つらつらわらじ(備前熊田家参勤絵巻)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『つらつらわらじ』とは『月刊モーニングtwo』(講談社)で連載されていたオノ・ナツメによる時代劇漫画である。時は寛政、備前岡山藩主の熊田治隆は参勤交代のために江戸に向かうことになった。そして、隠居して江戸で暮らす計画を立てているため、江戸までの旅を楽しもうと考えていたのだ。しかし、江戸までの道のりは波乱の連続だった。『ACCA13区監察課』や『レディ&オールドマン』など人気作品を生み出してきたオノ・ナツメが描く、2年に1度の参勤交代エンターテインメントだ。

『つらつらわらじ』の概要

『つらつらわらじ』とは『月刊モーニングtwo』(講談社)で連載されていたオノ・ナツメによる時代劇漫画である。連載時期は2010年28号から2013年2月号までで、単行本は5巻で完結となっている。なお、今作の主人公である熊田治隆(くまだ はるたか)が最後の参勤の旅に出る2年前を描いた『つらつらわらじ/特別編』は電子書籍のみの配信だ。オノ・ナツメが描く時代劇漫画は『つらつらわらじ』よりも前の作品だと『さらい屋 五葉』がある。また『ふたがしら』なども描いているが、同じ時代劇をモチーフにした作品でも、キャラクターの雰囲気は違っている。オノ・ナツメ独特の作風に変わりはないが、『つらつらわらじ』では3頭身のかわいらしいキャラクターが登場する。大人な雰囲気の作風とは少し違うテイストとなっているのだ。

時は寛政、備前岡山藩五代藩主である熊田治隆は、最後の参勤交代の旅を心行くまで楽しもうと考えていた。なぜなら、近々隠居し江戸で暮らそうと考えているからだ。熊田治隆は家臣たちを引き連れいよいよ旅に出る。しかし、行列には、治隆を疎む幕府老中・松平定信(まつだいら さだのぶ)の密偵が忍び込んでいた。さらに、17歳の若き家老も行列に加わり、今回の江戸までの道のりには、今までとは違う「何か」が待ち受けていたのだった。オノ・ナツメによる、参勤交代のために江戸までの道のりを描く時代劇エンターテインメントだ。

『つらつらわらじ』のあらすじ・ストーリー

1巻「いざ参勤交代の旅へ」

備前岡山、31万5千石の外様の大藩である備前熊田家の当主、熊田治隆(くまだ はるたか)は、参勤交代のため江戸に向かうことなったのである。そして、治隆と家老たちを連れ備前岡山を離れた一行は小休憩をとるため、一日市(岡山県)本陣にある橋本屋という宿にやってきた。第二家老の熊田和泉(くまだ いずみ)以外の家老たちは、この場でお別れのため、出発と別れを兼ねて宴が催された。翌日、熊田治隆を筆頭に、一行は橋本屋を出立したのである。

参勤行列は、一日市本陣を出立し片上(岡山県)本陣にある宿「小国屋」にやってきた。夜、武家に奉公する非武士、中間(ちゅうげん)たちが宿泊している宿にいた、九作(きゅうさく)という男は、あぜ道を一人歩いている老婆に気が付いた。殿様が泊っているため宿場を通り抜けできないと知り、あぜ道を歩いているようである。そんな老婆に九作は声をかけ、重い荷物を持ち、手伝うことにした。お礼として老婆から小包をもらった久作はそのことを、旅籠にいる供侍(中間より上の立場の侍)に報告することにしたが、実際に持ってきたのは小包ではなく徳利だった。

実はこの中間の久作には秘密があるのだ。ひと月ほど前、江戸にて、小十人格御庭番(幕府から命令を受け諜報活動をする役職)である倉知九太郎(くらち きゅうたろう)は、自身の父親、倉知正之助(くらち まさのすけ)から呼び出されていた。治隆を筆頭とする備前岡山藩参勤行列に紛れ込み、治隆の弱みを握ってほしいというものだった。この命令を下したのは、江戸幕府の老中、松平越中守 (まつだいら えっちゅうのかみ)である。松平越中守は、倹約令に背く治隆を疎んじているからだ。そして、計画通り行列に紛れ込んだ久作は、老婆にもらったふりをして酒を供侍たちにすすめ、治隆に関する情報を集めようとしていたのだった。備前では祝い事以外で酒はご法度なため、久作は空になった徳利を土に埋めに行くことにした。土に埋めながら久作は「初日から酒を使うとは」と少し後悔した様子だったが、「江戸までの道中焦らずにいこう」と考えてもいたのである。

翌朝、「小国屋」を出立した行列だったが、その道中、馬が暴れだし部下の一人が怪我をしてしまった。手当のために有本(岡山県)本陣の休憩所「柳原屋」に立ち寄ったものの、この先、川越えもあるため治隆の側近、山和木三郎左衛門(やまわき さぶろうざえもん)は列の出発を急かしていた。先に川を渡り終えていた山和木三郎左衛門は、同じく馬で川を渡っていた家老の熊田和泉が深いところを渡っていることに気づいたのである。しかし、時すでに遅し、馬がバランスを崩してしまったのだ。だが、和泉のうしろを歩いていた中間の久作が、手綱を引っ張り事なきを得たのである。「目立ってはいけない」と久作は内心焦っていたが、武家の命である槍を久作が放り出したことで和泉に叱責されてしまったのだった。

宿に到着した一行だったが、久作は治隆に呼び出されていた。治隆はその場にいた和泉に「あのまま落ちていれば馬に踏まれて死んでいた。礼は言ったのか」と聞くが「武家の命より大事な槍を放り出した」と和泉は苦言を呈する。しかし、そんな和泉の言い分には耳を貸さず、久作に「立派である。気に入った」と治隆は言葉をかけた。和泉が乗っていた馬は、大坂の豪商、鵬池善左衛門(ほうのいけ ぜんざえもん)から治隆に贈られた馬で、名前はまだないそうだ。治隆の命令には従順だが、ほかの者の言うことを聞かない性格の馬なのだ。前の主に仕えていた時に馬の扱いを学んだという久作に、治隆は「口取り(馬の誘導や落ち着かせる役割)となり世話を任せる」と命じたのである。

治隆より馬の世話を命じられた久作は、恐る恐る馬に近づき、たてがみを梳かそうとするが一向に懐いてくれないのだ。久作は手に持っていた櫛に視線を落とし「なぜあのとき手を出してしまったのか」と考えていた。加古川宿(兵庫県)本陣の厩では、相も変わらず久作は馬に愛想を尽かされていた。「ぺちん」と手綱が顔をかすめ、久作は滅入っていたのだ。そこへ、治隆がやってきた。久作は深々と頭を下げるが治隆は何も言わず、馬に向き合っている。一言も言葉を発することなくその場を去っていた治隆を見送り、久作が馬に向き直ると、今まで触らせてくれなかった馬が触れることを許してくれたのだ。やっと、たてがみを梳かせるかと思ったが、今まで誰も手入れできなかったからか、櫛が通らないのであった。

その後、参勤行列は西宮宿(兵庫県)に到着し、久作は引き続き馬の世話をしていた。そこへ通りかかったのは、側近の山和木三郎左衛門と家老の熊田和泉だった。別の馬の世話係に昼食に誘われた久作だったが「馬に水を足さないと」と嘘をつき二人の会話を聞くために物陰に隠れていた。

治隆のせいで出立が遅れたため郡山まで小休止はないと言ったのは熊田和泉だった。すると、山和木三郎左衛門は「件の郡山宿ですか」と言葉をこぼしたのである。さらに「かの者は変わらず飯炊きを」という山和木に対し「わかっておる」と返したのは和泉だった。しかし、その場から山和木が去ったところで、和泉はなんの話をしているのかわからないといった様子だった。その会話を聞いていた久作は「かの者」に関して、もしやと思ったである。

2巻「殿の心境」

参勤行列は、播磨国を超え摂津国を進み郡山へやってきた。治隆は郡山ご本陣の主、梶善右衛門(かじ ぜんえもん)から氷餅をもらいご満悦の様子だ。その頃、家老の熊田和泉は、宿の者に案内され飯炊きをしている一人の女性のもとへやってきた。そこで和泉は「もしや殿の落とし胤(落とし子)か」と気づき、治隆の側近である山和木三郎左衛門に問いただした。三郎左衛門は、和泉がこの件について知らなかったことに大変驚いていたが、一昨年のことを語り始めたのである。

一昨年、ここ郡山にて治隆が先ほどの女性をお召しになり、昨年女性に子どもが産まれたというのだ。そのことは、御供家老だった戸倉から行木長門の耳にも入っていた。そして、行木はその日の内に郡山まで使いを走らせ、家老内で協議した結果、内密に事を運ぶことになったそうだ。この件に関しては一握りしか知らないようで、和泉は「殿に会わせてはならぬ」と三郎左衛門に釘を差しその場を後にしたのである。

三郎左衛門は宿の庭に咲いている椿の花をみて「殿にもお見せしたい」と主人、梶善右衛門につぶやいた。その夜、いつものように馬番をしていた久作のもとに、三郎左衛門がやってきた。そして、三郎左衛門は治隆の馬を久作が見ている前で逃がしてしまったのだ。馬が逃げたことが宿中に知れ渡り、家臣たちが馬を捕まえるために奔走していた頃、三郎左衛門は治隆のもとにやってきていた。そして、そこには飯炊きの女性も一緒だったのである。三郎左衛門が言った「椿の花を殿にもお見せしたい」には、女性に会わせてあげたいという意味合いも込められていたようだ。

女性と対面した治隆が一言二言交わしあと「子は息災か」と尋ねると、「はい」とだけ答えた。その後、治隆は三郎左衛門を呼びつけ「達者でな」と女性に一言告げた。

一昨年、治隆は飯炊きの女性を自室に呼びつけていた。女性は終始、治隆を睨みつけていたが、なぜ睨むのか理由を語り始めたのである。女性が好いた男性は備前の藩士で浅田忠兵衛(あさだ ちゅうべえ)という名前だ。勘定方のお役についていたそうだが脱藩したのち、熊田家参府行列に見つかり斬り殺されたそうだ。治隆は浅田について、幼い頃から頭角を現し若くして勘定方についた、と高く評価している様子である。しかし「藩の金を着服したことには変わりない」とも言った。女性が「金には手をつけていない。お返しします」と言った時、治隆はあることに気がついた。「お腹に子どもがいるのではないか」と告げ、罪人の子どもと知られれば風当たりが強くなるため、治隆はその事実を隠すことを女性に提案したのだった。治隆との子どもということにすれば、何不自由なく暮らせるからだ。その提案を聞いた女性が「子どもと二人でこの地に人並みに暮らしたい」と言うと「家老たちがうまくやってくれるから郡山本陣付けの女中として」と治隆は女性の望みを叶えたのである。

翌日、郡山を出立した一行は京都伏見に入り、そこには治隆に馬を贈った大坂の豪商、鵬池善左衛門の姿もあった。善左衛門は側近の三郎左衛門に挨拶をした後、厩にいるという治隆のもとを訪ねた。煙管をくゆらせながら馬の様子を見ていた治隆は「しかと貰い受けた」と善左衛門に告げるのであった。

善左衛門が献上した羊羹や扇を堪能している治隆のもとに、京都にある一条家から使いの者がやってきた。熊田和泉の従兄にあたる関白殿下が体調を崩したという知らせだった。治隆に見舞いに来てほしいという内容を聞き「明日伺うから使いを出せ」と和泉に命令したのである。しかし、この参府の旅には行程があり、宿泊する宿も先まで決まっているのだ。宿を変更すればお金がかかるから、とお見舞いの品を贈ればよいと和泉は治隆に提案した。しかし、関白の母親は熊田家の養女で生家は和泉と同じ天城熊田家なのだ。見舞いに行かないと罰が当たる、と治隆は和泉を説得している様子だ。その後も押し問答が続き、三郎左衛門含め家臣たちで行程を組みなおした結果、強行スケジュールではあるが、見舞いをすることになったのである。

翌日、治隆は草津への行程を間に合わせるために籠ではなく馬で京の町をかけていくそうだ。その事実に驚きつつも、側近の三郎左衛門や家老の和泉、馬の口取り役である久作は治隆に続いて走っていた。勢いよく京の町をかけていく治隆公騎馬御一行、そして口取り役の久作も馬の走りに負けじと一生懸命付いていくのであった。一条家の屋敷に到着して早々治隆は、関白に謁見を申し出た。しばらく会話をしたのち、治隆は先を急いでいるため「殿下がお元気でなにより」と言葉を残し立ち去ろうとした。「話足りない」という関白に対し治隆は、後ろに控えていた家老の和泉を名指しし「これを残してゆきます」と告げた。和泉はそのことに大変驚いていたが、当の治隆は再び馬に跨りかけていくのであった。口取り役の久作は一生懸命走りながら、屋敷に残された和泉のことを「大丈夫なのか」と心配している様子だ。

伏見に戻ってきた治隆公騎馬御一行だったが、今後の行程もあるためすぐに出立するようだ。善左衛門の見送りを受けた治隆は「主や口取りを困らせることを楽しんでいる。そのため名前を「百を楽しむ」と書いて百楽に決めた」と伝え、伏見を去っていくのである。休憩をはさみながらも慌ただしく進んでいく一行だったがその道中、久作が百楽に噛まれそうになってしまった。しかし、治隆が百楽を諫めたことで、事なきを得たのである。しかし、治隆の様子を見ていた山和木三郎左衛門は「殿は郡山から様子が変。ご隠居なさるおつもり」と気が付いた。その夜、伏見には一条家をあとにした家老、熊田和泉の姿があった。明朝までに草津にいる本隊と合流するようにと治隆からの伝言を聞いた和泉は、夜中に山越えをしなければいけないのだ。刻限が明朝に迫る中、和泉は僅かばかりの迎えを連れ馬を走らせるのであった。

3巻「御庭番としての覚悟」

日もすっかり沈み夜が深くなったころ、家老の熊田和泉は家臣を連れ草津までの道を急いでいた。険しい山道を馬に乗り進んでいくが、その道中馬が足をくじき和泉は落馬し腰を打ってしまったのだ。大事には至らず徒歩で先に進んでいると、膳所藩家老の本田内記(ほんだ ないき)という人物と出会った。落馬して水浸しになった和泉の姿を見て、本田は和泉を屋敷へ促した。和泉は「挨拶くらいは」と考え屋敷に来たが、数刻もしないうちに出立する意志を告げたのである。本田から「草津までなら馬より舟のほうが早い」と言われ、和泉は琵琶湖を横切るために舟を用意してもらった。「風が吹かなければ安全」と言われていたが、草津に到着したころには和泉は疲弊しきっていた。風が強く吹き、瀬田の長橋まで流され船酔いをしたからだ。転覆はしなかったものの、散々な目に遭った和泉は汚れを落とすために風呂へ向かうのであった。

参勤行列は草津から水口宿脇本陣に入った。相も変わらず厩で仕事をしていた久作の背後で、百楽は自らを繋いでいたロープを引きちぎっていた。そのことに気づいていない久作は、以前ほかの御庭番に言われたことを考えていた。「道中をお調べする」という命令だったはずだが「成果を持ち帰るために自ら行動を起こし弱みを作れ」ということを言われたからだ。その後「馬が放たれている」という騒ぎを聞きつけ久作はすぐに駆けつけるが、偶然居合わせた和泉が手綱を咄嗟に掴んだためそのまま引きずられていくのであった。そして、久作はしばらくの間、飯抜きになってしまったのである。水口宿から関宿に入ったのち、治隆が本陣の主人と碁に興じているころ、手すきになった和泉は岡山藩絵師の馳川常宇(はせがわ つねう)に自分の肖像をしたためてもらっていた。

しばらく時が経ったのち、未だ飯抜きのままの久作は、厩にいる百楽が牧草を食べているのを恨めしそうに眺めていた。腹をすかせながら厩のそばでしゃがみこんでいると治隆が久作に声をかけてきた。「江戸で見た顔だ。どこの屋敷に出入りしていた」と問われ久作は焦りを隠せないのであった。

久作は治隆の御前に召され側近の山和木たちも集まってきた。どこに仕えていたのかと聞かれ正直に答える久作だったが「自分のことをどこで見られたのか」と内心焦っていた。しかし、そんな焦りをよそに治隆は「汁粉は好きか。江戸にある汁粉の屋台は美味いか」と問うてきたのだ。久作は戸惑ったが、「美味くなくはないが、ほかの店のほうが美味しい」と答えた。治隆は甘いものが大好きなため「他に薦めるものは」と久作に尋ねた。その途中で、治隆は食事をし碁の続きをうっていたが、終わったのち久作に「明日も参れ、庭先に」と告げるのであった。

伊勢道桑名に入った治隆たちは、大振りな蛤に胸躍らせ夕食を楽しみに待っていた。そして、先日の約束通り久作は今夜も庭先に召されていたのである。治隆によれば「久作は菓子の話を面白く聞かせてくれる」ということだった。しかし、治隆から話を聞かせてもらったお礼として甘いものをもらった久作は、一睡もできなかったのである。

次なる移動手段は船のため一行は桑名の港に来ていた。そして、自分が一体どのような局面にいるのかわからないまま久作は、口取りの仕事を続けていた。御庭番として命を投げうつ覚悟はあるものの、つまらない役回りに命をかけるのは嫌という気持ちもあった。「逃げなければ命はない」と考えた久作は、港に停泊していた馬船に乗り込んだ。しかし、治隆が直々に話をしたいため久作は御座船(貴人や天皇などが乗る豪華な船)に乗ることになり、そう簡単には逃げられことを悟ったのである。

百楽は船の中で大人しくしているため「離れても大丈夫だろう」と山和木に言われ、久作は今日もまた治隆の前に参上したのだった。治隆は扇を「ぱちん」と鳴らし久作に向ける。以前、名高い菓子匠について話をしていたとき、久作は「母親の作った牡丹餅が何よりも好き」と言ったことがあるのだ。そのことに関して治隆は「臆せず自分の意見を正直に言えるのはすごい」と賞賛の声をかけた。

そして、山和木やほかの家臣たちを置いて、久作だけを船の天守に連れてきたのだ。「手打ちにするなら早めに」と焦る久作に対し「江戸に到着したら隠居を考えている」と治隆は打ち明けた。この旅が終われば久作は他の藩の御供をすることになっているが、治隆は身軽になったら江戸のお菓子を巡ろうと考えているようだった。一介の中間にしておくのはもったいないため、菓子処へ案内させるために岡山藩に仕えないかという誘いだった。船を降り宮宿本陣へ到着したころ、江戸までの道程は残り半分となっていた。

その後、備前熊田家一行は岡崎宿に到着した。しかし、治隆たちが到着する半刻前に同じく岡崎宿に入っていた御公儀御一行が、宿の主に無理を言い宿泊することになってしまった。伊勢参りに来ていた旗本、宮野家だったため、宿の主も断り切れなかったようだ。とりあえず岡崎中根本陣前まで行列を進めたものの、替わりの宿は見つからないままである。しかし、籠を降りた治隆は「自分たちにとってもそうなように、宿にとっても急な話」と、言い野営をすると言い出したのである。和泉や久作、家臣たちは驚きの表情を見せていたが、治隆の意志は堅かった。そして「宿には入らないが金はしっかり払う」と宿の主人に告げ、備前熊田家一行は野営をすることになったのである。

4巻「降り続く雨」

宿泊するはずだった宿に泊ることができず野営をしていた備前熊田家一行だったが、治隆や和泉たちを含め家臣たちも唄に踊りに、美味しいご飯と楽しい夜を過ごしていたのである。翌朝、食事を済ませた備前熊田家一行は岡崎宿から出立したが、今回の宮野家と熊田家の差し合いの件は、江戸にいる松平越中守の耳にも入っていた。岡崎での一件について松平越中守は「協議しなくても非は明らかに宮野家に」と家臣たちに告げたが、自身の思惑もあったのだろう、両家ともにお咎めなしということになった。

それからしばらく経ち、備前熊田家一行は掛川宿で足止めを食らっていた。岡崎を出立して濱松や見附など何事もなく渡ってきたが、降り続いた豪雨が大井川の水位をあげていたのだ。それにより2日も宿に足止めされていたのである。そして、口取りの久作は今日も治隆に召され菓子の話をし、礼として菓子をもらっていた。

なんとか川の水位も落ち着き大井川を渡り終えた一行が休憩のために府中宿にたどり着いた頃、和泉は周辺をうろうろしている怪しげな男に気づいた。男の名は幸吉(こうきち)と言うそうで、7年前備前岡山城下京橋をお手製の翼で飛び回り、所払い(追放)されていたのだ。「殿にお会いしたい。約束を果たしに来た」と懇願する幸吉に対して、山和木と和泉は困り果てている様子だ。

7年前、治隆が幸吉に処遇を言い渡したのち、治隆は幸吉に会ってみたいと言い出したのだ。人間が空を翔けるところを見てみたいと思ったからだ。その時幸吉は「次はもっと高く飛んで見せます」と治隆に約束していたのである。幸吉は治隆が次に岡山に戻る際、府中宿に泊まったときを狙って約束を果たすつもりだったようだ。しかし、治隆は頑なに「約束はできぬ」と首を振った。その明確な理由は誰も知らないが、山和木だけは気づいていた。治隆はやはり江戸に隠居するつもりなのだ。

府中を出立しようとする一行だったが、馬を止め道に連なってなにかを待っている様子だ。それに気づいた幸吉は密かに作っていた翼をつけ、山の上から勢いよく空に向かって翔けていったのである。それをじっと望遠鏡で見ていた治隆は笑みを浮かべ「人は天空を飛翔するか」とつぶやき、いよいよ府中を出立したのであった。

府中から出立してしばらく、富士の山には雲がかかっておりその姿を見ることはできない。本来ならば富士山を正面に据え、歩みを進めることができるのだが、江戸に着くまで拝めないかもしれないと家臣たちは思っていた。そして、富士山にかかる雲のように、府中を出立してから熊田和泉の心は霧が立ち込めたような感覚に陥っていた。夜、雨が降ったらしいがすっきりと晴れた翌朝、未だに和泉の心のもやもやは晴れずにいた。出立の時、「天気が良いため宿場内を歩いてみたい」と治隆が言ったため、徒歩で出立することになった。そのことに驚いた和泉だったが「この道中はそういう旅なのか」と薄々感づいていた。そして、歩みを進めるうちに、ついに晴れ渡り富士山にかかっていた雲がなくなったとき、和泉は「殿はご隠居なさるおつもりなのだ」と気づいたのである。

5巻「それぞれの成長」

治隆が隠居するつもりだと和泉が気づいてから、和泉は幾度となくその真意を確かめるべく治隆に尋ねるチャンスを伺っていた。しかし、隠居について聞き出そうとするとすぐに別の話をするため、和泉はなかなか聞き出せないでいた。治隆は和泉を伴って海辺へやってきて、そこで治隆は、「和泉をこの道中連れていくように言ったのは長門だ」と告げたのである。そのことに和泉は大層驚いた。長門曰く「殿の側に置くことで多くのことを学べる。和泉の糧となる」と和泉が人間的にも成長するようにと、長門が計らってくれたからだ。

そして、備前熊田家一行が箱根宿を出立してしばらく、山越えをしていた頃、少し前に降った雨で地盤が緩んでいたのか、行列めがけて石が落ちてきた。あろうことか、治隆が乗っていた籠を引っ張っていた家臣に石がぶつかり、治隆を乗せたまま谷底に籠が落ちてしまったのである。山和木や和泉は急いで籠を追いかけなんとか谷底に到着した。当の治隆はけろりとしており怪我もなく無事だった。そして和泉は安堵し胸の内を語り始めた。「家老首座(今の長門の立場)への執着から長門殿を妬んでいた。しかし長門殿が自分を気遣ってくれた」と己を情けなく思い和泉はその場で涙を流すのであった。

畑宿に到着した一行。久作は、内密に行動しているほかの御庭番に、治隆は隠居をするつもりだと報告していた。そして、本来はここで久作の役目は終わりだが、久作は自らの意思で江戸に着くまで行列を共にすることを決めていた。久作は「熊田治隆が見据える世の潮流をいま少し知りたい」と考えていたのである。

江戸までの道程があと3日と迫ったころ、行列が進む先の村で火事が起きたのだ。治隆は火事装束を用意させ家臣たちに水を運ばせ消火活動をすることにした。馬に跨った治隆は笑みを浮かべ久作のほうに顔を向けた。久作はその瞬間、4年前の江戸・上野でも同じようなことが起きていたことを思い出した。あの時も馬に跨った治隆が行列を突っ切り、その場にいた久作に笑みを向けたのだ。口取り役を命じたあの時から、治隆は自分の正体に気づいていたのだ、と久作は冷や汗をかいた。

なんとか火が消え前に進めるようになったころ、久作は世話をしていた馬、百楽を治隆の前に献上するよう仰せつかった。ここからは川を渡らなければいけないため治隆は暴れ馬、百楽に乗って行くようだ。「暴れたら暴れたときだ」と言い、治隆が百楽に跨り悠然と川を渡っていく姿に誰もが見入っていた。そして、川を渡り戸塚宿に到着したのち、久作は治隆のお達しにより座敷に上がり込んでいた。治隆を目の前にした久作は、自分が御庭番であること、本名が倉知九太郎であることを明かしたのである。もともと久作の様子が不穏だったこともあり、治隆は熊田家に仕えるように声をかけ、菓子談義役として側に置いたということだった。

そんな話を聞いて久作は「殿に惹かれる理由が分かったような気がする」と治隆に告げた。治隆はそんな久作に対し「このままゆくか」と声をかけ、久作は頷いたのである。今まで世話をしてきた暴れ馬、百楽は治隆が手綱を引けば問題ないということも治隆に告げ、久作の役目は終わりを迎えた。しかし、久作がその場を立ち去ろうしたとき「今ひとつ隠居する前にやりたいことがある。楽しみにしておるがよい」と治隆は久作に向かって告げる。久作は厩にいる百楽を一撫でし治隆のもとから去っていったのである。

そして、備前熊田家一行はついに江戸に到着し参府の旅を終えたのである。一行が江戸、熊田家上屋敷に到着して半年が過ぎた頃、籠に乗っていた和泉は籠を止めさせ外に出る。そこには、かつて行列に紛れ込んでいた倉知九太郎の姿があった。治隆についての言葉を交わしたのち「殿との旅は私たち二人には糧になったでしょう」と九太郎は言った。しかし、そこへ家臣たちが慌てて駆け寄ってきた。なんと、治隆が行列を立て𠮷原へ向かうというのだ。いつ隠退するのかと思っていたが、和泉に気づかれるように準備を進めてきたというのだ。𠮷原に大名行列を立てることは前代未聞だが、隠退する前に治隆がやりたかったことはこれだったのである。行列の様子を見ていた町人からは歓声があがっていた。

『つらつらわらじ』の登場人物・キャラクター

熊田家

熊田治隆(くまだはるたか)

備前岡山藩五代藩主。熊田岡山藩初代藩主であった熊田光隆が行った厳格な質素倹約政策が、祖法として代々受け継がれているが、その教えを破っている。また、幕府が勧める倹約にも反対の姿勢を示しており、幕府の役人たちからは「外れ者」扱いされている。近いうちに隠居して江戸で暮らす計画を立てており、最後となる今回の参勤交代の旅を楽しもうと考えている。甘いものが大好き。

熊田家六家老

行木長門(いぎながと)

年齢は43歳で、家老歴17年の筆頭家老。治隆からの信頼が厚く、幼名で「美織(みおり)」と呼ばれている。ほかの重臣たちや熊田和泉の家に比べ家格は低いが、家老歴17年目にして筆頭家老にまで出世した。和泉に多くのことを学ばせるために参府の旅へ同行させるように治隆に進言した。

熊田和泉(くまだいずみ)

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『リストランテ・パラディーゾ(GENTE〜リストランテの人々〜)』とは、『マンガ・エロティクス・エフ』(太田出版)で連載されていたオノ・ナツメによる、老紳士たちが織り成すハートフル漫画である。幼くして両親が離婚し祖父母に預けられたニコレッタは、母親の再婚相手を一目見るためローマにあるリストランテにやってきた。そこで働き始めたニコレッタは、従業員全員が老眼鏡着用必須のリストランテであることを知ったのである。数々の人気作品を生み出してきたオノ・ナツメが描く、老眼鏡紳士たちによるおもてなし漫画だ。

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ハヴ・ア・グレイト・サンデー(漫画)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

ハヴ・ア・グレイト・サンデー(漫画)とは【ネタバレ解説・考察まとめ】

『ハヴ・ア・グレイト・サンデー』とは『月刊モーニングtwo』(講談社)で連載されていたオノ・ナツメによる、ある男たちの日曜日の出来事を描いたハートフル漫画である。初老の作家・楽々居輪治は、長くニューヨークで暮らしていたが、ある事情を抱え単身東京に戻ってきた。そして、一人暮らしを謳歌しようと思っていた輪治のもとに、息子のマックスと娘婿のヤスがやってきたのだった。『ACCA13区監察課』や『レディ&オールドマン』など人気作品を生み出してきたオノ・ナツメが描く、男だけの週末エンターテインメントだ。

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