不思議発見!日本にちらばるミステリー都市伝説

日本中にちらばる都市伝説やミステリーを集めました。

弥助はモザンビーク出身で、イタリア人の宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが信長に謁見した際に引き連れてきた奴隷であったという。

『信長公記』には「切支丹国より、黒坊主参り候」と記述されている。年齢は26~27歳、「十人力の剛力」、「牛のように黒き身体」と記述されている。

書物などによれば、京都で黒人がいることが評判になり、見物人が殺到して死傷者が出るほどで、初めて黒人を見た信長は肌に墨を塗っているのではと信用せず、着物を脱がせて洗わせたほどだという。

信長はこの黒人を身近に置くことにし、『松平家忠日記』にも「名は弥助、身の丈六尺二寸(約187cm)、黒人男性、身は炭のごとく」と詳細に記述されている。信長の武田征伐の完了に伴う帰国途上での出来事で、弥助も従軍していた。

本能寺の変の際には、本能寺に宿泊していて明智光秀の襲撃に遭遇し、信長が死ぬと二条御所に行って戦った末、明智軍に捕縛された。

家臣にどう処分するか聞かれた光秀は、日本人でもないとの理由で処刑はせず、南蛮寺に送った。 以後解放され、消息は不明だという。

豊臣秀吉には指が6本あった!?

織田信長の後を継いで天下統一を果たした豊臣秀吉。豊臣秀吉の逸話の中で広く信じられているのが、「多指症(たししょう)」、つまり指が6本あったのではないかと言われている。

文献によれば、豊臣秀吉の右手には親指が2本あったという記述があり、ここから多指症ではないかということが言われるようになってきた。

その記述されている文献というのは2つあり、前田利家の「国祖遺言」と、ルイス・フロイスの「日本史」。このどちらもが、豊臣秀吉は指が6本あったことが記されているので、現在では広く信じられている。

国祖遺言

前田利家の「国祖遺言」は賀藩中の一門・家臣に向けて、前田利家の事績を称揚する目的で書かれた利家の言行録という向きがされているものだ。その中で、「大閤様ノ右之手オヤ由飛一つ多六御座候(太閤様の右の手には、親指がひとつ多く6本あった)」という記述がされているので、6本あったのだろうと言われている

ルイス・フロイス

イエズス会の宣教師として、戦国時代の日本に上陸をして織田信長の信任を受けてキリスト教の布教に尽力したポルトガル人が「ルイス・フロイス」。

イエズス会の指示によって、日本における布教活動の歴史を記録しており、それが「日本史」としてまとまっている。

そこで豊臣秀吉について外見や性格などが詳細に書かれており、「身長が低く、醜悪な容貌の持ち主で性格は最悪に尽きる。片手には六本の指があった」と記してある。

豊臣秀吉は指が6本あったという説は、2つの文献に記述が見られることから真実である可能性は高いようだ。

ヒヒイロカネ

太古日本で様々な用途で使われていたとされる、伝説の金属または合金。緋緋色金、日緋色金とも表記し、火廣金(ヒヒロカネ)、ヒヒイロガネ、ヒヒイロノカネとも呼称し、青生生魂(アポイタカラ)はヒヒイロカネを指すといわれる。

奇妙な文字で書かれた古史古伝の一つである『竹内文書』にもこの金属が登場している。

それは、火炎のゆらめきにも似て朱く輝き、永久不変で決して錆びることのない金属ヒヒイロカネ。比重は金よりも軽く、その純粋な物は鉄よりも柔らかだが、合金すると、ダイヤモンドよりも硬くなるという、まさに幻の金属である。

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