椎名林檎(Sheena Ringo)の徹底解説まとめ

椎名林檎は日本のシンガーソングライター。1998年「幸福論」にてメジャーデビュー。有限会社黒猫堂に所属。2004年から2012年にかけてロックバンド・東京事変のボーカルとして活動した。2009年に平成20年度芸術選奨新人賞(大衆芸能部門)受賞。映画「さくらん」では音響監督を務め、リオオリンピック閉会式の演出を務めた。J-POP界を牽引するアーティストの一人である。

2014年7月4日「週間朝日」誌上でNHKのサッカー番組のために書き下ろした「NIPPON」の歌詞について「(サッカー日本代表のチームカラーを「混じり気無い青」と表現した歌詞が)『純血性』を強調している」、「死をイメージさせる歌詞(「嗚呼また不意に接近している淡い死の匂いで」、「乾杯!乾杯!いざ出陣」、「あの世へ持っていくさ」など)が特攻隊を思わせる」、「『日本の応援歌なんだから日の丸は当然』と言うが、意味深な歌詞をはためく国旗の下で歌われてしまうと、さすがにいろいろ勘ぐりたくもなる」と批判される。

これについて音楽評論家の石黒隆之が「日本に限定された歌がずっと流れることになるのも、相当にハイリスク」「過剰で、TPOをわきまえていないフレーズ。日本以前にサッカーそのものを想起させる瞬間すらない」と、NHKのワールドカップ中継のテーマとしてふさわしくないとさらに批判。
ジャーナリストの清義明も「サッカーは民族と文化のミクスチャー(混在)のシンボル」「最近は浦和レッズの一部のサポーターが掲げた『ジャパニーズ・オンリー』という横断幕が差別表現と大批判された事件もあったのに、サッカーのカルチャーをまったくわかってないとしか言いようがない」と批判していた。
一方で、音楽評論家の宗像明将は「デビュー当時から和の要素も含む過剰な様式美を押し出してきた人ですから、その要素が過剰に出すぎて議論を呼んでいるだけでしょう」と述べている。

これらの批判に対して雑誌『SWITCH』のインタビューで椎名は「貧しい」「諸外国の方々が過去の不幸な出来事を踏まえて何かを問うているなら耳を傾けるべき話もあるかもしれないが、日本人から右寄り云々と言われたのは心外。(それらの批判は)揚げ足を取られたと理解するほかない。趣味嗜好の偏りや個々の美意識の違いなどという話を踏まえた上でも、自分は誰かを鼓舞するものを書こうとはしても誰かに誤って危害を加えるようなものは書いていないつもりだ」と反論。
不謹慎だと言われた“死”という言葉については「死は生と同じくみんな平等に与えられるもので、勝負時にせよ今しかないという局面にせよ、死の匂いを感じさせる瞬間は日常にもある。ここを逃すなら死んだ方がマシという誇りや負けた後のことまで考えていられないという決死の覚悟をそのまま写し取りたかっただけ」と述べた。

また、2014年6月14日にゲスト出演したラジオ番組『JA全農 COUNTDOWN JAPAN』では「最前線で戦う方だけにわかる『ここを逃したら死ぬしかない、死んでもいいから突破したい』っていう気持ちはどんな分野にでもある。その瞬間だけを苦しむんじゃなくて、楽しもうという気分を切り出せば成功するだろうと思い、頑張って取り組んだ」と語っている。

音楽性

ロックンロール、ジャズ、ヒップホップなどジャンルを問わない柔軟さで
ボーカル、ギター、鍵盤、ドラムなど各種楽器演奏、そして作編曲をこなす能力の幅が広い音楽家である。

なかにし礼や阿久悠といった職業作詞家たちが書いた昭和の歌謡曲に慣れ親しんで育ったため
「歌には上手い下手などなくて『歌になっているか、なっていないか』があるだけなのではないか」という考えを持っている。
宇崎竜童・阿木燿子夫妻に憧れており、その二人の形を一人二役でこなす作家になるのが夢だという。

元RKB毎日放送音楽プロデューサー野見山賽はデビュー前の椎名林檎の詩集を見て
「詩の発送と着眼点、展開が凡人とは異なる。曲については、作品の中にジャズやシャンソンなどを取り入れた同年代の若い作家にはあまり例を見ない発想がある」と評した。

作曲について「旋律(メロディ)と和声(ハーモニー)の関係性にこそ常に関心を持つべきだ」という考えを持ち、
ビートや音色に触発されてサウンドのほうから組み立てるアプローチは極力せぬよう心掛ける。
また、デモを作る段階で編成のボリュームを決め込み、レコーディングの際それぞれのプレイヤーからのプラスアルファで音が減っても増えないようにしている。

作詞について、最初に曲のイメージを損なわないよう英語で仮の詩を書いてからデモを作りその後メロディと母音子音から英語詞か日本語詞かを決める。
後から当てはめていくように詩を作るのが特徴。

ルーツ

クラシック、ジャズ、ポピュラー・ミュージックに造詣の深い父親と、歌謡曲が好きな母親を持つ。
音楽的原体験はドビュッシーのピアノ曲である。
クラシックバレエやピアノを習っていたため幼少期はクラシック音楽、とくにピアノ曲を好み、交響曲ではバレエ音楽ばかりを聴いていた。
歌のある曲には興味がなかったが父親の影響でザ・ピーナッツは好きであったという。

小学校に上がってからは歌謡曲や女性ジャズボーカリストを好んで聴く。
特によく聞いたミュージシャンは以下のとおり。
映画「風の谷のナウシカ」サウンドトラック/五輪真弓/太田裕美/朱里エイコ/大塚博堂/寺尾聡/来生たかお/ペドロ&カプリシャス/長谷川きよし/渡辺貞夫/ビリー・ジョエル/ニーナ・シモン/サラ・ボーン/エラ・フィッツジェラルド

中学に上がると、兄・椎名純平の影響でモータウンやソウル・ミュージック、R&Bといったブラック・ミュージックに傾倒。
高校に進むとBLANKY JET CITYから日本語の歌詞のよさに気づき再び邦楽を聴くようになる。
洋楽ではレディオヘッド/ビョーク、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ/レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン/パール・ジャムを好み、セックス・ピストルズのビデオ映像に衝撃を受けた。高校中退後はトッド・ラングレンやレッド・ツェッペリンを好んで聴く。

ボーカリストとしてフェアーグラウンド・アトラクションのボーカル、エディ・リーダーに憧れを抱いていたが、声室がまるで異なることを自覚していたため、もう一人の憧れであったジャニス・イアンを目指す。

デビュー当時は「和製アラニス・モリセット」と言われることが多かったが本人は自身のイメージをクランベリーズのドロレス・オリオーダンだと思っていた。

シングル

幸福論(こうふくろん)

1998年5月27日に発売されたデビューシングル。
椎名林檎本人はカップリング収録となった「すべりだい」をデビューシングルとして表題曲に据えたいと考えていたが周りの意向でいつのまにか幸福論が表題曲となっていた。

福岡時代に交際していた男性について歌った曲であり、「時が暴走する」「すべりだい」の続編となっている。
当初発売された8cmフィルム版には「時が暴走する」は収録されていなかったが、繋がった曲であるため、リスナーに対する中途半端さを嫌った椎名林檎の希望で1990年10月27日に発売された12cmフィルム版には「時が暴走する」もカップリングとして収録されている。

1999年2月24日に発売された1作目のスタジオ・アルバム『無罪モラトリアム』に「幸福論(悦楽編)」としてアルバムバージョンが収録された。
そのためシングルバージョンは、オリジナルアルバムには収録されていない(デビュー10周年企画の第3弾として2008年11月25日に初回完全生産限定で発売されたボックス・セット『MoRA』の『無罪モラトリアム』にはボーナス・トラックとして収録された)。
カップリング曲の「すべりだい」と「時が暴走する」は、2008年7月2日に発売されたデビュー10周年記念アルバム『私と放電』に収録されている。

歌舞伎町の女王(かぶきちょうのじょおう)

1998年9月9日 発売。
「新宿系」の肩書きと共に椎名を代表する曲。
1999年9月よりサントリー「ザ・カクテルバー ミモザ クラッカー篇」CMソングとして使用された。
福岡から上京した椎名がレコードショップでアルバイトをしていた時期、SMクラブで働いてくれないかと勧誘をしつこく受けたことから着想を得て制作した楽曲。この曲を制作した当時、椎名は歌舞伎町を訪れたことはなかった。

大まかなアレンジを含めて30分程度でできあがったというこの曲は、椎名の楽曲の中では珍しく全編フィクションである。
曲を作る際にドラムを叩いている少女が頭に浮かんだため、椎名自身がその少女になりきってドラムを叩いている。
ジャケット写真は東京都新宿区にある新宿ゴールデン街、ミュージック・ビデオは東京都豊島区にある法明寺で撮影されている。
後にPVを見た友人に「あれホラーだよ~~」と言われショックを受けたと述べている。

ここでキスして。

1999年1月20日 、1作目のスタジオ・アルバム「無罪モラトリアム」の先行シングルとして発売された。
「ダウンタウンDX」エンディングテーマ。
スペースシャワーTV1999年1月度POWER PUSH!。
本作発売後の1999年2月5日に「ここでキスして。」で「ミュージックステーション」に初出演を果たしている。

福岡在住時代に制作された楽曲で、当時交際していた男性への率直な想いが素直に綴られている。
当時共に活動していたバンドメンバーに聴かせたところ「売れ線の曲だな」と評された。
歌詞にセックス・ピストルズのベーシストであるシド・ヴィシャスが出てくる。椎名曰くシド・ヴィシャスは「儚い少年のような人」。
初回生産盤の特典は後に発売された1作目のアルバム「無罪モラトリアムとの連動企画で、オビ付属の応募券を2枚一緒に送付すると抽選で「性的ヒーリング〜特別御奉仕編〜」というVHSを貰えるというものだった。

本能(ほんのう)

1999年10月27日 発売。日本テレビ系「FUN」エンディングテーマ曲。
急性化膿性炎症で入院している際に「罪と罰」とセットで作られた。
ナースの格好でガラスを割るPVが話題となる。
そのPV撮影ではハリウッドから映画撮影用に特殊加工されたガラスを購入して挑んだが、想定より硬いガラスであったため、ガラスを割った椎名は指に切り傷を作り、ワセリンで止血しながらの撮影となった。
セットを引きで撮影しての終わり方は椎名の提案によるもの。
イントロの、ヴォコーダーで加工されている英語詞はライブで披露する際には拡声器を使用して表現される。
初回生産分のみ、特製パーカー応募券付き。

ギブス

2000年1月26日に発売されたメジャーデビュー後はじめてのバラードである。
セカンドアルバム「勝訴ストリップ」からの先行シングル。「罪と罰」との同時発売であった。
オリコンチャートでは初登場3位、初動売上40万枚を記録し「本能」に次ぐ自身2番目のヒット曲となった。
PVで椎名が着ているワンピースは渋谷109で椎名自身が買った私物である。

福岡在住の17歳当時付き合っていた人に向けて作られた曲で、歌詞に出てくるニルヴァーナのボーカル・カートとその恋人・コートニーはその恋人の趣味に影響されたもの。「また4月が来たよ」というフレーズは、曲が作られた後でカートが4月に没したため話題となった。
リリースにあたって歌詞を変えることも提案されたが「それはそれで、そのときの私なんだから」という理由で変更はされなかった。
アレンジャー兼ベーシストの亀田誠治はこの曲を大変気に入っており、「葬儀でギブスをBGMに流して欲しい」と発言している。

また、「罪と罰」同時リリースの理由について、亀田誠治は当時の現場スタッフたちの戦略だったと述べている。
ちゃんとアルバムを聴いてもらいたかったことに加え、当時の浜崎あゆみのようなやり方をしていたら椎名が潰れてしまうのがわかっていたためそれを避ける狙いがあった。ちょうど同じレーベルに当時人気絶頂の宇多田ヒカルがいてくれたおかげで、アルバム『勝訴ストリップ』の方も売り上げ250万枚に抑えられ「セルアウトしない勝ち方を示すことが出来た」。

罪と罰(つみとばつ)

2000年1月26日 罪と罰(勝訴ストリップ収録)

2000年1月26日「本能」との同時発売。
「本能」「罪と罰」は急性化膿性炎症で入院していた際に「本能の肯定と否定」の意味をこめて作ったセット曲であるとインタビューで語っている。
病気になって気落ちした椎名が体の不調は人の話を聞かずに突っ走ってきた罰なんだと思いつめた結果「罪と罰」が制作された。
罪と罰のPVで真っ二つに割られた状態で出てくる車は椎名林檎自身の愛車「ヒトラー」(メルセデス・ベンツ)である。
廃車にしようか悩んでいた際に木村豊ビデオ監督の意向でPVに使ってしまうことに決まった。

レコーディングには椎名の憧れBLANKEY JET CITY(当時)の浅井健一がゲスト・ミュージシャンとしてギターで参加している。
「『罪と罰』は絶対浅井さんにギター弾いて欲しかった」と語る椎名はギターパートのみ外して収録したデモテープとこの曲に対する気持ちと自身の電話番号を書いた手紙を同封して浅井に送り、後日浅井健一から「カッコイイ曲だね、弾くよ」と快諾の返事をもらった。
浅井とのセッションが盛り上がり、「罪と罰」は収録予定時間に対してアウトロが伸びている。またアウトロには浅井による歯笛も挿入されている。
椎名初の全国ツアー・先攻エクスタシーツアー初日の福岡公演で「罪と罰」を初披露した椎名はMCの中で「まったくリリース予定のない曲やけん、もし、これがシングルで出て欲しいと思った人は、東芝EMIに手紙でも書いてください」と話し、それがきっかけでファンによるリリース嘆願の署名運動が行われた。

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