薄桜鬼の登場人物・キャラクターと史実上のモデルまとめ

『薄桜鬼』とは、ゲームメーカー、女性向けゲームブランド「オトメイト」から発売されている乙女ゲームシリーズである。幕末に実在した浪士隊「新選組」の史実を元にした作品となっており、緻密なまでに作り込まれた物語背景により、乙女ゲームファンから歴史好きな女性まで、幅広い層から支持を受けている。多くの後続作品に加え、ノベライズ、アニメ、映画、OVA、舞台、ミュージカルと様々なメディア展開も行われている。そんな『薄桜鬼』に登場する人物達のモデルとなった人物についてまとめた。

『薄桜鬼』の概要

『薄桜鬼』とは、ゲームメーカー、アイディアファクトリーと、ゲームグラフィックの制作を行っているデザインファクトリー株式会社が共同設立した女性向けゲームブランド「オトメイト」から発売されている乙女ゲームシリーズである。2008年9月18日に1作目となる『薄桜鬼〜新選組奇譚〜』を発売。以降、この作品の世界観を受け継いだ後続シリーズに加え、リメイク版やファンディスクの発売も行われた。その他にもノベライズ、アニメ、映画、OVA、舞台、ミュージカルと様々なメディア展開を行われている大人気乙女ゲームである。

物語は、幕末、文久三年(1863年)の京都から始まる。主人公の雪村千鶴は行方知れずになった父、綱道を探して江戸から京都へやってきていた。綱道は京都で蘭方医の仕事をしていたのだが、ある日を堺に突然連絡が取れなくなってしまう。心配になった千鶴は、1人単身で京へ向かう。しかしこの頃の日本は、女性が1人で旅をするにはあまり治安が良いとは言えない時代だった。そこで千鶴は男装をして京の町へ向かう事にする。無事に京へ辿り着けた千鶴だったが、そこで彼女を待っていたのは人の血を啜る「新選組」の隊士達の姿だった。

新選組は、京の治安を守る為に作られた浪士(仕える主家がない武士の事)隊。その彼らが血を啜っているという衝撃の光景にあぜんとする千鶴だったが、隊士達はそんな千鶴の血も啜ろうと襲いかかってくる。しかしそれを助けたのもまた新選組の隊士達だった。新選組副隊長、土方歳三と彼率いる隊士達に助けられた千鶴は、新選組の秘密を知ってしまった事から彼らの監視下で暮らさなければいけなくなってしまう。けれどもそこで千鶴は新選組の秘密に父、綱道も深く関わっている事を知り、新選組と共に綱道の行方を追う事になる。

実際に伝えられている新選組の歴史に沿いながら、乙女ゲームとしての独自のストーリーも展開していく、幕末恋愛奇譚ゲームである。

『薄桜鬼』の登場人物・キャラクターと史実上のモデル

土方歳三

CV:三木眞一郎

新選組副隊長。新選組に入隊する前は薬売りだった。
他人に対する態度の厳しさから、「鬼の副長」という異名がある。しかし全ては新選組とその隊長である近藤勇の為を思っての行動であり、浪士という荒くれ揃いの隊士達をまとめる為にわざと憎まれ役を買って出ている模様。

しかし根は優しく、情に厚い性格となっている。誰もが気づかなかったような細かいところまで目配りができる人物でもある為、何かと粗雑な隊士達をフォローする為に苦労していたりもする。だがそれを知るのは、原田左之助や斎藤一といった、一部の近しい人物達だけであるらしい。

好きな食べ物は沢庵。
酒に弱いらしく、1合飲むだけで直ぐに酔ってしまうほど。しかし本人はそれを認めたくないようで、作中にて「呑めないのではなく呑まないだけ」と強く言い張っている。

史実情報

天保6年(1835年)、武蔵野国多摩郡石田村(現在の東京都日野市石田)で農家を営んでいた土方家の息子として、土方歳三は生まれた。10人兄弟の末っ子にあたり、様々な問題を起こす乱暴な子どもだった模様。触ると傷がつく棘のような危ない子ども、という意味で「薔薇餓鬼(バラガキ)」と呼ばれていたという。修行と称して、風呂上がりに褌一丁のまま太い大黒柱相手に相撲の張り手をしていた、という逸話も残されている。なお、父は彼が生まれる3ヶ月前に結核で死去。母親も6歳の時に結核で亡くなっているという。10人いた兄弟もその内4人が夭折した為、最終的には6人兄弟であったらしい。

11歳になった時、土方は江戸上野の「松坂屋いとう呉服店」(現在の百貨店「松坂屋」の上野店)に奉公に出るも、番頭との喧嘩が原因で実家に戻ってくる。以降は元々持っていた「武道への憧れ」を胸に、実家秘伝の「石田散薬」を使って行商をしながら、いくつもの剣術道場で試合を重ねる修行を開始。そのなかで土方歳三は、後に新選組隊長を務める事になる男、近藤勇と出会い、彼が宗家であった古武道の流派「天然理心流」の門下となる。その後、文久3年(1863年)2月、江戸幕府第14代将軍、徳川家茂が上洛(京へ入る事)の為に必要な警護を務める浪士組を募集しているのを耳にし、近藤勇率いる天然理心流の仲間達と共に応募し、京へ向かう事になる。
この出来事がきっかけで、新選組の前身となる「壬生浪士組」が発足。後にその活動が認められ、名を「新選組」に改める事になる。

ただの武道の流派の集団からお上から正式に認められたお国の組織になった事もあり、土方歳三は新選組の為を思い厳しい取り締まりを幾つも作るようになる。そのあまりの厳しさから、「鬼の副長」と呼ばれるようになったと言われており、『薄桜鬼』の土方歳三の「鬼の副長」としての一面はこの一面を基にしたものだと思われる。反面、俳句や川柳を好む文学的な面も持ち合わせており、京都に上る際には自分がこれまでに詠んできた句をまとめた『豊玉発句集』と呼ばれる句集を作り上げてもいる。なお句集のタイトルに使われている「豊玉」は、土方歳三の雅号である。

沖田総司

CV:森久保祥太郎(少年時代:飯田奈保美)

新選組一番組組長。天才的な剣の才能を持つ剣士。
飄々とした態度の青年であり、冗談か本気かわからない口調で喋る。主人公の千鶴に対しては、やや意地悪な態度を取る事が多かったりする。隊長の近藤勇を心から尊敬しており、たとえ幼子が相手であろうと彼の悪口を言う者の事は絶対に許さない。飄々とした態度の人物である反面、内心は一途で自分の想いに真っ直ぐな青年な模様。

また剣の腕前だけではなく、戦闘そのものに対するセンスもなかなかに高いらしく、居合いの達人である隊士、斎藤一と並んで歩く際は必ず、彼の右側に立つといった行動を取る姿が作中で描かれている。これは斎藤一が左利きの剣士であり、腰にさしている刀の位置が他の隊士とは反対にある事が理由とされている。斎藤一歩の利き手とは逆側に立つ事で、多くの敵を相手にした際、互いに抜き打ち、相手を牽制し合うと同時に自分達を囲んでいる敵を2人が素早く対処できる、といった算段のもとの立ち位置の模様。

好きな食べ物は金平糖。
嫌いな食べ物はネギ。

史実情報

天保13年(1842年)、陸奥国白河藩(福島県白河市)藩士江戸下屋敷詰めの3代続く足軽小頭の長男として沖田総司は生まれた。なお生まれた場所は、江戸にある白河藩の屋敷(現在の東京都港区西麻布)だとされる。また生誕した年は、天保15年(1844年)という説もあり、本当のところは不明。2人の姉がおり、その内の1人が婿養子を取る形で沖田家を継いでいる。

沖田総司が9歳になった頃、天然理心流の内弟子(師匠の家や寮に住み込みで暮らし、付き人として師の仕事の手伝い等を行いながら修行をする弟子の事)になる。内弟子として日々を過ごす中で、後に新選組の中心人物となる近藤勇と土方歳三と出会い、同門の人間として共に修行を行う。文久3年(1863年)2月、江戸幕府第14代将軍、徳川家茂が上洛(京へ入る事)の為に必要な警護を務める浪士組を募集しているのを耳にした近藤勇率いる天然理心流の仲間達と共に応募し、沖田総司は京へ向かう。その後、発足された新選組の前身壬生浪士組の1人となり、一番組組長を務める事になる。また天才的な剣術センスの持ち主であった沖田総司は、「撃剣師範」としての役も担う事になる。「撃剣」とは「強烈な剣術」という意味の言葉であり、その為「撃剣師範」とは通常の剣術の修行よりもさらに厳しい修行の師範、という意味の役割りだと言われている。1対1ではなく、1人に対して3人が襲いかかる3対1のような形式での稽古が行われていた、という話が残っている模様。

しかし、壬生浪士組の活躍が認められる事になった大きな要因でもある「池田屋事件(元治元年(1864年)6月5日)」の際に、沖田総司は喀血してしまい、肺結核である事が判明する。実際の発病時期は不明だが、その後病状は悪化していき、慶応3年(1867年)、新選組から離脱。新選組最期の戦場となった「鳥羽・伏見の戦い」に参加する事もできないまま、病床で過ごすことになり、慶応4年5月30日(1868年7月19日)に亡くなった。

斎藤一

CV:鳥海浩輔

新選組三番組組長。左利きの居合の達人。土方歳三曰く「刀を抜くと総司と同じくらい強い」らしい。
八番組組長である藤堂平助と並ぶ最年少幹部だといわれている。寡黙な青年で、1人でいる事が多い。冷静な判断力と行動力を持ち合わせてもおり、粗暴で無謀な行動に走りがちな部下達を冷静にたしなめる様などが描かれている。
またそのような冷静な仕事ぶりが評価されてか、間者(敵方の様子を探る間諜、スパイ)として仕事を行う事もある。

作中では黒い着物に、襟巻を巻いた姿で登場する事が多い。

お酒を飲むと延々に説教を行うタイプ。普段の寡黙さが嘘のように説教を行うのだが、記憶には残らないタイプらしく、酔いが覚めた時には全て忘れている。また、寡黙なのも実は「人見知り」という本性が原因だったりするらしい。

好きな食べ物は高野豆腐。
土方歳三の実家が製造、販売している薬「石田散薬」の事を非常に信頼しており、隊士の腕が切れてしまった時に石田散薬に頼るシーンなどが作中で描かれている。

史実情報

天保15年1月1日(1844年2月18日)、播磨国明石藩(播磨国明石郡、播磨国美嚢郡を領した藩のこと。現在の兵庫県明石市、神戸市西区、神戸市垂水区、兵庫県三木市あたりに位置したとされる藩)の足軽の息子として生まれる。ただし出身地は江戸、という話もあり、詳細は不明。明石藩の足軽であった父が、江戸へ下った事から江戸出身になったのではないか、といわれている。斎藤一自身は、父の出身地の明石になぞらえて自分の事を「明石浪人」と名乗っていた模様。

斎藤一19歳の時に、旗本(江戸時代の徳川将軍家直属の家臣団の中で、石高が1万石未満で、将軍が出席する儀式などには必ず参列する、御目見以上の家格を持つ者の総称である)と口論になり斬ってしまう。追われる身になった斎藤一は、身を隠す為に父の友人を頼って京都へ向かう。剣術道場主であった父の友人、吉田某の基で暮らすようになり、その内道場の師範代も務めるようになる。
なお、後に新選組幹部の1人、永倉新八が書き残した新選組に関する手記『浪士文久報国記事』によれば、江戸にいたこの時期には、後の新選組隊長近藤勇が宗家を勤めていた古武道の流派「天然理心流」の道場に出入りをしていたとされているが、京都で活動を始めようとした壬生浪士組が購入した武具の使用者の中には斎藤の名前は存在していないといわれている。その為、斎藤一が新選組に入ったのは、新選組が京都で隊士の徴募を行った際の事であったのではないか、という推測も存在する。しかし結局のところ、明確なことは不明となっている。新選組では三番隊組長、他の幹部と共に「撃剣師範」の役を担っていた。間者としての仕事も任されていたという話も存在する。

また斎藤一は、「戊辰戦争」にて仕えていた旧幕府軍が新政府軍に敗北し、新選組がなくなってしまった後も生き続けた数少ない新選組幹部でもある。戊辰戦争後はしばらく謹慎生活を送っていたものの、明治7年(1874年)7月に東京の警視庁に採用され、3年後の明治10年(1877年)には警部補に昇任した。退職後は元会津藩士であった東京高等師範学校校長、高嶺秀夫らから推薦される形で、東京高等師範学校附属東京教育博物館(現在の国立科学博物館史跡、湯島聖堂)の看守、それも守衛長を務める事になる。その職も明治32年(1899年)に退職する事になるが、東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)の庶務掛兼会計掛を務めたという。生徒の登下校時の人力車の交通整理も担当するなど、看守の仕事にも似た事も行っていた記録が残されている。

斎藤一の死去は、大正4年(1915年)9月28日。死因は胃潰瘍といわれている。東京府東京市本郷区真砂町で亡くなったとされる。床の間で結跏趺坐(禅定において、両足を組む形で座る姿勢のこと)をして往生したと言い伝えられている模様。また同年1月には、斎藤一と同じく数少ない新選組幹部の生き残りであった永倉新八も亡くなっていたという。

藤堂平助

CV:吉野裕行

新選組八番隊組長。新選組幹部内、最年少の少年幹部。主人公の千鶴(16歳)と同い年ぐらいだとされている。

明朗快活な性格の少年であり、戦いでもまっさきに先陣を切ったりと、何事にも直ぐ飛びつくやんちゃな一面を持つ。祭り好きな性格でもある為、戦闘自体を遊び半分で楽しんでいたりする模様。しかし反面、内心では誰よりも年下で頼りない自分の無力さに苦しみ、自分にできる事を模索し続けているなど、繊細な一面も持ち合わせている少年となっている。

また伊勢国、津(現在の三重県津市)に藩を構える藤堂藩のご落胤(父親に認められていない子ども)でもある。存在自体はなかった事にされているらしいが、その口封じの為か藩からは毎月金が送られてきてるらしく、それで悩んでいる様も作中では描かれている。他の幹部隊士達と比べて背が小さい事も悩みの種の一つなよう。

好きな食べ物は寿司。

史実情報

藤堂平助が生まれたのは、天保15年/弘化元年(1844年)のこと。生まれた場所は武蔵野国と言われているが、育った場所は江戸だといわれている。詳しい出自は不明だが、宮内公文書館(代々皇室に伝わってきたも古典籍・古文書を中心に所蔵している公文書館のこと)が所蔵する書物『維新階梯雑誌』の第14巻に記載された新選組の名簿「新撰組名前」によると、旗本5,000石の藤堂家出身であった事が記載されている。さらに永倉新八著の手記『浪士文久報国記事』や、京都在留当時に書かれたとされる風聞書(江戸時代、各地で噂されていた様々な事象を書き記したもの。様々な藩が江戸に人を送り、その地で聞いた噂を藩へ書き送らせてきたとされており、その時書かれた文書の事を指す場合もある。)では、伊勢津藩主であった藤堂高猷のご落胤、または伊勢久居藩(現在の三重県津市にあったとされる藩)家老藤堂八座の子という話が記録されていたりする。明確な事は不明だが、「平助」という名は、藤堂家功臣の名乗りを継いだものとも伝えられており、藤堂家出身という説が濃厚な模様。

入門時期は不明だが、剣術と薙刀術の流派「北辰一刀流」の門弟として、藤堂平助は剣術を学んだとされる。北辰一刀流の中目録免許を意味する「北辰一刀流目録」を十代半ばで取得している。その後、同じ北辰一刀流の伊東大蔵の道場にも出入りをするようになる。そこからさらに後になって天然理心流、近藤勇の門下となった。代稽古を任されるようなったという話も残されており、剣術としての才覚に溢れていた事が推測される。

文久3年(1863年)2月、江戸幕府第14代将軍、徳川家茂が上洛(京へ入る事)の為に必要な警護を務める浪士組を募集しているのを耳にした近藤勇率いる天然理心流の仲間達と共に応募し、藤堂平助は京へ向かう。後に発足された壬生浪士組改新選組では、八番隊組長を務める他、「副長助勤」と呼ばれる役割りを担っていた模様。「副長助勤」とは、その字の通り、副長を補佐する役割りの事である。局長、副長に次ぐ3番目の職ともいえる立場ではあるが、新選組内には局長、副長以外にも総長と呼ばれる役職もある為、必ずしも3番目とはいえなかったようだ。また新選組幹部内において、1番年若い幹部でもあったという。

しかし元治元年11月(1864年12月)、新選組で行われた大規模な隊士募集の為に藤堂平助が江戸に向かった事をきっかけに、彼の運命は大きく動き変わる事になる。幹部の1人である斎藤一らと共に江戸へ向かった藤堂平助は、そこでかつで出入りしていた道場の主、伊東大蔵改、伊東甲子太郎と彼の下にいた門弟達を引き連れて京に戻る事になる。その結果、慶応3年3月(1867年4月)、伊東甲子太郎らと共に孝明天皇の陵墓を警護する「御陵衛士」を結成する為に、新選組を離脱してしまう。元々藤堂平助は尊王攘夷(君主(天皇)を尊び、外敵を斥けようとする思想のこと)の志士になりたいという思いがあった。この思いと御陵衛士の活動内容が沿っていた為に、伊東甲子太郎側に着く事になったと思われる。

しかし新選組が天皇ではなく幕府側に仕えていた事もあり、新選組は伊東甲子太郎の思想と剣技に警戒心を抱くようになる。その結果、慶応3年11月18日(1867年12月13日)夜、新選組による伊東甲子太郎暗殺と御陵衛士殲滅を目的とした作戦が開始される。伊東甲子太郎はもちろんのこと、藤堂平助を含む御陵衛士ら8人が亡くなった。なお後に永倉新八が語った話によれば、近藤からは「(藤堂は)まだ若い有為の材であるからできるだけ助けておきたい」という指示が出ていたという。その為、永倉新八は周囲に気づかれないよう藤堂平助を逃がそうとしたが、何も知らない隊士が斬り殺してしまったといわれている。他にも永倉新八の意を汲み取ったが、志士としての誇りと仲間を見捨てるわけにはいかないという意思の下、彼らに立ち向かい戦死したという話もある。

なお藤堂平助らの死体は、他の御陵衛士を呼び出す囮として使う為、数日間道端に放置されていたという。その後は、泉涌寺の塔頭戒光寺にて、伊東甲子太郎ら同志と共に供養された。またこの寺院には御陵衛士が警護しようとした陵墓の主、孝明天皇の御霊も眠っている。

原田左之助

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