しき運命を辿ることになる。
故に本作は曽田戦隊最後の輝きを放った「名作」ではあるのですが、次作「ターボレンジャー」「ファイブマン」でとうとうネタ切れとなり、出涸らしとなって迷走していくシリーズの今後を予感させるようでもありました。