ソマリと森の神様

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ソマリと森の神様
8

ソマリとゴーレムの関係

この作品は異世界のファンタジー物語では無く、「現実にある社会と日常の世界」を描いています。それは「社会と人」そして「人と人」との関係性です。
その関係性とは大きな枠組みである「社会の世情」と小さな枠組みの「家族と友人や共同体」です。
それぞれが異世界の物語でありながら、現実社会は比喩として描かれるのが作品の中心となっています。
そこで私が思い浮かべたのは社会学者マーク・グラノヴェッターが提唱した「強い紐帯」と「弱い紐帯」という概念です。
強い紐帯とは親友や家族といった親密な社会的な繋がり、弱い紐帯とは知り合いという意味です。
この物語においては「ソマリとゴーレム」「旅先で出会う者達」がそれにあたります。
強い紐帯と弱い紐帯が織りなすドラマに、背景となる「差別と偏見」と「戦争」という文化的、社会的な世情が絡んでいきます。
その中心として描かれていると感じるのは「ゴーレム、そして、父となる」物語であるというところです。
ゴーレムは異形の中でも特殊な存在です。
普通の異形は人と同じ様に感情を持ち、家族も友人もいて、そして共同体の中で暮らしています。
けれどもゴーレムは違います。
ゴーレムは「森の精霊」であり「森の守り神」であるからです。
「個」として生きるものではなく「象徴や機能」としての存在です。
「神」として森の生態系と秩序を守る役割が課せられた存在です。
人とも他の異形とも基本的に交わることはしませんし、中立な立場を取っています。
その為に余分な感情も持ち合わせず、合理的な思考、ある意味AIの様なアルゴリズムで存在していましたが、ソマリとの邂逅で大きく舵を切ることとなります。
これはある意味「禁」を破る行為です。
何故そこまでしてゴーレムはソマリの為に自分の残された時間を使おうと決心したのか?
本人自身も合理的で論理的な答えは出せていません。
それはソマリによって本来自分には持ち合わせていないそして自ら否定していた「情動」が生まれたからです。
後のエピソードでゴーレムは語ります「(ソマリが怪我をした時顔の筋力を歪め眼球が潤んでいくその表情を見ていると思考回路が乱れた。)(胸に手をあて)主にここが落ち着かない、私はソマリにもうあの顔をして欲しくないと思った。」と。
これはゴーレムが「父親」になった瞬間ではないでしょうか?
人は家族を持った時、子供を授かった時に大きく自分の役割の舵を大きく切ります。
それは人間の場合は意思の問題だけなく、遺伝子やホルモンであり、責任であったりしますが、ゴーレムはそんなシステムは持ち合わせてはいません。
実際に初めはソマリを森から出て行く様に突き放しもします。
「外のものには干渉してはならない、あれは管理対象ではない。」
「追跡を中止して森から離脱せよ。」と。
そこで「では何故」という疑問がおこります。
ソマリはゴーレムをお父さんと呼んでしつこく離れようとはせずに付き纏います。
その時幼いソマリには計算も打算も見えて来ません。
未知の森で危険を犯してまでゴーレムを追いかける合理的判断もありません。
ソマリがゴーレムに魅せる屈託のない笑顔には人の本能が窺えます。
ソマリがゴーレムを見て即座にお父さんと呼んだのは、子供としての性が何かを受け取ってそう呼ばせたものではないでしょうか?
これまで森の精霊、そして守護神として公正で中立な立場であり、天上のものとして羨まれる恐れられる存在であったゴーレムには初めての経験だったのではないでしょうか?
「自分を好きになった人を好きになる」ではないですが、この初めての体験によりゴーレムにこれまでは無かった感情の様なものが芽生え始めます。
ソマリとの邂逅が引き金になり、胸にモヤモヤとしたものが芽生え、そして「この笑顔をずっと見ていたい」という意識が生まれます。
これはシステムや機械が心を持った瞬間であり、精霊、神が人間となった瞬間でもあります。
故に「心を持ったゴーレムがソマリの父親となった」瞬間です。
ゴーレムはソマリが自分がいなくなった森で一人で生きていく事は出来ない故にソマリを両親の元へ返す必要があるという論理的な判断をしますが、これは自分の中で起こった感情に対する言い訳である様に思えます。
異形と人間との戦争で人間が負け、「人間狩り」が蔓延る世界ですし、ソマリも「奴隷」として異形に捕まっていたことから推測するに、ソマリの両親が生きている確率は低いと思われます。
そしてソマリと一緒にいたいという気持ちとソマリを助けたいという気持ちには抗えなくなります。
そんな自分に率直になり自分の残り少ない時間を森の精霊、守護神ではなく、ソマリの守護神(父親)という役割で、在野の強い紐帯の中で生きようと、ゴーレム的いうところの非合理な選択をあえてするのです。
二人だけの旅の中でソマリはゴーレムを本当ので父親として接し、ゴーレムもソマリの父親としての役割を果たそうとします。
ソマリが異形に狙われない様に人間としての身分を隠し常に側に付き添います。
外の世界での生き方の知恵を授けたり、無邪気で好奇心旺盛なソマリに危険を教えたりします。
ソマリが道中離れて行かない様に手をつなぐことも学習します。
数々の危険な事件や事故に遭遇するソマリを救います。
食事も不自由なく与え、怪我や病気にかかれば薬草も調達します。
行き先の地図を買ったり旅の資金が途絶えれば働きにも出ます。
一見あたり前のことの様に見えますが、本来は全てゴーレムには不要なものです。
ゴーレムは食事も取りませんし病気にもなりません、自分一人なら泊まる宿も要りません、本来精霊、神であるゴーレムには外敵もいません。
ですからこれらは全てソマリの為に行っている行為です。
そして極めつけはソマリが異形に捉えれて食べられとした時に、意識が飛んで「戦闘モード」となってソマリの窮地を救います。
ゴーレムはソマリを連れ立ったことにはついては「後悔していない」と語ります。
けれどもソマリとの接し方には「迷い」があるようです。
それを印象的に描かれているのはアリ穴の街の食堂の店主との会話のシーンにあります。
ソマリがゴーレムの望みを叶えようと「夜覚の花」を取りに行き危険な目にあってしまいます。
勝手な行動をしたソマリを叱るゴーレムですが、過労で体調を崩して倒れてしまうソマリの傍らでゴーレムが「私のせいだ…」と店主に心情を吐露します。
そして店長は「完璧な親はいません…」と答えます。お互いに失敗しながら成長していく「それが家族ですよきっと」と諭され「家族」という言葉の意味を噛みしめるゴーレムです。
二人の旅を通じて旅先で出会う者達の家族や親子に、そして共同体の仲間としての在り方を知りながら、「家族の絆」を深めソマリの成長と共にゴーレムが「親」として成長していく。
「ソマリと森の神様」からはそんな物語が読み取れます。