十二国記(ラノベ・アニメ)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『十二国記』とは、小野不由美による小説、及びそれを原作とするアニメなどのメディアミックス作品である。女子高生の中嶋陽子は、人の顔色を気にして生きてきた。そんな陽子の前に、麒麟の景麒を名乗る青年が現れ彼女を王と呼ぶ。陽子は本来の故郷である十二国世界へ渡り、様々な戦いを経て王になる覚悟を決めるのだった。ある者は権力とそれに伴う責任に向き合い、ある者はコンプレックスに向き合って成長を遂げる。古代中国風の異世界を舞台にした異世界ファンタジーでありながら、不思議なリアリティを持つ作品である。

昇山(しょうざん)

王に選ばれることを望む者が、自力で蓬山を登り麒麟と面会すること。条件はその国に戸籍があることで、一度昇山した者は二度と昇山できない。昇山をした人物の中に王がいればその場で誓約が結ばれる。必ずしも王となるべき人物が昇山をしてくるとは限らないので、時に麒麟は王気を頼りに蓬山を出て王を探しに行くこともある。陽子や尚隆は蝕に巻き込まれて卵果の状態で蓬莱(日本)に流された。供王は昇山の最中、供麒が迎えに来ている。

四令門(しれいもん)

金剛山の麓にある四つの門。年に一度、安闔日と呼ばれる日から翌日の正午まで開門される。王位を望む者は、この時期に蓬山を目指す。これを昇山と呼ぶ。安闔日とは春分、秋分、冬至、夏至のことを指す。門が開く際は妖魔が黄海の内側から外に出るとされており、昇山が危険とされる理由の一つともなっている。
【令艮門】
雁国を対岸とする。冬至が安闔日。
【令巽門】
巧国を対岸とする。秋分が安闔日。
【令坤門】
才国を対岸とする。夏至が安闔日。
【令乾門】
恭国を対岸とする。春分が安闔日。

蝕(しょく)

十二国世界と蓬莱、崑崙のある世界が繋がってしまう現象。基本的には自然に起きるが、麒麟や呪術により意図的に起こされることもある。景麒は王が蓬莱にいるとして蝕を起こし蓬莱へ渡った。
本来蓬莱や崑崙のある世界と十二国世界は次元を異にし、交わってはならないものとされる。その為、もし蝕が起きれば凄まじい嵐が発生し周囲は被害を受ける。卵果は親の手でないと取ることができないが、蝕の力で木から離れて蓬莱か崑崙へと流されることがある。このもぎ取られた卵果が、胎果と呼ばれる存在になる。麒麟の卵果も例外ではない。基本的に胎果は自分の本来の出自を知らず蓬莱や崑崙で一生を過ごすが、王や麒麟といった重要な胎果は連れ戻される。
海客、山客はいずれも蝕により蓬莱(日本。十二国世界では倭とも呼ぶ)や崑崙(中国。十二国世界では漢とも呼ぶ)から流されて来た人物である。海客は虚海、山客は金剛山の麓に流れ着く為、海客や山客と呼ばれる。何故か十二国世界から蓬莱や崑崙に渡ることはできず、仙もしくは胎果でなければ実体を保つことができない。
作中で蝕を起こしたのは景麒、延麒。延麒は一度半ば無意識に蝕を起こして蓬莱に渡り、尚隆に出会った。

卵果(らんか)

出典: w.atwiki.jp

里木に実る卵果。

十二国世界で、人間も含めた生物を産む果実。十二国世界でも性別は存在し、結婚制度や遊郭もあるが、子供は卵果からしか生まれない上、鳥が産んだ卵が孵化することもない。遺伝がないので両親に似ることはなく、両親が半獣でなくとも半獣の子が生まれることがある。人間の卵果は里木(りぼく)、生物の卵果は野木(やぼく)なる木に実る。作中では陽子が雁国の里木を見せられるシーンが存在する。

どの生物の卵果を願うかは、日によって異なる。人間は7日もしくは9日以降で、7日に願うとより良い子に恵まれるとされている。
人間の場合は夫婦で里木に祈り、枝に帯を結ぶ。天帝が子を持つに値すると判断した時に卵果が実る。願ってから十月めで両親が卵果をもぐのが習わしで、楽俊が陽子に「父ちゃんと母ちゃんがおいらをもいでくれた」と説明している。両親以外に子供の卵果をもぐことはできない。
陽子はこの事に絶句したが、十二国世界の住民からすれば母の腹から生まれて、家族は似るものという蓬莱や崑崙の生まれ方の方が不可思議で不気味らしい。実際、楽俊は「どうやって腹からもぐのか」「同じ家に自分と似た奴がいるのって気持ち悪くないか」と陽子に聞いていた。楽俊は好奇心で聞いたのだが、塙王は「女の腹から生まれた胎果や海客なぞロクなものではない」と差別意識を口にしている。
人間の場合は一度に枝に結べる帯は一つで、一つの卵果からは一人の子供しか生まれない為、十二国世界に双子はいない。時をずらせば何度祈っても良いようで、兄弟関係はある。夫婦は同じ国の戸籍を持ち、正式に婚姻しているのが最低条件とされる。
妊娠や出産がないので女性でも男性と同じ職に就くことができる。戴国の李斎のように、能力があれば軍職に就き、将軍を務めることも可能。

麒麟の卵果は蓬山の捨身木に女怪の卵果と同時期に実る。蓬山には女仙を含め神仙しかおらず捨身木に枝を結べる存在がいない為、麒麟には親というものが存在しない(育ての親という意味では女怪が相当する)。前の麒麟が死ぬと次の麒麟の卵果がすぐに実を結び、卵果の段階から女怪に見守られている。作中、陽子が蓬山を訪れた時は巧国塙麟の死後だった為、巧国の麒麟の卵果が実っていた。女怪は一晩で孵り、麒麟が生まれるまでおよそ十か月の間麒麟の卵果を見守る。

野木の下は妖魔でさえ攻撃をしてこないので絶対に安全な場所である。食う、食われる関係にある生物は違う日に生まれる。穀物の種がなるように祈るのは王の役目である。

十二国世界の天・王・麒麟

天帝(てんてい)

十二国世界を作り上げた神といえる存在。十二国世界の創世神話によれば、腐敗した世界を一度リセットしたとされる。この神話は旅芸人一座が劇の形で再現している。飴売り玉葉が天帝を「神様」と呼び、優香に神話について語る描写がある。
十二の国の王は麒麟が選ぶとされるが、厳密には天帝が前もってふさわしい人物を決め、麒麟に見つけさせる。麒麟が王気を感じ、王だと認識した人物の前にひざまずくことを「天命が下った」と言い、蓬山での啓示を受けることを「天勅を受ける」と言う。
天命は絶対とされるが、王と定められた人物に必ずしも名君としての器が備わっているわけではない(予王、錯王など)のも事実であり、陽子も天帝の意思に疑問を抱く。
王の即位の際に姿を見せることもなく、即位して500年経つ延王も会ったことがないと言う。勅命の際、王の心得などを説く声が聞こえるが、これとて天帝の物ではないと思われる(具体的に何者の声かは不明)。

西王母(せいおうぼ)

五山の主にして、女神の長。人前に姿を現すことはめったになく、玉葉の手に余る自体の時のみ現れるとされる。原作では十二国世界に戻ってきた泰麒の病を祓った。

王(おう)

出典: www.happyon.jp

鈴の夢に出た景王(左)。

各国に一人存在し、国を統治する。世襲ではなく麒麟に選ばれて玉座につき、政治を行う。条件はその国の生まれであること、前の王と同じ姓でないこと。後者の条件は、古代中国の儒教にある易姓革命(後述)の思想が元になっている。

十二国世界の「王」は、天帝により王と定められ王気を持つとされる。王となるのに元の身分、性別、年齢は関係なく、12歳で王になった者(供王)や、胎果の王(延王、景王)もいる。唯一王気を感じ取れる麒麟に選ばれ盟約を結ぶ。この段階では「天命が下った」とされるだけで、すぐ玉座につけるわけではないが、自動的に仙籍には入れられる。陽子が十二国世界に来ても言葉に困らなかったのは、景麒にひざまずかれたことで仙籍に入ったからである(仙籍に入っていれば、蓬莱の生まれでも十二国世界の言葉に困らない)。尚、仙籍にいれば飢えなどで死ぬことはない。
蓬山で天勅を賜り、各国の白雉(はくち)と呼ばれる鳥が「即位」と鳴くことで正式に即位となる。王が立つと、その印として国に龍旗が掲げられる。龍旗は王の印でもあり、王直属の軍隊である禁軍(もしくは王師)もこれを掲げる。麒麟は自力で蓬莱や崑崙に向かうことができるが、王を連れて行くことはできない。これは王が国を離れることで国が荒れる為。

王となった時点で自動的に仙籍に入れられて仙人となり不老不死の体を得る。このことは人として死に、王として生きると表現される。王を殺すには冬器の武器で首を刎ねるか胴を断つかしかない。道に外れた政治により麒麟が失道の病などで死んだ場合は共倒れで死亡する。予王のように、自ら王位を返上して死ぬ場合もある。

単なる統治者ではなく国の土台であり、王という存在そのものが国の方向を決める。災害が起きないよう儀式を行うなど、王にしかできない職務もある。
政治の舵取りは各人の手腕、つまり王の意思や才覚に任せられる。王が良い官吏を選び善政を敷く国は豊かになる。王が死ぬと国が傾き始める。妖魔がはびこり、豊作は望めず徐々に人心も荒れていく。その為、王が斃れた国の民の中には、次の王が選ばれるまで他国に逃れる者も少なくない。こうした民を難民や浮民と呼び、国によっては他国からの難民を保護することもある。難民の保護の程度は国によって差があるが、これもまた王の器に左右される。一定の基準をクリアした難民に戸籍を与える国もあれば、ただ受け入れるだけの国もまた存在する。

道に誤った政治を行ったせいで王が滅び、国が傾く事も多い。作中では二つの国(巧と芳)が王の悪政が元で滅んだ。もっとも芳国は仮王がいる為一応国として機能している。巧国は麒麟も王も、仮王さえもおらず機能停止状態にある。
王は先に挙げた条件で死なない限りは国を治め続けることとなり、国も栄える。雁国延王は治世が500年に及んでいる。実際には王だけではなく官僚たちも共に政治を行い地方を治める州候などとの関係も考慮に入れなくてはならない。王が立派に政治を行おうとしても、末端が罪人に賄賂を要求することもあれば、民を虐げることもある。

延王曰く、王には三度の転機があるという。一度目は王になって十数年した頃。即位から10数年のうちに優秀な官僚たちを揃えられるかが最初の難関となる。この編成に失敗し、政治への関心や気概を失う王も少なくないとされる。予王もまたプレッシャーから政治への関心を失くした。二度目は一般的な人間の寿命を超えた頃。生きることへの欲求を失うとされる。官吏の中にも、人間の寿命が尽きる頃に仙籍を離れるものが多いらしい。
三度目の転機は即位から300年ほどした頃。永久に国を治め続けることに対しプレッシャーを感じるとされる。過去の歴史を見ても、数百年ほどは名君だったが末期に暴政を敷いて滅んだ王が少なくない(梟王、達王など)。蓬山へ赴き自ら王位を返上することも可能(予王)。
王になった時に結婚していない場合は伴侶を得ることができない。即位の時点で家族がいれば共に仙籍に入り、子供は公子、公主とされる。王后や公子、公主は官僚と共に王を助けるのが望まれる。

王やその家族は基本的に贅沢な暮らしができるが、供王曰く重い責任を担っている為許されている特権である。楽俊は「王様は偉そうで当然。偉そうにした分その責務を果たさなければならない」と陽子に話している。

麒麟や家臣などからは「主上(しゅじょう)」と呼ばれるが、これは面と向かって呼ばれる敬称であり、基本的には各国の国名の後に「王」とついた名称が使われる。
各国の名前と同じ読みの国氏があてられる(慶国→景王、景麒など「ケイ」と読める時になっている)。この国氏は天により与えられたものだと楽俊が説明している。

王の性格、王としての器をある程度知る物差しとして初勅(しょちょく)がある。これは王が初めて公に出す命令であり、陽子は初勅をどうするかについて悩んでいた。延王や延麒は「そんなに難しく考えることはない」とし、「民は元気で暮らすこと」とした王もいれば、初勅を出さなかった王もいるとされる。陽子は考えた挙げ句、官僚たちに自分への平伏を禁じた。これは慶国の民に、各々自分の王になってほしいとの考えからである。

【易姓革命】
現実にある儒教の、政治に関する思想。意味としては王朝の移り変わりを示す。古代中国では、王もしくは皇帝の位は、天命により授けられた物と考えられていた。道に外れた政治をした王や皇帝は、地位を取り上げられて別の姓を持った者が支配する新たな王朝が立つとされた。
現実の易姓革命は、世襲(『十二国記』でいう所の同じ姓)による古い王朝が廃れて新たな王朝(今までの王とは違う姓の王)が立つ、時代の変遷を意味する。一つ史実から例を挙げれば、殷から周に王朝が移った経緯がある。殷の最後の王、紂王は妃の妲己に夢中になり圧政、暴政を敷いた。その為民の心が離れて、周の武王に取って代わられたとされる。
十二国世界の王の選定は、この思想が下敷きとなっており、姓が先王と同じである時は選ばれることはない。作中で言えば巧国の楽俊が先王と同じ姓を持つために王に選ばれないとされている。陽子が本来の親のことを口にした際、先王と違う姓のはずだと楽俊から指摘される描写もある。

仮王(かおう)/偽王(ぎおう)

仮王とは、天綱と慣習の定めにより、王や麒麟がいない国において一時的に王の役目を果たす者を指す。作中では芳国の月渓が仮王に当たる。月渓は自国の王を討ち取ったため、厳密には偽王とされるが周囲の信認がある為、仮王と呼ばれる。予王舒覚の妹、舒栄も本来なら仮王だが、麒麟を強制的に従えていた為、偽王とされる。

麒麟(きりん)

出典: www.videomarket.jp

泰麒(人型)と景麒(獣型)

黒麒麟の姿をとる泰麒。

十二の国の王を選ぶ存在。各国に一頭(一人)ずついる。自国の王となる人物にだけ膝を折り頭を垂れる。役職名は宰補(さいほ)だが、王以外の者が神仙に近い存在たる麒麟を役職で呼ぶのは恐れ多いとして、台補(たいほ)と称される(景麒なら景台補など、国号の後に台補をつける。「台補」は王を「主上」と呼ぶのと同じく、ある種の敬称と思われる)。麒麟の性格に個体差こそあれど概ねその性質・性格は仁、慈悲や憐みの心で出来ており、「麒麟は民を慈しむよう進言する」と延王・尚隆は口にした。
血の穢れに弱く、血を見る、浴びるなどするだけで気分が悪くなったり、病熱のように苦しむ描写もある。麒麟が血を見るなどして弱ることを「血に酔う」と表現される。怨みのこもったものなど、ある程度血の性質が分かる(憎しみから傷つけあった血だと認識した泰麒が酔う場面がある)。麒麟同士にだけ分かる気配が存在する為、胎果の麒麟を見つけることもできる。『風の海 迷宮の岸』では延麒が胎果の泰麒を探し当てている。また、本当に自分が麒麟なのか自信の持てない泰麒に対し、景麒が確かに麒麟の気配をまとっているとも言った。

王の選別は、天のさだめに従って王気を感じ取り見つけ出す形で行う。王気は麒麟だけに判別できるとされるが、王気そのものはこれといって決まった形があるわけではなく、王を選んだ麒麟でも説明しがたいものがあるらしい。延麒のように直感で分かることもあれば、泰麒のように恐怖心に似た感覚を抱く場合もある。その人物に執着のような気持ちを抱けば、それが恐怖に似たものであっても王気であるとは景麒の言。
自国の王以外の者には決して頭を下げることがない。これは本能的なものであり、他国の王であろうと麒麟への土下座の強制は不可能である。逆に自国の王であれば、「この人物は王ではない」と頭で思っても、土下座をする、或いはひざまずくこととなる。王気に関するこの性質は、戴国の泰麒が体現することとなった。泰麒は、驍宗を王ではないと感じながらも頭を下げてしまい、天命に背いたと沈んでいた。このことを打ち明けられた景麒は、戴国の隣国である雁国の延王と、麒麟の延麒に頼んで、延王への土下座の強要という芝居を打った。泰麒は延王に頭を下げることがどうしてもできず、驍宗が王となるべき人物であったから膝を折ることができたと知る。頭では「王の器ではない」と感じられる人物であっても、王気を感じることがある。景麒は舒覚(後の予王)を選んだ際に、彼女が名君になるには、何かが足りないことも感じ取っていた。

世界の中心、黄海は蓬山(ほうざん)の中腹の蓬廬宮(ほうろぐう)にある捨身木(しゃしんぼく)に黄金の卵果として実り、馬と鹿の中間のような獣の姿で誕生する。力の源は角。この角は額に一本生えており、人型の際は少し盛り上がっている。
たてがみは人型の時に髪の毛になり、総じて麒麟は長髪である。白い体毛に金のたてがみが基本であり、人型の時は金髪となる。十二国世界の住民は様々な髪の色をしているが、金髪は麒麟のみであり、延麒はお忍びで街に出る際は目立つ金髪を隠すために頭に布を巻く。泰麒は全身の毛並みが鋼色をした黒麒麟であり、人型の時も黒髪のままであった。
前の麒麟が死ぬと、すぐ捨身木に次の麒麟の卵果が実る。麒麟の卵果は「泰果」、「塙果」などと呼ばれる。麒麟が行方不明になった際は新たな卵果が実るか否かで生死の判別が可能。
生まれた直後は女怪の乳で育ち、女怪により守られる。幼獣の段階では麒麟の姿をとりながら妖魔を折伏し、自身の僕となる使令に加える。生まれて5年ほどすると角が生え、人型になって人語を話すようになるとされる。それまでは言葉も分からない赤ん坊のようなものである。成獣となり王を選ぶまでは蓬山の主として蓬山公(ほうざんこう)と呼ばれる。妖魔の折伏の他、自力で虚海に赴き、蓬莱や崑崙に渡ることも可能。

黄旗が掲げられて麒麟が王の選定ができるようになったことが知れ渡ると、玉座を望む者が自ら蓬山まで赴く。これを昇山という。昇山してきた中に王となる人物がいることもあれば、蓬山の外に王気を感じた麒麟が自ら出ていくこともある。昇山せずに王となった者として、景王・陽子、延王・尚隆(共に胎果)、予王、供王などがいる(厳密には供王は昇山をしたが、その最中供麒が迎えに来た)。
人型の時に子供の姿であっても王を選んだ時点で「大人」と見なされ、女怪による添い寝はされなくなる。王の補佐役として付き従い、時に助言も行う。泰麒は驍宗を王に選んだ時点で大人と見なされたが、麒麟としては雛同然であったらしく、蓬莱から戻った後も肉体的には15歳程度であった。
牡(男性)なら麒、牝(女性)なら麟と呼ばれ各国の国名の後に麒もしくは麟がつく(景麒、延麒、泰麒、峯麟、塙麟など)。これは国号とよばれるもので、字(あざな)という呼び名を名乗ることもある。延麒の字は六太、もしくは馬鹿、泰麒の字は蒿里。

失道(しつどう)

えどまち
えどまち
@edono78

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