Yellow Magic Orchestra(イエロー・マジック・オーケストラ、YMO)の徹底解説まとめ

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1978年に細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3名によって結成された日本の音楽グループ。
日本において「テクノポップ」というジャンルを根付かせた、シンセサイザーなどの電子楽器を使用した音楽が特徴。グループ名の頭文字をとって、通称YMO(ワイ・エム・オー)と呼ばれる。
代表曲は「RYDEEN」「BEHIND THE MASK」「君に、胸キュン。」など。

概要

Ymo

1978年に結成されたグループで、1983年に「散開」(解散というとファンが悲しむだろうという細野の配慮から)。
1993年に再生(再結成)、2007年には再々結成をしている。
グループ名の「イエロー・マジック・オーケストラ」とはメンバーの細野晴臣がつけたものである。細野が1970年代に提唱していた、白魔術(主に白人音楽を指す)、黒魔術(主に黒人音楽を指す)のどちらでもない、黄色人種特有の音楽、黄色魔術(イエローマジック)を作り出すというものに由来している。
1980年代の初めのニューウェーブブームの中心にいたグループであり、シンセサイザーを多用した斬新なサウンドで日本で人気となった。
また日本だけでなくアメリカなどでのレコードリリースやツアーなども行なっており、英語圏でも名の通ったバンドである。
ファッションも特徴的で、初期にはドラムの高橋がデザインした「赤い人民服」が有名で、そのほかにも「テクノカット」と呼ばれるスッキリとした短髪に剃り落としたもみあげというスタイルも強い印象を残している。

メンバー

細野晴臣

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東京都生まれの音楽家で1960年代末から音楽活動をする日本を代表するベーシストでもある。
1969年にエイプリル・フールというバンドでメジャーデビューし、そののちに日本語でのロックを作り上げたバンドである、『はっぴいえんど』というバンドを結成しベースとボーカルを担当した。
シンセサイザーとコンピュータを用いるYMOのサウンド・コンセプトを立ち上げた人物であり、リーダー及びプロデューサーの役回りをした。
YMOでは主にベースを担当しており、曲によってはシンセサイザーでベースラインを演奏することもあった。
自身が参加しているバンド活動だけでなく、プロデューサーとしても名が通っており、松田聖子や中森明菜など数多くの有名アーティストを手がけている。

高橋幸宏

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東京生まれの日本を代表するドラマーである。ビートルズのリンゴスターに影響されたタイトなドラムが特徴的である。
1972年にサディスティック・ミカ・バンドにドラマーとして加入し、同バンド解散の1974年まで在籍した。
1978年には高橋ユキヒロ名義でソロデビューも果たしている。
YMOではドラムのほかヴォーカルを担当している曲もある。またファッション・デザインの技能があったため、YMOのステージ衣装のデザインを手がけた。
サディスティック・ミカ・バンド在籍時に日本国外でのライブに出たことがあったため、YMO結成時はただ1人海外でのライブ経験があった。

坂本龍一

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1952年生まれの日本を代表する作曲家であり、演奏家である。高橋が名付けた「教授」というあだ名も有名である。
YMO加入前はスタジオミュージシャンとして活動しており、山下達郎や大瀧詠一のアルバムに参加していた。
幼い頃からピアノと作曲法を学び、東京芸術大学作曲科を出ており、音楽的バックグランドにはクラシックがあるが、ポップスから現代音楽まで幅広く手がける。
YMOでは主にキーボードを担当していた。ライブでの楽曲アレンジを一手に引き受けたり、楽曲の構成していくなかでの重要な役割を果たしていた。YMOに参加した年に「千のナイフ」というアルバムでソロデビューもしている。
YMO以外ではラストエンペラーなど多くの映画の音楽を担当したり、大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」では俳優としても活躍した。

来歴

結成から中期まで

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1978年の2月、細野が自宅に以前から親交のあった高橋と坂本を呼び出し、新しいグループのコンセプトを2人に伝えた。
アメリカのミュージシャンであるマーティン・デニーの「ファイアークラッカー」という曲をシンセサイザーを使用した電子音楽としてカバーし、本国アメリカでレコードを400万枚売るという企画書を見せた。
細野が高橋と坂本を選んだ理由として、電子楽器の鳴らすクリック(同期音)に対応しながら演奏が出来て、海外でのライブにも行ける腕前があるこの2名以外にいないと考えたからである。
細野自身はプロデューサー的な役回りになることを想定していた。細野の考えに2名は賛同したものの、実際のところ高橋はサポートメンバーのつもりで、坂本はアルバイト感覚で承諾した。そして同年の9月に坂本が結成前に共作をしたことのあったシンセサイザーのエキスパート、松武秀樹をサポートメンバーとして迎え、初のライブを日本楽器池袋店東ショップで行なった。

1978年11月にデビュー・アルバム「イエロー・マジック・オーケストラ」を発売した。
翌年の1979年にはこのアルバムをアメリカのマーケット向けにリミックスした「イエロー・マジック・オーケストラ(米国盤)」を発売した。
同年バンドはサンフランシスコのバンド、チューブスの前座も初めての海外公演を経験した。
前座ではあったが、その音楽性とパフォーマンスに演奏後には観客がアンコールを求めるなど絶賛であった。

1979年9月に2枚目のアルバム「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」を発表。
このアルバムは日本のオリコンチャート1位を獲得し、100万枚以上の売り上げを記録した。
これにより、バンドの存在は幅広い世代の多くの人に知れ渡ることになった。
収録曲「TECHNOPOLIS」、「RYDEEN」はバンドのイメージを決定づけると同時に代表曲となった。
1980年には全国ツアーと海外ツアーを行い、人気は最高潮になり、日本ではテクノポップ旋風が巻き起こった。

中期

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バンドは1981年に2枚のアルバムを世に送り出した。
3月に前衛的なアルバム「BGM」を発表。前作のポップで馴染みやすいサウンドから一転して、とっつきにくく重くて暗いものへと変化した。タイトルのBGMとは細野が命名した。
収録曲の「U・T」は後に英国の音楽雑誌にて「ハードコア・テクノの走り」だとも評され、当時の音楽家たちにも高い評価を得ることが出来た。
しかし、前作のポップさを求めていたファンからは拒絶されセールスは大きく落ち込んだ。

同年11月には上記のアルバム「BGM」の発売日から制作が開始された志向の異なる前衛かつ実験的なアルバム、「テクノデリック」を発売した。
「テクノ+サイケデリック」という造語を意味するこのアルバムでは当時まだ一般的ではなかったサンプリングマシーンを駆使している。
鉄工所の音や人間の声をサンプリングし、リズムに使うなどしたサウンドが特徴で、世界中のミュージシャンに大きな影響を与えた。

一方、このころメンバー間では亀裂が生まれ始めていた。
細野と坂本がプロデュースの方針などの違いなどから不仲になり始め、スタジオで顔を合わさない、合わすと椅子を蹴散らすなど相当深刻なものになっていた。
高橋は二人の間を取り持つことに苦労していた。

このようなこともあり、1981年をもってYMOを解散させるというメンバー間の話もあったようだが、レコード会社の契約面やビジネス上の問題から、ひとまず解散は先延ばしにされた。

後期〜「散開」まで

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「BGM」と「テクノデリック」の実験的な2枚のアルバムを出した翌年の1982年はYMOとしての音楽的活動は行われなかった。
各メンバーはソロ活動と他アーティストへの楽曲提供及びプロデュースをし始める。

細野は盟友の松本隆と組み、松田聖子への楽曲提供、坂本は郷ひろみなどへの楽曲提供、忌野清志郎とのコラボレーション、俳優として大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」への出演などをした。高橋は「高橋幸宏TOUR1982」というタイトルのソロツアーを行なった。

それぞれの活動を経て翌年1983年に化粧品のコマーシャルのタイアップとなったシングル曲「君に、胸キュン。」でグループとして活動を再開した。それ以前の「BGM」、「テクノデリック」と実験的なサウンドからまた一転し、ポップで親しみやすいテクノを導入した歌謡曲を展開した。
この「君に、胸キュン。」はタイアップ効果もあってかYMOのシングルとして最大の売上枚数を記録した。
それに続き5月には、同曲を収録したアルバム「浮気なぼくら」を発表。
「君に、胸キュン。」路線のいわゆるテクノ歌謡でまとめたアルバムでまたしても前作と大きく変わったが、それまでの歌謡曲では聞く事ができなかった斬新な音、綿密なアレンジで構成されており、後のアイドルソングなどにも大きな影響を与えた。

そして上記アルバムリリースの後の10月、雑誌のインタビューにおいて正式にグループの「散開」(解散)が語られた。
「散開」という言葉に関して細野はファンを考慮して、解散ではなく「散開」という言葉を選んだという旨の発言をした。

この後「散開」ライブツアーとして全国6箇所を周り、YMOとしての音楽活動は一度幕を閉じた。
「散開」ライブツアー最後の会場であった日本武道館での撮影素材をもとに作られた映画のプロモーションのために3人が集まった。
これが再生前のYMOとしての最後の活動となり、1993年まで3名が揃ってメディアに現れることはなかった。

「再生」

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