聖アントニウスの誘惑

大アントニウス 聖人 修道院制の創設者 エジプト生誕 紀元300年頃
修道院制の創設者として、また中世より疫病の守護聖人として、
西洋絵画の題材に描かれてきたアントニウス

「聖アントニウスの誘惑」は、荒野で一人敬虔に修行生活を送る修道院制の創設者大アントニウスを、
悪魔が暴力と金銀財宝、魅惑的で高貴な女性を使って誘惑する逸話に因んで、
西洋美術史上数多の巨匠たちが作品の題材にしてきたテーマ。
しかしこれらの巨匠たちによるこのテーマの作品には、悪魔の誘惑の描き方に
時代の意識が表れているところが面白いところだ。
画家たちは聖人を襲う怪物の姿や、聖人を寝所へ引きずり込もうとする悪魔の女王の描き方に趣向を凝らし、
それらは時代時代の特性を反映している。

悪魔たちは彼を空中高く抱え上げ、次に地上へと落とし、瀕死の重傷を負わせる。
ドイツの画家マルティン・ショーンガウアーのエングレーヴィングは、
当時の画家たちに大きな衝撃を与えた。
様々な実際の動物の形からヒントを得た、自然主義の萌芽ともいえる
リアルな姿の悪魔たち。
自然を観察して絵画に反映させるリアリズムが作品に生かされている。
(15世紀後半)

記号のような図像で中世の悪徳を暴いたオランダの画家ヒエロニムス・ボッシュ(1450?~1515)の「誘惑」作品は、
版画工房「四方の風」によって流布し、後世の画家たちに影響を与えた。

マチアス・グリューネバルト(1470~1475頃-1528)「イーゼンハイムの祭壇画」から。
ショーンガウアー同様、鳥獣の形態にヒントを得たリアルな怪物たち。
アントニウスが修行の場として選んだ墓の中にいると、
悪魔の手下たちは大挙して押し寄せ、アントニウスを滅多打ちにする。

大アントニウスの画題は、中世の北方ヨーロッパで蔓延した「麦角菌中毒」治癒の祈念画(祈りの対象のための絵)として、
主に北方ヨーロッパで盛行した。
現在フランス領の地方領主がアントニウスの聖堂を作り、祈りを捧げたところ、
当時原因不明の四肢壊疽の症状を示す息子の難病が治癒したので、
以来この病気を「聖アントニウスの火」と呼び、
聖アントニウス会を創設し、病気の治療活動をしたことに因むものである。
上の図像の左下の人物が症状に苦しむ麦角病患者と言われている。

風景画の中にキリスト教的主題を描いたヨアヒム・パティニール(1480頃~1524)の作品。
高貴な女王がアントニウスをもてなし、高い地位と結婚の約束を申し出て誘惑する。

ダフィット・テニールス(子)17世紀の作品 ボッスの影響が伺える構図。

(1891~1976)マックス・エルンスト
中世・近世を脱し、現代に近づきつつある20世紀の誘惑図。
怪物の形状はショーンガウアーやグリューネバルトの自然主義をはるかに超え、
グロテスクで感触的なおぞましさをともなう不気味さになっている。

サルバドール・ダリの誘惑図。
幻想性というよりも幻視性が強く、全身全霊で心の迷いに打ち勝とうとする、孤独で決死のアントニウスの決意が見て取れる。
歪曲した馬、象、裸の女性、聖人の神経をかき乱す現代の悪魔の姿は、単なる暴力的な中世の悪魔に比して趣を異にし、
人間の精神の危機を物語るものと言える。

ポール・セザンヌの肉感的な誘惑図

現代風に解釈すると、この作品の構図はキリスト教の修道者として道を外れることを恐れる修道者と、
それを誘惑する自分の中の欲望ではないだろうか。
自分の中に欲望を認めながら、手を出すリスクを恐れる葛藤と考えれば、
特にキリスト教徒に限定しなくても理解できる。

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