My Bloody Valentine(MBV、マイブラ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)の徹底解説まとめ

マイ・ブラッディ・バレンタインは1983年にダブリンで結成された4人組のアイルランド出身のバンドである。ノイズと幻想的なメロディを組み合わせたサウンドや従来のロックミュージックとは異なるサウンドプロダクションでよく知られているバンドである。1980年代後半から90年代後半の彼らの作品はシューゲイザーと呼ばれる音楽ジャンルの金字塔である。略称は「MBV」。日本ではしばしば「マイブラ」と呼ばれる。

出典: e.snmc.io

概要

1978年にケヴィン・シールズとコルム・オコーサクが知り合い、コルムの友人と3人でザ・コンプレックスというバンドを組む。セックスピストルズやラモーンズなどのパンクバンドの曲をカバーするなどの活動をしていたが、コルムの友人が脱退したことによって活動を終えた。その後もケヴィンとコルムはライフ・イン・ザ・デイというポストパンクのバンドを結成するが、人気が出ずまたもや解散する。ライフ・イン・ザ・デイ解散後、ケヴィンとコルムは1983年にデヴィッドというシンガーとともにマイ・ブラッディ・バレンタインを結成する。バンド名はデヴィッドがカナダの映画のタイトルから拝借し、命名した。その後、何度かギタリストとベーシストを雇い、楽曲制作を行ったが度重なるメンバーの脱退と交代でことがうまく進まなかった。メンバーが入れ替わる中で、デヴィッドの恋人ティナがキーボディストとして加入し、アメリカのバンドR.E.Mのオープニングアクトを務めたり、1984年にはドイツで初めてのミニアルバムをレコーディングしたがほとんど注目を浴びることはなかった。
1985年に活動拠点をロンドンに移した頃、キーボードの演奏技術に自信がなくなったティナがバンドから脱退することを決める。代わりにバンドはオーディションでベーシストを募ることを決め、オーディションの結果、デビー・グッギが加入することになった。ベーシストが加入したことによって、少しづつバンド活動が発展していき、1986年にはEPをリリースし、イギリスのインディーチャートで少々の成功をおさめた。
1987年にEP 「Sunny Sundae Smile」をリリースし、この曲はイギリスのインディーチャートで6位を記録した。このEPのリリースを記念してイギリスを周るツアーを敢行したが、ツアー途中で体調不良などの理由からデヴィッドが脱退することになった。デヴィッドがバンドを去ったことによってリードヴォーカルを失ったバンドは再度オーディションを行い、ヴォーカリストを募った。そこでギターの演奏も出来たヴォーカリストのビリンダ・ブッチャーと出会い、加入が決定する。それと同時にケヴィンもリードヴォーカルをやることになった。新しい体制になったバンドは「Strawberry Wine」と「Ecstasy」というEPをリリースした。

1988年、クリエイションレコードの創始者アラン・マッギーと出会い、彼が主催するイベントに出演する。イベント後、アランはバンドにクリエイションでシングルを制作する機会を与えた。バンドは同年の8月にレコーディングに入り、1週間以内でまとめた作品「You Made Me Realise」をクリエイションからリリースした。このEPはインディーチャートで2位を記録したほか、批評家からも軒並み高く評価された。EPのヒットによりフルアルバムの制作のチャンスを掴んだバンドは同年11月にデビューアルバム「Isn't Anything」をリリースした。ノイジーなサウンドと脱力的な男女のツインボーカルという組み合わせを聞かせるこのアルバムは批評家からも高い評価を受けるなど、大きな成功をおさめ、インディーチャートでもとうとう1位を記録した。この作品のディストーションやサンプラーなどを使用した激しくて甘い音楽は”シューゲイザー”と呼ばれ、類似したサウンドを鳴らすフォロワーバンドを生み出した。

1989年の2月になるとバンドは2枚目のスタジオアルバムの制作に取り掛かった。クリエイション・レコーズは5日以内にレコーディングが終了するだろうと思っていたが、結果的に2年半かかることとなった。ケヴィンはセッションを繰り返し行い、レコーディングのために9人ものサウンドエンジニアを雇い、合計で19ものスタジオを使用した。アルバムのレコーディング期間が長引いているため、ケヴィンとクリエイションのアラン・マッギーは先に別のEPをリリースをすることを決め、1990年8月にEP「Glider」を発表した。このEPにはセカンドアルバムにも収録されている「Soon」という曲が収録されている。
1991年2月になってもバンドはセカンドアルバムのレコーディングを以前続けており、また別のEP「Tremolo」をリリースした。こちらも批評家から高評価で、UKインディーチャートでもトップを記録している。

1991年11月、セカンドアルバム「Loveless」がとうとうリリースされた。前作「Isn't Anything」の制作費が7千ポンドだったのに足し、今作は2年半ものレコーディングが影響し、27万ポンドも費やし、クリエイションレコーズが破産間近までいったと噂されている。
今作は当時は商業的な成功を収めることが出来なかったが、批評家からは満場一致で賞賛された。イギリスのアルバムチャートでは24位を記録したが、イギリス以外の国では一切ランクインすることがなかった。「Loveless」がリリースされると間も無く、クリエイションのアラン・マッギーは制作費の問題などのため、まもなくバンドとの契約を終了した。

クリエイションとの契約を終えたバンドは1992年10月にアイランド・レコーズと契約を結んだ。新しいアルバムのの制作のため、ホームスタジオを建設したが、機材が使い物にならなかったりするなどのトラブルが続き、レコーディングは再び停滞した。
1995年にはコルムとデビー・グッギがバンドを去ってしまったが、ケヴィンとビリンダでサードアルバムの制作を試み、ケヴィンは1998年にリリース出来る事を明言した。しかしながら、制作途中にビリンダもバンドから脱退してしまい、とうとうサードアルバムを完成することは出来なくなってしまった。ケヴィンはプライマル・スクリームのツアーメンバーを務めたり、ヨ・ラ・テンゴやダイナソーJrなどのバンドとコラボレーションを行った。2003年には映画「ロスト・イン・トランジション」のサウンドトラックを担当、制作を行った。

たびたび活動休止前に録音した音源のリリースや再結成の噂がファンの間で流れたり、ケヴィンが活動休止前の音源はアイランド・レコーズに渡してあると述べたりするなど新たな動きがメディアに取り上げられていたが、それらが世に出ることもなく目立った進捗も見られなかった。

バンドとしては90年代から長い沈黙を続けていたが、2008年6月にケヴィン、コルム、デビー、ビリンダの4人でイギリスのライブハウスにてライブを再開したことを皮切りに、デンマーク、ノルウェイ、アイルランドなどのヨーロッパの音楽フェスに出演した。同年7月には日本のフジロックフェスティバルにもヘッドライナーとして出演した。代表曲「You Made Me Realise」では15分間にも及ぶフィードバックノイズを披露したことでも話題になった。9月頃からは北米を周るツアーも敢行した。
2009年には追加のツアーを行うことを発表した。バンドはそれと同時にサードアルバムを完成させることを明言した。
2012年5月には過去のEPを集めたコンピレーションアルバム「EP's 1988–1991」と「Isn't Anything」、「Loveless」のリマスターバージョンがリリースされた。

2012年の終わり頃から、幾度かサードアルバムについてのアナウンスがあったが、2013年2月2日にバンドのウェブサイトにてサードアルバム「mbv」がとうとうリリースされた。発表された直後はバンドのウェブサイトが一時ダウンするなどの盛況ぶりだった。サードアルバム「mbv」リリース同時に作品は世界的な賞賛を受けた。バンドは再度ワールドツアーを開始した。

ケヴィンは4枚目のアルバムに向けて新しいEPを制作する予定があることを明言している。

メンバー

ケヴィン・シールズ(Kevin Shields)

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1963年アイルランド生まれのミュージシャン。
1978年にコルムと出会ったことがきっかけでバンド活動を始める。ビートルズとラモーンズをお気に入りのバンドとして挙げている。
ノイジーで浮遊感のあるサウンドを生み出すギターの奏法は後のミュージシャンにも多くの影響を与えており、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」の2003年版では95位にランクインされている。

コルム・オコーサク(Colm Ó Cíosóig)

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1964年アイルランド生まれのミュージシャンでドラム及びサンプラー操作を担当している。
ケヴィンと共にマイ・ブラッディ・バレンタインの発足メンバーとして当初から関わっている。
バンド以外ではアメリカのシンガーソングライターであるポープ・サンドヴァルとユニットを組み、
ホープ・サンドヴァル&ザ・ウォーム・インヴェンションズとして活動もしている。

ビリンダ・ブッチャー(Bilinda Butcher)

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1961年イギリス出身のミュージシャンである。
マイ・ブラッディ・バレンタインには1987年に加入し、主にリードボーカルとギターを担当している。
儚い消えそうな声が特徴でケヴィンのギターと共にバンドのサウンドの核となっている。
外仕事では1996年にヒップホップバンドにフィーチャーされたり、ダイナソーJrとコラボレーションしたりしている。

デビー・グッギ(Debbie Googe)

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1962年イギリス生まれのミュージシャン。
マイ・ブラッディ・バレンタインには1985年にオーディションを経て加入し、ベースを担当している。
体を前のめりに激しく揺らしながらベースをプレイするスタイルがよく見られる。
1996年にバンドを脱退したが、2007年からの再始動の際には再び参加している。

オリジナルアルバム

Isn't Anything

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01 Soft as Snow (But Warm Inside)
02 Lose My Breath
03 Cupid Come
04 (When You Wake) You're Still in a Dream
05 No More Sorry
06 All I Need
07 Feed Me with Your Kiss
08 Sueisfine
09 Several Girls Galore
10 You Never Should
11 Nothing Much to Lose
12 I Can See It (But I Can't Feel It)

1988年11月にクリエイション・レコーズからリリースされたファーストアルバムである。
今作はシューゲイザーと呼ばれる音楽ジャンルのパイオニア的作品とされている。
収録されている曲の大半はウェールズで録音された。約2週間かけて行われたレコーディング作業の間、メンバーは1日2時間しか寝ずに制作をしていたという。今作からは「Feed Me with Your Kiss」がシングルカットされている。
ピッチフォークメディア選定の1980年代のベストアルバムの22位にランクインしている。

Loveless

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01 Only Shallow
02 Loomer
03 Touched
04 To Here Knows When
05 When You Sleep
06 Only Said
07 Come in Alone
08 Sometimes
09 Blown a Wish
10 What You Want
11 Soon

1991年11月にクリエーション・レコーズよりリリースされたセカンドアルバム。
今作は1989年から1991年にかけて2年以上費やして制作された
ケヴィンは自らの求めるサウンドを生み出すために、フィードバックノイズやサンプラーの使用などスタジオに籠り、実験に実験を重ねた。
約2年半の制作期間で多くのサウンドエンジニアを雇い、19ものスタジオを使用したため、制作費は膨大に膨れ上がり、25万ポンド(当時の日本円で約4,500万円)を費やしたと言われている。
リリース時は商業的な売上を記録出来なかったが、現在ではその美しいノイズと追求されたサウンドプロダクションは1990年代のベストアルバムとしても評価され、シューゲイザーと言われるジャンルの金字塔とも言われている。

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