野球強豪校の監督とは? 強さの秘密に迫る「監督心(かんとくごころ)」のまとめ(パート3)

野球強豪校の監督は、いったい何を考え、どう実践しているのか? 本書は名門高校野球部を率いる指揮官の想いや苦悩、そしてチームと共に自らが成長していく様が感じられる内容となっています。今回は最終のパート3。1・2同様2名の監督をご紹介します。

藤田明彦 東洋大姫路(兵庫)

甲子園の地元兵庫県。報徳学園、滝川二、育英、神戸国際大付など強豪ひしめく県内でも、甲子園の常連校。夏も第59回大会優勝している名門校です。藤田監督自身も、現役時代2度の甲子園出場。監督としても春夏5度の甲子園に導いています。97年~06年の間、監督をされてからその後5年間チームを離れます。そして11年の2月に再度監督就任。その年の夏、見事甲子園切符を手にします。
そんな藤田監督の指導に影響を与えた人物、高校の恩師 田中監督がその人です。かなりのスパルタで、やめていく部員も多かったとか。選手たちのたるんだ練習態度に激高し、キャプテンを見せしめに何度も殴り飛ばすなど、当時の選手たちからはかなり恐れられていました。そんな田中監督でしたが、夏の県大会での大一番の試合を前に「今日負けたら、みんなで泳ぎに行こう」と笑顔で語りかけ、選手たちをリラックスさせます。それが奏功したのか、選手たちは伸び伸びプレイをし、その結果勝利を納め、甲子園行きを決めたというエピソードがあったそうです。
藤田監督はこういった現役時代の恩師の姿から、「監督とはある意味”俳優”ではないかと思う。俳優の”俳”は人にあらず。監督という俳優になって本来の自分ではない自分を演じられていたのだと思う」と述べています。時には鉄拳を振るう鬼軍曹にもなり、時には優しく愛情を注ぐ兄貴にもなる。そうすることで、うまく選手たちのやる気を引き出すということを恩師から学んだのでしょう。
しかしその後、ほめるタイミングを間違えて翌日の試合に大敗したという自身の経験などもあるようですが、緊張と弛緩のバランスとタイミングを試行錯誤しながら、選手たちと一生懸命向き合う藤田監督。ここ数年、甲子園から遠ざかっている東洋大姫路ですが、是非また復活を遂げてほしいですね。藤田監督に鍛えられた選手たちが、甲子園の大舞台で伸び伸びプレーする姿を見てみたいものです。

迫田穆成 如水館(広島)

現在76歳のベテラン、迫田穆成(よしあき)監督。新鋭、如水館高校の初代監督となって、チームを短期間で一気に強豪に仕立て上げます。また何といっても、広島商業の監督時代に「広商野球」を確立し、甲子園では数々の実績を上げた名将。何といっても、作新学院の江川を攻略したことは有名ですね。
広商時代は、手を上げることもあったそうですが、強圧的な態度ではダメだということに当時から気づいていたそうです。選手たちと対話することで、選手たちに「気づき」を与える。当時からその重要性に気づき、いち早く実践した迫田監督は、「プレーするのは選手たち、主役はあくまでも選手」という心得ができていたということになります。その点は、さすがだと思います。
時には選手たちに自らお菓子などの差し入れをしたりなど、選手たちと同じ目線で向き合う。そして彼らの気持ちを掌握し、かつ、やる気を引き出していく。恐らく昔はこのようなことはやっていなかったと思いますが、今でも現役の監督で、実績を上げている秘密は、その時代その時代の子どもたちに合った指導を試行錯誤しながらも実践しているということなのかもしれません。
迫田監督の理想のチーム、それは「強く見えないチーム」です。ガンガン打つ強打線、あるいはバンバン投げる超高校級投手を擁する表だって強いチームではなく、点を取られないチーム。1-0で勝つチームが迫田監督の理想とのことです。そのためにも、選手個々の長所を把握し、それをうまく引き出す指導を心がける迫田監督。そしてさらに選手全員の意識レベルが同じであることが何よりも大切だと述べています。一人でも意識が違う選手がいたら、勝負に影響してくるといわれます。そういう意味でも、選手との対話を大切にしている理由がわかります。
迫田監督が、長く指導続けてこられた理由として、甲子園で名をはせた名将というプライドや考えを捨てて、考え方ややり方を少しずつ変えながら選手と向き合ってこられた積み重ねの賜物ではないかと思います。76歳という高齢ではありますが、まだまだ現役で「迫田野球」健在というところを多くの高校野球ファンにみせてほしいと思います。強豪ひしめく広島の代表になるだけでもたいへんなことですが、是非甲子園でまたその勇姿をみたい。そう思わずにはいられません。

最後に

3回にわたって計6名の監督の「監督心とは」をまとめ、紹介してきましたが、いかがでしょうか?6名の監督心をまとめてみて感じたこと。それは、監督自身が、決して上から目線になったり、指導が一方通行になることなく、あくまでも選手と一生懸命向き合い、選手たちをその気にさせることに力を注いでいるということです。あくまでも監督は脇役、主役は選手。もしこれが立場が逆転してしまえば、勝つことは難しいでしょう。やるのは選手ですから。「監督心」とはすなわち、「自分の肉親以上に注ぐ、選手たちへの心からの愛情」、と勝手ながら解釈させていただきました。適当な表現かどうかわかりませんが、全ての土台はそれではないかと思う次第です。
選手ではなく、それを指導する監督にスポットライトを当てた本。これを読めば、また高校野球の面白さ、深さがわかり、さらに高校野球が興味深いものになるのではないかと思います。紹介した6人の監督の他に、龍谷大平安の原田監督や鹿児島実の宮下監督などの監督心も紹介されています。是非一度お手にとってみてはいかがでしょうか?

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