Earth, Wind & Fire(アース・ウィンド・アンド・ファイアー)とは【徹底解説まとめ】

アース・ウインド&ファイアーとは、創設者のモーリス・ホワイトによって1969年にシカゴで結成された黒人R&B、ファンク、ディスコ、アフロポップグループである。「シャイニング・スター」「宇宙のファンタジー」「セプテンバー」「ブギー・ワンダーランド」「レッツ・グルーヴ」などヒット曲多数。2016年にモーリス・ホワイトは他界したが、フィリップ・ベイリーが継承し、50年以上経った今も活動するウルトラバンドである。グラミー賞6度受賞、全世界で約9千万枚のセールスを記録している。

(在籍期間1972年〜1983年)1951年5月30日生まれ、2012年2月29日没ギタリストとしてEWF他、ロニー・ローズ、クルセイダース、ジョージ・デューク、ランディ・クロフォードなどのアーティストと共演した。EWFは初期から参加し、1972年の3rdアルバム『ラストデイズ&タイムズ(地球最後の日)』のリリース直後にバンドを去ったが、その後入ったギタリストのアル・マッケイが脱退した1981年にEWFに再び戻った。1981年から1983年まで『レイズ!』『パワーライト』『エレクトリックユニバース』の3枚のアルバムに参加したが、その後、バンドは4年間の休止を取り、1987年に再始動したときにはバンドに復帰しなかった。2012年2月29日、60歳で亡くなった。

Robert Brookins(ロバート・ブルキンズ/key)

(在籍期間1998年〜2004年)1962年10月7日生まれ-2009年4月15日没。フィリップ・ベイリーの1983年のアルバム『Continuation』やラムゼイ・ルイス、ナンシー・ウィルソンの1984年の『The Two of Us』でキーボード奏者として参加した。デニス・ウィリアムズ1984年のアルバム『レッツ・ヒア・イット・フォー・ザ・ボーイズ』とアイズリー・ブラザーズの1985年のアルバムで作曲を担当。スタンリー・クラークの1985年のアルバム「Find Out!」にゲスト出演し、その後レビー・ジャクソンの1986年のアルバム『リアクション』とアル・ジャロウのアルバム『L Is for Lover』に参加。1986年にはデビュー・ソロ・アルバム『イン・ザ・ナイト』もリリースした。スタンリー・クラークの1986年のアルバム『ハイダウェイ』とジョージ・デュークの1986年のセルフ・タイトルアルバムに出演した。1987年、ボビー・ブラウンのデビュー・アルバム『キング・オブ・ステージ』1987年のステファニー・ミルズ『If I Were Your Woman』をプロデュースした。ナンシー・ウィルソンの1987年のアルバム『禁断の恋人』で作曲、ジョージ・デュークの1988年のアルバム『スティール・イン・ザ・ナイト』にゲスト出演。ジェフリー・オズボーンの1988年のアルバム『ワン・ラブ・ワン・ドリーム』とジャッキー・ジャクソンの1988年のアルバム『Be the One』でソングライターとして参加した。ジョージ・ハワードの1988年のアルバム『リフレクションズ』に出演。1989年、クリストファー・ウイリアムズの『アドベンチャーズ・イン・パラダイス』1989年、ウィスパーズのアルバム『モア・オブ・ザ・ナイト』をプロデュースした。1989年の『ジャスト・ヒア・アイ・ライク』でマイケル・クーパーをプロデュースし、1989年のアルバム『オンリオン・ヒューマン』でジェフリー・オズボーンをプロデュースした。
そして1990年、アース・ウィンド&ファイアーのアルバム『Heritage』に参加した。また2003年のアルバム『ザ・プロミス』ではキーボード兼音楽監督として参加した。

Sonny Emory(ソニー・エモリー/dr)

1987年、ソニー・エモリーはロサンゼルスを拠点にし、クルセイダーズやデイヴィッド・サンボーンらと一緒にプレイしていた。その頃LAのミュージシャンの間では、当時活動休止していたEWFが再始動するらしいという噂でもちきりだった。そんな中、モーリス・ホワイトの友人だったジョー・サンプルの紹介でEWFに参加した。EWFには1998年まで在籍した。
ジョージア州アトランタ出身。4歳のときにドラムセットを与えられ、ジョージア州立大学でジャズドラムを学ぶ。 卒業後はロサンゼルスへ拠点を移し、ジョー・サンプル、デイヴィッド・サンボーン、アース・ウインド&ファイアー、スタンリー・クラーク、リー・リトナー、ブルース・ホーンズビー、アル・ジャロウ、スティーリー・ダン、ベット・ミドラー、ボズ・スキャッグスほか多彩なアーティストと活動。ソロ名義のアルバムに『Hypnofunk』(1997年)、『Love’s Pure Light』(2005年)があるほか、自身の息子を含むグループ、ソニー・エモリーズ・カシェーで『Love Is The Greatest』を2017年に発表している。

Freddie Ravel(フレッド・レイヴェル/key)

(在籍期間1992年〜1995年)ロサンゼルスで生まれ、ロシア系ドイツ系ポーランド人の父親とコロンビア人の母親の間に生まれた。7歳でアコーディオンを演奏し始め、ドラム、ギター、そして最終的にはピアノを演奏するためにカリフォルニア州立大学で学び、音楽学の学士号を取得した。1989年、セルジオ・メンデスのバンドメンバーになり、。 1992年にEWFのメンバーになる。1993年のアルバム『ミレニアム』で演奏し、また、フローラ・プリムの1994年のアルバム『スピード・オブ・ライト』にも出演した。EWFで4年間在籍した後、1996年の長編映画『エビータ』のサウンドトラックでマドンナと共演した。また、ピーター・ホワイトの1997年のアルバム『ソング・オブ・ザ・シーズン』に参加。アル・ジャロウの2000年のアルバム『トゥモロー・トゥデイ』をプロデュースした。ジャローの2002年のアルバム『All I Got』に参加した後、EWFの2003年のアルバム『ザ・プロミス』に参加した。

Ronnie Laws(ロニー・ロウズ/sax)

1950年10月3日生まれ。テキサス州ヒューストン生まれ。1972年のアース・ウインド&ファイアーのアルバム『Last Days and Time(地球最後の日)』に参加した。1975年ブルーノートに専属、同社初のゴールド・ディスクを放ち、ファンキーな「オールウェイズ・ゼア」のヒット等で一躍フュージョン界の大スターになる。主な作品に、「プレッシャー・センシティブ」「フレンズ&ストレンジャーズ」などがある。フルート奏者ヒューバート・ロウズの弟。

Sheldon Reynolds(シェルドン・レイノルズ/g)

(在籍期間1987年〜2002年)R&Bバンド「Sun」のメンバーとして3枚のアルバムに参加した後、1983年にコモドアーズのメンバーになった。彼らの1985年の名盤『ナイトシフト』で歌った後、1986年のアルバム『ユナイテッド』でもプレイした。4年間のコモドアーズ在籍後、リードギタリスト兼ボーカリストとしてEWFのメンバーに加わる。1987年の『タッチ・ザ・ワールド』1988年の『ベスト・オブ・アース・ウィンド&ファイア vol2』1990年の『ヘリテージ』1993年の『ミレニアム』1997年の『In the name of love』に参加。1994年のシングル「サンデー・モーニング」はモーリス・ホワイトとの共作。

Andrew Woolfolk(アンドリュー・ウールフォーク/sax)

1950年10月11日、テキサス州生まれ。1972年にサックス奏者としてアース、ウィンド&ファイアーに参加し、1993年まで長年のメンバーとして在籍した。また、デニス・ウィリアムズ、スタンリー・タレンティン、フィル・コリンズ、フィリップ・ベイリー、レベル42などのアーティストとコラボレーションしている。

Wade Flemons(ウェイド・フレモンズ/vo)

1969年にアース・ウィンド&ファイアーの前身「ソルティ・ペッパーズ」の一員となる。その後1971年から1972年の間にアース、ウィンド&ファイアーのボーカリストとして参加した。1993年没。

Bernard Beloyd Taylor(ベロイド・テイラー/per)

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