生涯を通じ芸術家であり続けたポップアートの旗手 アンディー・ウォーホール

アンディー・ウォーホールは1950年に商業イラストレーターとして成功を収めた後、
ファインアートの世界に入り、1961年にはポップアートを生みの親となった。銀色の
カツラがトレードマークの彼は有名人の演技に徹し、多くの作品を生み続けた。
1968年に有名人について語った「15分で誰でも有名人になれるだろう」という言葉は、
彼が語った言葉の中で最も印象的である。

アンディー・ウォーホールの作品はシルクスクリーンプリントの技法によって量産された物が多いが、
特に「バナナ」は彼がプロドュースを手掛けたバンド「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」の
ジャケットデザインで使われた。他に「マリリン・モンロー」や「J・F・ケネディ大統領」、
などの有名人や「ミッキーマウス」をモデルにした作品が広く知られている。

彼の代表作の一つ「マリリン・モンロー」は、彼女の死の直後作ったそう

アンディー・ウォーホールの生い立ち

アンディー・ウォーホールは3人兄弟の末っ子として、カトリック教徒の両親のもと
アメリカのペンシルベニア州ピッツバーグで生まれた。彼はスロバキア(旧チェコスロバキア)
の移民の子(出生日や出生地には諸説ある)で、幼い頃から体が弱く、色白で日光アレルギー
であり赤い鼻をしていた。1942年に父が死去した後は母のジュリアが女手一つで育てたが、
高校時代はアルバイトをしながら学校に通う日々だった。卒業後に進んだカーネギー工科大学
(現在のカーネギーメロン大学)では広告芸術を学んで1949年に卒業したが、芸術の才能は
早いうちに芽生えていたものと思われる。

出典: ja.wikipedia.org

ポップアートが誕生するまで

1950年代に移ったニューヨークでは「ヴォーグ」、「ハーパース・バザー」
といった雑誌の広告やイラストを担当した。1952年に新聞広告美術の部門で
「アート・ディレクターズ・クラブ賞」を受賞し、商業デザイナーやイラストレーター
として成功したが、次第に仕事と私生活でストレスを抱えるようになる。
この頃に「ブロッテド・ライン (blotted line)」という大量印刷に向いた手法を発明する。

1960年にイラストレーションからファインアートに移り、アメリカンコミックの
「スーパーマン」などをモチーフにした作品を制作するが、当時同じ題材の
イラストレーションで絶賛されていたロイ・リキテンシュタインの作品を見た後は
止めている。1961年、彼が33歳の時に身近にあったキャンベル・スープの
缶やドル紙幣を題材にしたイラストを描いたが、この時がポップアートの誕生と
言われている。

1962年にはシルクスクリーンプリントを用いて作品を量産するようになるが、
当時は話題性のあるものか、一般の人々が親しめるものを題材にしていた。
(Wikipediaより)

ドル紙幣を題材にした作品は、親しみを感じさせる

「15分で誰でも有名人になれるだろう」は名文句だった。

アンディ・ウォーホルは名声や有名人について語った言葉 ("15 minutes of fame") で有名になった。
1968年に「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」と述べ、
1970年代末に再び「60年代の予言はついに現実になった」と言った。

この言葉について毎回マスコミから質問される事に辟易し、
「15分で誰でも有名人になれるだろう (In 15 minutes everybody will be famous.)」
と言い換えた後は、回答を断るようになった。

出典: ja.wikipedia.org

レコードジャケットに使われた「バナナ」。少し傷んだ皮も美しいアートの題材に。さすがだ

アーティストに徹した彼の生涯

彼は自分自身への質問に、「僕を知りたければ作品の表面だけを見てください。
裏側には何もありません」と答え、「芸術家の内面」をなくし表面的であろうと
努めた。彼は有名なものへの愛情をオープンにし、作品の題材にスターや政治家や
報道で取り上げられる事故、流行している品物を頻繁に使った。彼がそれを
取り上げるのは、有名で皆も自分も大好きだからだという理由だ。

また彼自身がアメリカの有名人物になってからも、自分のペースを乱すことなく
有名人を演じ、作品を制作し続けることを理想とした。彼は58歳で死去するまで
アーティストとしての生涯を全うしたが、明るく鮮明な作品は、今後も
多くの人を楽しませてくれることだろう。

出典: ja.wikipedia.org

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