山下達郎(Tatsuro Yamashita)の徹底解説まとめ

山下達郎(やましたたつろう)とは、1953年生まれの日本を代表するシンガーソングライター。代表曲は『クリスマス・イブ』、『RIDE ON TIME』など。1972年にシュガー・ベイブを結成し、1975年にメジャー・デビュー。翌年1976年にバンドを解散し、アルバム『CIRCUS TOWN』でソロデビューを果たす。1980年に発表したアルバム『RIDE ON TIME』が大ヒットを記録。その後も数々のヒット曲を発表している。美しいハイトーン・ボイス、流れるような歌声と絶妙なコーラスワークが特徴。

山下達郎の概要

山下達郎とは日本のシンガーソングライター。1976年、アルバム『CIRCUS TOWN』でソロ・デビュー。デビュー当初はヒット作に恵まれなかったが、1980年にシングル『RIDE ON TIME』をリリースし、オリコンシングルチャート初のトップ10入りを果たしブレイク。アルバム『MELODIES』(1983年)に収められた『クリスマス・イブ』がJR東海のCMで話題となり、1989年にオリコンアルバムチャートで1位を記録。日本で唯一のクリスマス・スタンダード・ナンバーとなる。1984年以降、CMタイアップ楽曲の制作や、他アーティストへの楽曲提供、竹内まりや全作品のアレンジ及びプロデュースを手懸けるなど、幅広く活動を続けている。
音楽作りに対する独自のこだわりから「音の職人」とも称される。レコーディングではボーカル、バックコーラスの他、編曲からギター、打ち込み、シンセサイザー、パーカッションまで一人で手掛けている。全ての演奏を一人で行っている楽曲もある。

山下達郎の活動経歴

バンド・デビューからソロ活動へ

シュガー・ベイブ

右から2番目が山下達郎

1975年、シュガー・ベイブとしてシングル『DOWN TOWN』、アルバム『SONGS』でデビュー。
1976年、ニッポン放送「オールナイトニッポン」でレギュラーのパーソナリティを務める。同年、シュガー・ベイブを解散し、アルバム『CIRCUS TOWN』でソロ・デビュー。ソロ活動を開始。
1977年、アルバム『SPACY』、1978年、ライブ・アルバム『IT’S POPPIN' TIME』、アルバム『GO AHEAD』をリリースするも売り上げ枚数は芳しくなかった。シンガーを諦めかけ、作曲家に専念して生きていこうと決めかけていたが、翌年転機が訪れる。
1979年ファースト・シングル『LET’S DANCE BABY』をリリース。B面の『BOMBER』が大阪のディスコを中心にスマッシュ・ヒット。同年に初のタイアップ(JAL沖縄キャンペーンイメージソング)となるセカンド・シングル『愛を描いて -LET'S KISS THE SUN』をリリースし、その後自身初の全国ツアー「FLYING TOUR ’79 PART1」を行った。

ターニングポイント、一躍ブレイク

1980年、シングル『RIDE ON TIME』をリリース。自らも出演したmaxellカセットテープのCMソングとしても採用され、初のオリコンシングルチャート、トップ10入りを果たした。同年、アルバム『RIDE ON TIME』をリリース。オリコンアルバムチャート1位を記録し、ソロ・デビュー4年目にしてブレイクを果たした。さらに同年に、1979年にリリースしたアルバム『MOONGLOW』が第22回日本レコード大賞のベストアルバム賞に選ばれた。
1982年、アルバム『FOR YOU』をリリースし、オリコンアルバムチャートで1位、年間アルバムチャートでも2位を記録し、シンガーソングライターとしての確固たる地位を確立した。
1983年、シングル『クリスマス・イブ』をリリース。それから5年後、1988年にJR東海のクリスマス・キャンペーンCMに『クリスマス・イブ』が起用されヒットし、翌年も再び起用され、オリコンシングルチャートで30週かけ1位を獲得し、その後も4週連続で1位を記録した。自身最大のヒットソングとなる。『クリスマス・イブ』はロング・ヒットとなり、2016年、1986年から30年連続で日本の週間シングルチャートTOP100入りを記録し、ギネス世界記録に認定された。タイアップも1994年、TBSクリスマス編CM、1999年、ケンタッキー・フライドチキンクリスマスキャンペーンCM、2011年、モバゲークリスマスCM、2014年、映画『MIRACLEデビクロくんの恋と魔法』の主題歌に選ばれるなど、度々起用され続けている。
2015年、これまでの数々の業績と2014年のコンサート・ツアー「Maniac Tour 〜PERFORMANCE 2014〜」でこれまであまりライブで演奏しなかった楽曲を中心に披露し、個性的な歌唱力や音楽性をさらに高めていることなどが評価され、「第65回芸術選奨文部科学大臣賞」大衆芸能部門・大臣賞に選出され、同年で音楽活動40周年を迎えた。

山下達郎のプロフィール・人物像

元々の夢は天文学者だった

1953年2月4日生まれ、出身は東京都豊島区。父は池袋駅西口付近で居酒屋経営。山下達郎が生まれたのを機に、お菓子屋に転業している。
小学生の頃は、読書が好きで塾にも通い、児童会役員にも選ばれる真面目な少年だった。その頃は理科が大好きで宇宙に興味があり、夢は天文学者になることだった。音楽の道に進むきっかけがあったのは中学生の時、クラスで部活を選択する時だった。元々は科学部を選択するつもりだったが、希望届を前の席から山下達郎が回収した時、ブラスバンド部を希望する子が二人もいた。そこで山下達郎は、よほど楽しい部活なのだろうと思い、ブラスバンド部に入部を決めた。ブラスバンド部ではパーカッションを担当。その頃から家では親に買ってもらったウクレレをきっかけに、ギターに没頭するようになった。友人からベンチャーズを勧められ、洋楽も聞くようになった。中学2年生の時、始めて友人とバンドを結成。その時はドラムスを担当した。高校生になった時は、まだ将来は天文学者になるつもりだった。しかし進学校に進んだ山下達郎は、特有の堅苦しさからクラスに馴染めず、そのことからさらに音楽に没頭し、成績はみるみる落ちていった。進級も危ぶまれるまでになり、この時天文学者の夢は諦めた。高校は無事卒業した。

ミュージシャンの道へ

その後大学に進学はしたが、わずか3ヶ月で中退。中学生時代からの友人とは音楽活動を続けており、何か成果を残したいと思い、アルバム『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を制作した。曲目は、ザ・ビーチ・ボーイズのカバーがメインだった。約2ヶ月で完成させ、1枚1500円で販売したが全く売れなかった。この頃からディスク・チャートというザ・ビーチ・ボーイズが流れるロック喫茶に通うようになる。ここで大貫妙子と出会いを果たし1973年、シュガー・ベイブを結成。ここから山下達郎の音楽活動が始まる。初ライブはディスク・チャートの店長企画で長崎で行った。長崎大学の体育館で行われ、反応は上々だった。その後、エリック・レコードというレコード会社に所属することが決まり、シングル『DOWN TOWN』、アルバム『SONGS』を1975年4月25日にリリースし、シュガー・ベイブでメジャー・デビューを果たす。しかし当時は庶民的な恋が題材のフォークソングが流行っており、シュガー・ベイブの華やかな恋を描いたロックはなかなか受け入れられなかった。時代を先駆けたシュガーベイブは世間に評価されなかったことと、メンバー間の音楽性の違いにより活動3年で解散となった。1976年、解散ライブは荻窪ロフトで行われた。チケットは百枚程度だったが、即日完売し、翌日追加公演も行われた。
同年、ソロ・アルバム作成のため、ニューヨークとロサンゼルスでレコーディングを行い、『CIRCUS TOWN』でソロ・デビューを果たす。この後長らくセールス的に振るわない時期が続くが、『RIDE ON TIME』リリースを機に、一気にスターダムを駆け上がっていくこととなる。

山下達郎の音楽性・ルーツ

ビーチ・ボーイズマニアとまで言われるほどビーチ・ボーイズについて造詣が深く、山下達郎が影響を受けたのは、ブライアン・ウィルソンとビーチ・ボーイズのようなアメリカン・ロック・ポップスのミュージシャンからだった。自身のアルバムでもビーチ・ボーイズのカバーを発表している。また、日本におけるドゥーワップの熱心なファンの一人であり、知識も豊富である。楽曲の手法として、自分の声を多重録音する「一人ア・カペラ」という手法を得意としている。ギターにおいてはカッティングという手法を得意としている。カッティングとは、わざと音を止めて歯切れのいい音を出す手法のことで、これによりリズミカルで思わず体が動いてしまうような山下達郎サウンドが作り出されている。

山下達郎のディスコグラフィー

シングル

DOWN TOWN/シュガー・ベイブ

1975年4月25日発売

1. DOWN TOWN
2. いつも通り

収録アルバム
『DOWN TOWN』
『SONGS』(シュガー・ベイブ)

雑誌「レコード・コレクターズ」の2020年6月号の特集「シティ・ポップの名曲ベスト100 1973-1979」で1位に選出された。

幸せにさよなら/ナイアガラ・トライアングル

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