ゲームボーイ開発秘話 低コストハードの実現

横井軍平は世界的な大ヒット商品となったゲーム&ウオッチに次ぐ携帯ゲーム機を開発。その次世代機が9年振りに発売されました。

商品の概要

名称 ゲームボーイ(GAMEBOY)
種別 携帯型ゲーム機
製造 任天堂
発売 1989年4月21日
価格 12,800円(税込)
売上 日本 3,247万台 世界 1億1,869万台

開発の目的

初代ゲームボーイのCM

開発者は横井軍平氏。
世界的な大ヒットを記録した携帯ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」の次世代機として、1980年から9年の時を経て開発されました。しかし発売当時の世間の関心は、専らファミコンの次世代機であるスーパーファミコンのことばかりで、あまり話題になっていなかったそうです。

横井氏は「ゲームの原点に回帰をする」という目標をもっていました。原点とは「ゲーム作りの本質である、新しいアイディアを生み出すこと」です。当時のゲーム業界はアイディアに行き詰まり、ハードのCPU競争や色競争ばかりをしており、そういった状況に彼は限界を感じていました。そこで敢えて時代の逆をゆく低コストハードの開発に着手したのです。

徹底的に削ったコスト

スーパーマリオランド

横井氏は「世間はポケットに入る程度のゲーム機がなぜファミコン(14800円)よりも高い値段で売られているのかと反応してしまう」と考え、徹底的にコストを抑える工夫をしました。
ゲームボーイはハードもソフトも同じ部内で開発し、お互いに必要な機能と要らない機能を検討し合うという作業を繰り返しました。その結果全く無駄の無い、ファミコンより2000円安いゲーム機が出来上がりました。

カラー液晶のライバル携帯ゲーム機「ゲームギア」(1990年発売)

その最も特徴的な要素が「モノクロ」画面。当時最先端の携帯ゲームはカラー画面で見た目も鮮やかでしたが、電池の消費が早く、ハードの値段も高くつきました。しかし本機は「枯れた技術」を応用することで、その欠点を乗り越えました。
またカラー液晶は太陽の下では見えにくくなるという致命的な欠点ももっていました。「海でも山でも、どこでも遊べる」といった携帯ゲームの利点を活かす意味でも、モノクロという選択肢はユーザーのニーズを満たしていたのです。

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